09. 業
模擬戦の終了とともに、第二野戦場の一番初めに集合した場所にいた。
俺と未祭は地面に倒れ伏し、身体の至る所から出血している。
末繰と磯島は俺達と同じように地面に横たわっているが、両者とも気絶している。
対照的に、俺が戦った先ほどの長髪と丸刈りの二人組はどうやら気絶から覚めたようで、地面に尻もちをつきながら自分の置かれた状況を把握しようとしていた。
つまるところ、今この場にいるメンバーでまともに立っているのは間宮以外になく。
彼は俺と未祭の怪我の具合を心配しつつも、いつの間にか目の前に現れた平岡からの指示を待っていた。
「いやぁ。君達中々良い戦いぶりだったよー。特に未祭君と末繰君の戦いは手に汗にぎる好勝負だったなー。
あ、それと美影君だね。君は実に興味深い。
僕は以前研究の一環で君達のカルテを見たことがあるんだけど、まさか君が末繰君の捕縛術に対抗できるとは思わなかったなー
。一体君、この一年間の間に一体何をしたんだい?
……いや、待て。言わなくていい。僕が当てて見せよう。
本来“業”の形成すら阻害する末繰君の強力な枷。それに抗うときの君の“業”の輝き。あれは僕が思うに――」
「先生。御託は良いので早くこいつらの手当てをしてやってくれませんか?」
演習の終わった生徒達を見ず、それの考察を長々と語る平岡に対して、しびれを切らしたように間宮が口上を遮った。
先ほどまでは軽い気持ちで俺達を見ていた間宮だが、演習が終わって改めて俺と未祭を見た結果、怪我のひどさを悟ったのだろう。
間宮は日ごろとはうって変って口調こそ丁寧だが、その眉間には通常よりも深くしわが刻まれている。
平岡はそんな間宮を見て、しぶしぶといった様子で「わかったよう」と呟いた。
「いや、ね。僕が長々と喋ろうとしたのはね。確かに痛いだろうけど、美影君と未祭君の怪我が見た目ほどひどくないのを分かっているからなんだよ」
平岡は「ほら、見ててね?」と続けると、俺のそばにより、骨のとび出た右腕に両手を添えた。
「回復術式、発っと」
平岡はひょうひょうとしてそう呟くと、俺の右腕を指さして「ほら、動かしてごらん?」と言った。
俺は言われた通りに、右腕を動かしてみる。
「あっ! 動くっ!」
俺の右腕は動き、握ることすらできなかった指も負傷する前の身体のように、自由に開閉することができた。とび出ていた骨も体内に収まり、出血の勢いもほとんどなくなっていた。
「ね? 言ったでしょう? 怪我はひどくないって。 僕みたいに、回復系術式を専門分野にしてる輩から見れば、この程度の傷を治すなんて朝飯前なのさ」
平岡は口を動かしつつ、俺の左脚、右脚、左腕を同じように治していく。
「彼女……。末繰さんに感謝だね」
俺のものと同じように、未祭の怪我の処置をしながら平岡が続ける。
「彼女の術式は実に綺麗だった。本来彼女が使っていた言霊術は相手の陰の気などに邪魔されて、その効果が上手く発揮されることは少ないんだ。しかし、今回は『関節と逆向きに曲げる』という効力が実に鮮やかに発生している。その結果君達の腕や脚は、まるで剣の達人がつけた刀傷のように、実に綺麗に折れ曲がっているんだよ。
陰の気をほとんど使えないであろうと思われていた美影君相手にこの結果ならともかく、同じく言霊術を使う、陰の気に秀でた未祭君を相手にここまでの効果を及ぼすのは並大抵の努力では上手くいかなかっただろうねえ」
平岡は、未祭の腕の調子を確かめながら、眠るように気絶する末繰に視線を落とす。
未祭は平岡に腕を曲げたり伸ばしたりされながら、同じように末繰を眺めて「努力、か」と呟いた。
俺は未祭の何とも言えない視線が表す感情に興味をひかれ、口を開いた。
「なあ、未祭。末繰、泣いてなかったか?」
俺は戦いの最中の末繰の涙を思い出す。戦いの最中に、狂ったように口調や表情が変わっていった末繰の姿を思い出す。
静かな呼吸をする末繰の横顔には、見間違いなどではないと証明するかのように、涙の跡が幾筋も垂れていた。
「ええ、そうね。泣いてたわね、あいつ。
いいえ。違うわ。私が泣かせたのよね。きっと」
治療を終えた未祭が立ち上がりながら言う。
いつもの気楽な未祭の口調とは全くと言っていいほど異なり、声音からはうすら寒さすら感じられる。
骨折が治ったとは言ってもやはり、血は足りていないのだろう。未祭の足元はおぼつかなく揺れている。
未祭ははっきりと定まらない歩みながらも、ゆっくりと末繰に近づくと、隣に腰を下ろし、彼女の頬に残る涙の跡をたどり、やがてブラウンの瞳に溜まったままのそれを指でぬぐった。
「この子。末繰久々利とは一年生の一学期のときに同じクラスだったの。それで、友達だった」
未祭は末繰の額にかかる髪を払いながら続ける。
「でもね。この学校って学期ごとに成績に応じてクラスが変わるでしょ? 一年生の二学期から、彼女はA組。私はF組になった。あんた達と同じ、ね」
未祭が振り返って俺、続いて間宮を見る。
「でも、それはそうでしょう。末繰。いえ、久々利の家は言霊術の名門。さすがに“坂の下の八名家”には及ばないけどね。対して私の家は普通の一般家庭。
幼いころから陰陽術に触れてきた時間も、家からの圧力も当然違うわね。
だけれど、私は当時そんなことも知らず、久々利に嫉妬し、ただその才能に憧れていたわ。当時の私は言霊術すらまともに使えなかったからなおさらね。
それでね。私はそんな久々利に追いつくために必死で努力したの。
久々利に言霊術を教えてもらって、その練習メニューの何倍もこなしたわ。才能がないなら人並み以上に努力すればいいんだってね。
その努力が実ったのか、私に才能があったのかは分からないけれど。
半年ほど前の個人模擬戦をしたとき、私は久々利と戦った。そして勝ってしまったのよ。圧倒的に、ね。
その結果久々利はA組から降格。B組に落とされたわ。それに、私みたいな素人の言霊術で負けたものだから、この子の家の中でも、この子自身の心の中でも色々あったのでしょうね。
以来、私は目の敵にされるようになったの。さっきみたいにね」
未祭が自嘲気味に笑う。
俺は半年前の未祭との模擬戦を思い出した。未祭の浮かべた笑みを。搬送された病院の天井を。
あのときの未祭からは余裕が少しも感じられなかった。
明らかに勝負がついているはずだった俺との戦いで、最後に爆発を起こしたように。――何かを成し遂げなければならない。
そんな様子を感じた。
「どうして、だろう……ね」
未祭が自分の膝の上に末繰の頭を抱きかかえるように乗せる。彼女の頬を再度撫でながら未祭は呟いた。
「どうして、だろうね。私はただ。久々利ちゃんに追いついて、仲良くしたかっただけなのに。
あのころ、みたいに……」
末繰の横顔に滴が落ちる。
一雨きそうだ。
季節は、六月。空を見上げると、いつの間にか暗雲が広がっていた。
しかし、未祭の膝の上で眠る末繰穏やかそうな表情は、どれほど長く雨が降ろうが、止まないことはないということを予感させてくれるに足るものに映った。
「いやー。仲良きことは美しきかな。青春だねー。青春。青い春だよ。君」
数百メートル先で依然として、末繰を膝枕している未祭を眺めながら平岡が言う。
「青い春が何かは存じませんが。いいんですか? 末繰の治療をしなくても?」
本来、第二野戦場には存在しないはずの巨大な樹木をさすりながら俺は平岡に問う。
「あー。いいのいいの。末繰君の怪我は聴覚神経にまで達してるから、治すにしてももっと治療設備が整った保険棟まで連れていってから治すつもりだし。
それに、ね。今の彼女達には話し合う時間が必要なはずだよ。いくら僕が研究一筋の陰陽術オタクだといっても、今は教師の仕事の一部を任されてるのさ。そのぐらいの空気は読むよ」
「はあ。なるほど。確かにそうかもしれませんね」
平岡が陰陽術オタクであることを自覚していることにも驚いたが、未祭と末繰のことを考えてくれていることに、より驚愕した。
この人なら効率を第一に、他人の感情などおかまいなしに行動しそうなものなのに。
「まあ、それはともかく。どうしたんですか? 俺をこんな林の中にまで連れ出して?」
俺と平岡が現在歩いているここは、第二野戦場の俺と、長髪と丸刈りの生徒が先ほど戦っていた場所である。
彼らの術の影響で、土と赤レンガしかなかったこの辺りも、今では木々が生い茂り、見通しが悪くなっている。
「いやね。そんなにかしこまらなくても深い意味はないよ。なにも取って食おうなんか考えちゃいない。ただこの木々を切り倒すなりなんなりして、元の見通しの良い平原に戻さなければならないから、君の人並み外れた身体能力で木を蹴り倒してもらおうと思っただけだよ。さっきの治療のお礼だと思って手伝ってくれないかな?」
平岡が白い歯を見せて、爽やかに笑った。先ほどの真面目な発言といい、いちいち発言内容や行動に差がありすぎるから調子が狂う。
「構いませんよ。蹴りの練習になりますしね」俺は平淡に答えた。
「君、練習と言ったね。さっきの演習のときも気になったけどなにか武道でも習っているのかい?
木の檻を破壊した蹴りといい、人二人の鳩尾を一瞬で攻撃する技術といい、ただ身体能力強化術式が得意なだけにはとてもじゃないが思えない」
「ええ。子供のころから。波坂家から派生したとある総合格闘技を身に着けている方に師事しています」
「なるほど。波坂家つながり、か。だから間宮君の術を知っていたんだね」
波坂家の術とは、特殊な暗殺術の一つである。
波坂家の本家において代々一子相伝の形で親から子へと受け継がれていく、陰陽術と格闘術を組み合わせた特殊な術だ。
俺が見につけているものは、本家に比べて陰陽術の才能に劣る、波坂家の分家筋にあたる人々が本家との差を少しでも埋めるため古来より研究、開発してきた肉体技術を主とする武道である。
「そうだ。気になる、といえば」
平岡の質問が終わり、訪れた短い沈黙に耐えかねて俺が話を切り出す。
「未祭が大きな声を出して相手の位置を探索しましたよね? あれってどうやったんでしょう?
まさかイルカやコウモリみたいに音が跳ね返ってくるのを聞き取ってエコー代わりにしたってことはないですよね。」
いくら未祭が言霊術に優れているとはいっても、身体の造りは普通の人間と変わりなく、そんなに高性能の耳を持っているわけでもないだろう。
「あっはっはー。まさかー。そんなの特別な機械か何かを使わなきゃ無理だよ。」
平岡が間延びしたような声で笑う。
「あれはね。彼女の声に乗せて、彼女自身の“業”を周囲に拡散したのさ。彼女が『振動』って発声したのは音の振動数を上げて“業”が声に乗りやすくするためだろうね。結果彼女の“業”が他人の“業”にぶつかることで相手を特定することができたんだろう」
ははあ。なるほどなぁ。言霊術一つとっても色々な応用の仕方があるんだなあ。
俺は思わず感嘆する。だが、俺はここで、今朝読んだ一つの文章を思い出した。
「でも、平岡さん。もし相手が陰陽術を使わずに、相手自身の“業”を止めていたら、未祭の技は通用しませんでしたね。声に乗せた未祭の“業”が木や土を通り抜けていくのと同様でB組のやつらが“業を止めてしまっていれば通り抜けていってしまいますから」
……世間話を続けようと、俺は何の気なしに言った。しかし、平岡からの返答はない。
俺は振り返って、彼を見た。
平岡は目を丸く見開き、驚いたような顔で俺を見ている。
「君。勘違いしているよ」
平岡は、諭すような口調で「まあ、二年生になったばかりなら習ってなくても仕方ないか」と続ける。
「僕たちの身体を巡る“業”を意図的に止めるなんて不可能だよ。“業”っていうのは体中を巡る血液と同じで、人間の体の中を絶え間なく循環している。つまり“業”の流れを止めるってことは、血液の流れを止めるようなもので、死ぬ以外の方法は難しいだろうね」