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雷獣遊楽 2

3

「ではどうぞごゆるりとお過ごし下さい。夕餉ゆうげの際は玄関を正面に左方向の廊下を突き当たりまで行けば食堂に出ますので、いつでもお越し下さい」

 私どもはいつでも構いません。そう、女将は言い添えて、部屋の中の私達を見て離さないように後ろ向きに下がって消えた。まるで、幽霊のような引き姿であるように感じた。


 女将のほとんど聞こえないような足音が無くなっていくのに耳を澄ませる。重厚な黒々しい木製の扉に耳を当てる。扉には上下左右隙間が無い、もとより音はかなり遮断されている。


「カエラ……」

一定圧の声ながら、やや喉の奥に突っかかりを隠し、東洲斎家人は私の名前を呼んだ。


「カエラ、その癖は抜けきらないね」

続く彼の声は優しげだった。私はその彼の声を聞きながら、顔を見上げることは無い。しれっと斜め横くらいに焦点を当てて、私は彼を見ない。


「……はー、早く次のバイトを見つけないとまずいっすなー」

独り言を述べるように、ふらふらっと体をくるくる動かして、ベットにダイブする。部屋には2つの大きなベッドがあり、女将の差配か距離も離してある。


 独り言は空に霧散して、誰にも届かず消えていく。独り言のつもりなんて無かったのだけれど、家人は言葉に対して返事を寄越すことは無かった。嫌味なほどにまっ白いマクラに顔をボフッと食わせると、内側からは良い芳香が鼻腔をくすぐる。


 ちらっと家人の姿を横目で見る。閉じられた窓から外を眺めて、そのレンズ越しの瞳には外の景色を反射する。旅館は背に池を抱えていた。池とは言えど、湖と隣接した池で、顔がとてつもなく大きな雪だるまのような顔をしていると説明すれば分かりやすいか。


「河童ヶ池なんて言うらしいよ。河童が出るとか、君は今更、奇獣、幻獣、魑魅魍魎の類には興味が薄いかもしれないが」


「そんなこと無いっすよ……」

それだけ答えて、私は眠りに落ちた。普段からバイト三昧の私に、今日は格別のハイキングときた。疲れないはずがなかった。足の筋肉の脱力とともに頭の中から血が涼んでいくように感じる。冷感は眠りを誘惑した。


4

 起床。快眠後、私は薄暗がりの部屋に起きた。家人は先程まで座っていた椅子にはもう姿が確認できなかった。先程までとは言ったが、私が一眠りした後なのだから居なくなっても当然言えば当然だ。


 今は何時だろうか、時間が知りたい。部屋に壁掛け時計があったはずだが部屋が暗くて見えない。明かりをつけようにもこの部屋に辿り着いたのが先程なので内装もよく分かっていない。仕方なく、私は家人のカバンを手探りで探し出し、中を物色し始める。懐中時計か、腕時計か、置き時計か、なんでも良いのだけれど。


 あ、あった。


 手は家人の携帯電話を拾う。側面のボタンを押すと、光が目に染みる。薄らと光への馴れが出てきたところで、液晶を見る。午後6時だった。


 となると、家人はおよそ食事に向かったのだと分かる。彼は衣食住、寝る時間、起きる時間、食事する時間、風呂の時間、これらの事に関してはどこに行こうとも変わりなく行動する。経験則からのたわいのない推理で頭を働かせると私は携帯電話の明かりを頼りに部屋の出入り口へと向かう。


 扉を開ければ、柔らかな赤の毛氈もうせんがひかれた廊下に出る。壁面にはアンティーク調のランプが柱の一つ一つに置かれ、それらが煌々と廊下を照らす。携帯電話の明かりは必要では無いらしく、暗闇の彼のカバンの辺りにポイっと投げ捨てる。


 廊下を進む。旅館は丸い池の半分に接するように設計されているため、廊下は池と同じ角度で弧を描き、半円を呈している。ぐわっと廊下を周り進んでいくと、玄関広間を超えたあたりから、家人と女将の声が聞こえてきた。先にある食堂で会話していると思われる彼らに私は向かう。


「家人さん、おはようございます」

目を擦り擦り、私は食堂内のオレンジ色の光に照らされた家人を見て、挨拶をする。


「起きたか、カエラ。よく眠れたかい?」

寝起きにももたげない柔和な声が耳に届く。よく眠れたか、と問われても感覚的にはすぐ寝て覚めたのだからよく眠れたかは自分では分からない、けれど寝起きは良かったそれは分かった。


「良い目覚めだったっす」

私は答える。同時に状況を見やると、家人の前にはもうプレートが無く、下げられた後と言った感じで、水の入ったグラスが一つだけ彼の前には置かれていた。


「どうぞ、カエラさん。遠慮なく、どこにでも」

そう促されて、私は家人の向かいの席に座った。座敷になっていて、くつろげる環境として部屋も、食堂もかなりのこだわりが感じられる。


「カエラさんは食事をどうなさいますか?」


「いえ、今は構わないっす」

私は返答する。とんで、家人の方に向き替える。


「ところで何の話をしていたんすか?」


「……女将さんにここらの興味深いある噂話を聞いていてね」

その彼の言葉に女将さんは「はい」と同意を述べるだけで余計な説明はその時はしなかった。それまで言って、女将はすすすっと奥に消える。舞台袖にはけるように鮮やかに彼女は姿を消す。


「で、噂話ってなんすか?」

ぶっきらぼうに私は家人に対して質問するが、彼は一口グラスの水を少々飲むとゆるりと答える。


「どうやら、雷獣の話だそうだ」

家人は続ける。


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