7話 死闘を超えた休日に
オークロードとの激闘を終えて3日が経ち、永遠とリーティアはやっと宿から足を出した。
彼らはあの激闘の後、すっかりと疲れてしまって宿から、いや正確に言うのならば寝床から身を乗り出すのすら億劫になってしまっていたのだ。
しかしこれではいけないーー身体的にも経済的にもーーと思い、3日後の朝にギルドに足を向けた。
「どう?まだ体は痛い?」
「正直、結構痛い。慣れない使い方をしたからかな」
思い出すのはオークロードとの死闘でやったサイコキネシス。
身体の外に使うわけではなく、自分の戦闘能力を上げようと自身の筋肉や血管を強化するために使い、やっと彼の魔物と渡り合っていた。
超人的な戦闘能力を得ることは出来たのだが、その反動は烈しく3日間全身を駆け巡る痛みに襲われていた。
「すごかったもんね、あの時のトワ君。かっこよかったよ」
「ありがとう。でもリーティア方が速いし強いだろ?」
「それは魔法を使ってますもん」
そう、永遠が死ぬ思いで得た力でさえもリーティアの能力には及ばなかった。そのからくりは単純な身体強化魔法にあった。
自分の魔素を使って地を蹴る強さや、膂力を格段に上げる魔法である。そしてご存じの通り、この体内の魔素を使うという造りゆえに永遠には絶対に手に届かない魔法であった。
「今日はトワ君のハンター登録をしたいんだよね。取っておいたら何かと便利だから」
さて、ハンター登録について説明しておこう。
大前提としてハンターとは政府公認の魔物を狩る職業である。仕事は多岐にわたり、薬草の採取から魔物の狩猟、護衛や盗賊を殲滅することにまで及ぶ。また、身分証明にもなる。地球のような使い方をするわけではないが、他国に渡るときに一定以上の安全性を考慮されるのは国家としても安心なのだ。
現状、トワは身分を証明する人も家も何もない状態であるため、無料のハンター登録をしておきたい。
「って、無料なのか。徳しかなくないか?」
「う~ん、時々強制で参加しないといけないクエストがあるんだよね」
AランクからFランクまであるハンターは、ランクによって強制参加のクエストがある。といっても、それは魔物の氾濫であったり、強大な敵が出たときだけであり、実際にその権力が使われたことなどなかった。
カランコロン
話をしていたらギルドに着いたようである。
鈴の音が室内に響くが、誰も気にした様子はなく皆が依頼を決めるのに熱中していた。
やはりハンターという過酷な仕事でも楽で収入のいい依頼というのは一定数あるようで、それを朝一番に来て探しているのだろう。
永遠も早い時間に来たと思っていたのだが、入りのいい依頼を確実に得るのだったらあと1時間は早く来なければならなかった。もっとも、彼らの今日の狙いは永遠のハンター登録だけなので、まっすぐ受付に向かうのだが。
「ハンター登録をおねがい。こっちの子ね」
「承りました。ではこちらに記入をお願いします」
渡された資料に指名や年齢、戦闘経験の有無などを記入…………しようとした永遠だったが、こちらの世界の字が書けないことに気づいた。しゃべることは可能なのだが、資料をみたところ字は日本のそれとはまったく違うようで、固まってしまった。
異変に気付いたリーティアが筆を手に取り、永遠の代わりに資料に記入していく。受付嬢はそれに気づいたようだが、この世界での識字率から特段変わったことではないようで無視している。
「はい、ありがとうございます」
数秒もすれば記入も終わり、永遠のハンター登録が完了した。
最初のランクは強制的にFランクとなってしまうが、永遠の今の実力があればすぐにDランク程度までには昇れるだろう。
理由としてはいくつかあるのだが、それはまた別の機会に話すとしよう。
「依頼は…………今日はいいや。オークロードで疲れてるしね。行きたいところもあるし、そっちに行こうか」
「どこに行くんだ?」
「それは行ってからのお楽しみ。トワ君のためになるところではあるからそこは期待しといてよ」
リーティアの含みある言い方にもやもやしながらも、ついて行く以外の選択肢
などない永遠は初めての依頼をやってみたかったという気持ちと、やはりやらなくてよかったという複雑な気持ちに後ろ髪を引かれる思いを抱きながら彼女の背中を追ってギルドを出ていく。
ギルドを出ていくらか歩くと、大きな古い建物の前で彼女は足を止めた。なんだろうかと近くの看板に目を向ければ「クリプン大図書館」という文字が目に留まった。
「クリプン?」
「あ、そっち?クリプンってのはこの町の名前だよ。かわいい名前でしょ?………って、ちがーう。注目してほしいのはこの図書館!ただで読める有名な図書館なんだよ」
「普通じゃないか?いや、異世界だからそうも言えないのか?」
その通り。
永遠のいた日本とは違って紙は貴重なこの世界。本というのは高貴な者たちの嗜みとして、庶民には高級な物として扱われているのだ。その本を破かれるリスクを冒してまでタダで貸すいい意味でバカな図書館など、この世界に2つとないだろう。………ちなみに、いい意味でっていう言葉が嫌いです。なんですか、それを付ければ許されるみたいな、免罪符のような言葉は。
おっと、話が逸れてしまった。リーティアが永遠をここに連れてきたのには、ある理由があるそうだ。
「せっかくだし今日から文字の勉強しようよ。今日みたいに不便する時が来るだろうしね」
思い出す、と言うほど昔のことではないですね。先ほどのギルドの資料を記入するときに自分で文字を書けないというのは、この世界でもかなり不便のようだ。この図書館であればお金をかけずに文字を習得できると踏んだらしい。
「大丈夫、この世界の文字割と簡単だから。私でも覚えられたもん」
「確かにそれなら少し安心だ」
「自虐を真っ向から捉えられると少し凹むよ、私でも」
そのように雑談を交わしながら図書館の木製の扉をゆっくりと開ける。
ギィーと軋む音が静かな図書館の中に響き渡り、思わず開いていた口を閉じて周りを見渡す。
地球の図書館に引けを取らない程のーー田舎の小さな図書館に限るがーー蔵書量を誇るこの町の図書館は、なるほど有名な図書館と言われても納得のできるものであった。
「…………っと、コレでいいかな?」
リーティアが手に取ったのは文字の練習用の本、ではなく子供用の絵本であった。文字の練習用の本がすぐに見つからなかったという事もあるが、楽しんで勉強した方が捗ると考えたのだ。私の想像だが、彼女が生前にーー生きているのに生前という言い方が正しいのかは定かではないが、この場合は仕方ないだろうーー勉強が退屈で苦手だったのが関係しているのだろう。
図書館内の椅子に腰かけ2人で勉強を始める。文字の造りから発音の仕方、文法などをイラストとともに彼女が教えてくれるのだが、隣の永遠はあまり身が入っていないようだ。
理由は単純であり、2人の距離がやけに近いからだ。大きい声を出すわけにはいかず自然と小さな声で話すのだが、その声が聞こえる距離になるために次第と近まっていっていたのだ。
「大丈夫?」
「あ、ああ…………。問題ない」
嘘である。
自然と感じてしまうリーティアの息遣いや鼻腔をくすぐる匂いにドギマギして得しまう永遠はそれを気づかせないように気合を入れなおす。
そんな永遠の様子には全く気付かず彼女はページをめくる手を止めずに、むしろ肩が触れ合うほど近づいて永遠の集中は焼き切れていく。少年が自己と葛藤している間に子供用の絵本などすぐに読み切ってしまった。
「…………ごめん、もう一回お願いできるか?あんまり分からなかった」
「ぜんぜんオッケー!一回で分かるわけないもんね」
――本当はそれだけが原因じゃないのだが。
決して言わない言葉を心の中で呟いて本に目を向ける。
異世界の文字は思っていたよりも簡単だった。その理由がコレが子供用の絵本であることにあるのか、それとも文字それ自体にあるのかは不明だが嬉しい誤算だった。
これならば数か月もすれば使いこなせるかもしれない。
「それにしても図書館なんて地球にいたころは使ったこともなかったよ」
「そうか?静かな所だから頻繁とはいかないが、僕は結構行ってたぞ。勉強したり、本を読んだりで便利だろ。あ、勉強しないか」
「むー、失礼だな~。中学生だったんだから仕方ないでしょ」
たしかに中学生ならば図書館の利用率はしかたないのだろうか。いや、私に地球の現状など分からないが。
むしろここで驚きなのはリーティアが中学生だったという事である。それには永遠も驚いたようですぐに聞き返していた。
「中学生?中学生の時に転生したのか?」
彼女の方に向けた顔が思いの外近くて目を逸らしてしまったが、当の彼女はそれを気にせず軽い調子で返答する。
「うん。中学2年生だったかな。ちょうど部活の中心になってここからだって時にね。別に神様を憎むわけじゃないけど、タイミングーー!!って叫びたくなったよ。今叫んじゃおうかな。タイミングーー!!あっ、すみません…………」
「はぁ、気を付けろよ。でも、思ってたより若いんだな。いや、こっちでの年齢も足したら意外と…………」
「怒るよ」
「ごめんなさい」
永遠が言わないのだったら私が言おう。
思っていたよりも年を取っていたのだな、と。
中学2年生、つまりは14才の頃に転生し、現在の年齢は16才。単純に足したら30才。これを若いと取るかは人によると思うが、17才の永遠にとってはどちらかは分かるだろう。
しかし、彼女のために言及するのであれば精神年齢はさほどではないと言っておこう。そりゃそうだ。赤子の頃に精神年齢が成長するか?否である。全能の身ではない私には分かりかねるが、精神年齢はざっと20そこらだろう。地球で手に入る他の知識に関して言えば、もっと幼いとも考えられる。
「けっこういろんな本があるんだね」
好ましくない話題なのか若干焦りながら本棚を漁っているリーティアの眼に一冊の本が留まった。
本の表紙には『魔術教本』と厳かな雰囲気で刻まれており、ページを開くと数多の魔法陣が目に飛び込んできた。
「見てよ、コレ。簡単な魔法から難しい魔法までたっくさんあるよ!やっぱこういう「ザ・異世界」って感じのやつはわくわくするよね!」
「確かに面白そうな本だな。リーティアはこの本のどれくらいを使えるんだ?」
話題を広げようと尋ねた永遠の質問には意外な返答が返って来た。
「ぜんぜん無理だよ」
「は?」
「いやー、魔法って難しいんだよね。魔法陣を覚えるのも難しいし、魔素を操るのだって簡単じゃないのよ。私が使えるのなんて初球の『火球』くらいだもん」
と、暴露された。
しかし思い返してみれば、オークロードとの戦いでもそれ以前でも彼女が『火球』以外の魔法を使っていた記憶がないし、嘘ではないのだろう。もし、他にも強力な魔法が使えるのならば、命の危機に使わなかった理由が見当たらない。
最初の魔法使いという印象が強かった永遠にとってみれば、意外な返答であった。
リーティアの名誉のために言うのならば、実際魔法を使うのは簡単ではない。魔法の原理をここで説明するには長くなるため割愛するが、多くの技術が必要になってくる。その中でもリーティア含め多くの者が苦戦するのが、魔法陣の設計である。
いくら魔素があろうとも、魔法陣の作成は一種の才能が必要になっており、むしろ何の練習もせずに『火球』を放つことが出来た永遠の方が異常なのだ。
「…………」
さて、その異常な才を持った永遠は微妙な心持である。
自分に思っていた以上の才能があることが分かったところで、周囲に魔素が多くない限りは魔法が使えないのだ。そうなれば簡単に練習も出来ない。自分がどのように戦うべきなのか、また分からなくなってしまった。
そんな永遠の心持など気にした様子もなく、手に取った魔術教本を開いてペラペラと捲っていたリーティアはどうやら面白い記述を見つけたようで、永遠に見せてくる。
そのページには、魔素を使用しないで魔法を行使する方法が書いてあった。
『魔法を使うには体内の魔素を使うことが必要不可欠だが、たとえ魔素量が少なくとも魔法を十全に使うことは可能である。その方法とはただ一つ、体内にある魔素を体外に放出し、その魔素で空気中の魔素で魔法陣を書く、という方法だ。しかし、このやり方を習得するのは並大抵の努力では不可能である。自身の魔素よりも体外の魔素は動かしづらく、また魔素で魔素を動かすのも容易ではないからである。正直に言えば、この方法をやるのだったら魔素量を増やす努力をしたほうが効率的である』
これは正に現状の永遠の魔法の使い方をそのまま示していた。
もちろん、永遠は魔素を有していないので体外の魔素を動かす方法は違うが、それでも役に立つ可能性は十分にあった。
「なになに、コツはイメージすることだって。あとでやってみよっか」
「そうしたいが…………、そもそも僕は魔法自体よく分かってないんだが」
そういえば、永遠には何も魔法について説明をしていなかった。
この世界における魔法には魔素が必要であるという事は前にリーティアに教えてもらったが、詳しくは聞けていなかった。
せっかくだからと、『魔術教本』で魔法について探してみると最初のページに記されていた。
1つ、魔法陣は定型的ではあるが、一流の者ならば魔法陣を作成することが出来る。
2つ、魔法を使用するには体内の魔素が必要だが、魔素量は産まれた時からある程度決まっている。
3つ、魔素を使いすぎると魔素欠乏が起こる。
4つ、魔法はどのような事象でも発現させることが可能である。
適当に読んでいた永遠であったが(もちろんリーティアに読んでもらったのだが)、一番衝撃を受けたのは4つ目である。
どのような事象でも発現できる。このようなことを易々と言うことが出来ないのは当然であり、魔法がどれほどの力を有しているのかがありありと分かる一文であった。
そう、私が言おう。魔法は何でもできる。
火を熾すことも、水を創り出すことも、地を唸らせることも、草木を操ることも、傷を癒すことも、死者を蘇らせることも、生物を生み出すことも、病を流行らせることも、時を戻すことも、遠く離れた地に移動することも、他者の心を読むことも、記憶を有した輪廻転生をすることも、世界間を移動することも、何でもできる。
もちろん、ヒトがそれをするほどの能力を有していればの話だが。
さて、しかし出来ないことに夢を見るのは無意味だ。
夢を見るのは自由だが、この世界は永遠のいた世界程優しくない。とりあえずコツを覚えるだけ覚えて、何でもできる夢の力を少しでも扱えるようにしたい。
その思いが届いたのか、開いていたページのすぐそばにコツがひっそりと書かれていた。
『コツはイメージである。魔素を動かすイメージ、事象を引き起こすイメージ、相手を圧倒するイメージ。目には見えない力を操るのだから、頭の中だけでもイメージするのは重要である』
これについてはリーティアは首を傾げていたが、永遠の方はむしろ頷いて納得を示していた。
思い出してみれば、最初に〈火球〉を扱ったときもリーティアが見せてくれた魔法を頭に浮かべていた。それで具体的な魔法をイメージ出来たから出来たのかもしれない。
しかし、コツもこれ以上は書いておらず『あとは才能』みたいなことばかり書かれていてうんざりしてしまう。
「ま、あとは練習あるのみだな」
「そだね」