30話 無謀で無計画
「『憤怒魔王』が………動き出した!!!」
突如入ってきたハンターの声にギルドは静寂に包まれた。
決して冗談で言っていい内容ではなく、それでも発言の真偽を疑いたくなるそんな内容。それが嘘であってほしい、気のせいだということはないのか、そんな希望を覗かせながら誰かが問うた。
「マジ………なのか?」
誰も質問者の方を見ようともしない。
皆が気にするのはその回答。
誰もが半ば分かっているというのに男の回答に希望を託して見つめる。
「……………マジだよ。ずっと動かなかった『憤怒魔王』がつい先日この国に侵攻を始めたのを確認した。何かに抗っているようで幸い侵攻はゆっくりだが、確実に領土を出て行こうとしている。アイツが攻めるとなると最初に襲われるのは、この街だ」
その発言に多くの者が目を沈める。
『魔王』は皆永遠を生きる超越者であり、ここにいる者全てが力を合わせても傷一つつかないだろう。否、この国が全勢力を挙げても倒せるかどうかが分からない。そんな存在なのだ。
誰もが何も言えない中、避けられない死を悟ったギルドのハンターの誰かが言った。
「ああ、死ぬんだなぁ」
その言葉にその者の感情が全て詰まっていた。
死が決定した絶望もなく、ただ決定事項に確認したような無気力な納得。死が近づくと人は誰でもこのようになってしまうのだろうか。
小説で見た慌てふためく様子も、サスペンス映画のような恐怖で顔を歪めることもないのだろうか。
ーーーいや、いくらなんでも無気力すぎる。
自分の死が絡んでいるとは思えない無感情。それはまるでやっているゲームを途中でやめなければならない程度の絶望。
死を軽すぎるほどに軽視しているのが嫌なほど分かる。
異常を知らせるその言葉は、しかしその場にいたハンターの感情を爆発させる契機になった。
「ここでか〜」「逃げるのも面倒くさいわ」「分かる。どうせいつか死ぬんだからいつだっていいわ」「最後に金使っとこ」「ハッ、使うほど貯まってないだろ」「ガハハハハ確かに」
それらの言葉は絶対に絶望から来ているのではない。
皆が明らかに自分の死に関心を向けていない。
「とりあえず今日は寝みぃし、もう帰るわ」
「俺も。細かいことはお偉いさん方がやってくれるだろ」
そんな言葉を残してぞろぞろとギルドの扉を潜っていく。
残されたのはトワたちと最初の男だけ。
「………………」
トワは何も言えずただ立ち尽くしていた。
眼前で起こった信じがたいことに絶句していた。
彼らが死を重く捉えないことは知っていた。
死が日常に溶け込んだこの世界の副産物というべきか、それが親に、友に、師に、そして自分に降り掛かろうとさほど気にしない。
それを変えたいがためにこの世界から脅威を消し去ろうとしているのだ。
しかしーーー
(これほどなのかーーー?)
あまりにもトワ自身が死にそうになった時と違いすぎる。これがこの世界の常識なのか、それともーーー。
「そこの人大丈夫?」
トワの思考を遮るようにリーティアが蒼白で座り込んでいる男に話しかける。
男は不思議そうに彼女を見上げている。
他の者が皆出て行った今、どうしてここに残っているのが不思議なのだろう。
「とりあえず話聞かせてもらってもいい?」
誰もいなくなったギルドで3人はテーブルについていた。
それぞれの手元には果実水が置かれており、普段はアルコールしか見ないギルドではそれだけで少し異様な光景であった。
むろん、今の状況がかなり異様であるのだから誰も気にならないが。
男は落ち着かせるように果実水をゴクリと飲み込み一息置くと口を開いた。
「俺の名前はジュン・スケアート。Dランクだ」
「よろしくねー、ジュン。私はリーティアでこっちはトワ君」
「さっそくだがジュンが見たことについて話してくれないか?」
トワのその問いかけにジュンは一瞬身体を震わせる。
当時のことを思い出しているのだろう。
震える手を押さえつけてゆっくりと話しだす。
「そうだな、何から話すか。まず俺は依頼で『憤怒魔王』の動向を調査していたんだ。魔王が近くにいる地域では結構有名な依頼なんだが、やることは魔王が何か危険なことをしていないかっつう監視だな。けっこう報酬が美味いから人気なんだが、まさかこんなことになるなんてな」
ジュンが出したのは依頼版から剥がした跡のある『憤怒魔王の動向調査』の依頼紙だ。確かに魔物の討伐などをやるよりも報酬が多く、拘束時間もそこまで長くない。人気になるのも納得の依頼だった。もちろん、魔王に気づかれて死んでしまう可能性もあるが、この世界の住民はそれは勘定に入れない。
しかも『憤怒魔王』はすでに数百年も動きはなく、もはや恐れすらも薄くなっていた。
ジュンとしては「どうしてこのタイミングで」と言いたくなるのも分かるというものだ。
「今回も「特に動きなし」で終わると思ってたのによぉ。だいたい2週間前くらいか?普段あんまり動かないアイツがゆっくりと歩き出したんだよ」
最初は気のせいだと思ったんだけど、街に向かってずっと歩いていやがるんだ。
足取りはゆっくりなはずなのに、アイツが一歩踏みしめるごとに胸の奥からドロドロとした恐怖が沸き起こるんだ。
今でも鮮明に思い出すぜ、アイツが目線をこっちにやった時を。心臓がひゅっと縮んで死を覚悟したぜ。それまで死ぬことなんてなんとも感じてなかったのに、実際に死を感じると怯えて震えが止まらなかった。
情けないもんだぜ。
その時のことを思い出してジュンはまた体を震わせていた。
根源から来る恐怖に抗う術はなく、彼が今後またハンターを続けることは難しいだろう。
一度死を感じてしまった彼は、命を賭して戦うことに対する忌避感を避けて通ることは出来ない。
少なくとも、その死を感じさせた対象がいなくなるまでは。
「情けなくなんかない」
目に生気を感じさせないジュンはその言葉で顔をあげる。
それを発したのは年端も行かない少年。
その身体からは何も力を感じず、魔王はおろかそこらにいる魔物にも負けてしまうのではないかとも思えてしまう。
「死ぬのが怖いのなんて、当然だろ。お前らは死ぬのが偉いだの、死ぬのが怖くないだの言っているけど全部周りに流されているまやかしだよ。挙句の果てには「死にたい」だなんていう奴がいるんだ。そう言っている奴が何が苦しいかは知らないけど、どうして死んだ方が楽だなんて分かるんだよ。死んだ方が苦しくなる可能性だってあるだろ。死ぬために苦しい思いをして、死んでからも苦しい思いをしなければならないかもしれないなんて、バカげてる」
やけに熱のこもった少年に、リーティアもジュンも目を奪われる。
少年が熱を帯びている原因の一つは彼の地球にいたころに由来する。
彼もまた死を望んでいたバカげた人間の1人だったのだ。
親は死に、心を許せる友人は出来ず、本気になれることは何一つない。この世の全てが茶番に見えていた彼は何度も「死にたい」と願った。
願うだけ願って、実行に移そうとは思わなかった。
気持ちが持続しなかったからか、単に怖かったからかは定かではないが、今では当時のことを思い出して声を大にして言いたい。
「バカ!死ぬのは怖いぞ!」と。
「ジュン!『憤怒魔王』は僕たちが倒してやる。この街の、この国の人たちの恐怖を麻痺させるそいつは僕たちが倒す。そしたら死に急ぐこともなくなる。みんなが死ぬのが怖くなったらお前も特別じゃなくなる。一足早くその気持ちを楽しんでおけよ」
「ふざけろ!んなことできるわけねぇだろ!いいか、聞いてなかったんならもう一回教えてやる。『憤怒魔王』は力も魔力もAランクを超える実力者で、よく分からねえ能力だってあるって話だ。そんなバケモノをお前らが倒せるわけねぇだろ!!」
ジュンにはトワが信じられなかった。
超越者である『憤怒魔王』を倒すなどという戯言をいう彼のことを、狂っていると思えたほどである。
「いや、出来る。やらなくちゃいけない。死ぬことを受け入れて何もやらない奴らに、生きることを諦めて僕たちをバカにする奴らに教えてやりたいんだ。死ぬことは美しいことなんかじゃないんだって」
しかし、迷いのない彼の言葉は眩しかった。
自分を肯定してくれることも、自分が今まで信じてきたことを真っ向から否定してくれたことも、どうしてかスッと受け入れられた。
「お前は…………いったい?」
「さっき言っただろ、ホシミ・トワだよ。死ぬのが誰よりも怖い狂人の一種だな」
「勝てるのか…………?」
「今のままじゃ無理だな。だけど、ぜったい勝つぞ。そうだろ?リーティア」
問いかけられた少女は嬉しそうにため息を吐くと、微笑しながら少年の肩を叩く。
「勝手に決めないでよ。ま、勝つってのは間違いないけどね」
これが超越者を超える者が現れた瞬間である。




