18-女性を思いやることは紳士の嗜み
「報告は以上だ。質問は?」
ハイリッヒは静かに凜夜と桜の主治医である蓮太郎の様子を見る。時間が早朝で、ミモザ宮の正門前でなければ、他の皇帝達も一緒にいただろう。
そう、ここはミモザ宮に正門だ。
ハイリッヒはどうしても桜の様子が気になって早起きしてミモザ宮に来た。先にリラ宮に寄って凜夜と合流しているので問題ない。恐らく、桜と共に主治医である蓮太郎が現れるだろう。そう判断してのことだ。彼女の体調を知るなら蓮太郎に聞く方が正確である。
だが、ミモザ宮正門に現れたのは蓮太郎だけ。
彼はハイリッヒが一緒にいることに驚いていたが、凜夜に桜の様態の報告を始めた。簡単に言えば、思考がキャパオーバーであるとのこと。あまり聞けていないが、耳鳴りがあるらしいとのことで恐らく頭痛も症状としてある可能性が高いと言う。
――でも、桜は頭痛を自覚できない
キャパオーバーで言葉も上手くまとまらないと言う今、彼女がそれを伝える手段はない。頭が重いというのは、きっと自覚しているだろう。だが、それはキャパオーバーの症状と言えばそうかもしれない。
無痛を理解できないハイリッヒには、彼女の症状を知る術がなかった。
「見舞いに行っても構わないか?」
「構わない。桜お嬢様も親しい気配が傍に居た方がご安心なさる」
彼等の言葉にハイリッヒは笑う。
桜が体調を崩した時、多くの者は凜夜が取り乱すのではないかと考える。だが、実際の彼はとても紳士的だ。決して無理に桜に近付こうとすることなく、彼女の回復の妨げにならないように行動する。
例えば、彼が傍に居ることで彼女の回復が遅れるのなら、彼は決して傍に寄らない。
『俺は、桜様のために努力できる男だ……』
そう歯を食いしばって我慢する凜夜を知っている。
「あぁ、騒いだ場合は追い出すよう伝えておくから承知しておいてくれ」
「……あぁ分かった」
凄い表情をしているぞ、とは言わない。凜夜自身も自覚しているだろうし、蓮太郎は気にしないだろう。
「じゃ、先に公務終わらせるか」
ガシガシと頭をかく凜夜にハイリッヒは苦笑した。
「まずは朝食だろ、リン」
食事を抜くことは許さない。例え、早く仕事を終わらせて桜を見舞いたいと思っていたとしても。
これは桜に食事をするように言っているのだから、必要なことだ。いつも注意している側のハイリッヒ達がテキトーをするわけにはいかない。説得力には根拠が必要である。
「分かってる」
ぶっきらぼうだが、ハイリッヒの言葉を無視しない。その程度には頭が冴えているようだ。
世間話を振りながら、のんびり歩く。遅起きの面々はまだ到着していないだろう。いつも朝は食堂を使う時間は異なっていた。食事当番は最も早く起きて準備をしているが、それ以外はばらけて食事を摂る。朝食を作った後は魔法が使える侍女侍従に保温・保冷魔法を使ってもらう。
揃って食事をするのは昼と夜で、朝はそれぞれ自由な時間で食べている。
それゆえ、まだ誰も来ていないだろう。今日の当番は凜夜と桜であるし、ファーレンとオーレリウスは朝が苦手だ。
そう思っての配慮だったのだが。
「早いな、揃いも揃って」
6人で使う食堂の扉を開ければ桜を除く仲間が全員揃っていた。正直、まだいつもより早い時間なので、一番遅起きのオーレリウスまでいるとは思わなかったのだが。
「桜ちゃんが心配でさ。眠れなかったから朝から料理しちゃった」
ハイリッヒの視線を受けたオーレリウスが苦笑しながら言う。他の仲間達も同じなのだろう、ハイリッヒが同じように。それぞれが早起きをして、朝から何かしらの作業をしてきたのは見て取れる。集中できずに作業を止めて食堂に来たのだろう。
朝食をバラバラに食べると言っても、完成している時間は固定だ。その時間より早いこの時間に揃うことなど今まで一度もない。
「正解やったな。桜、どないしたん?」
ベントゥーラの言葉に凜夜が自身の食席に着きながら先ほど蓮太郎からされた説明を始める。
その間、誰も口を挟まない。ハイリッヒは先ほど蓮太郎から聞いているので、静かに凜夜の言葉を耳に入れる。彼が桜に関して間違った情報を共有するとは思わない。事実、先ほど聞いたままの言葉を用いて説明している。
「昼はミモザ宮に行くか。ご飯作らんと」
説明後、ベントゥーラが口を開いた。
最も食事に熱心な彼だ、最初に食事のことを心配した。
「いや、まずやることがある」
淡々と言う凜夜は先ほどまでさっさと業務を終わらせて見舞いに行こうとしていた人物とは思えない。
――というより、やること?
彼の最愛を見舞うことよりもやるべきことはあるのだろうか。
そう首を傾げたのはハイリッヒだけではなかったらしい。ファーレンが静かに凜夜へ視線を向けた。それを凜夜が受け取ったのを確認してから、彼は口を開く。
「桜嬢の容態を確認するより大切なことですか?」
「その桜様がお気になさるだろうことを、先に済ませてしまおう」
桜が気にすること、と言われやっと理解できた。
「なるほど、『褒美』な。どないするん? リンは」
ニンマリ笑ったベントゥーラが言う。それに凜夜は深く頷く。
泣きながら桜の願いを叶えた魔法使いオペラローヴ。彼に関して、ハイリッヒも褒美を考えている。一国の主の一人として、さすがにあからさまな褒美を渡すことはできない。だが、ささやかな贈り物は用意していた。ベントゥーラを経由して渡してもらおう、と。
――それでは足りないかな……?
桜は体調を崩しているが、恐らく今回の出来事に満足している。昨夜時点で、彼女はとても楽しそうで、幸せそうに笑っていた。どんな結果になろうと、彼女のその表情を見られたことは、ハイリッヒは嬉しかったのだ。そのお礼は必要だ、と考えていた。簡単な贈り物ではあるが、ハイリッヒからの感謝は伝えられるはずである。
ただ、他の仲間達がどう考えているのか。ハイリッヒは分からない。そのため、準備した贈り物はハイリッヒ個人からの物だ。皇帝名義にしてしまえば、6人全員の総意となる。相談もなくそんなことできなかった。
「桜様の素敵な表情を見せてもらったことに感謝をしている。それを伝える必要があるだろう」
褒美も用意している、と彼は言う。
「俺も俺もー! 桜ちゃん、とっても嬉しそうだったから!」
ニパッと笑うオーレリウスにハイリッヒも頷いた。ファーレンを見れば、彼もそっと包装された小さな箱を見せてくれる。
――全員同じ事を考えていたらしい
オペラローヴには桜に魔法をかけた段階で、褒美を渡している。これは皇帝名義の褒美で、彼女の願いを叶えたことに対して、だ。ほぼ命令のようなお願いであったが、彼は始終誠実に対応した。彼の誠意に対して、こちらも誠実に返したまでではある。
ただ、ハイリッヒはそれだけでは足りないと思った。
「桜嬢の気持ちが大切ですからね」
ファーレンの言葉にハイリッヒは頷いた。
確かに桜は体調を崩しているが、それは分かっていたことだ。最初から桜の負担が大きいことだと理解している。だから、今回の体調不良を不快に思うことはない。
――凜夜だって責めるつもりはないだろう
桜の体調不良を代わりたい、とは思っていそうだが。
「恐らく桜様は褒美を、と考えているだろう。先にやってしまうのも良いと思わないか?」
悪い表情をしている。
――何を考えているのやら
考えるまでもないのかもしれない。
「桜からご褒美貰えるオペラが羨ましいんやな、リン……」
「同然だろ……!」
ダンッとテーブルを叩く凜夜に、急いでコップを持ち上げた。他の面々も、各々飲み物が入ったコップは避難している。そのため、テーブルが濡れることは避けられた。
凜夜は国民に見せられない表情をしながら宙を睨んでいる。恋する相手が他の男に贈り物をする事実が耐えられないらしい。
その贈り物には感謝しか込められていないが、それでも。
――心が狭い、なんて言えないんだよなぁ
ハイリッヒも凜夜の気持ちは理解できる。
恋する相手からの贈り物は、例えその辺の石ころだろうと嬉しい。恋する相手が別の誰かに渡す物は、例えその辺の草だろうと羨ましいものだ。
燃えるような恋をしている凜夜からすれば、その思いは格別だろう。
「桜様から贈られる物とか羨ましい……これがきっかけで、これからも関わろうとお考えだったらどうしよう……俺よりも重用されたら……? そんなの、とても耐えられない……」
「絶対ないと思うけど」
桜は凜夜を信頼している。彼以上に信頼して傍に置く者はない。
ハイリッヒ達はそれを確信しているのだが、彼は違う。常に誰かに今の地位が奪われることを恐れている。桜に見限られ、見捨てられることに、なによりも怯えていた。
血の滲むような努力の末に、桜に信頼されていることも、ハイリッヒ達は知っている。凜夜だって自分の努力を正しく評価していた。
――それでも
凜夜は桜から思いを返されることに慣れていない。
彼の愛情を、桜は信頼をもって返す。恋愛を理解できず、恋人関係の愛情を理解できないから、と彼の告白を断った彼女だ。それでも彼が彼女に仕えていること、大切にしてくれていることに対して、彼女は信頼と重用をもって返した。
それが桜から凜夜へ渡す、愛情の形の一つだ。
「絶対ない、なんてことはない。絶対なんて、この世で最も不確かなことだ」
凜夜は静かに言った。
一理ある。
誰も反論なんてないだろう。
「心は様変わりする。桜様の御心が柔らかく形を変えたように。俺が努力を止めてしまえば、桜様は俺を重用されないだろう」
決して凜夜はそれに耐えられない。
だが、彼は知らないだけで、彼と離れることは桜もできなかった。彼女も凜夜が傍に居ることで安心しているし、安定する。それを凜夜が知らないわけがないのだが、彼の頭の中には今はその考えが存在しないようだった。
「桜様はもともと不思議なものが大好きだ。魔法なんて俺よりも凄いものの前にどうしたら……」
「じゃぁ、褒美はやらんのか?」
「それとこれとは話が別だ。桜様の素敵な表情を拝見したのだ。そのお礼をするのは当然だろう」
ベントゥーラの言葉にすぐさま返す凜夜は、皇帝の顔をしている。
皇帝として立つために必要な行動と個人の感情は別だ。
彼がそう考えていること、ハイリッヒ達は知っている。
――それが最も桜の信頼を得ている理由なんだろうな
決して口にはしないけれど。
「食事が終わったら呼び出そうか。桜には申し訳ないけど、彼女不在で褒美を出しておこう」
ハイリッヒはさっさと終わらせた方が良いと判断している。
――リンがこれだけ警戒しているんだ
オペラローヴには申し訳ないが、あまり桜と関わらせることはできない。彼女が不思議なことを好きなのは知っている。魔法使い達や魔物、精霊なども彼女はとても関心を寄せていた。
今回は桜の願いを知っていたから、ハイリッヒ達は協力している。だが、彼女への負担のことは不安に思っているのだ。今回のことで、再びマインドコントロールの魔法をかけてほしい。彼女が再びそう願うことを、ハイリッヒは懸念している。
それは恐らく他の仲間達も同じ。凜夜がこれだけ警戒すると言うのは、彼女が重用するのではないかというのは、つまりそう言うことだ。
――桜は今回のことを続けたいと考えている可能性がある
それは決して良いことではない。何か掴めるかもしれないと彼女が感じたとしても、ハイリッヒ達はそれを受け入れることはできないだろう。
「それは賛成。桜ちゃんが関心を寄せるのは良くない。これ以上、危険なことに興味を持ってほしくないしね」
オーレリウスが眉を下げる。
その言葉に反論はない。
「決まりだな」
全員の顔を見回した凜夜が言った。




