1話 超能力者は凡夫に堕ちる
ああ、退屈だ。
苛立たしい朝陽がカーテンの隙間から顔をのぞかせるいつも通りの朝、僕はいつものようにまたそう嘆いた。
時刻は7時15分。あと半刻後には家を出なければならない僕は急いで支度を始める。
寝間着を脱いでスッと手を翳すとハンガーに罹った制服が宙に浮いて僕の下へとやってくる。
同時に部屋の明かりを付けて静かに朝食をとり始める。
いつもの日常。
だけど、これが僕以外の人にとっては非日常なことぐらいは知っている。
さて、自己紹介をしようか。
僕の名前は星見永遠。趣味は読書で年齢は17才。好きなことは特にないし、もちろん好きな人もいない。
そして特技は、超能力が使えること。
マジックなんてものではなく、正真正銘、タネも仕掛けもない超能力だ。
手に触れずに物を動かすサイコキネシスに、発火させるパイロキネシス。遠くのものを見通す千里眼なんてものも使えるかな。
要は、常識の埒外の事象を引き起こす力だ。
ガチャリ。
何も言わずにドアを開けて学校へと歩く。
家族はいない。僕が小さなころに、超能力を自分が使えるとも分からなかったくらい小さなころに、2人とも死んだ。
悲しくはない。顔もほとんど覚えていないのだからな。
ただ少し、虚しさは感じるけどな。
『2番ホームに電車が参ります。黄色い線の内側にお下がりください』
超能力を君たちは羨ましいと思うのだろうか。
一つ言おう、やめておけ。
この力のせいでどんなことをやっても達成感というものを感じることが出来なくなってしまった。
もちろん、力をずっと使っているわけではない。むしろ人がいる前では超能力を使ったことなどないのではないだろうか。
だがしかし、「力を使えば」という考えが脳裏にある限り本気を出して何かをやり切ったという思い出がない。
ドンッ
ガタンゴトンと電車が近づいてくるその時、背中に衝撃を感じて体がグラつく。
寝ぼけたリーマンが僕に当たったようだ。
思いの外強い衝撃で僕の体は前に傾き、このままでは近づいてくる電車とキスを交わしてしまう。
普通の人ならば、動悸は速くなり、これまでの人生を思い出しているのだろう。
だが、僕は違う。
身体の角度が50度を超えていようとも、サイコキネシスで体を支えれば完全に静止することが出来る。
傍から見れば不可解極まりないが、それがバレないようにすぐに足を着いて誤魔化す。
今の僕の挙動がおかしかったと分かる人などいないだろう。
『キーンコーンカーンコーン』
つまらない授業が終わったことを鐘の音が告げる。
誰とも話すことなく荷物をまとめて一番に教室を出ると、まっすぐと銀行に向かう。
振り込まれているお金を引き落としに行くんだ。
両親が死んでから僕は親戚の叔父さんに諸々のお金を援助してもらっている。お金だけはある人で僕の親戚は彼だけだったから最低限の施しはくれているのだが、彼は僕を家に連れ込んで育てるというような面倒を嫌った。
まあ感謝はしているが、正直そこまで愛着はない。
さて、早く家に帰って昼寝でもしようか。
ドォォォォン!!!
お金を引き落としてさあ帰ろうと歩き出したその瞬間、室内に耳を塞ぎたくなるような音が響き渡った。
ゆっくりと音の出所を見ると、覆面を被った何人かの男たちが店の出入り口に陣取っていた。
彼らの手にはモデルガンとは思えない銃が握られており、既に発砲しているのか、銃口からは煙が立ち上っていた。
銀行強盗か?
この国も物騒になったもんだ。
店内の人間は皆恐怖し、劈く悲鳴がそこかしこで聞こえる。
まったくこの程度でうるさいことだ。米花町だったらこのくらいは週一で怒ってるんじゃないか?
「うるせぇ!早く金をここにしまえ!」
男の1人がそう叫び大きなカバンを投げたその時、手が滑ったのだろうか、銃を握る右手の人差し指が引き金を引いてしまった。
バァンッと無慈悲にも発射された銃弾は、彼の言葉に賛同し頷いていた僕の顔へと飛来する。
…………運が悪いとしか言いようがない。
どうして僕のところに来るんだよ。
普通の者ならばそれに気づかないまま死んでいただろう。
気づいても数瞬の走馬灯に思いを馳せていたかもしれない。
だが、僕は違う。
飛んでくる銃弾にサイコキネシスを使い軌道をそらす。
児戯にも等しいこんなことでも、強盗にとってみれば驚愕の極地であったらしくしばらく動きを止めていた。
そんな彼らを捕まえるのに苦労などするはずもなかった。
ガチャリ・・・・・
静かに扉を開けて家に帰る。
事情聴取に時間をとられて外はもうすっかり暗くなっていた。
同じような質問を繰り返され、挙句の果てには学校に連絡までされてしまった。うちの学校であれば、明日の朝に表彰なんてものがあるかもしれない。
ああ、憂鬱だ。
こんな時はアイスでも食べながら本でも読んでゆっくりしようか。
そうと決まれば、さっそくコンビニに行こう。
一度ベッドやイスに座ってしまえば動かなくなってしまうからな。
そう決めた僕は最低限の荷物だけ持って近くのコンビニまで出かけた。
アイスと適当な飲み物を買ってコンビニを出ると、肌寒い風が吹いていた。
新年の緩い雰囲気も終わった1月の中旬だから当たり前なのかもしれないが、今日は一段と寒い気がする。こんなことならアイスじゃなくて肉まんでも買えばよかったな、と後悔していると不思議な感覚に襲われた。
それは危険信号。
産まれてから一度も感じたことのない感覚ではあったが、本能でこの胸騒ぎの正体がそれだと気づいた。
辺りを見渡しながら横断歩道を渡っている最中、大型トラックが信号を無視して猛スピードで突っ込んできた。
普通の者ならば猛スピードのトラックなど、異世界転生まっしぐらだろう。
だが、僕は違う。
力を行使すると僕の体がふわりと宙に浮く。
そのままトラックを追い越して今度こそ安全に帰宅した。
はあ、あの胸騒ぎの正体はこれだったのか。
つまらない。
家に帰りベッドに横になった僕は朝のようにまた嘆いた。
何か危険なことが起きても、超能力がある限り僕に害が及ぶことはなく、もはや危険を感じることさえない。
与えられた絶対的安全、約束された絶望的退屈。
こんな力を使うことなどほとんどないし、いらないと何度も願った。
ああ、また明日も明後日もこれから先も退屈な日常を過ごすのだと考えたら気が滅入る。せめて力が存分に使える世界であったらどれだけいいか。
ガクン
まどろみが襲う。
睡魔に負ける直前に僕が思ったことは、今日あった不思議なことであった。
どうして今日に限って超能力をあんなに使ったのだろうか。
これまで人前で使うことのなかった力を、どうして今日はあんなにも使ったのだろうか。
疑問の答えが出る前に僕は眠りに落ちた。
――――・・・―――――――・・・・・・――――
ああ、退屈だ。
覚醒した瞬間にそう思ってしまう。
もはやこれは癖だな。
そう思いながらゆっくりと目を開いた僕の眼に映ったのは、見たことのない木製の天井だった。
「は?」
動揺と共に漏れ出た声は、しかし虚しくも虚空に掻き消え、今僕がいるところが誰もいないところなのだと確認させられるだけであった。
ベッドから起き上がり室内を見渡しても何もない。僕の部屋にあったはずの時計も本もパソコンも、何もかもが消え去りやはり見知らぬ部屋であった。
「どこなんだ、ここは」
古びた扉をギィと耳に残る音を出しながら開けて外に出ると荒野が広がっていた。
不思議なことに、扉を閉めた途端に先ほどまで僕がいた家は塵になって風に飛ばされてしまった。
それはまるで陳腐な魔法を見せられているようで、超能力者として不可思議なことを見慣れている僕にとっても理解の及ばない光景であった。
とりあえず家に帰ろう。
空を飛ぶことは出来るのだからここがどこなのかは適当に空を飛べばある程度は分かるだろう。
そういう希望を抱き、そしてその幼稚な希望はすぐにへし折られた。
「…………飛べない?」
そう、昨日までは息をするように出来ていた空中浮遊が出来なくなっていたのだ。
別に体調が悪いわけでもなければ、何か問題があるようにも思わないのだが、なぜだか空中浮遊が出来ない。
いや、なんだか体が重い気がするがこれが原因なのだろうか。
自分に起こっている不調に頭をひねっていた最中、すぐそばから生き物の気配を感じてそこに目を向けた。
『グルルルル…………』
視界に入ったのは薄汚れた狂暴そうなオオカミだった。
体長は120cmほどでテレビなどで見るオオカミとさほど変わりはなさそうではあったのだが、眼前の動物の表情が凛々しさとはかけ離れたーそう、まさに獰猛を絵に描いたようなー顔をしていたから実際よりも大きく感じた。
オオカミは僕の様子をひとしきり観察した後、勢いよく飛び掛かってきた。
僕としては今自分がどうして空を飛べないのかを解明したいという欲に駆られていたし、何よりも恐怖を感じていなかったから軽くサイコキネシスで飛ばしてやろうと手を振って力を行使した。
癖のようなものだったのだろう。生まれ落ちてから17年以上も超能力とともに生きてきた業が発揮されてしまったのだろう。
グシャッ
そしてその失態は烈しい痛みで返される。
サイコキネシスで飛ばした筈のオオカミは僕の左腕に深々と牙を食い込ませていた。
肉の繊維が切られる音と骨に直接走る痛みが頭の中を走り、思考は断ち切られる。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い
痛みに侵された脳で何が起こったのかを考える。
どうしてこのオオカミはサイコキネシスを受けていないのだ。いや、違う。サイコキネシスが発動していないのだ。そう、空中浮遊のように。なぜ?いや、それを考えている暇はない。今はどうにかしてコイツを離さないと死ぬ。…………ダメだ、全然離れない。
左腕を勢いよく振ってもオオカミの顎の力は強大で離れるそぶりも見せない。
この動物から逃れることに諦めたと同時に、頭の中に1つの考えがよぎる。
死
その文字を思い起こしてしまった途端に溢れんばかりの感情が胸の奥から湧き上がる。
それは今まで感じてこなかった恐怖。
その感情は今も尚続く痛みで消え失せそうな意識と反比例して増大していく。
恐怖の感情と共に頭の中に数々の記憶が思い出される。
走馬灯だ。
子供の頃に両親が死んだ知らせを聞いたこと。
あの時は何が起こったのか分からなくて悲しいっていう気持ちも沸かなかったっけ。あれから何かが変わってしまった気がする。
それから学校での退屈な授業。
窓の外を眺めながら無為に時間を過ごしていた。
ああ、ダメだ。
死ぬ最期の瞬間なのに、なんという薄い走馬灯なのだろうか。
思い起こされるのは薄っぺらで回想にコンマ1秒もかからないゴミのような走馬灯。
それが最期の記憶になってしまうというのが何だかとても悲しくなってしまった。
イヤだ、死にたくない。
どうして僕だけがこんな仕打ちを受けなければならないのか。
『グルルルルゥゥゥ』
僕の抵抗が弱まったのを知ったのか、オオカミは噛んでいた左腕を離し最後の一撃のために距離をとる。
左腕は僕のものじゃないかのように操作権も痛みすらもなくなってしまっていて、その荷物を抱えて少しでも逃げようと這って逃げるが意味をなさない。
オオカミはそんな僕の頭へと大きな口を開けて飛び込んでくる。
頭を破壊すれば動けなくなることを知っているのだろう。
死ぬ…………。
怖い…………。
こんな刺激なんて、いらない。
「火球!!!!!」
覚悟した痛みと自己の消失はしかし訪れなかった。
どこからか聞こえた声がと同時に飛来した炎の塊が、僕に近づくオオカミを炎上させたからだ。
オオカミは数メートルほど飛ばされた後、何度かビクビクと震えたあと絶命した。
「あちゃー毛皮がもったいない。でも人命一番だよね。大丈夫―?」
茫然とオオカミの死体を見ている僕をよそに軽い調子の声が投げられる。
見ると赤い瞳に銀色の髪を短く纏めた少女が立っていた。年齢は20代、いやもっと若いか?髪の色にしても瞳の色にしても日本人とは思えないが、不思議なことに彼女は紛れもない日本語で話していた。
「あれ?聞こえてる?」
その声が自分に向けられているのだと気づくのが遅れてしまったのは、今まさに死にかけていたという事もあるが目の前の少女が美少女であったからに他ならないだろう。
恥ずかしい話ではあるが、死の淵を彷徨った次の瞬間に少女に見とれてしまったのだ。とは言っても、僕のこれまでの人生で恋をした記憶がないのだからこれが恋だとは簡単に断ずることは出来ないのだが。
「あ、ああ。大丈夫だ。ありがとうな」
「うん、大丈夫そうだね。いや待って!左手スッゴイことになってない?うわぁ、直しきれるかなぁ。とりあえず町まで行こうか」
そう言うと少女は手を差し伸べてきた。
そのか細くも頼もしい手を右手で取って彼女に訊く。
「それで、ここはどこなんだ?僕はさっきまで横浜の家にいたはずなんだが。それに、さっきあなたが放ったあの炎の弾、あれもよくわからない。もしかして、あなたも超能力が使えるのか?」
軽い気持ちで、本当に軽い気持ちで尋ねたのだ。
動揺していたのもあるのかもしれないな。自分と同じ超能力者なのかもしれないと希望を抱いてしまっていたのかもしれない。
だから彼女の驚きで固まった表情を僕はすぐには理解できなかった。
そして、彼女が情報を処理しきれずにやっとのことで出た言葉は1つだけだった。
「に、日本人?」
ご覧くださりありがとうございます。今日は連続投稿をいたしますので、1章だけでも読んでくれると嬉しいです