7-大切なものを守りたいと思う
ファーレンはベントゥーラと共に他の仲間が食堂に来るのを待っていた。呼びに行った凜夜達兄妹とハイリッヒの帰りは遅いだろう。
「リンが慣れる前に桜嬢が慣れそうですね」
テーブルに並べた食事を眺めながらなんとなく思う。従者の魔法使いが保温魔法をかけてくれたおかげで、冷めることはない。だが、今朝の出来事を思えば、彼等のやり取りは長くなるだろう。いつも仕事ができる凜夜が、桜の一挙一動に動揺する姿は面白い。仕事が多少滞るくらいファーレンだって気にしてはいなかった。
だが、食事はちゃんと食べなければならない。特に、食が細い桜にはちゃんと食べてもらう必要があった。それを彼が理解していないとは思わないが、いっぱいいっぱいの彼がそこまで意識できるとは思えない。
そのためのハイリッヒだが、彼は彼で凜夜に同情的なので意味をなさない可能性がある。恋する男の子達は感情が忙しいのだ。
「なかなか戻って来んとこ見ると、またリンが暴走しとるんやろ」
お腹空いたわぁと天を仰ぐベントゥーラへ視線を流す。
皇帝6人で最も食べるのが彼だ。仲間内で最も体格が良いので分からなくもない。くわえて彼は武官を従える皇帝だ。普段から鍛錬を行い、身体を動かしていた。それゆえ、相応の量を食べる。その体格等の維持のために軽食も必ず定時だ。普段はちゃんと時間でご飯を食べられるよう準備しているが、今日は仕方がない。
それはベントゥーラ自身も理解しているのだろう。
先に食べていても構わない。きっと仲間の誰も文句を言わないはずだ。それをしないのは、彼が仲間と食事を食べたいと思っているから。
幼い頃から養父と共に食事をしていたと聞いている。生前、父を目の前で略奪者に殺された彼は、一人が嫌いだ。一人は寂しいというのは、父母と離れて過ごしたファーレンも覚えがあった。だから、彼の願いを否定しない。
誰かと一緒に過ごすというのは安心するし、食事を共にするというのは心を許していることを示す行動の一つだ。お前を信じている、と示す行動でもある。
閑話休題。
ファーレンもゆったり椅子に座って天を仰ぐ。先ほどの彼の言葉に思うことはある。
「まさか、リンが、と思ってしまいますね」
彼が桜を愛していることは知っている。だが、その愛は彼女のために何かをしたい、という与える愛情だ。愛情に対して何かが返ってくることは望んでいないし、傍にいられるだけで幸せだと思っていることを知っている。
そんな彼へ感謝の気持ちを返したいと桜は思っていた。その気持ちは、もちろん凜夜も知っている。桜が無理をする必要はないと言っていたのは、本心だろう。だがそれを、桜は納得していなかったのだ。
――だからってこうなるなんて誰が思いましょう
ファーレンだって想像していなかった。あの凜夜の仕事が滞ることになるなんて。
薬物耐性を得るための投薬の際ですら、彼はちゃんと通常業務を行った。顔を合わせる者の制限は行ったが、それはお互いの身を護るための対応。それ以外は本当に通常通りに行なわれた。
その彼が、桜の変化でここまでポンコツになるとは思うまい。
――これが恋の力、ですかね
桜の一挙一動で照れたり、頬を染めたりする姿は見ていて微笑ましい。あぁ彼は恋をしているのだな、と理解せざるを得ない姿を見た。
凜夜の気持ちを疑っていたわけではないが、こうして実感したのは久しぶりだ。
「リンも可愛いとこあるんやなぁ」
のんびりとしたベントゥーラの声にファーレンも気の無い返事をする。正直なかなか来ないので、待ちくたびれた。彼もファーレンと同様だろう。
「セイとユリもミモザ宮から出てきましたからねぇ」
凜夜の弟妹である清夜と小百合は桜専属の侍従と侍女だ。基本的に桜の住まうミモザ宮から出てこない。彼女の生活区域を整えることを任されている二人である。そんな彼等が外へ出てくるのは桜からの頼まれごとがある時か、凜夜からの指示か。今回は後者である。
経緯はベントゥーラから彼等彼女等に説明した。その上で、凜夜から万が一のために桜の傍にいるように、と指示を出してもらっている。
『兄上を使わなくても、私達はちゃんと話を聞きますよ』
『ちゃんと説明していただければ桜様以外の指示にも従いますよ、兄上と違って』
今回のことに関して、清夜と小百合に言われたことだ。思わず笑ってしまったのは仕方がないだろう。
彼等の長男である凜夜は桜の言葉しか聞かないし、従わない。
皇帝であるので別に構わないと思われるだろうが、仲間内でもそうなので困る。言っている我が儘は可愛い範囲内だと思っているが、働きすぎなことがある人物の一人だ。休めと言っても休まないことが多い。それは良くないので、話はある程度聞いてほしいとは思っている。
弟妹にも周りの話を聞かないと思われている長男、それが凜夜だ。
それを許してしまっているファーレン達にも問題があるのかもしれない。だが、彼は桜の傍にいる時に最も幸せそうな表情をする。彼のあの表情を見て、彼等を引き離そうとするのは外道だろう。折角なのだから、周りに迷惑がなければ好きに過ごしたって良いはずだ。
「侍女侍従が俺等の生活区域から出てくるなんて珍しいことやしなぁ」
ファーレン達にも専属の侍女侍従はいる。正直、自分のことは自分でできるし、身の回りのことは自分達で整えられるのだが。
――それを許されないんですよねぇ
基本的に平民の生活をしてきたファーレン達だ。国になる前は、全部自分達でやっていたこともある。できないわけではないのだが、周りがそれを許してくれない。政治をお願いしているのだから、普段の生活は任せてほしいと言われている。
だから、侍女侍従は存在している。生活区域である宮殿もそれぞれが持っているが、最初は女性である桜と男であるファーレン達の区別で良いと伝えてあったのだ。別のことをやっているうちにそれぞれの生活区域ができていたので、もう何も言うまい。
あんなにも広い宮殿に一人で過ごしているというのは何とも不思議な気分だ。
最初の家は帝都から離れた村に特別区域として残されている。まだ、何もなかった時代の産物だ。城には村へ通じる転移魔法陣が皇帝の領域内に置かれてあって、時折訪れては6人で過ごす。そこで過ごす時間が、一番心穏やかなのは、あまり口にしない。
閑話休題。
ともかく、侍女侍従は属する宮殿から出てくることは滅多にない。今は凜夜の心の安寧のためにお願いしているが、そんな事態今まで初めてである。
「セイとユリは優秀ですから、宮殿に籠っているのももったいないですけどね」
彼女達は優秀だが、桜のために働きたいと願っている。だから侍女侍従として桜に属しているのだ。それを勿体ないと思うが、それが二人の願いなのだから無碍にはできない。
「行政官とかええと思ったんやけどなぁ」
別職業を凱旋しようとしたことはある。だが、彼等は桜のためにと断った。その忠誠の向かう先である桜は「好きにして欲しい」と言っていたので、ファーレン達は何も言えない。
「桜嬢に直接関われることが幸せだと言っていましたね」
彼女達の過去を思えば、今が幸せなことに偽りはないだろう。傍に居たいと願えば、共にいられる。それはとても幸せなことだ。
「リンも今が一番幸せや、言うとるしな」
彼等にとって桜が幸せの中心だ。だから、桜が嫌がらない限り、ファーレン達は黙認することにしている。
――桜嬢は嫌がらないと思いますけど
彼女は彼女で、彼等を大切に思っていることを知っている。
「すまない、待たせてしまった」
清夜と小百合の開ける扉から桜を先頭に仲間4人が食堂に来た。
「待ちくたびれたわ……早よ食べようや」
パッと表情を明るくするベントゥーラにファーレンは苦笑した。待ちに待った食事である。それぞれが定位置に付いたのを確認して手を合わせる。凜夜と桜の習慣であったそれは、いつの間にかファーレン達も習慣化した。
感謝を伝えるのは嫌いではない。
「体調に変化はありませんか、桜嬢」
普段無意識下で抑え込んでいる感情を大きくして溢れさせる。それは桜への負担が大きいと説明を受けた。増幅魔法が得意なベントゥーラの魔法師は、ちゃんとデメリットについても話した。その上で桜が了承したので、彼は泣く泣く魔法を使用したのだ。
――そう、泣く泣く
マインドコントロールはそれだけ身体に負担がかかるものだと聞く。だから、長くても一日以上は手伝えないと言われた。連続した日程では決して同意しない、とまで。
それだけ負荷のかかることだ。凜夜は当然のように猛反対した。桜がそこまですることはないのだ、と。その気持ちだけで嬉しいから、負担になるほどしてほしくない。
必死に懇願し、説得しようとした凜夜を受け入れなかったのは桜だ。
基本的に周りの助言に耳を傾け、話しを聞き、最善を尽くす彼女からすると珍しい行動。特にずっと一緒にいた凜夜の言葉にはよく耳を傾けた。反対意見も肯定的な話も、必ず耳を傾け、自分の主張と照らし合わせる。
そんな彼女が、決して今回は引かなかった。
だからファーレン達は桜を支持している。彼女のずっと前からの願いだと知っていたし、その覚悟は本物だと理解していた。すべてを承知の上で試してみたいと言うのなら、やってみても良いのではないか。ファーレン達はそう思っている。
ただ、彼女の心配をしていないわけではない。すぐにフォローができる体制を作っているし、傍に居るようにしている。
それでも、ファーレン達が見ているよりも、彼女が感じていることは違うかもしれない。その可能性は常に頭にある。
「特に変わりない。あぁ、でも――」
変わりない、という表情は柔らかく、瞳は慈愛に満ちている。穏やかな雰囲気は馴染みのあるもので、それに表情が伴うだけでこれほど変わるのか。ファーレンは内心、少し驚いている。
「――感情によって落ち着かない気持ち、というのはこういうものなのか、と思って」
上手く言葉にできないようで、少し言葉を濁しながら言う。その様子だけでも珍しいものを見た。それにくわえて、困ったように眉を下げる彼女が、大変可愛らしいと感じる。
ファーレンのそれは、弟妹に感じる愛おしさだというのに、鋭い視線が寄せられた。
「弟妹のようだと思っただけですよ、リン」
「分かってる」
そうは言いつつ不満そうに不貞腐れている彼に苦笑する。彼の弟妹は呆れたように溜め息を吐いて、桜の身の周りを整えつつ食事をしていた。
彼等には慣れたことらしい。
「嫉妬に狂う男は見苦しいですよ、兄上」
それでも、にこりと笑って苦言を呈する小百合に凜夜が沈黙する。傍に居る清夜は苦笑しているので、彼等兄妹間で何かあったのだろう。
小百合が凜夜に対して少しあたりがキツイことは知っている。
『生前の出来事に理由があるらしい』
かつて不思議に思っていたファーレン達にそう説明したのは桜。彼女達の主人である桜には、ちゃんと報告がされているらしい。その内容はある程度簡略化されているだろう。主人の耳に入らなくていいことを話さない。それでも主人である桜が納得できる報告をしているということだ。
――まぁ、
彼女はどんな報告でも「そういうものか」と受け入れてしまうだろう。
周りに影響がない報告は、テキトーでも構わないと思っている。影響があるのが桜だけであれば、報告は不要と思っている可能性もあった。特に、凜夜達の兄妹間での話は報告不要と思っていても可笑しくない。それでも報告がされているのは、凜夜達が報告したいからだろう。
ともかく、彼等がこれほど厳しくなるのは桜に関することだけ。つまり、小百合は何か兄の行動で納得していない何かがあるのだろう。
「相変わらず小百合は凜夜に厳しいね」
そんなことを言えるのはこの場に一人だけだ。
「桜様。兄の嫉妬は桜様に不便を強要します。よくありませんわ」
窘めるような言葉に桜は苦笑している。言葉が見つからないのか、反論はしていないが。
「ユリも桜の不便に敏感なんやな」
無言で食事を勧めていたベントゥーラは空腹が落ち着いてきたのだろう。のほほんとのんびりした声が寄せられる。そちらへ視線を寄せた小百合はキリッと表情を改めた。
「当然ですわ、ベン様。わたくし、ずっと桜様の御傍にお仕えしたかったんですの。その役を兄上にお譲りしているのですから、兄上にはしっかりしていただかないと」
何のための傍仕えなのか。
はっきりとそう言う小百合の意思は強い。何を見ているのか、ファーレン達には分からないけれど。彼女達がずっと過酷な環境で生きたことを知っている。衣食住の保証はあれど、勢力の少数派は肩身が狭い。
それはファーレンにも覚えがあることだ。
少数派が生存するためには、水面下での活動は必須。表に出てしまえば、大多数に蹂躙される。くわえて彼等は家臣を持つ家柄だと聞く。下の者達を守りつつ、支援をするのは簡単な話ではない。敵対勢力が大きければ大きい程、行動のリスクは高くなるだろう。
「ユリさんの言うことは尤もですね」
ファーレンは少数派に属しながら、家柄を守り切った小百合のことをとても尊敬しているのだ。
――言えませんけどね
仲間達はきっとそれを察しているのだろうけれど。
ただ、唯一察せていないだろう桜が、ファーレンが小百合を褒めたことで嬉しそうに微笑んでいる。それを見れば、ファーレンの小百合の言葉を支持する発言を喜んでくれているのだ、と察せられた。彼女にとって小百合もとても大切な存在なのだと理解できる。
彼女達のこの信頼関係が、ファーレンはとても尊いものだと知っているのだ。