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11-身近にある幸福を甘受する


 兄の淹れた美味しい紅茶を飲みながら、清夜は少し疲れた様子の妹を見る。清夜達は皇帝達と別テーブルでお茶をしていた。本来であれば皇帝達の給仕をしなければならないが、彼等はそれを望まない。

 主人には兄が付いているので、粗相がなければ兄に任せる必要がある。今日は長時間主人と離れていたのだ、そろそろ兄に任せなければ発狂しかねない。

 そのため、大人しく別テーブルに引っ込んだ。

 皇帝達は清夜達の同席を気にしない。だが従者として、どうしても気になってしまう。正直、主人がお茶を楽しまれている時、こうしてのんびりしているのも落ち着かない。随分と慣れてきてはいるが、ソワソワするのは許されている。仕方のないことだ。

 閑話休題。

 入室して来た時よりも兄の美味しいお茶でだいぶ表情が柔らかくなったとはいえ、妹の疲れていた様子は気にかかる。

 清夜の妹は優秀な女主人だ。従者としての知識、技術は申し分なく、またまとめ役として人の上に立つ術も持つ。

 その彼女が、疲労感を表に出すことが驚きだ。清夜にとって小百合は、可愛い妹である。彼女の様子は昔からちゃんと見ているが、 今まで彼女のそんな姿見たことなかった。

「小百合」

「はい、兄様」

 声をかけてみたはいいが、どう続けようか。何も考えていなかったが、彼女は清夜に隠し事をするような子ではない。そのまま聞くか、とカップをソーサーへ戻し口を開く。

「先ほど疲れていたようだけど、どうしたんだい?」

 珍しいこともあるものだ、と言外に含める。

 これが主人との会話であれば、言外に含めるようなことはしない。ちゃんと音にして、主人に信じてもらえるよう、視線を合わせるのだ。

 感情を理解できない主人は、その瞳で真偽を見る。だから、感情や気持ちを言葉にし、それに偽りがないことを示すことで、彼女から信頼を得ることができるのだ。

 だが、妹相手には必要ないことである。主人の感情を察せられるように、周りの雰囲気を理解できるように。彼女は清夜の言いたいことも正確に理解する。

「ファル様もハイン様も、皇帝としてのお立場に慣れてきたと思っていました」

「うん?」

 遠くを見る妹に首を傾ぐ。

 思ったよりも豪華なパフェを口に含みながら、妹の次の言葉を待つ。

 清夜達も皇帝達の物と同じパフェをいただいている。正直そんな必要ないと思うのだが、皇帝達はそう思っていない。主人が作ったという付加価値以前に、食材も高級なこのパフェは大変に美味だ。のんびりと味わっていただく。

 ――それはともかく

 なかなか言葉を返してこない妹へ視線を寄せる。彼女はパフェに手を付けず、紅茶を手に悩ましい表情をしていた。

 言いにくいというよりも、どう表現して良いのか迷っている、というような様子。

「もう何年、皇帝としてこの国に君臨されているとお思いなのでしょう」

 フフフッと低く笑う妹は本当に疲れているらしい。

 執務室に戻って来た主人達は手に何も持っていなかった。パフェを含む軽食の乗ったワゴンは妹が運んだ。執務室前の護衛をしている武官が扉を開けて、中に入って来た主人達に違和感はなかったはずである。

「台所から出る時にハイン様が扉を開けてくださいました……それくらい、ワゴンを運ぶと言っても私がやるのに……」

「あぁ……」

 皇帝達は人の上に立つ気がない。それはずっと昔から知っている。だが、彼等の周りにいる者達は、彼等に不便を感じさせたくないと思っていた。だから城に仕えている者達が雑用は進んでやるし、この国の主人である皇帝達がやる必要ないと思っているのだ。

 それを皇帝達に伝えていて、受け入れられている。

 ――そう、受け入れられてるんですよね

 ただ、彼等が意識せずに行動するとすべてやってしまう。この国はずっと昔には、小さな村だった経緯がある。死んで目が覚めた魂達が集まって、最初の村を作った。次第に多くの魂が皇帝達の元へ集まり、村が街になって、街が王国になって、王国から帝国に発展。そんな民と共に彼等皇帝はこの国を造ってきた。

 そんな経緯があるゆえに、彼等は平民と同じく雑用をする。身の回りのことを自分でやることに違和感を抱いていない。

 普通、世襲制であり、貴族は貴族として生まれ、貴族の生活を何の疑問もなく行う。貴族であれば、身の回りのことは使用人がやることが普通で、食事は完成したものが出てくることが普通。そうやって、自然と周りにやらせるはずだ。

 だが、彼等はそんなことをしない。

 自分達のことは自分でやることが普通だ。

 その感覚は皇帝になった今でも変わらないらしい。他国の前では決してそのような様子は見せないが、帝国民の前であれば気を抜く。普段通りの、自分のことは自分でやる皇帝達だ。

「今も僕達はのんびりお茶してますからね」

 普通であれば、こんなことありえない。侍従と侍女である清夜と妹は皇帝への給仕が普通である。こんな風にのんびりお茶をしているなんてあってはならないことだ。

 ――まぁ、ここは普通ではありませんからね

 皇帝達は好きに過ごしてほしい。それが国民の願いだ。自分達も自由に過ごさせてもらっているから、彼等にも喜んで欲しい、と。もちろん、法や秩序、規則決まりはある。当然だ、無秩序でなんとかなる国などはない。

 相応の秩序と上に立つ者の人望で決まるのだろう。

「そうなんです。普通こんなことありえないのに。私、桜様の御傍に居られれば文句はありませんが、どうしても他の方達にお手伝いいただくことに慣れません。兄様はいかがですか?」

 頬に手を当て、「困ったわ」と呟いている妹に清夜は苦笑した。

 主人の傍に居られればなんでも良い。それはきっと彼女の本心だろう。清夜だって主人にだけ仕えたいと思っている。これは清夜達の本能に近いものだ。

「僕も桜様の御傍に居られれば、別に。他の方達は同等の人達だと思えば、まぁ」

 皇帝を皇帝と思わない態度を咎められたことはない。兄が皇帝の一人であるからこそ、気安い態度をとっても気にされた様子はなかった。むしろ彼等の方から仲間の弟というので、目をかけられている気もする。女子寮やミモザ宮に関わる人間であるがゆえ、皇帝達に気にされているのはあるだろうが、それでも。

「兄様は――……いいえ、私も変わりありませんわ」

 ハッとしたように言葉を濁した妹に清夜は苦笑した。

 彼女が言葉を濁すことに、心当たりがある。清夜は女性が得意ではない。それゆえに兄から女性寮を守る役目を貰っている。女性だけではどうしようもない力仕事などを手伝うための、男手として。清夜の女性が苦手な理由と原因を彼女は知っている。

 ただそのことは、今は関係がない。彼女が飲み込んだ言葉を、清夜が音にすることはしなかった。ここでその話をする利益は清夜達にはないのだから。

「桜様、疲れているご様子はないね」

 話題を変えよう。

 そう思って口にするのは当然主人の話題だ。二人で主人の方を見れば、こちらの視線に気付いた主人がふわっと微笑む。以前から穏やかな瞳をされることは多々あったが、微笑まれるのは初めてだ。

 柔らかい表情と穏やかな雰囲気。それだけで清夜は心が満たされる。

 妹を見れば、彼女も同じらしい。照れたように頬を染めて主人に手を振っている。それを見た主人も手を振り返してくださるのがもう。

 ――健気でいけません……

 これほど尊い御方が自分達の主人だとは、とても信じられない。

「本当に桜様はお可愛らしい御方だわ」

 興奮したように頬を染めて言う妹に清夜は笑う。

「そうだね」

 小さくキャー! と声をもらしつつ笑顔の妹に清夜は何も言えない。正直、主人に仕えるようになるまで、妹のこんな笑顔を見たことはなかった。年頃の女の子のような素直な感情の表出。それが妹にはなかったのだ。

 妹が幼い頃から生家の跡継ぎになったのは仕方がない。長兄が主人に仕えたいと家を出たのだから。そして次兄である清夜は主人の仇に望まれて婿養子となった。その真意はかの家を潰すためではあるが、妹には申し訳ないことをした自覚はある。

 人の上に立つ教育を受けた妹は、素直な感情の表出ができなかった。

 そんな妹も主人と過ごすうち、感じたことをそのまま表情に出せるようになったのだ。それは兄として、とても喜ばしいことだと思っている。

 従者へ慈悲を惜しみなく与える主人に、妹のことも併せて清夜は感謝していた。

「ほーんま、自分らは分かりにくいのか、分かりやすいのか、分からんなぁ」

「後ろから急に声をかけるのは止めてください、ベン様」

 のんびりした口調で後ろからかけられた声に清夜は溜息を吐いた。

 普通、人の上に立つ者は、この態度を見咎める。だが、ベントゥーラは特徴的なたれ目を細めて笑っていた。心底楽しいとその瞳が訴え、口元がニンマリと大きく弧を描いている。

 半目を向けてしまったのは仕方がない。

 ――僕は楽しくないんですよ

 彼等皇帝は心の底を見透かすような視線を寄越す。これが主人であれば、必要以上に立ち入らない。清夜が知られたくないと願うことを、知ろうとはしないのだ。兄は隠しても無駄で、彼が知りたい情報は隠していても隠していると知られてしまう。それを吐くまでは決して許さないのが清夜達の兄だ。

 他の皇帝達は、清夜の見たくない物を見ている。意識を向けていないところに、意識を向けようとするのだ。

 ――多分、今だって

「自分らは桜がおらんとなんもできんな? 周りに感情を知らせるんも、考えを知らせるんも。すべて桜を通さんと分かりもせん」

 皇帝ベントゥーラはそう言った。

 ――否定しませんが

 それは決して主人には知られてはいけないことだ。彼女に知られてしまえば、きっと彼女は渋い思いをするのだろう。

 サッと主人へ視線を流すが、彼女は妹と何やら手話で会話をしていた。軽食のテーブルは少し距離があるため、声で会話をしようとすればやや声を張らなければならない。主人の方へ近付けばよいのだろうが、皇帝達の手前のんびりと穏やかに過ごすことは叶わないだろう。

 そんな妹への主人の柔らかな配慮だ。

 知識と技術があることは良いのだが、使うところはここなのだろうか。

 不思議に思わなくもないが、主人と妹が楽しいのならば良い。兄も彼女達の会話を理解することができるので、内緒話ではないゆえ許容範囲内だろう。普段穏やかな声色で話す主人が声を張るよりは良いと考えられている可能性が高い。

「桜に魔法使うより、先に自分らで試しておけばよかったかもなぁ」

 のんびりそんなことを言う皇帝ベントゥーラに清夜は少し思考する。それから主人へ視線を投げて、兄を見た。次に皇帝ベントゥーラを見れば、ニンマリ顔を更に深くする。

 ――いや、ダメでしょう

 どう考えても。否、考えるまでもなく。兄でも清夜達でも、決してそれをしてはいけない。今回の魔法は主人だから問題が起きないだけだ。

「それ、わたくしも思いましたわ。なぜ兄上は自分に、と望まれなかったのでしょう?」

 驚いて妹を見れば、さも名案だと言わんばかりの表情だ。

 思わず皇帝ベントゥーラと顔を見合わせた。

「ユリ、男は皆、狼なんよ?」

「いくら兄上が鋼の理性と言われていたとしても、それは……」

 万が一、ということはあるだろう。

 感情を増幅させて、主人への恋慕が形を変えたらどうなるのだろうか。事後報告と共にマインドコントロール、感情増幅の説明をされ、最初に思い浮かんだのはそれだった。

 愛憎とも言われる感情があるくらいだ、すべてが好転する可能性は低い。兄の主人への愛情が醜い形、もしくは主人への脅威となったらどうすればよいのか。兄が善人ではないことは、清夜もよくよく知っていた。

 ――それに

 恋慕とは、肉欲を伴うものだと聞く。自分がそういう類の出来事に無縁だったせいで、実感が伴ってはいない。それでもちゃんと知識として知っているし、仇を欺くためには必要な知識と演技だった。

 どう考えても、兄がそれとまったくの無縁とは思えない。催淫剤の耐性取得のための薬物投与が、どこまで魔法に効果的なのか不明である現状。

 ――無暗に感情を弄らない方が良い

 今回、特に問題ないのは、桜の善性が高い故だろう。彼女は人格的に、とても穏やかで能動的に周りを傷付けようとする人格ではない。必要な命令である、もしくは周りの身内を傷付けられたことで、彼女は初めて脅威となる。

 つまり現状、決して誰かを傷付けることはない。普段の生活をするだけであれば、彼女は小さな幸せを一つ一つ拾い上げるだけ。些細な幸せを酷く大切なものを扱うように、大事にする。

 そんな主人だから、皇帝達は彼女の周りを固めてはいるが、強い制限を設けず自由に過ごさせているのだろう。ただただ彼女の周りが傷付くようなことがないように。

 主人は、昨日から決して嫌なことはしないように、と他の皇帝達から強く言い含められていると聞いている。

 それは主人の感情が負に傾くことを予防しているのだろう。

「正直、マインドコントロールの魔法は桜やから協力したのはあるんよ」

 よいしょ、と清夜の隣に座る皇帝ベントゥーラには遠い目をするしかなかった。



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