14-心根はとても素直
夕食担当は先ほど軽食を作らなかった面々である。そのため、ファーレンは桜とハイリッヒ、そして小百合と共に待機していた。待機と言っても、6人用の執務室の応接テーブルでそれぞれ好きなことをしているだけだ。
桜は1人用ソファに座って読書をしている。その目の前には分厚い本が積み重なっており、読み終えた本はその隣に置かれていた。彼女の傍では小百合が紅茶をサーブしている。これはいつも凜夜の仕事だが、その彼は夕食作りへと行っているので、当然彼女の役割だ。ファーレン達にも紅茶を淹れてくれているが、大変美味しい。
ファーレンの正面ではハイリッヒが黙々とレポートを書いている。彼は公務が落ち着いている期間、大学校へ通う。それゆえに課題を相応に抱えているし、レポート用資料を読む時間を捻出していることを知っていた。
――生き急いでいるのではないでしょうか
もう死んでいるのだが、そう思わざるを得ない。
「私はやることなくて退屈ですね」
別に彼等を眺めているだけでも楽しいし、彼等はファーレンの視線など気にしない。今も、ファーレンにジッと見られながら、それぞれが読書とレポート作成に精を出している。
「本を読むかい?」
桜がそう提案してくれるが、彼女の読む本は難しい。今もきっとファーレンの理解に及ばない学問の本を読んでいる。別に読もうと思えば読めるだろう。当然だ、ファーレンも皇帝の一人なのだから、それなりに知識がなければならない。
国民は気にしないかもしれないが、外交をしているとそうもいかないのだ。
――そう、外交……
文官で内政を担当しているのがオーレリウスだとすれば、外政はファーレンが担当している。外交官たちはファーレンに属する文官が担う。彼等をまとめるためにも、外交をスムーズに行うためにも、さまざまな学問に精通している必要があった。
ファーレン達は他国に舐められることは気にしない。相手にしなければ、海を越えてこの国を責めようとしないだろう。
だが、自国民達はそうじゃない。
他国に舐められることは、ファーレン達が侮辱されることと同じだ、という。だから彼等はとても憤るのだ。外交でも優位に立つために彼等は努力を惜しまない。部下の彼等が努力するのだから、その上に立つファーレンが努力を惜しむわけにはいかなかった。
そうは言っても、業務外でそこまで学ぼうとする気概はない。ファーレンは桜やハイリッヒのように勤勉な性質ではないのだ。どちらかと言えば、最小限の努力で最大限の成果を出したいと思っている。そのために、相応の努力はしているし、業務中は真面目に働いていた。
「今は、業務外なので……」
「そう」
ただ、業務外にも学びたいかと言われれば、可能な限り避けたい。業務外は遊びに全力でありたいと思っている。それを桜は否定することなく、穏やかに受け入れてくれた。再び本へ視線をした彼女は、静かに本のページをめくっている。
そんな彼女の様子を眺めながら、のんびり紅茶に口を付けた。
小百合が淹れてくれた紅茶。香りがよく、味もスッキリしている。淹れた者によりけり、と言われるが、ファーレンにはその違いが分からない。凜夜達兄妹にはその違いが明確に分かるようで、誰が淹れたものが良い、とよく話し合っているのを見る。
これは桜にも言えることで、彼女の一等お気に入りは凜夜のお茶。次点でファーレンの淹れるコーヒーだそうだ。お茶だけでなく、コーヒーの味まで分かる桜は、実はかなりの健啖家なのかもしれない。
口に入ればそれでよい、と彼女はよく言う。それは決して嘘ではないことを知っている。だがその実、彼女にも好みはあるし、積極的に口にしたいと思っているものもあるのだろう。
――それはなんて良い傾向なのでしょう
桜と出会った時、彼女は食事を非情に恐れていた。生前は継母に命を狙われていたというのだから、当然の反応だと分かっている。食べ物に何かを仕込まれるのも普通だ、と。東洋の貴族も西洋の貴族と変わらない諍いがあるのだと、思ったことを覚えている。
「ファルって仕事とそれ以外ってしっかり分けてるよね」
最終確認を終えたらしいレポートを丸めながら、ハイリッヒが言う。真剣な表情で本を読む桜からハイリッヒへ視線を移す。彼も真っ直ぐファーレンを見ており、ニッコリ笑った。
「まぁ……兄貴分のような主人に言われてましたからね。仕事は仕事、遊びは遊びだ、と」
紫がかった赤い瞳は、ファーレンを真っ直ぐ見て強く言った。あの彼の役に立ちたくて無理をしていた自覚はあるが、彼は決してそれを許さない。ちゃんと休むべきだ、と誰よりも働いていた彼が言うのだ。
自分の無力を感じてしまったのは仕方がない。
「あはは! 確かに言いそう」
ハイリッヒとかの方が古い知り合いだと言うのは、知っている。だが、彼が言いそうだ、と楽しそうに笑うハイリッヒを見ると複雑に思う。彼等は同じ長寿種だと知っているが、育ての親でもある主人の知らない一面を知っているのは羨ましい。
「でも、ファーレンはそれを僕達に強制はしないね?」
柔らかい視線と声を桜がファーレンに渡してくる。彼女を見れば、声色通り穏やかに微笑んでこちらを見ていた。本はその膝に閉じて置かれ、ファーレン達と会話する気であることがよく分かる。それを嬉しく思いながら、ファーレンは彼女へ笑顔を向けて口を開く。
「私が仕事とする範囲と、桜嬢が仕事とする範囲は違うでしょう?」
例えば、勉強をすることはファーレンにとって仕事の一つだが、桜にとっては趣味の範囲内だ。
読書は彼女が静かに過ごす手段の一つでもある。仕事が早く終われば、読書をして待ってもらうことも少なくない。
多言語を習得しており、使いこなせる彼女からすれば、読書は勉強ではなく娯楽である。
――羨ましい話ですが
ファーレンも6人の中では比較的言語を習得していると言える。ただ、元より多言語を習得しており、嫌忌感の無いハイリッヒや桜、凜夜には遠く及ばない。なぜ彼等が外交官を統括していないのか、と理不尽に怒りたくなるほどだ。
この世界にある言語を習得してはいるが、自在に使うにはもう少し時間が必要だった。それゆえに、読書は時間がかかるのだ。
「……確かにそうだね」
ファーレンの言葉に深刻な様子で頷いた桜に首を傾ぐ。
「僕は身体慣らしだと思ってた運動で、オーレリウスが死にかけてた……!」
ショックを受けている桜にファーレンは苦笑する。
オーレリウスが倒れた後、限界が来る前にファーレンは離脱させられた。いつもは厳しい桜からの言葉であったので驚いた記憶がある。
彼女にとって鍛錬は、大切なものを喪わないために必要なことだ。大切なものを喪うことがトラウマである彼女が厳しいのは当然のことだろう。
――鍛錬が私達にはキツイと知らなかったんですね
いつも彼女達に訴えているが、聞き入れられないことは分かっていた。それは彼女達が喪う経験をしていたからだ。
そう判断していたが、桜に関してはそれだけではないらしい。
「あんなに苦しんでいるなんて知らなかった……甘えだと言って申し訳ないと思っている」
許されるだろうか、と眉を下げている桜は泣きそうだ。それにファーレンが手を伸ばす前に、傍に控えていた小百合がハンカチを差し出す。泣いているわけではないが、泣きそうだ、と示すためだろう。ハンカチを受け取った桜は「泣いてないが?」と不思議そうに首を傾げている。
「桜様を許さないなんてありえませんわ」
発言が強火だと言うことに小百合は気付いているのだろうか。
「キミは日々、凜夜に似てくるね……?」
困惑したような桜の様子に、小百合が苦笑している。
「兄妹なので、ご容赦ください」
恐らく、血縁だけが原因ではないのだろうが、それは言う必要はないだろう。桜が納得していれば、深堀する必要だってない。なにせ、深く関わるのは桜だけだ。小百合は桜に属する侍女であるし、桜しかコントロールすることができないのだから。
それ以上言葉を重ねられないことに小百合がホッとしたのを見る。
「けど、ユリの言うことは間違ってないよ。桜のことで許さないなんてないよ」
ハイリッヒが微笑みながら言う。彼が笑顔で「大丈夫だ」ということは、大丈夫のような気がする。言葉に宿る安心感が全然違うのだ。彼は発する言葉の穏やかさに反して、言外に届くメッセージは心強い。
どうやらこちらの感情をいつも以上に察知しているらしい桜も、ハイリッヒの言葉の力強さに励まされたようだ。
「そう、かな」
どこか安心したように、不安が和らいだように。小さく微笑む彼女に、ファーレンも笑いかける。
そう、安心して良いのだ。
ファーレン達は決して彼女のやることを怒らない。例え何かあっても、それは彼女が〈知らないから〉で、そのことをファーレン達が〈教えられないから〉である。起きた出来事は彼女だけの責任ではなく、ファーレン達もその一端があるのだ。
間違ったことに気付いたら、反省して謝れる桜は、本当に素直で良い子。
「そうですよ。私も気にしていませんし、オルも気にしていないでしょう」
博愛主義を掲げているオーレリウスであるが、桜には殊更甘い。女の子は蝶よ花よと育てられるべきだ、と主張する彼だ。
桜の生い立ちをとても哀れんでいる。
オーレリウスの影武者の主は長寿種の上流貴族だ。それゆえに、彼も上流階級の貴族として、与える生活をしていたらしい。その結果、周りに与えることが好きな人格である。
――私達、揃って全員貴族なんですけど
時代も違えば、国も違う。共通しているのは人間だけ。それも魔女のような特殊な人間が混じっている。だからこそ、価値観も違えば、共通認識などあってないようなものだ。
その中で、周りの者達に与えること、女性に優しくあること。この二つは全員が共通して持っていた認識だった。与えられる者は、当然のように。
「僕は気になるから謝ろうかな」
「桜様が頭を下げると、兄上がその原因を排除すると思います」
「やめておく」
謝りたいという気持ちは尊重されるべきだと思う。だが仲間内で、それを桜がやるとなると話は別である。ファーレンが止める前に、的確に小百合が言葉を選んで伝えてくれた。すぐにやめると決意してくれた桜に微笑んだ。それからもちろん、小百合へも感謝を示す。
桜が頭を下げた時、被害に遭うのは頭を下げられた側だ。
凜夜は彼女が謝罪しなくてはならない原因を排除しようと動くだろう。それがオーレリウスというのなら、加減はしない。
想像に難くない惨事だが、桜は上手く飲み込めていないのだ。今のなんとなく様々なことを感じられる状況で、あの惨事を前にする。そんな悍ましいこと、正直考えたくもなかった。桜がショックを受けることは目に見えている。それに対して、凜夜もショックを受けることは間違いない。
凜夜を止めればよいと思うかもしれないが、彼はもはや反射だ。行動が早すぎるので、言葉で止めることはできない。そして、彼の動きに対応する素早さを誰も持ち合わせていなかった。
「でも、鍛錬、辛かっただろう? よく何度も受け入れてくれたね」
辛い思いをするのは嫌だ。そう含めているのだろう彼女にファーレンは眉を下げる。
彼女は感情を抑制していただけで、本来はとても感情豊かな方なのだろう。それを表に出すことが許されなかっただけで。
「大変でしたけど、それは桜嬢が我々を想ってくださったがゆえだと知っておりますよ」
ファーレン達がもう大切なものを失うことがないように。大切な人から大切を奪わせないようにするために必要なこと。
かつてできなかったそれを、再び繰り返さないように。
桜がそう願ってくれていたことを知っている。彼女自身の恐怖もあっただろうが、ファーレン達を想っていたのも嘘ではない。彼女ができることで、ファーレン達を守ろうとしてくれていたのだ。
それを感謝こそすれ、憎むことはないだろう。
「そっか……そうなのか」
桜はそう言葉を漏らして微笑んだ。
「でも、次からは気を付ける」
鍛錬もほどほどにする。
そう決意を新たに言ってくれる桜に、微笑ましいと思うのは当然だ。きっと彼女は今日のことを教訓にして、ファーレン達のギブアップを聞いてくれるようになるのだろう。
――ならば、私達は
その気持ちに応えられるように、ギリギリまで努力する必要がある。




