21-感情はままならないものだと思う
「桜様はそのままでも十分我々のことを理解してくださっていますよ」
玉座でオペラローヴを見下ろしながら、彼の言葉を考える。考えても考えても、彼の能力に頼るほか、桜が周りを理解する方法が思い浮かばなかった。今まで思いつく限りの努力をしてきたが、どれも思った成果を得られていない。これ以上何があると言うのだろうか。
思考の海に沈んでいると、傍に控えた清夜がそっと声をかけてくる。
彼の言葉は理解できないことで、首を傾ぐしかない。彼を見るが穏やかに微笑んでいるだけで、それ以上何も言わなかった。笑う彼が桜の次の言葉を待っているのだろうことは察するまでもない。だが桜は、彼の言葉を理解することはできなかった。
――だからオペラローヴの魔法が必要なのだ
それを理解しない清夜ではないだろう。だが、彼はオペラローヴの魔法にどちらかと言えば反対のようだ。もっと言えば、表立って反対しないだけで、今回の事を認めていないのかもしれない。本当なら中立の立場も嫌なのかも。
――分からないな
聞けばよいのかもしれないが、それを聞くこともできず。
穏やかに笑っている清夜を見る。彼も桜を見ており、静かに言葉を待っていた。
「そんなわけないだろう」
だって、桜はこんなにも何も分からない。分からないことだらけだ。今だって彼が穏やかな表情をしていることだけが分かる。
それ以外、彼の考えていることなど何も分からないではないか。
彼等が桜のして欲しいと思ったことを的確に察するように、桜も彼等のことを理解したいと思っている。察することはできずとも、彼等の願いを理解できるようになりたいと思っていた。
「いいえ、桜様。桜様はこんなにも、我々の表情の動きを把握されているではありませんか」
己らの筋肉の動きが見えるだろう。それは感情によるものだ。彼はそう言った。くわえて、今までは桜自身が感情を理解しなかった故に、筋肉の動きの理由を察せなかったのだ、と。
柔らかく微笑む彼は、随分と楽しそうな様子をしている。
「なんとなくお気持ちの動きを把握されたのです。我々の感情を察せられる一助となりましょう」
古くからの忠臣である清夜の言葉を疑っているわけではない。ただ、実感が伴っていないだけだ。こんな些細な目視ができる変化で、彼等の繊細な気持ちを察することができるようになるのだろうか。
桜はそっとオペラローヴの方を見る。彼は呆然と清夜を見ていたが、桜と視線が合うとしっかりと見返してきた。
何か強い意思を感じる、温度を持った視線。
「私もそう思います、桜様」
まるで縋るような視線だ、と桜は把握した。あの日、彼に魔法をかけてもらったあの日、桜に許しを請う凜夜の姿が思い浮かぶ。見捨てないでくれと、桜に縋った彼のような。
「そんなに焦らなくてもよいのです。リン様達と一緒にお気持ちを把握していきましょう」
眉を下げて笑うのは、心配しているからだと知った。
「分かった。貴様の言う通りにしよう、オペラローヴ。――進言、感謝する」
桜の言葉にオペラローヴは柔らかく笑う。
清夜に手を差し出せば万年筆が渡された。それを受け取って、先ほどオペラローヴから受け取った褒美の書かれた羊皮紙を開く。すぐに台座を用意されるので、そこに羊皮紙を置いて万年筆を走らせる。
「『感情操作は今回限りとし、以後依頼することはない』――これで良いか?」
書いた内容を読み上げればオペラローヴは平伏し「ありがとうございます」と言った。こんなものだけでは桜の気は済まないが、目録の内容は十分な褒美が並べられている。書物庫の禁忌領域へ入る許可から、各皇帝からの加護と謝礼、魔法師としての身分の保証。
桜にはこれ以上は思い浮かばない。
――仕方ないか
満足できないが、これ以上何をすることもできないのだ。
もらう本人であるオペラローヴが納得しているのならば十分だろう。
書き終えた羊皮紙を清夜に渡し、オペラローヴの手に渡る。目録に桜の分が追加されたので、それで完成だろう。
「……こんなにもらってしまって良いのでしょうか」
零れ落ちる言葉に桜は首を傾ぐ。
「やってもらったことに対して対価を払うのは当然だろう」
桜はとても感謝している。今まで以上に周りの者達のことを理解できるようになった気がしていた。それが気のせいだとしても、彼等の気持ちを知れたあの日を、桜は忘れないだろう。
「リン様には殺されると思ってたんですけど」
「兄上は感謝してもしきれないと思うんですけど」
オペラローヴの言葉に清夜がすぐに返すことが面白い。もう少し彼等のやり取りを見ていたいが、そろそろ桜も業務へ戻る必要がある。なにより、これ以上彼をこの場に止めおくわけにもいかないだろう。
オペラローヴに下がるように言い、桜も一つ息を吐く。
――ひと段落した
自身に魔法を使ってもらったことは初めてだ。負担になる、魔法使いではない身体がもつとも思えない。散々そんな風に言われ、魔法を使用してもらうことを止められた。世界の理と呼ばれる神の加護が有ろうと、大きな負担になるだろう、と。
事実、桜は体調を崩して絶対安静とされた。
桜自身はあまり自覚していなかったが、周りはそうもいかないらしい。バタバタと多くの者達が慌ただしく働いていた。たくさん気を使わせた自覚もしている。
凜夜達も心配していたし、毎日桜の宮殿に見舞いに来ていた。転移魔法を使ってまで、毎食桜と共にするためにミモザ宮を訪ねてきたのだ。執務中では? と半目を向けた桜に彼等は笑っていたのを覚えている。
「さて、今日も業務を行おうか」
立ち上がって玉座を出る。他の仲間達と使う執務室の扉を清夜が開けた。入室すればすぐに凜夜が傍に寄る。
「それでは、失礼します」
「あぁ、ありがとう、清夜」
清夜が一礼するので応えると傍に居る凜夜が彼を見る。
「ご苦労」
凜夜へも一礼し、他の仲間達に挨拶をして、清夜は帰っていく。彼は護衛官ではないし、行政局員でもない。静かに見送って桜は他の仲間達の元へ歩を進める。
「オペラ呼び出したんやて? どうやった?」
ソファに座れば、ベントゥーラが問う。それを一瞥して桜は溜息を吐いた。呆れたわけではないが、桜の行動を読んでいたのは理解している。
彼等が桜の褒美の制限をしたことだって、なんとなく把握していた。彼等は案外に桜を大切にしてくれていて、女性に対してとても紳士的だ。仲間である桜に対しても、それは例外ではない。
――むしろ
仲間だからこそ、他の帝国民よりもずっと彼等から優遇されていると自覚している。
「キミ達がたくさん渡すから、僕が渡す分がなくなってしまっていた。不満に思っているぞ」
凜夜が淹れてくれた紅茶を手に周りに座った仲間達を見る。彼等はそれぞれそっぽを向いているが、気まずいわけではないのだろう。桜が不満に思うことをやった自覚があるから、それぞれがそう示しているだけだ。
それらを理解したうえで彼等がそう行動したことには理由があるだろう。だがそれは、言ってもらわないと分からないし、桜には察することができない。
――やはり感情を理解できた方が
以前よりも得られる情報は増えている。彼等がそっぽを向いたのは気まずいわけではない、とかそういうことは、今まででは分からなかった。
なんとなく違うらしいそれを察せられるようになったことは進化した、と言っていいだろう。
だが、それではやはり足りないのだ。
桜を除く全員がアイコンタクトを取ったのを認める。恐らく、彼等の中で何か取り決めがあったのだろう。桜が絶対安静を言い渡されている間も、彼等は公務を執り行っているのだから。
「桜様から褒美を貰うのが許せなくて」
凜夜の言葉に彼を見る。眉を下げてこちらを伺うが、その瞳はいつもの輝きを感じない。どこかほの暗い、ドロリとしたものが見えた気がした。
もしかしたら桜の気のせいかもしれないが、なんとなくいつもと違う気がする。
――まぁ、僕に危害は加えないだろうが
彼が桜に危害を加えることは決してありえない。何かに嫉妬していたとしても、それは桜に害にならない脅威だ。
「そうなんだ」
皇帝である桜が良い行動をした家臣に褒美を与えることはおかしいことではないはずだ。だが、彼はそれが気に入らないと言う。
チラリ、とハイリッヒを見れば彼は眉を下げて笑っていた。呆れているというわけではないらしい。仕方がないな、とは思っているようだが。
「リンは桜から贈り物をされるオペラが羨ましくて、恨めしかったんだよ」
だからそれを阻止しようとしたのだ、とハイリッヒは言う。彼の言葉に嘘は感じられないが、根拠がないので大人しく他の仲間を確認する。
彼等は決して桜から視線を外さず、静かに頷いてみせた。
それがすべての真実なのだろう。
仲間達は凜夜のその行動を支持して協力している。彼のその感情がオペラローヴに向かう可能性が高いとみられたのだろう。彼等がそう判断したのならば、恐らくそれで間違いない。
彼等との付き合いも随分と長いものになった。彼等が凜夜の考えや思考、それによる行動はよく理解しているのだろう。最も被害が少なく、凜夜が大人しくなる方法も。
「でも僕は納得していない」
感謝の気持ちは自分で伝えたい。ご褒美だってちゃんと話を聞いて決めたかった。いろいろと考えてはいたし、嗜好調査だってしている。褒美として求められそうなものを察せられない分、少しでも喜んでもらえる物を用意できるように整えていたのだ。
彼本人の意見を聞きながら、内容を決められたらいいと思っていたのだが。
「……桜様も感謝しているとちゃんと伝えました」
不貞腐れたように言う凜夜に桜は溜息を吐く。
まだ何も言っていないのに、彼は酷く怯えたように肩を揺らした。窺うようにこちらを見る視線は、不安を訴えている。表情を一切繕えていないし、作るつもりはないのだろう。
「桜嬢に黙ってすべてを終わらせていたことは謝罪します。すみませんでした」
眉を下げるファーレンを桜は見る。穏やかな視線は不満を口にする桜を責めていない。
どちらかと言えば、凜夜を憐れんでいるような。
「僕も大人げなかったかもしれない」
「別にえーやん。俺等が勝手したんやし」
反省すればベントゥーラが言う。ニッコリ笑っておやつのクッキーを食べている彼は、あまりこの話題に興味はないようだ。
言いたい事だけ言って、ココアを飲んでいる。
「俺達も加担したんだし、あんまりリンを責めないでやって欲しい」
眉を下げてこちらを伺うハイリッヒの言葉に凜夜へ視線を寄せる。泣きそうに眉を下げている凜夜を見ることは意外と多い。彼は桜の前でだけ泣き虫だ。
「責めるつもりはなかったんだけど。僕、仲間外れだったんだなって」
そう、別に彼等の行動を非難するつもりはなかった。彼等がそうする方が〈最善だ〉と思ったのならそうなのだろう。桜には感じられない何かがあった可能性だってある。
だが、何も知らされていなかったことは少し不満があった。
まるで、桜は何も知らなくて良いと言われているようで。仲間外れにされた気分になったのだ。
それを正直に伝えても良いものか。桜には判断できなかった。言ってしまったのは口が滑ったからだ。
「なるほど、桜ちゃんは俺達が勝手したのが、仲間外れだって思って悲しかったんだね」
「悲しかった……?」
柔らかな視線と共にオーレリウスから渡された言葉は、馴染みのないものだ。だが、彼等がそう言うのなら悲しかったのだろう。
「仲間外れは嫌やんな。配慮足らんかったわ」
うんうんと頷くベントゥーラに凜夜の顔色が悪くなった。跪こうとする凜夜の腕を引いて阻止する。驚いたらしく、目を丸くしてこちらを見る彼を真っ直ぐ見返す。
「次からは仲間外れにしないで欲しい。僕もちゃんと話を聞くから」
「もちろんです、桜様」
言質は取ったから、次から何かあれば凜夜が教えてくれるのだろう。
「さ、気を取り直しておやつにしよーや」
ニンマリ笑うベントゥーラの言葉に桜も凜夜に席を勧める。久しぶりの仲間内のお茶会だ。多少長く楽しもうと誰も何も言わないだろう。
――もっと努力したいな
この穏やかな日々を、もっと大切にするために。




