10-実はとても愛されていたらしい
桜はできあがったパフェを見て、自然と表情が緩む。胸がいっぱいになったのだ。
「ベントゥーラは喜んでくれるだろうか」
完成品を桜の両脇から見ているファーレンとハイリッヒに声をかける。パフェにはベントゥーラ希望のすいーとぽてとを使っていた。せっかくなので、あいすくりんもお芋風味だ。自他ともに認める甘い物好きで、その中でもパフェを好むうえ、仲間の作ったものを喜ばないわけがない。
これを見たベントゥーラの柔らかく垂れた深緑の瞳が輝く姿が目に浮かぶ。にこにこして「ありがとーな」と言ってくれる姿だって。
――それはなんて幸せな光景なのだろう
想像だけで胸がいっぱいになるのに、実際に彼がそう言ってくれたらどれだけ嬉しいのだろうか。とても美味しそうにこのパフェを頬張ってくれるのだろう。
「ベンは喜んでくれますよ」
ファーレンがにこにこ笑って言う。
――そういえば、
自分の感情が溢れるようになってから、周りの感情もよく伝わるようになっている気がする。以前はあまり理解ができなかったが、なんとなく喜怒哀楽が感じられた。正か負かの二択よりも多くの気持ちが感じられるのは酷く面白い。
「この出来ならオーレリウスも文句はないだろ」
ハイリッヒの言葉に桜も大きく頷いた。
オーレリウスは、味はもちろんのこと、見た目にもこだわる。食べ物以外の見た目にもよく口を出してくるし、帝国屈指のデザイナーでもあった。もともとは仲間内の洋服を作っていたせいだが、その趣味が高じて公務の合間に服を作っている。
彼が食事を作る時は見目麗しいフルコースであることが多いし、テーブルマナーも彼から教わった。厳しくはないが、間違える度に指摘される。食事は楽しくというのは変わらないが、立場が上がる度に、彼は美しく食べることが必要だ、と言った。
『食卓は戦場だよ』
ニッコリ笑って言ったオーレリウスは、負の感情を持っていたのを知っている。上流貴族の影武者をしていた彼は、あまり面白くない話なのだろう。
ともかくとして、オーレリウスは仲間内6人の中で最も美しさを気にする男だった。
ハイリッヒとファーレンと顔を見合わせて笑う。今日のおやつも楽しい時間になるはずだ。
――そういえば、凜夜はどうだろう
凜夜が何も言わなかったことが違和感だった。いつもであればもっと文句を言うだろう。確かに今日はまだ書類を終えていなかったから、どの道こちらに来ることはできない。おやつの準備は書類を含む業務が終わっている者が行う。それは仲間内での決まり事だ。
もちろん、担当制にしている時もあるが、今日は万が一のために当番を設定していなかった。
この万が一、というのは桜に何かあった時のため、と仲間達が言っていたものだ。実際は、桜ではなく凜夜の方がいろいろ処理しきれていないようだが。
「兄上は桜様が作られた、という事実だけで充分ですよ」
顔を上げて初めて、視線が落ちていたことに気付いた。
声をかけてくれた小百合に視線を合わせれば、彼女は柔らかく微笑んだ。桜に安心してほしいと願っている、穏やかな表情。なにより、嘘を言っていないことが強く伝わってくる。
「また鼻血出すんじゃないか、リン」
くすくす笑うハイリッヒに桜は眉を下げて笑う。
随分と慣れたが、最初に見た時は驚いた。彼は昔から桜の代わりに感情をよく表に出す。桜の前では幸せだ、と示す表情。基本的に笑顔を見ている桜からすれば、実感はないが他の者達が口を揃えてそう言う。
他の者達の前では、威嚇するような表情をしている、とよく聞く。
そんな彼が表情を作ることもできずに鼻血を出したのだ。桜の言動に穏やかに微笑むことはよくあった。だが、桜の方を真っ直ぐ見なかったのは初めてである。
凜夜の行動を不安に思ったのは、それが原因だった。
彼は桜を真っ直ぐ見る男なのだから。だが、彼は桜を直視できないだけなのだと言った。他の仲間達も恋する男はそういうものなのだ、と言っている。
だから桜はそういうものなのだ、と納得している。
「リンが桜嬢を好きなのは知っていましたが、実感しました。リンも男ですね」
楽しそうなファーレンに桜は首を傾ぐしかない。
凜夜は誰もが知る鋼の理性を持つ男だ。理性を揺るがす薬物を投与しても周りの者をみだりに襲ったりせず、理性的に対応できた。普段通り業務を遂行したのは、彼だけだ。その書類の判断も間違っているものもなく、判断能力は通常通りだった。
感情的になることは多々あれど、桜が関わらなければ理不尽な攻撃は少ない。例え、怒ったとしてもちゃんと理由を説明する程度には、彼は理論的に行動している。
ファーレンが何を言っているのか、桜は上手く理解できなかった。それを彼は察したのだろう、眉を下げて笑っている。
「桜嬢の言動に心が揺れ動いているでしょう」
「それはいつものことだ」
思わずすぐ返してしまったが、いつものことなのだ。
桜の言動に凜夜はいつも心揺れている。かつて、彼から告白された内容は、今でも理解できない。ただ、彼の気持ちはなんとなく、以前よりも分かるようになった。
『私は、桜様を好いています。主人と従者ではなく、御一人の女性として。私の唯一の女性として。私は桜様をお慕いしているのです』
お慕いしている、好いている。それはなんとなく分かるような気がした。何かしたい、幸せになって欲しい、一緒に居たい。そういった類の気持ちなのだろう。
事実として彼はずっと桜の傍に居るし、桜の傍に控えられないことを厭うている。従者と何が違うのか、それはきっと心の動かされ方なのだ。
今日の凜夜のように、桜の言動に制御しきれない心の動きがある。
桜はチラリと小百合を見た。彼女は桜の視線に気付くと視線を合わせて微笑んでくれる。これは他の従者達にも共通していることで、彼女達は微笑んでから口を開く。
「どうされました、桜様」
穏やかな声で言われるこれは、桜に敵対していないと示している。
今までは本能的に理解していたのだろう。ずっと穏やかな気持ちにさせる従者達の様子だ。彼女達の〈敵対していない〉と示していたその様子は、〈桜を好いている〉のだと、今日気付いた。
「キミ達は僕のことが好きなんだね」
「もちろんですわ、桜様」
力強く肯定してくれる彼女は、いつも通りだ。いつもならその程度なのに、今日は甘くて温かい物を飲んだ時のような気持ちになる。真剣な表情で真っ直ぐこちらを見る彼女の言葉は、嘘ではない。彼女の言葉を受け取った桜を確認すると、彼女はパッと表情を明るくさせる。
肯定的な意味を示す表情だとは思っていたが、桜の言動を嬉しいと思ってくれていたらしい。
「凜夜はもっと僕のことを好きなんだね」
言動で意図的に桜に感情を伝えようとすることができないくらいに。
「桜様がお傍に居らっしゃるだけで兄上は幸せだと思っていますよ。愛する女性である桜様がお幸せそう微笑まれるので、兄上もとても喜んでいます」
眉を下げて笑っている小百合は何を考えているのか分からない。悲しんでいるのか、安心させようとしているのか。彼女にとって長兄である凜夜は尊敬できる存在だ。どういう感情なのか理解できない。
「喜びのせいで鼻血出して、桜を困惑させたんだ。ユリは複雑な思いなんだよ、きっと」
いつの間にか首を傾げていたらしい。隣からハイリッヒが教えてくれた。確認のために小百合を見れば、少しだけ微笑んで頷く。先ほどの笑みよりも喜びを感じられない。
「兄上の言動は褒められたものではありません。もう少し平常心であってくれたら、と思っています。しかし、桜様はそんな兄上すら受け入れてくださっていて……わたくしは感謝してもしきれないのです」
本当にありがとうございます。
そう言いながら彼女は桜の手を優しく握る。温かく柔らかいその手は、多くのものを守ってきたものだ。桜とは違う、多くのものを守ることのできる手。
小百合の手から彼女の顔へ視線を寄せる。
ずっとこちらを注視していた彼女は、桜の視線を受け取るとニコリと笑う。慈愛の瞳、というのはきっとこのことを言うのだと感じざるをえない。
「僕には凜夜が必要だよ」
「その理由で充分ですわ、桜様。これからも我々兄妹をお傍においてくださいませ」
かつてより彼女達は桜に仕えたいと言ってくれている。それを受け入れたのは桜なのだから、彼女達がもう嫌だと言うまで拒否するつもりはない。
――ただ、
本当に彼女達が桜の元を離れたいと言った時に、手放してあげられるのだろうか。
正直、桜には自信がない。だから、彼女達が離れたいと思わないように、主人として不足がないように努力している。根っからの従者である彼女達は、誰かに仕えている方が明るい表情をしていた。それは桜もちゃんと理解していることだ。
だから彼女達に相応しい主人であれるように。
「桜嬢。私は桜嬢がこの国最高の淑女だと存じていますよ」
穏やかな笑顔でファーレンが言う。
「僕も皇帝の一人だから当然だろう」
国で最も敬愛される淑女とは皇族の女性だ。一般的には皇后や皇女が、国一番の淑女とされる。当然のように仕草や言葉遣い、社交などにおいて優れた女性。
その程度の知識ならば、桜だって持っている。
この国において、それに含まれる女性は桜だけだ。この国――死者の魂が集った国という特性上、皇帝やその他王侯貴族は世襲制ではない。多くはその位を賜った者がそのままその地位にいる。その者が降りたいと言わない限り、桜達皇帝が剥奪しない限り、その地位は永遠だ。
だから、この国の最高の淑女は桜。それは国民達のリコールがない限り、決して変わることのない事実である。
「そうではなく……」
額を抑えるファーレンに首が傾く。どうも言っている意味が理解できない。
「この国で最も素晴らしい技術と知識を持つ従者である凜夜が仕えるに値する主人だよ、っていう意味でファルは言ったんだよ、桜」
ハイリッヒの言葉に彼の方を見れば、にこにこと楽しそうに笑っている。ファーレンへ視線を流せば大きく頷き、小百合を見れば笑顔で頷いた。
「そうか……そうなのか」
なんとなく、彼等の言いたいことが飲み込めた気がする。
――凜夜は僕に仕えていて大丈夫
桜の最も目をかけている従者が周りから認められているのは気分が良い。くわえて、彼に仕えられるに値する主人だ、というのは安心できる。
「そろそろ執務室へ戻りましょう。ベン様が心待ちにされているお時間ですよ」
穏やかに微笑んでいる小百合の言葉に時計を確認する。確かにおやつの時間をやや過ぎていた。慌ててワゴンに乗せれば、彼女が押してくれる。別に気にしなくても良いのだが、彼女は決して譲らない。ハイリッヒとファーレンも眉を下げながら笑っている。
「ワゴンくらい俺達で運ぶのに」
「むしろ、桜嬢の侍女なのに付き合わせてしまっているのはこちらなのに」
そんな風に言っている二人を小百合は鋭い表情で見る。
「お立場をお考え下さい、皇帝陛下」
強い言葉だ。
それにハイリッヒとファーレンは顔を見合わせて肩をすくめた。
「気にしなくていいのに」
「立場以前に、ユリはリンの妹君でしょう」
困った困ったと言いながら彼等は笑っている。小百合は小百合で大きく溜息を吐いて、天を仰いだ。
「それとこれとは別です……まぁ、皆様は好きに過ごしてくださって構いません。ただ、雑用はさせられませんからね」
何か言葉を飲み込んだのは分かる。だが、それ以上は桜には分からなかった。
ハイリッヒ達を見れば、理解しているようなので問題ないだろう。桜の理解が必要な場合は彼等から話もあるはずである。
「じゃ、言葉に甘えて」
行こうか、と扉を開けるハイリッヒに小百合が「あぁ……助けて兄様」と呟いた声が聞こえた。




