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3-鋼の理性も溢れる愛情を抑えられない


 ベントゥーラは目の前に現れた桜の専属侍女である少女を見る。

 静かにこちらを見上げてくる様は、彼女の兄によく似ていた。やや釣り目がちの意思の強い瞳は、正しく。

 彼女が自分に会いに来ることは何となく把握していた。なにせ、彼女の大切な主人に魔法の使用を提案したのはベントゥーラだ。事情により事後報告になってしまったが、彼女達――凜夜の弟妹には話を通している。その時には納得せざるを得なかったから頷いてくれたのだろう。だが、今朝になって何か不具合――桜の不調が起きた、というのは否定できない。

 桜に魔法を使ったのは、自身が信用して重用している魔法使いである。それでも、彼女にとっては信用ならないと判断されたのかもしれない。桜に不調が起きた、というのなら、このタイミングの訪問も納得できる。

 ――得体の知れんもんかけんなって怒られたらどないしよう

 生前から桜に仕えているという彼女等は、桜のためになるのなら皇帝にも意見を出す。彼女等が仕えている桜も皇帝の一人だ。皇帝に意見を述べるのもまぁ分からなくもない。だが桜の庇護下にあるとはいえ、皇帝へ意見を出すのは勇気が必要のはずだ。

 それを彼女等は特に苦を感じる様子もなくやってのける。

「あー……怒っとる? ユリは」

 彼女が桜を大切にしていることを知っている。だから怒られるとするなら、不確実な方法を取ったことだろう。感情を大きく感知することができれば、自然と表情に出てくるのではないか。

 今思い出しても、安易な考えから提案したものだ。

 断られて当然。

 そんな風に思ってした提案は、予想外に受け入れられてしまった。感情を抑制することに慣れている桜には負担が大きい。だから、凜夜あたりが猛反対して、提案を潰すだろうと思っていたのだが。予想以上に桜がベントゥーラの提案に希望を見出してしまったのだ。

 引くに引けず。

 感情を大きく引き出すことができる魔法が使える人物を召喚した。覚悟が決まっていた桜と違い、皇帝に対してマインドコントロールするのかと、かの人物の方が泣いて渋っていたほど。

 それを伝える必要はないだろう、と小百合には伝えていない。

 彼女に伝えていないことがあるのを知られて、怒っているのだろうか。

「いいえ? 怒っておりませんが?」

 心底不思議そうに首を傾げた彼女に、ベントゥーラも首を傾ぐ。

 彼女等東洋人は、表情に感情が出にくい。自分達に最も身近な東洋人である桜がそれなので、他の面々の感情は割と理解できていると自負している。

 ただ、凜夜を始め桜に仕えている彼等彼女等は、表と裏が全然違うことも理解していた。また、桜がいる時といない時の感情の表出に差があることも。

 桜を傷付けないと信頼してもらっているので、嘘を吐かれることはないだろうが。

「今回のことは、桜様が望まれたこと。私がどうこう申し上げることはございません」

 主人の決定に従う。小百合がそういう意図で言ったのは理解した。

 ではなぜ、この場に彼女は立っているのだろうか。彼女は基本的に桜の領域を離れない。今は桜の様子を観察するために、ほぼずっと一緒に行動しているはずだ。

 それがこうして桜の傍を離れてここにいる。桜が世界の中心だと思っている彼女が、大切な桜の傍を離れていることが不思議でならなかった。

「なら、どないしてん?」

 彼女へ問えば、静かな瞳と視線が重なる。

「兄上が」

「リンが?」

 凜夜の末妹である彼女には兄が二人いる。彼女が兄上と呼ぶのは凜夜。もう一人の兄である清夜は兄様と呼んでいた。

 彼女はどうやら長男である凜夜について何か物申したいらしい。

 ――リンかぁ……

 彼は桜を愛している。それこそ主人とかではなく、一人の女性として。彼女の傍でずっと過ごしたいと思っているし、その愛を渡すことを許されたいと思っている。彼女から愛のお返しを欲しているわけではない。強要するつもりもなければ、何かを要求しているわけでもなかった。

 ただただ、彼女の傍にいることと、彼女を愛するのを許されることを求めている。

「桜様のお可愛らしさで使い物にならないかもしれなくて」

「あのリンが?」

 信じられなくて小百合を見れば、彼女は眉を下げて頬に手を当てている。どうやら本当にあの凜夜が使い物にならなくなっているらしい。

 ――そう、〈あの〉リンが

 万が一のため、ベントゥーラ達には薬物耐性がある。それを獲得するために、微量の毒を摂取していた。その期間、当然のように催淫剤なるものを摂取したこともある。その期間中、まともな判断ができないだろうと公務は当然、業務も中止していた。6人も皇帝が居るのだ、誰かが休んだとしても、大して問題ない。

 薬物耐性がもとより高い桜はともかく、相応に耐性のあったハイリッヒですら誰にも会わないようにしていた。公務を停止し、薬物を摂取してからの経過を観察、記録したのだ。

 対して、凜夜は大事を取ってベッド上ではあったが、通常の業務を行っている。当然、公務は中止していたが、書類は捌ける、と聞かなかったための処置だ。万が一、彼が理性を失った時のため、彼の部屋には彼を抑え込める技術を持つハイリッヒが一緒にいた。彼の部屋を訪室することができるのも、凜夜に力負けしない男、と限定。凜夜はやや艶っぽい様子はあったが、理性は完全に保てていた。

 そのおかげで彼は、鋼の理性を持つ皇帝と呼ばれている。

 一等愛している女性と常に行動を共にし、下心や彼女への恋情を飲み込んで生活している男だ。かなり理性的な男であることは分かり切っていた。だが、まさかここまでとは誰が思おうか。

 おかげで皇帝の中で最も硬派な男として、女性人気は高いことを噂で聞いた。

 そんな、彼が使い物にならないなんて、誰が信じられるだろう。

「あの兄上が、です」

 呆れた、とその表情が言っている。彼女は凜夜の桜への思いを知っているだろう。知った上でこの反応とは随分と冷たい。

「従者の家系として恥ずかしいです。兄上のお気持ちも分かりますが」

 ずっと桜だけを愛している彼を知っている。それをベントゥーラ達はもちろんだが、小百合達も痛いほど。だからか、その言葉は温かな温度を持つ。

 生前、桜の家に仕える家柄だった彼女達は、この国で最も優秀な侍女侍従である。そして、目の前の女性はかの家を護りぬいた女傑。彼女の兄であろうと、その実力の前には可愛いものであるようだ。

「今朝も桜様から微笑んで挨拶されただけで鼻血を出し、情報交換のためにお茶のお礼を言われただけで鼻血を出すものですから、桜様から遠ざけました」

 桜と凜夜の情報交換と言えば、桜の執務室に着いてから最初にやることだ。情報交換とは業務の形を取っているだけで、ようは出勤後のお茶タイムである。そうでもしないと、彼等はずっと業務を続けて行う。働きすぎなので、最初はお茶から、と言い含めた結果だ。

 まさかその日課中に彼が再起不能になるとは思うまい。

「鼻血出したんか、あの凜夜が……」

「はい。桜様がご心配なさって、その御心が痛いほど伝わってきたのもあると思います。鼻血が止まらなくなりまして。恋する乙女か、と言いたくなるような表情をしていたので、とりあえず桜様を取りあげました」

「おぉ……容赦な……」

 淡々と報告を上げる小百合に遠くを見てしまうのは致し方がない。

「鼻血が止まらないので仕方ありません」

 肩をすくめる彼女に怒りの感情は見受けられなかった。長男の姿に呆れた様子はあるが。

 ただ、ベントゥーラは大人しく桜から離れる凜夜をイメージできない。今の桜は感情が分かりやすく、穏やかな気性が目で分かる。例え彼女がこの国きっての騎士であろうと、手を出そうとする不届き者はいるだろう。

 そんな状況下で、凜夜が傍を離れるとは思えない。

「今、あの二人はどういう状況なん……?」

 桜の傍には護衛騎士がいるだろう。だが、護衛騎士だけでは凜夜の干渉は治まらない。安心できる状況は、彼の視界に桜がいること。取りあげるとなると、彼等は別々の場所で過ごしているということなのだろうか。

 そんなベントゥーラの疑問を察したらしい。小百合は遠くを見ながら口を開く。

「桜様が危険に晒されるより、兄上の健康被害の方が気にならないのですが」

「それ、桜は気にするやろ」

 サラリと言われた言葉にすぐに返したのは仕方ない。

 桜は生前から彼女に仕える従者達を愛している。それはもう、目に入れても痛くないほどに。凜夜の奇行を受け入れてしまうくらいには、彼等を大切にしているのだ。凜夜が鼻血を流しっぱなしにして貧血、となれば桜は気にするだろう。

 それを彼女達が分からないわけがなかった。

 ベントゥーラの言葉に、彼女は深刻そうに頷く。

「はい。桜様は大層気にされておられました」

 気にしなくていいのに、と思っていることは知っている。彼女等は、桜のためならばとことん冷酷になることができた。

「兄様と顔を見合わせたんです」

「セイ、おったんやな」

 凜夜の弟で小百合の兄である清夜は、基本的に生活圏から出てこない。確かに、ベントゥーラ達皇帝は彼等2人に協力を要請しているが、本当に2人共普段の活動範囲外に来てくれれるとは思わなかった。どちらかが桜のフォローをするものだと思っていたのだが。

「兄上が桜様の傍を離れるな、と。兄上が入れずとも、兄様が入れる場所はありますからね。だから今日は我々3人が桜様の御傍に居りますが、ご容赦を」

 スッと下げられる頭にベントゥーラは苦笑する。それから「気にしなくて良い」と彼女に伝えれば、ホッと息を吐いたのを見た。

「で、リンと桜は?」

 今後、一番大切なことだろう。ベントゥーラ達と合流した後も、対応は考えなくてはならない。

「桜様に関わることを禁止しました。桜様への奉仕は、例えお茶のお代わりだろうと禁止です」

 鼻血が入っては敵わない。彼女はそう言った。

 ――リンには一番の罰やな

 凜夜は桜への奉仕を至上命題としている。皇帝としての公務より、桜に仕えることを選ぶ。そんな彼が桜の身の周りのことをできないのは辛いだろう。ただ、恐らくそんな彼を刺激しないために、清夜や小百合が桜の周りを固めていると考えて良い。

「兄上が桜様に慣れる……とは思えないので、ご迷惑をおかけします」

 困った様子の小百合にベントゥーラは眉を下げるしかない。

「俺のせいやん。気にせんでええし、他の皇帝には俺から言っとくわ」

 彼女がここにいると言うことは、ベントゥーラ以外の皇帝達にも同様の話を通す予定なのだろう。それでは桜の周りが手薄になるし、巻き込まれただけの小百合達が苦労するだけだ。

 そう判断しての提案。それを小百合は少し驚いたようにベントゥーラを見る。

「お手間をかけさせたくて話に来たのではありませんが……」

 少し困ったように眉を下げる小百合にベントゥーラは笑いかける。

「気にせんでええよ。手間ちゃうし」

 むしろ、手間をかけさせたのはベントゥーラ達だ。桜の様々な表情が見られるのではないか、と期待した。だいぶ彼女の感情を理解できるようになってはいる。だが、その正解を知りたいと思うのは当然だろう。彼女の言葉を疑っているわけではない。それでも実際に、この目で見てみたいと思うのは仕方のない話だ。

 それに伴う周りの影響を考えていなかった。まさか、凜夜がそこまで影響を受けるとは思わなかったのだ。

「兄が迷惑をかけるので、お知らせするのは当然です……」

 ハァ……と大きな溜息を吐く小百合にベントゥーラは眉を下げるしかなかった。朝から本当に大変だったのだろう。効果は短いとはいえ、彼女の周りはとても大きな影響を与えられたのだ。

「もう長い付き合いやし、別に気にせんでええよ。リンは桜大好きやもんな」

 凜夜のことは理解している。桜のことだって相応に分かっているつもりだ。だから、彼等が少し不安定でも、ベントゥーラ達は問題ない。

 そう意図をもって伝えれば、小百合はホッとしたように表情を緩めた。



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