20-大切な人からの愛情を感じる
主人が体調を崩してから数日。主治医から絶対安静を言い渡されたその日の昼、主人は発熱した。ベッドで苦しむ主人を清夜は妹と看病したが、ぼんやりされた主人に心が痛んだことを覚えている。主人の看病のため主治医に指示をもらい、兄のことを任せた。
昼食には皇帝達が揃ってミモザ宮に訪れ、食事を作ったのだ。主人には消化の良い物を何も言わずに作っていたのは、さすがとしか言えない。
しばらくは絶対安静を指示され、やっと回復されたのだ。
今日も業務を行う宮へ出てきてはいるが、身体を動かすことは禁止されている。朝の鍛錬の時間も、長兄の鍛錬の様子を見学するにとどめていた。安静にしてのんびり過ごすこと、が今の主人のやるべきことだ。
『やりたいことがあるんだ』
そう言った主人を拒否する術を、清夜は知らない。
清夜は主人に連れられて、彼女の玉座に控えていた。玉座には呼び出された魔法使いが平伏している。
――彼が、魔法師オペラローヴ
ベントゥーラに所属する彼と、主人に属している従者である清夜とでは顔合わせはない。魔法使いらしく、黒いローブを羽織っている。
「急に呼び出してすまないね、オペラローヴ」
柔らかい声が平伏した魔法師に降る。
「帝国唯一の花、皇帝桜様へ魔法師オペラローヴがご挨拶申し上げます」
平伏したまま口を開く。それに主人は「顔を上げて」と声をかける。柔らかな声はあの日から得られた宝物だ。やはり表情はあまり動かないが、柔らかな雰囲気が増した。穏やかなご様子をされることが多くなったので、清夜の兄がそれはそれは大変だ。
――幸せそうに笑うんですから
穏やかなご様子の主人を見た皇帝オーレリウスに目潰し未遂もしている。それを止めた主人はとても優秀だ。怖かったと取り乱して泣く皇帝オーレリウスを慰める主人に、血反吐を吐いていた兄は自業自得である。
『オルが羨ましい』
そう零した兄に他の皇帝達は「自業自得だ」と切り捨てていた。彼等皇帝達の中ではよくあることらしく、さすが過ぎて笑うしかない。落ち込む兄の姿に、妹は楽しそうに笑っていた。
そんな穏やかな空間を作った功績のある魔法師は、酷く怯えたように主人を見る。恐る恐るこちらを見ている彼に、主人は不思議そうなご様子で首を傾げた。
「僕、怖い?」
控えている清夜へ視線を投げる主人に、清夜は笑いかける。
「いいえ、桜様が怖いなどありえません」
主人が穏やかな性質の方だと知っている。例え怒っていたとしても、彼女は理不尽に力を振るうことはない。彼女の大切に手を出さなければ、決して彼女はその力を周りに向けないのだから。
「もしかして、ベントゥーラが居ないのに呼び出したから……? 配慮が足りなかったね」
「いえ! そうではなく……!」
謝罪を口にされようとしたのだろう主人を遮り、魔法師は羊皮紙を差し出した。それに首を傾げた主人へ、清夜が彼から羊皮紙を受け取り手渡す。
――恐らくこれは目録でしょう
何の目録か。考えればすぐに理解できる。この場で差し出す目録があるとすれば、他の皇帝達からの褒美だろう。彼は皇帝ベントゥーラに属する魔法師であるし、普段清夜の主人とは関わりがない。彼と主人の関わりは、今回の出来事のみである。関わりのある出来事で羊皮紙を使わなければならない出来事と言えば、今回の感情増幅の魔法だけだ。
目録に目を通した主人は小さく息を吐く。
「困ったな」
そんな風に声を漏らすものだから、魔法師はビクッと身体を揺らした。
清夜はそれを静かに認めて、主人へ視線を戻す。
「桜様。少々お言葉が足りておらず、オペラローヴ殿がお困りのようです」
どうしたものかと困っていた主人へ助言をすると、一つ深く頷かれた。清夜の言葉を受け入れてくださった主人は、静かに魔法師へ視線を寄せる。
「僕は今回のことをとても感謝している。その気持ちを込めて褒美を用意しようと考えていたのだけれど、調査したキミの欲しいものはすべて凜夜達が贈っているようだね」
主人の言葉に清夜は遠くを見る。
これは主人の調査能力が低いわけではない。他の皇帝達がすべて先回りした結果である。本来、彼等は魔法師と主人をこれ以上顔合わせさせるつもりがなかったのだろう。だから、主人がやりたいことを先回りしてやってしまった。
そして、それを主人にもちゃんと伝えている。
――桜様がそれにご納得されるかは別として
ご納得されなかったから、こうして個人で魔法師を呼び出しているのだが。
「何か僕にできることで、欲しいものはないかい?」
「ヒュォ」
主人の言葉に魔法師が息を吸って固まった。
――当然でしょうね
この世界に主人ができないことはない。彼女が望みさえすれば、何でも手に入れることができるのだ。それをこの城に属する人間が知らないわけがない。皇帝に仕える局員、および従者であればなおのこと。
その言葉の重さを知らないのは主人だけだ。彼女は忠実なる臣下にならば何を与えても惜しくない。そう考えていることを知っている。実際にそう考えて行動だってしているのだ。疑うまでもなく、彼女は〈この国に忠実なる臣下〉に甘い。
例えばこの彼が――願わないことだとしても――世界征服を望むのなら。彼女はそれを叶えようとするだろう。
「桜様、この世界に桜様ができないことなどございませんよ」
清夜の言葉に主人は静かにこちらを向く。ただただ純粋なその瞳は、主人の美しい御心の表れだと清夜は思っている。恐らく、清夜の言葉の半分も理解できていないのだろう。
この世界の理は清夜の主人を愛しているのに。
「僕のできることを増やしているのはキミ達だろう」
さも当然の事のように言う主人に清夜は言葉に迷う。魔法師も複雑そうに笑っている。
主人の音にした言葉には偽りがない。彼女は本心からそう思っているのだ。魔法師もそれを理解しているから、複雑な気分になるのだろう。
「恐れながら桜様。発言をお許しいただけるでしょうか」
「もちろんだ、オペラローヴ。なんでも言いなさい」
許しを請う言葉にすぐさまお返事される主人に迷いは一切ない。
――迷ってほしいのですが
主人に対して不利益な発言をされるとは考えないのだろうか。それだけ周りの者達を信頼してくださっているという証だ。だが、それでも、もっと主人は周りを疑っても良いだろう。生前、あれほど周りの者達に苦しめられてきたというのに、ここでも苦しむ必要はない。
清夜達ができる限り不利益を排除するが、それでも潜り抜けて主人に近付くものはある。忌々しい限りだが、清夜達兄妹が力を合わせたとしても、限界が存在していた。
「桜様は世界の理に愛されている御方です。どうかご自分のお力を卑下なさいませんようお願い申し上げます。我々は、桜様や皇帝陛下方にとても感謝しているのです」
この世界の者達は救いを求める相手は神ではない。皇帝達を神格化して神殿を作ってはいるが、彼等が救いを求めるのは主人を含む皇帝だ。一日の謁見数にも限りがあるから、身近に感じられるようにと作られた神殿。帝国の民が、皇帝達に感謝を表す方法の一つだ。
だが、皇帝達は帝国民の好きにさせているだけで、その感謝の気持ちを把握しているわけではなかった。やることをやっただけ、というのが彼等の認識だ。
「そのうえで、一つお願いをしてもよろしいでしょうか」
「もちろんだ」
即答される主人に、清夜は耐えられなかった。
「少しはお考え下さい、桜様! 万が一――」
語調強く訴える清夜に、主人は片手をあげて言葉を止める。それに従い彼女の顔色を窺えば、いつも通りの静かな瞳が清夜を見ていた。
「僕は周りの者達を信じている」
真っ直ぐこちらを射貫く瞳に言葉を返すことができなかった。純粋に彼女は周りの者達を信じていて、誰もそれを裏切らない。それゆえに成り立っている関係なのだ。誰か一人でも裏切れば、この信頼はすべてなくなる。一か百かの主人だ、兄を含む全員が信頼されなくなるだろう。
――だから、
だからこそ、清夜達は主人に近付く者を吟味するし、適当でない者はそもそも近付けない。主人に渡される進言や書簡も、兄が先に確認し、不適当であれば排除していた。兄のその行動を主人が黙認しているから、清夜も何も言ったことはない。行き過ぎた行動だ、と思わなくはないが、清夜も主人からの信頼を奪われるのは耐えられないことだ。
主人からの信頼を奪われないために、清夜達は主人の周りに神経を尖らせる。
「清夜様、誓って桜様の不利益になることは言いません」
魔法師が主人から清夜へ視線を移す。
「私に様付けは必要ありません」
彼の視線を受け取って言葉を返した。
これは当然の話で、周りが皇族だとかなんだとか言おうと、清夜は主人の従者であることの方が重要だ。彼女と並び立って名を並べられることが我慢ならない。
『清夜様はお嬢様のご婚約者様ですから』
――嫌な声が耳に残る
媚びてくるようなドロドロした声が聞こえる気がする。
「清夜がそう言っている。オペラローヴも気にせず、親しくしてあげて欲しい」
柔らかな声に主人を見たが、彼女は魔法師を真っ直ぐ見ていた。魔法師は主人のその視線を受けて「それでは」と穏やかに笑ってみせる。
「清夜さん、誓って桜様の不利益になることは言いません」
揺らがない視線を渡されてしまえば、頷かないわけにはいかない。
清夜が納得したのを理解したのだろう。魔法師は清夜から主人へ、視線を移動させた。
「マインドコントロールを、今回限りにしていただきたいのです」
「え」
零れた主人の声に思わず彼女を向く。鋭く彼女を見たものだから、驚かれたらしい。固まっておられる。清夜が大きく息を吐くと、彼女の空気も動き出す。ただそれでも、上手く言いたいことをまとめられないらしい。
――分かるのは
主人が感情操作をまたやって欲しいと願っていた。その理由は知れないが、主人は今回の出来事に手応えを感じておられるようだ。何かが分かったのか、ただ楽しかったのか。はたまたその両方か分からない。
だが、主人にとって今回のことは、良い出来事に分類されたようだ。
「もう少し感情を理解できれば、僕はもっと――」
いつも通り淡々とした言葉ではある。だが、訴える音には温度があった。ジッと魔法師を観察しているご様子は、彼女の癖だ。
「桜様。どうか、わたくしの言葉を聞いてください」
平伏した魔法師に主人は近付こうとする。それを引き留めて、魔法師の顔を上げるよう声をかけた。今この場で、主人が彼に近付く必要はない。兄が傍に居ない今、この場で最も主人に近付くことを許されているのは清夜だ。
彼女の危険になりうる行動は制限しなければならない。
護衛騎士や武官はこの場に控えている。だが、彼等は主人の命令か、危機が迫った場合しか武力を行使できない。だから彼女の行動を止められるのは、傍に控えている清夜だけだ。
主人は静かに清夜を見たが、魔法師が見上げる視線を感じると、彼へ視線を戻す。
「……聴こう」
息を吐いた主人は聞く体制を取る。それを認めた魔法師は口を開いた。
「感情のコントロールは負担が大きいです。今回、御身もご自覚はなくとも負担を強いられたのです。もしかしたら、御身を滅ぼすことになるかもしれません。心というのは、桜様が思うよりもずっと脆いものなのですよ」
魔法師の言葉を静かに聞いた主人はおもむろに口を開いた。
「今回、確かに迷惑をかけたかもしれない。だが、周りの者達の感情を、僕はもっと理解したいと思ったんだ。僕が感情を表に出すだけでは足りない。周りを理解できるようにならないと」
主人の健気さは知っている。兄のために、周りの者達のために表情を作りたいと願われた。その彼女が、次は周りのことを知りたいとおっしゃっている。
――それは、なんて幸せなことなのでしょうか
清夜は考えずにはいられない。
主人にこれほど思っていただけることは、とても幸せなことだ。
「恐れながら、桜様。私は感情に囚われ、周りの者達を攻撃した者を知っています。感情的に周りのものを破壊していきました。突発的な怒りに身を回せた例もございます。桜様がそんな愚者ではないことを承知で申し上げます。マインドコントロールは危険です」
おどおどしていた魔法師と同一人物とは思えないほどはっきり言う。その彼を主人は静かに見下ろしていた。静かに長考している主人に、清夜は口を開いた。




