15-仲間と成長し続ける
「お前、大人しく座ってろ」
「えぇ……!? どうしたの、リンちゃん」
凜夜は椅子を指さしてオーレリウスに指示を出す。驚いたようにこちらを見るオーレリウスに凜夜は舌打ちをした。
「桜様が、お前が死にそうだ、と悲しそうにおっしゃったからだ」
仲間内の訓練中、最初に体力が尽きるのはオーレリウスだ。今までは主人が限界を超えていることを察せていなかったので、放置だった。むしろ更に努力をするように言っていたほど。オーレリウスや次に体力の尽きるファーレンはよく言われていた。それをフォローしていたハイリッヒも含め、主人の意図を理解している。
それゆえに、彼女の言葉を恨むことはない。それを理解したうえで、凜夜はすべて放置していたのだ。
だが今日は違う。
『オーレリウス、死んじゃう……!』
泣きそうな声でそうおっしゃった主人は、泣きそうに眉を下げてそちらへかけていった。
――あぁ、なんて
なんて羨ましいのだろう。主人に心を砕いてもらう相手は、自分だけが良い。そんなこと、無理なのは分かっている。主人はもっと様々な者達と関わるべきであり、多くを経験するべきだ。そして何より、彼女はこの国の皇帝の一人。民がそうあって欲しいと願っている限り、主人はその願いを叶えようと努力される。
そして、その努力を、凜夜が否定することはできない。
主人がする努力は報われるべきだ。そうなるように、凜夜も手を貸すべきである。
――少しでも桜様が幸せを感じられるように
だから、決して彼女の努力を無にするようなことがあってはならないのだ。この世界では、主人は報われるべきなのだから。
「あん時の桜、ホンマに泣きそうやったな」
のほほんとした様子で言うベントゥーラだが、その視線の静かさは表情が伴っていない。この男は時折、この静かな瞳をすることがある。何を見ているのか凜夜は興味ないが、かなり正確に状況を把握していることを知っていた。
皇帝の中で感情を察することが上手いのはオーレリウスだが、感情を把握することはベントゥーラが最も上手い。
「体力が尽きる、っちゅーことは、桜にとって死を意味するんやな」
サラリと言われた言葉に、凜夜は言葉を返せない。
――そう、
戦場育ちの主人にとって、体力が尽きることは死ぬこと。戦うこともできず、討ち死にもできず、逃げることもできない。
それが、体力が尽きる、ということなのだ。
だからオーレリウスの体力が完全に尽きたと把握した際、主人は彼が死ぬかもしれないと恐れた。この死者の魂の世界でこれ以上死ぬことはない、など頭になかっただろう。
それほど、主人はオーレリウスの状態を正確に察した。
恐らく、状況を察しているのみで、理解しているわけではない、と凜夜は考えている。他の皇帝達も凜夜と似たように考えているのだろう。
主人がオーレリウスの状態を察せなければ、今までと変わらない対応だったはずだ。
「今の桜様は周りの感情をなんとなく察せられている。ご自身の感情の振れ幅が大きくなったとして、そんな事があり得るのだろうか」
自分の感情がなんとなく察せられるようになって、それに併せて周りの感情も察することもできるのだろうか。
そんな風に凜夜は思ってしまうのだけれど、オーレリウスが眉を下げて笑う。傍に居るベントゥーラも不思議そうに首を傾げた。
「女性というのは、感受性が豊かなことが多いからね。芸術家でもないのに、周りの状況を察することが上手い。男に頼らないと生きていけない状況で、そういう風に進化をしたのかもしれないね。桜ちゃんは別の理由があるかもしれないけれど」
案外、人と関わることが多かった、そしてここでも人と関わることが多い男だ。笑顔の下の静寂を、凜夜は好きになることができない。
――だが、オルの言うことはそうなのかもしれない
「桜様は、感情が豊かだったが、それを強く抑制していた、ということか……」
朝、ミモザ宮から主人を迎え、今まで彼女の傍に居た。いつもよりずっと表情が変わり、雰囲気が明るく、幸せだと微笑んだ主人。それだけでいっぱいいっぱいだが、くわえて凜夜に対して笑顔を向けてくださった。幸せだと、嬉しいと、その表情で伝えてくださるのだ。
それを幸せと言わずになんというのだろうか。
少しでも主人に幸せを感じていただこうと目論んでいたが、逆に凜夜が幸せをいただいている。好きな女性から微笑まれたという事実だけで、胸躍るのだから仕方がない。
「桜は戦場育ちやろ? 感情は無意味や、思うても可笑しくないわな。環境的要因で強い抑制があったのは間違いないんやない?」
だから、彼女の表情は動かないのだ、とベントゥーラが持論を展開する。完全に表情が動いていないわけでもない。だが、主人の表情は鉄壁だ。心が揺れ動かされても、表情は動かない。穏やかな声色で「よかった」「嬉しい」とおっしゃることはある。ただその表情はいつも通りの不変。
そんな主人を凜夜は愛おしいと思っている。
表情が変わらないことを気にしていらっしゃることも、凜夜達のためにご自身が変わろうとされることも、すべて。
――そう、俺は桜様のすべてを愛している
だが、主人が辛い思いをするくらいなら必要ないし、彼女に足りないことは凜夜が補いたい。
「2人だって、桜様が昔、お辛い思いをしていることは知っているだろう。感情が周りに知れることは、辛い思いすることになる。だから、桜様は決して感情がないわけではない。それは俺だって最初から分かっている」
主人が口にする感情にも嘘はない。だから、彼女の言葉を凜夜は決して聞き逃したくないと思っている。表情を和らげながらおっしゃるお姿は本当に尊い。
『ありがとう、凜夜』
微笑んで言われた言葉に凜夜はもう天を仰ぐしかなかった。思い出しただけでも、胸がいっぱいになる。なんという幸せなのか、きっと理解できる者は少ないのだろう。
「リンちゃん……顔真っ赤だよ」
「むっつりやん」
オーレリウスとベントゥーラが何か言っているが、凜夜は気にならない。
「小百合に言い付けますよ、兄上」
「桜様に思いを馳せているだけだぞ」
ずっと静かに料理の準備をしていた弟の言葉は無視できない。妹に言い付けられれば、必ず主人を奪われる。今日は人払いの協力を弟妹がしてくれているが、凜夜を遠ざけるとなるとそうも言っていられない。
凜夜は弟妹から主人を守る最もたる戦力と思われている。その凜夜が主人から離れることになれば、主人を守るための戦力を補充する必要があった。
――その戦力ってのがなぁ
凜夜が最も嫌っている相手なのがダメだ。あの男だけは、この表情豊かな主人には近付けたくない。嫉妬で気が狂いそうになるし、主人に惚れている時点でダメだ。
「アキのこと嫌い過ぎやろ、自分……」
うわぁと言いながらこちらを見るベントゥーラは、夕食用の野菜の皮むきをしている。台所の端でお茶を飲みながらオーレリウスが苦笑しながらこちらを見た。
「桜ちゃんのこと大好きだもんね、二人共」
恋敵だ、と言ったのはオーレリウスだ。だが、あの男と凜夜はそんな関係ではない。普段はお互いに嫌い合っている。当然、性格的問題もあるのだろう。だが、必要な時は共闘できるし、主人の前で殺し合いの喧嘩はしない。
「なぁ……桜様が感情を抑制せずに過ごすためにはどうしたらよいだろうか」
主人の脅威はこの国にはない。だから少しでも主人が我慢をすることがないように、我慢しなくても良いように。
――そう願うのは贅沢なことなのだろうか
凜夜にとって自分の感情は無視して良い。主人が我慢するくらいなら、あの男とすら手を取ってみせる。主人の柔らかで美しい微笑みを見せたくないとは思うが、それを我慢することはしたい。主人が努力した結果だ、凜夜が滅茶苦茶にして良い理由にはならないだろう。
「あほか」
「あ゛ん?」
凜夜なりに真剣に考えての言葉だ。それをサラリとベントゥーラに阿呆扱いされ、怒るのは当然だろう。
不愉快で睨みつければ、呆れたようにこちらを見るベントゥーラがいた。舌打ちをしてしまったのは仕方がない。
「桜ちゃんがさ、今回みたいに表情を動かしたいって願えるくらいには、心を許してくれていると思うんだよね、俺達はさ。俺達が大丈夫って伝えても、自分の意思を貫いて努力を止めたくないって我が儘言えるくらいには、俺達は信頼されてると思うんだ」
のんびりとしたオーレリウスの言葉をベントゥーラは否定しなかった。恐らく彼も同じように考えているのだろう。
彼の言葉は凜夜が考えたこともなかったことで、目からうろこだ。
「そっか……このままでいいのか」
信頼されているとは思っていた。あの警戒心の強い主人が、傍においてよいと思ってくださる程度には。御心を砕いてくださるのも、ある種の信頼だと思っている。
――それでも、
主人にとって最も柔らかい部分に触れさせてもらえる程度に、思っていただけているとは思っていなかった。
「桜だけやないなぁ、ホンマ。自分ら、感情鈍過ぎやろ」
もっと自由に過ごせばいい。ベントゥーラはそんな言葉を吐き捨てた。それを胸糞悪いと思わない程度には、凜夜は彼の言葉を信用している。
恐らくそれは、彼がずっと思っていたことなのだろう。凜夜の傍で調理補助をしている弟が少し苦い表情をしているので、彼はもしかしたら言われたことがあるのかもしれない。
――意外と世話焼きなんだよな、ベンも
仲間達は周りの世話を焼くことが好きだ。
見目が自分達よりも幼ければ、それはそれは大切に扱うことを知っている。彼等よりもずっと強い主人だって、彼等は彼等なりに大切にしてくれているのだ。凜夜も相応に我が儘を言っている自覚はあるのだが、彼等はそれを笑って受け入れる。
だから負の感情を抑制できない。できるようにするつもりもないが、それすらも受け入れられている。不思議なものだ、と思わざるを得なかった。
「今回の桜のことは、ええキッカケになったんやない?」
お互いのことを知ることは大切なことだ。
主人のことを凜夜が知りたいと思っているように、凜夜達のことを主人も知りたいと思ってくださった。そして今回のことは、彼女のことを理解するとともに、彼女も凜夜達のことをなんとなく察してくださるようになっている。
よく分からないとお思いのことも多いだろう。それでも、正負の感情の差だけではない。喜んでいるとか、辛く思っているとか。そんな感じのことをなんとなく感じてくださっている。そしてその感じたことを受け取って、ご自身がどう思っているのか。それを何となく察されたご様子だった。
「今日は桜ちゃんの容態に変化はなかったから、明日とかちょっと気にした方が良いかもね」
オーレリウスの言葉に凜夜は頷いた。動作が重くなってしまうのは仕方がない。感情操作に関する魔法が、どのような不利益が起きるのかは個人差がある。そう説明を受けているし、不利益の大きさや期間は不明。それを恐れているのは仕方がないだろう。
主人が辛い思いをしているのは凜夜も辛い。できることなら、主人が辛い思いをしないようにしたかった。
宮廷医――というよりも主人の主治医に相談すれば。
『症状不明、憶測で処方することはできない。万が一、間違った処方をしてしまえば、桜お嬢様の御身体の負担を増やすことになるぞ』
淡々と言われた言葉に凜夜は反論することができなかった。多少医学を齧ってはいるが、医師である彼には敵わない。なにより、凜夜達の昔なじみの主治医の言葉だ、聞かないわけにはいかなかった。彼は主人に仕えたいがために医学を学んだ男だ。信用に値する。
だから、主人の様子をちゃんと確認しなくてはならない。主人の主治医も間違いなく、彼女の様子を注視するだろう。今回のことはちゃんと凜夜から話を通している。
『あぁ、ベン様から聞いたよ。桜お嬢様のご容態に関しては任せてほしい』
はっきりとそう言った彼はとても頼もしい。
――つか
ベントゥーラだ。方々に話を通していたらしい。凜夜が根回しをする前に大体話し終えていた。
彼自身が根回しをしなかったのは、凜夜の弟妹だけだ。あの二人は主人のためと言えば、喜んで協力するだろう。だが、彼は凜夜から話を通してほしい、と同行を頼まれた。説明自体はベントゥーラの口から行われたが、彼等への指示は凜夜を通している。
そんな必要はない、と凜夜が言おうと信じてもらえないだろう。
だが、あの二人は主人のためになることならば、必ず耳を貸す。指示が必要ならば指示を仰ぐし、指示を完遂するために必要なことは進言できる。兄妹の贔屓目を抜いても、自身の弟妹は優秀だ。
閑話休題。
ベントゥーラの根回しのおかげで、主人の周りは相応に固められている。
「レンには話通したるし、セイもユリもおる。俺等も気にするし、大丈夫やろ」
楽観視しているわけではない、事実だ。
凜夜達は顔を見合わせて頷いた。




