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雷獣遊楽 終

9

「手痛んでいないだろうか?」

家人はそう尋ねた。私は先ほどまで感覚が弱くなっていた両の掌をグーパーしながら不備がないことを自分の中で確認していく。


「あれはわたしの落ち度だ。これも歴史の、噂話の恐ろしいところか」

家人はひどく落ち込んでいるように見えた。いつもあっけらかんとしている彼とはまた別の側面が表情の中に写っていて、何かやりづらさを感じる。

 そんな空気を変えようと、旅館の部屋の中の2人にだけ聞こえるような声量で私は問いかける。

「一体、これはなんだったんでしょう?」


  その問いに対して、家人は須臾の間、考えを巡らすとすぐさま返答する。

「あれは噂話の怨霊だ。土地を侵された人間達の意思と思いだ」

家人はそう言ってから、力を深く込めて述べる。


「噂話の本当の所を話していこう。何故、村が無くなったのかを」

村人はカエラが触れた植物によって無くなることになってしまった。普通普遍に存在するただの一種類の植物とそして何より『雷獣』という存在のよって。


 裕福な村は流れ出てきた雷獣の噂と、それによって生まれる狂いの対処法というものを熟知していた。それも惜しい事に村中が知っていた。知らされていた。


 カエラ、雷獣の狂いを癒す方法として噂されているのは『とうもろこし』を食べるというものなんだ。雷獣の好みの食べ物だという話もあり、雷獣わ落ち着かせるにはそれが有効なんだとか。


 だからこそ、村人はその植物を食べる事に躊躇いが無かった。


 『マムシグサ』


 これは毒草であり、細胞膜、血球を破壊するサポニン、中枢神経系を抑制し神経麻痺を起こすコニイン、わずかな摂取でも口腔内、咽頭などに灼熱のような痛み、呼吸器障害を引き起こすシュウ酸カルシウムを含んでいる。


 重篤な場合には死に至る毒草。そして何より、今の時期のような秋からその植物の果実は熟し始め、その形状はとうもろこしに似たようなものとなる。


 マムシグサは北海道から九州まで広く分布している植物で、内部の液体を触れるだけでも多少の炎症さえ起こる。それを狂ったように摂取すれば無論、最後は分かりきっている。



「なるほど、噂の真相はそういう事だったんすね」

 そういう事だったのか。村人の集団死の原因は確かに筋の通った推理だった。雷獣の噂が先だって村に伝わり、その伝承を信じた村人が毒草を食らって死んでいった。自滅的に。

 うん、そうなのか、そんな風なのか。名探偵は、悲しき名探偵はそんな結論を出したのか。それで良いのか、ならなんで東洲斎家人は女将からこの話しを聞いた時、苦しそうな、哀しげな表情を浮かべたのか。


 推論に納得はしたが、自分の直感だけがそれを受け付けていなかった。


「それだけじゃ無いんですよね。それだけじゃ。何かおかしいっすよ」

私はどうしようもなくなって浮かぶ言葉を無理に繋げる。家人はまたこの話を聞いたときのように憂いのような冷たい顔をする。


「……建御電力、全てはそれが元凶だろう」

 時代は19世紀、場所は北海道。詳細は控えておくが、この山の付近の村に起きた事。蝦夷地は明治政府によって1869年に開拓使を設置され、北海道と改名され開拓は劇的に進んで行くこととなるような世相だった。


 そんな最中、この悲劇は時代の表舞台にひっそりと隠れるように為されていた。この国初めての水力発電所は1888年に出来たのだが、それに乗じて建御電力内にも北海道開拓の以前から研究と計画がもちろん練られていた。


 そして、この場所が見つかった。ある種まだ異国であった蝦夷という土地に建御電力は目をつけた。この山、そして呪われているかのように異常なまでの良質な水をもつ湖、高さと水が見つかった。建御電力はその立地的に優秀な村へと交渉を持ちかけた。いや、持ちかけたのかも知れない。

 村が裕福になっていったのは何より外部からの援助があったからなのかも知れない。それが建御電力の贈答品の数々だった。


 しかし、それも時間の問題だった。初めに聞いた時からこの話は出来すぎていたんだ。


雷獣伝説に、狂う人々、とうもろこしに酷似した毒草。

 カエラ、雷獣というのはね、この国中の多くの地域にて伝承が残るんだけれど、北海道と九州にはその記録は無いんだよ。


 『信濃奇勝録しなのきしょうろく

 信濃の神官、井出いで道貞みちさだが実地調査によって数十年かけて記録した地誌だが、井出道貞はこれを1834年に脱稿、その後1886年、孫によって初めて出版される。


 これには信濃、今の長野県の様々な歴史的資料が残されていて、その中に件の『雷獣』の項が存在する。


 蓼科山という山の中腹に住まうらしい。本書にはこうある。

 『この山に雷獣ありて住む故に雷岳という。その姿は子犬のようで、毛はムジナに似て、目のまわりは黒い。鼻つらは細く、下唇が短く、尾も短い。足の裏は皮が薄く、小児の足のようだ。爪は5本あって鷲のようであり、冬は穴を掘って土中に入るので、千年土竜とも呼べる。常には軟弱にして人にもなれ、雨が降ろうとする時は猛々しい』


 そして偶然かな、建御電力本社の建つ場所というのもまた長野県に存在しているんだ。武甕槌たけみかづちの名を借りて信濃に住むなんて何とも厄介な一団だけれど。

 土地を追う存在としてはこれ以上無い役回りではあるだろう。


 人を狂わせたのは雷ではなく。およそ、何かしらの薬物を贈答品の食物の中に混ぜ込んだんだ。その結果、村中が中毒状態になり、幻覚の類を発症するようになる。


 解決するために、無論、村人の多くは信濃から来た人々の元を訪ねようとする。村人は狂いというのが雷獣の所為であると思い込んでいたのだ。村人はその存在を見聞きすることももちろん無かったから、唯一の頼みの綱だったろう。


 そして、向かった先に生えていたのが、マムシグサだった。村人はそれをとうもろこしと勘違いし、貪り食った。気が狂い、自分の喉の灼熱を振り切って死んでしまうほどに無茶苦茶に。

 結果、村は消滅した。


 建御電力は水力発電所の建造計画におけるネックとなっていた土地の所有者というのを現世から全て消し去った。雷の獣が土地を侵したというのはある種間違いでは無い表現なのかも知れない。



10

「と、これで以上だ。わたしの推論は」

バタッと家人はこの話を切り捨てるように終わらせた。私は家人の言葉を否定する気持ちは無かった、受け入れ難い妄想でもあった。


「何か、これは何かいつかの解決が、その村人の救いはあるんすか」

家人は口を紡ぐ。私は黙る家人を見ながら、溢れる何かと心の中で葛藤する。ぐちゃぐちゃになりそうで、涙が出てきそうだった。耐えられなくなりそうになったのはいつぐらい前からだろう。


そう思ってから、静かな部屋で大きく私は泣いた。


11

 翌朝、昨晩は深夜を越えたあたりで大雨が降り出したようだった。しかし、朝になってからそんな気配は一向に感じることは無くなっていた。


 玄関、家人は靴を履いて、私は靴を履いていなかった。


「家人さん、行くんすか?」

 私は家人に尋ねる。

 

「長居すると良く無いことが大抵起こるからね。探偵には死体がお似合いだから」

家人は寂しく小さく笑う。


「訪れた建物に必ず事件が起こるっていういつもの家人ジョークっすか?」


「ジョークで済めば良いが」


「行くんすか?」


「カエラ、1人で大丈夫かい?」


「約束っすから。バリバリ大丈夫っす。何とかここにいる間に仕事探して生きていくっすよ」

今度は嬉しそうに家人は口角を上げた。


「では行くよ。さようならカエラ」


「さようなら。もう二度と会うことは無いでしょう、家人さん」

そう言って、私達は別れた。

 最後の家人の言葉が耳に残る。最後まで優しい声だった。それを何度も反芻する。大事にはしないようにその時だけ、大事に何度も思い出す。


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