07. 訓練
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俺こと、美影春馬は落ちこぼれである。
しかしながら努力が嫌いで全ての成績が悪いというわけではない。
むしろ、努力家な方であると思う。事実、陰陽理論や基本教養のような学術分野ではそれなりに優秀な成績を修めている。
俺が落ちこぼれと呼ばれる所以は、実際の陰陽術をほとんど使えないことにある。
学校公認の専門医によると、俺は他の生徒に比べて生まれながらの“業”が少ないそうだ。
全ての陰陽術の源となる“業”、が。
「ちょっとっ! 聞いてんの? あんた!」
鳩尾に食い込む強烈なパンチで気が付いた。
「せっかく、平岡さんがこの第二野戦場の説明をしてくれてるんだからちゃんと聞きなさいよ!」
辺りを見回すと一人の男性の前に八人ほどの生徒達が整列している。
みな、一様に運動着の上から、肩やひざ、腹などの重要部位にプロテクターを着けている。
だがその仰々しいプロテクターとは裏腹にほとんどの者はこちらに向けて苦笑いを浮かべていた。
「……どうやら熱中症じゃないようだね」
未祭に平塚さんと呼ばれていた男性が口を開く。
「じゃあ、話を続けるよ。
……君達がこれから戦闘を行うここ、第二野戦場は主に陰陽五要素の内の木と土の属性に優れている。
周りを見渡してご覧?
だだっ広い荒野に、ぱらぱらと散らばった木々、それに身を隠すために作られた赤レンガの風化しかかっている壁ぐらいしかないだろう?
あ、もちろんみんな陰陽理論の基本要素ぐらいは理解しているよね?」
平岡、先輩か? が生徒達の顔を伺う。
そうだ。俺達はこれから実践演習をするのだった。そのために第二野戦場まできたのだ。
俺は平岡さんの話を聞いているうちに何故自分が落ちこぼれなのかということを考えてぼうっとしていたようだった。
ネガティブな方向にシフトしそうだった思考を頭を振って修正する。
その仕草が平岡先輩にとっては質問に対する否定の所作に見えたのだろうか。
「やれやれ」と言わんばかりに眼鏡をくいと上げて口を開く。
鬼塚教官のゼミ生だけあってやはり眼鏡は白のフレームだった。
「簡単に説明するよ。
陰陽理論。これは陰陽術の仕組みを解明し、発展させる学問だ。
これは良いね?
次に陰陽術。
これは陰陽理論において主要五元素と呼ばれる木・火・土・金・水という五要素。
それに加えてぼく達の身体の中を巡る、陰と陽と呼ばれる二つの気を組み合わせることで発動する術のことを言うよ。
ちなみにこの二つの気と五要素の総称は“業”と呼ばれているんだ。
で、ね。この“業”が人間のどの部分から発生しているのかということが最近の面白い研究でねー。心臓か、脳か、血液か、はたまた心かっていうのが大きな対立学説になってるんだよ。
今のとこの通説は血液らしいんだけどねー。僕的にはそれって心臓説とかぶってんじゃないのかなー? そこんとこどうなの? って思えちゃって、ロマンチックが止まらない心説を押してるんだけどねー? 君達はどう思うかなー?
……っと、どうやら話しすぎたようだね」
前半は心底うんざりしたような顔で喋っていた平岡だが、後半の“業”の内容の辺りから饒舌になりだした。
表情もころころと変わり心底楽しそうだ。
鬼塚のゼミ生だからといって先生同様に鬼のように威圧してくるというわけではなさそうだ。
身体を下から上まで見回してみても筋骨隆々という印象は受けない。
どちらかというと細見の好青年という印象を受けた。
生徒達のうんざりした顔に気づいたのだろう、平岡が話しを辞める。ひどく残念そうだ。
「あれ? みんな興味ない? そうか。残念。面白いのに」
おい。こっちちらちら見てくるの止めろ。
「まあいいや、これで陰陽術の基礎は復習できたよね?
でも勉強は小まめにやっときゃなきゃ駄目だよ?
じゃないと進級テストとかで苦労するからね」
おい、こっちをじっと見るの止めろ。
首振ったの誤解だから。俺、陰陽理論は得意だから。
陰陽術は式神術とか暦術とかの総称って意味もあるんだよね? 俺知ってるから。
「君達の班はラッキーだねぇ。
こんなに丁寧に説明してもらえる上に、たった一戦ですむんだから。
班によっては最大三戦とかする班もあるらしいよ。
じゃあ、そういうことでちゃちゃっと試合始めちゃおっか!」
急にえらく適当になったな。
それほど話しを中断せざるを得なかったのが気に食わなかったのだろうか。
担当者からしてこんな雰囲気では生徒である俺達のやる気がなくなっていくのも当然だろう。
怠惰なその空気はどんどんと他の生徒にも伝播していく。
もうそろそろこの空気が場にいる全ての生徒に伝わろうかというころ、平岡が再び口を開いた。
「あ、そうそう。鬼塚先生が言い忘れてたけど、この対戦の結果は二学期のクラス替えに大きく関わってくるから気合い入れて頑張ってね」
なんの気なしに言ったその言葉に生徒達の眼が見開かれた。
二学期のクラス替え。
通常の高校ならば学年が変わるごとにクラス替えが行われる。
しかし、この学園では実力に基づいて頻繁にクラス替えが行われるのである。
もちろんそれは今後の学校生活に大きく関わることとなる。
Aに近ければ近いほど全ての物事に置いて優先される対象となるのである。
“競争こそ進化である”
この学校の主義の一つだ。
「みんなプロテクターは付けてるね?」
平岡が足で地面になにやら円のようなものを描きながらこちらの様子を伺う。
「よしよし。それじゃあ、みんなこの円の中に入ってくれたまえ。
……入ったね? では、それぞれの陣地まで移動させるよ。いいね? ……は」
「ちょっと待ったーっ!」
……つ、と平岡が何かしらの術を発動しようとした時だった。
円の中に入っていた俺達三人と相手チーム四人。その内の一人が唐突に声を発した。
「ちょっと待ってください。平岡先輩!
それぞれの開始位置に移動する前にせめて相手チームに挨拶くらいさせてくれませんかねぇ」
声を上げた小柄な少女がにやり、と不敵な笑みを浮かべてこちらを向いた。
平岡は「はあ、まあいいんじゃない?」とでも言いたげに心底めんどくさそうに成り行きを見守っている。
「久しぶりねぇ! 未祭既祭っ! ここで会ったが百年目ってやつよ!
この清楚で可憐な末繰久々利ちゃんがかるーくのしてやるんだからっ!」
小柄な少女、末繰が言った。
小柄な少女と言えば未祭を連想してしまうが、未祭の暗めの茶色の髪とは対照的に、彼女は太陽に反射する綺麗な金髪をしていた。
……校則違反じゃないのか?
「あら、久々利じゃない。いたのね? 小っちゃすぎて見えなかったわぁ」
宣戦布告を受けた当の本人である未祭は手を顔の横に当て、高笑いを返した。
小っちゃすぎる? どちらの身長も同じぐらいに見えるが? 俺は間宮と顔を見合わせて首をひねった。
「なによっ! あたしと一㎝しか変わらないのに大きな顔しないでくれる?
胸のサイズならあたしの方が勝ってるんだから!」
「失礼ね! あたしの方があんたより三㎝は高いわよっ! 胸だってほとんど変わんないでしょうがっ!」
子供の喧嘩を見ているようで、俺と間宮、そして相手の班と顔を見合わせて苦笑し合う。
保護者になった気分だ。
「俺はF組の波坂間宮だ。今日はよろしくな」
間宮が「ちょうどいいや」と言わんばかりに自己紹介を始めた。
「ご丁寧にどうも。B組の磯島成田だ。
波坂って言うと、“坂の下の八名家”だろう?
こちらこそ今日は胸を借りるつもりで頑張らせてもらうよ」
“坂の下の八名家”
波坂や式坂などその苗字に坂の文字を冠する名家の総称である。
その由来は平安にまで遡り、江戸付近においてはそれぞれの坂の関所番や補修などを任されていた、国のお抱え陰陽師だったそうだ。
「俺は同じくF組の美影春馬だ」
磯島の後に続けて俺も自己紹介を行う。
すると俺の自己紹介を聞くや否や磯島はにたぁっと、嫌らしい笑みを浮かべた。
「なんだよ」
俺の代わりに間宮が言う。相手を威圧するようにその眉間は狭められ、しわが浮かんでいた。
「いや、なんでもないよ。ただ彼が噂の生徒か、と思っただけさ」
なんだと……?
俺は磯島の悪びれない態度に柄にもなく少し腹が立った。
いつもなら「俺の成績が悪いのは事実だから仕方ない」と流していても、こうも面と向かってその事実を匂わされては怒らない道理はない。
「んだと?」
友人である俺を侮辱されて怒ったのだろうか。
それとも俺を馬鹿にしていいのは間宮だけだというジャイアニズムが働いたのかは知らないが、間宮が見るからに機嫌を悪くした。
俺達と相手との間に一触即発の空気が流れる。
その空気を敏感に感じ取ったのか、未祭と末繰はいつのまにか言い争いを止め、所在なくおろおろとしている。
小動物のようで可愛らしい。
「そろそろ、いいかなー」
そんな空気の中、今まで黙っていた平岡が口を開いた。
「今、鬼塚先生から連絡が来て、ハンデの件はぼくに一存されたんだけど君達いるかい?」
平岡が俺達F組班に向かって問いかける。
「「いりませんっ!」」
俺と間宮は声をそろえてそう返した。
「――じゃあ送るねー。開始は五分後ねー」
気の抜けた声とともになんらかの術で開始位置に飛ばされて、そろそろ時間になろうかとしていた。
「じゃあ、最後にもう一度作戦を確認するぞ」
間宮が俺と未祭の顔を伺う。
「俺がリーダー。つまり攻撃には基本的に参加しない。
で、未祭が遊撃手。攻撃にも防御にも参加だ。そして春馬、お前が肝心の攻撃役だ。
ここまではみんな良いよな?」
俺と未祭は頷く。
「よし、で相手の戦力の話に移る。
相手チームで注意するのは磯島、それと末繰だ。そうだよな、未祭?」
「ええ、そうよ。後の二人は取るに足りないと思うわ。
磯島が得意とする術は良く知らないけど、B組の友達がB組のリーダー格だって言ってるのを聞いたことがあるわ」
俺は先ほどの磯島の態度を思い出す。
確かに口では間宮の胸を借りるなどと言ってはいたが、その相手を見下したような目つきからは否応ない自身のほどが伺えた。
「そして、最も注意すべきが末繰ね」
未祭が続ける。
「あいつは私に事あるごとに喧嘩を売ってくるだけあってそれなりの実力を持っているわ。
こと呪術系の陰陽術に関しては二年生でもトップクラスの実力でしょうね」
呪術系、か。
俺は先月のことを思い出す。
俺は未祭が行う基本陰陽術のいくつかをかわすことができても、精神にことさらに作用する呪術系の陰陽術に関しては全く歯が立たなかった。
「春馬、あんた大丈夫? 呪術に対抗するには防御系の陰陽術が必要になる。
でも、あんたは……」
そう、未祭が言うように俺は陰陽術を使うことができない。
――ただ一つを除いては。
「身体能力強化術を使ってやれるとこまでやってみるさ」
つまるところ俺には一つしか方法がない。
相手の攻撃を避けて、相手に攻撃する。その一パターンだけだ。
「援護は任せるぜ、未祭」
俺はすでに諦めにも似た、自爆的感情を持っていた。
俺が相手からの攻撃を受けている間に未祭や間宮が勝負を決めてくれるだろう。
自分の他人任せの思考になんとも嫌気が指す。
しかし、仕方ないのだ。
俺には実力が、陰陽術の才能がないのだ。
持たざる者が持つ者を頼って何が悪い。
「おい、はる……」
「そろそろいいかなー。もう五分経ったよー?
5、4、3、2、1……それじゃあスタート!」
間宮が何か言おうと口を開いたとき、グランド中、いや脳内中に間の抜けた声が響き渡った。
それは間宮も一緒だったようで、苦虫をかみつぶしたような表情をして、未祭の後方へと位置どった。
「それじゃあ、任せたわよっ!」
俺は未祭の声を背に受け、走り出す。
「さて、どうしたもんか」
一キロメートルほど走った後、俺は立ち止まって前方を見やった。
見えるのは赤レンガ造りのぼろぼろの壁。それ以外には全く人影が見当たらない。
後ろを見ると、未祭と間宮が辺りを警戒しているのが見える。
敵はどうやらまだ来ていないようだった。
「あまり離れすぎるのも考えものか」
俺がそう考えていると。
演習の前に支給された腕時計型端末が何やら甲高い音を立てている。
「春馬か?」
端末のスイッチを入れると間宮の声が聞こえた。
「ああ」と俺は答える。
「どうやらこれは通信装置らしい。
平岡の野郎、説明忘れてやがったな」
通信装置。
俺はへえと思い、腕に取り付けたそれに再度目をやった。
「春馬、お前がいる位置から敵は見えるか?」
「いや、見えない」
「そうか。じゃあ、飛び上がってみてくれ」
「了解した」
俺と間宮がいつものように軽いノリで会話をかわす。
俺は指示された通りにその場で数十メートルほど飛び上がった。
見渡す限り土、枯れ木、地面。
先ほど違って見えるものと言えばグラウンドを囲うフェンスぐらいのものだろう。
「だめだ。フェンスは見えたが敵の姿は全く見当たらん」
「フェンス? どれぐらい先だ?」
「ええとだな。二?いや、三メートル先ってところだな」
強化した視力で視認できるほどの所にあるフェンス。距離をはっきりとはつかめないが間宮に告げる。
しかし、おぼろげな回答であっても間宮は満足したようだ。
「ふむ」と一つ呟くと更に話し出した。
「フェンスが見えるってことはこの演習場の範囲ってことだろう。それなのに敵が見えない。
ってことは奴ら下からくだろうぜっ。 単純だなあ、おい」
間宮がけたけたと笑う。
下? どういう事だ? と問おうとしたとき、地面が揺れていることに気が付いた。
「……なるほど」
俺は笑うと、その場から数十メートルほど下がった位置に飛びのいた。
「ナイス判断」
間宮が言うと、俺がいた位置から温泉が噴き出すような勢いで水が噴き出した。
続いて水を伝って大きくしなる木の枝が俺目がけて飛び出してくる。
「基本に忠実だな」
陰陽五要素の概念である“水は木を活かす”それを利用した攻撃だろう。
しかし、脚力と反射神経を強化している俺にとってはその程度の攻撃は陽動にもならない。
俺は木の枝が届かない位置まで後退する。
が、激しい追撃。
俺が飛び退った位置には次々と水の柱が現れ、木の枝が轟々と生えてくる。
「春馬、大丈夫っ!?」
通信機からは未祭の声。
「ああ、どうってことはない」
俺は木の鞭を軽々と避けながら答える。
実際、どうってことはない。
未祭の術に比べればこの程度の攻撃を避けるなど造作もないことだった。
「だが、このまま攻撃を避け続けててもらちが明かない。
敵の位置、探れるか?」
「ああ、うん。いける、と思うよ。もうちっとだけ待ってて。
……あ、それと耳。ふさいどいた方が良いよ?」
未祭はそれだけを言うと、一旦喋るのを止めた。
数瞬流れる沈黙。
通信機の奥からは風のような音が聞こえるだけだった。
「あ、そうかっ! やばいっっ!」
未祭の謎の指示に首を傾げていた俺だが、その音で気が付いた。
未祭はあれを使う気だ。俺はすんでのところで耳をふさぐ。
『振動っっっっっっっっ!!!!!!!!』
未祭が発した雄叫びに一瞬足元がおぼつかなくなるがなんとか態勢を立て直す。
一キロ離れていてもこの大きさだ俺よりも未祭の近くにいる間宮はたまったものではないだろう。
「見つけたよ。春馬の足元に二人。それ遠くていまいち掴めないけど春馬がさっき言ってたフェンスの近くにもう二人いるね」
「相変わらずおっかないな。お前の言霊術は」
未祭の報告とともに、間宮のやれやれといったような声が聞こえる。
……言霊術。万物に与えられた名前を叫ぶことでそれを生み出すことができる術。
これだけを聞くとノーリスクで便利な術に思えるかもしれないが、言霊術の発動に名前の所有物をイメージする強い想像力が必要であり、また、それを生み出すにはその物質に応じた相応の“業”が代償として必要であるため、誰にでもできる技ではない。
しかし、未祭にはそれが簡単にイメージできてしまう。
やはり才能なのだろう。
「まったく。嫉妬しちゃうぜっ!」
俺は足元を思い切り殴りぬいた。
地面が抉れ、その中身があらわになる。
「相変わらずの馬鹿力だな」
またしても間宮がやれやれと呟いた。
失礼な、と俺は思う。
俺のこれは馬鹿力などではない。
れっきとした技術に身体強化術式を併用しただけである。
――身体を限界まで脱力し、目標物に当たる瞬間に力を込める。たったそれだけの技術だ。
「見つけたっ!」
地中に隠れている二人の姿を視認する。
丸刈りと、長髪の男。
「ちっ!」
地上に飛び出してきた丸刈りの方は舌うちを一つすると俺目がけて水の柱をさっきと同様に飛ばしてきた。
「馬鹿の一つ覚えかよっ」
軽々と水柱とそこから射出される木々の鞭を飛び跳ねて避け、丸刈りの男に攻撃しようと思った時だった。
「これで終わりだぁっ!」
いつの間にか地上に這い出ていた長髪の男が叫んだ。
「なっっ!」
先ほどからの攻撃によって俺の足元に散乱していた木々が一斉に蠢きだした。
それらはうねりながらお互いを絡め合い、俺を中心としてその密度を増していく。
「俺達が考えなしにあんな単調な攻撃するわけないだろうっ!」
俺を囲い終わった木々に向けて、追加だっとばかりに丸刈りの男が水を射出する。
木々はみるみるうちにその太さを増し、俺を真ん中とした堅牢な檻を形作った。
「なるほど、これはすごいな」
俺はその檻を展開する速さ、堅牢さを見て思わず感心する。
通信機からは俺を心配する未祭と間宮の声が聞こえた。
「陰陽術を使えないお前じゃあ永遠にそこからは出られないぜ。
まあ、心配すんなよ。落ちこぼれ。演習が終わったら出してやるからよ」
長髪の男がけたけたと笑いながら言った。その眼は自尊心で満ちている。
俺はその眼を見て一ヶ月よりも前の自分を思い出した。
未祭にやられる前、自信で満ちていたあの頃を。
「や、その必要はないさ」
俺は縦横に駆け巡る、木の一本を軽く叩く。
よし、こいつに決めた。
――膝をかかげ、軸足を回す。
俺はなにも半年前未祭にやられた後、ただ不貞腐れていただけじゃない。
陰陽術を使えなくても、俺のたった一つのとりえを磨いてきたんだ。
俺の脚は木をへし折った。
「ひ、ひぃ」
さすがに俺が身一つで木の牢を折ることは予想していなかったのだろう、長髪の男と丸刈りの男が後ずさった。
「しっ!」
「「がっっ!」」
その隙を逃さずに一気に距離を詰め、それぞれの鳩尾に正拳付きと肘打ちをおみまいする。
すると、二人は不細工な悲鳴を上げたかと思うとピクリとも動かなくなった。
地面にキスをする二人を見つめつつ、俺は思う。こんな漫画のような倒れ方ほんとにあるんだな、と。
「やるじゃんっ! 春馬っ! その調子で残り二人やっちゃえーっ!」
通信機から未祭の声が聞こえる。
さっきも気になったが俺の戦闘が見えているのか?
長髪の男の木を繰り出す術の影響でだだっ広い平野だったグラウンドは今では林のようになっている。
未祭と間宮がいる位置からは到底見えないはずなのだが、と俺は疑問に思う。
「春馬、お前見直したぜぇ。これじゃあ俺達の出番はなさそうだな。
昼寝でもしてるわぁ」
間宮の間の抜けた声で思考を遮られる。
「あんた遅刻するほど寝てたんでしょうがっ!」
案の定通信機の向こうで未祭に殴られているようだった。
「あ、そうだ。春馬」
未祭が思い出したように言う。
「敵が近づいてるよ。
“業”の大きさからして多分、末繰! 頑張ってねっ!」
「おい! そういうことはもっと早く言えよ! もう見えてんだよっ!」
俺の前方数百メートル先にはもうすでに金髪の小柄な少女が見えている。
おそらく俺と同様に身体能力を強化しているのだろう。
身なりからは想像もつかないような速度でこちらに向かって駆けてきていた。
「ふふん。もともと土の中から攻撃しようだなんて磯島の腐りきったような作戦は性に合わなかったのよね。
そっちが土の中にいる私達を発見できるなら意味ないわ。
正々堂々勝負よっ!」
末繰はそう叫ぶと、バッターの手元で伸びるストレートボールのように一気に加速し、俺の数十メートル手前でその動きを止めた。
末繰は俺を指さし、言った。
「あなた、身体術式以外の陰陽術が使えないんですってねぇ。磯島に聞いたわよ」
「さあねぇ。そうとは限らんかもよ」
俺は末繰の問いかけをにやにやと茶化しながら誤魔化す。
態度とは裏腹に俺は、内心では演習が始まる前に聞いた末繰の口調との違いに戸惑っていた。
戦闘になると性格が変わる、と言うやつだろうか。
俺は心の中で「アニメのキャラかよっ!」と突っ込んだ。
しかし、末繰は俺の応対にまったく反応することなく言葉を続ける。
「だったら、陽以外の“業”が使えないってことよねぇ?」
やれやれ、やっぱりばれたか。
陰陽という二つの気にはそれぞれ効果がある。
“陽”の気は自分や相手の肉体面に作用する。
そして“陰”の気は自分や相手の精神面に作用する。
俺が身体能力強化以外を使えないということは火・水・木・土・金の五要素はもちろん。“陰”の気も使えないということだ。
「あーら。図星って顔ねえ。
あんたには相性悪いことに、わ・た・し“陰”の気を使った術が一番得意なの。
だから私以上に言霊術、つまりは“陰”の気を使った術が得意って面した未祭既祭を倒さないとならないの。
分かった? 分かったなら『どいて』ね?」
未祭が自分の持つ言語イメージを外に具現する言霊術の天才だとしたら、末繰は逆だ。
末繰は相手が持つ言語イメージを外に具現する言霊術の天才だ。
「そいつの声を聞いちゃ駄目だよ! 春馬!」
未祭の焦った声が通信機から流れる。
だが、もう遅い。
「ぐっっ!」
俺の脚は動き出す。
……まるで末繰に道を開けるように。
「あら。身体術式以外使えないお馬鹿ちゃんでも流石に日本語は通じたようね。良かったわ。
まあ、私の術の前には日本語が通じる、通じないはそれほど関係がないのだけれどね。……そうね、例えば」
末繰がゆっくりと歩を進めながら言葉を続ける。
「『The way can be opened. J'ouvre une voie. Ich öffne einen Weg』」
「ぐっ! か、身体がっ!」
俺の脚が一歩、また一歩と末繰から離れるように距離をあける。
「な、なんだ? 何を言った……?」
末繰の発音はあまりに流暢で、聞き取ることはおろか何語かすらも理解することは出来なかった。
「ふふふ。『どいて』って言ったのよ」
俺の脚がまた一歩下がる。
「人間の言語には共通したパターンが見受けられるって話をご存知ないかしら?
私の術は相手が私の言葉を理解しようがしまいが、相手が持つ無意識化の言語イメージに働きかけるの。
例えそれが、英語でもフランス語でもドイツ語でも、ね」
「だからあいつの声を聞いちゃダメなんだってばっ! 春馬っ!
あいつが言霊術の天才って呼ばれる所以はあいつの言語能力の高さに由来するんだ!」
「ふふっ、そうよ。その通り。本来、すぐに打ち消されてしまうはずの言霊術。
だけど私は発音や声のリズム、トーン研究を重ねて人の共通言語感覚に働きかけることを可能にしたのよ。
さ、ここまで説明してあげたのよ。あなたじゃあ私に勝つのは無理」
末繰はゆっくりと歩いて、未祭の声が依然として流れる通信機を手に取り、続ける。
「だから、早く来なさい。未祭既祭」
それだけを言うと、通信機を踏みつぶした。
……学校の備品だぞ、それ。
「さて、と。あの娘が来るまでどうしようかしら。
あなたをぼこぼこにして待っていてもいいのだけれど。
正直弱い者いじめはあまり好きじゃないのよね……おっと、『動かないで』ね?
あと、そんな物騒なものは『はなしなさい』ね?」
「っく!」
俺の手から手のひら大の石がこぼれ落ちる。末繰が通信機に気を取られている間に拾っておいたものだ。
「いくら私に近づけないからって、石を女の子に向かって投げつけようとするなんて最悪ね」
「っへ。せっかくその高い鼻っ柱へし折ってやろうとしたのにな。っぐ!」
脇腹の辺りに鈍い痛みが走り、思わず顔をゆがめる。
「減らず口はほどほどにしておきなさい。腕の一、二本ぐらいたたき折ってあげてもいいのよ?」
いつの間にか近づいていた末繰が俺の鳩尾に拳をねじりこんでいた。
なんとかやり返してやりたいが腕も脚も、指先すらも動かない。
悔しい。悔しいなあ。
俺の努力は才能の前にはやはりかなわないのか。
「うふふふふふふふ。なぁに? 泣いてるの?
まあ落ちこぼれは落ちこぼれらしくそこで私と未祭既祭の戦いを眺めてなさい『動かずに』ね?
どっちが本当の天才言霊使いか、あんたにも分かるようにきっちり決着をつけてあ・げ・る・か・ら」
俺の腹から手を放し、頬、唇を妖艶さを感じさせる所作でゆっくりと撫でる。
今までの上品な態度とは打って変わり、下卑た笑みを末繰は浮かべた。
その表情から読み取れるものはプライド。そしてそれを裏付ける自身の力への圧倒的な信頼。
「さあ、未祭さぁん。始めましょうか。た・い・け・つ」
末繰はゆっくりと振り返った。
背後には、未祭。
風になびくサイドテールの横には、高圧的な笑みを浮かべる整った容貌。
そうだ。これだ。以前俺が見た表情だ。
「早く春馬を放したほうがいいよ。あんたじゃあ、私には勝てないから」
その言葉で戦いの口火が切られた。