05. 翌日
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すずめが歌うように外で鳴いている。いわゆる朝ちゅんというやつだった。
カーテンからは日光が差し込み、俺の睡眠欲をささやかに妨害している。
俺はリビングのソファーの上で横になって寝ていたようだ。
寝ぼけ眼をこすりつつ首を動かして周囲を一周見渡す。
――式坂の姿は、ない。
昨日の一連の事件は現実味のある夢だったのだろうか?
そんなことを思いながら日光の妨害に打ち勝った睡眠欲に身をまかせようとしたときだった。
ソファのすぐそばに白い紙が落ちているのが目についた。
なんの気なしに俺はそれを拾う。
「やっぱりあれは……」
夢なんかじゃなかったんだ。
菱形に切り抜かれた頭、それに連なる首、そして人間を模した四肢。
これは式坂の式神型だ。俺はそう確信する。それ以外にこんな場所に式神型が落ちている理由はない。
「式坂っ!」
脳裏に血だらけの式坂の姿がよぎる。
「くそっ! 寝ている間に連れ去られたのかっ!? いるなら返事をしてくれっ!」
俺は家中を駆け回る。
洗面所、いない。
リビング、いない。
俺の部屋、いない。
妹の部屋、いない。
探せる場所は全て探した。
――やはり式坂はどこにもいなかった。
「くそっ! 外かっ!」
着替える時間すら惜しい。
俺は着ていたジャージ姿のままで玄関へと駆け出した。
靴を手に取り、ドアを開けようとしたときだった。
空中を舞って何かが床の端に落ちるのが視界に入った。
今はそんなもの気にしている暇などないのだが、何故だか無性に気にかかり、俺はそれを手に取った。
またしても白い紙。
だが今度の紙は四肢など持たず、ドアの隙間から漏れる風に長方形のその身をなびかせていた
「……置き手紙、か」
それを見た安心感から思わず床にへたり込む。
紙には式坂らしい達筆な字で、『美影さんへ』から始まる俺への伝言が書いてあるようだ。
これで俺が寝ている間に式坂が殺されたという最悪の想像は撤回された。
俺は式坂が無事だったという安心感と、依然として式坂の行動がつかめないという状況から焦燥感に駆られて手紙を黙読する。
『美影さんへ。
昨日は危ないところを助けていただき本当に感謝しています。
昨夜、美影さんが眠ってしまわれた後も鬼への対策を考えた結果、私は鬼が私の血の匂いではなく、“業”を追ってきているのではないかという結論に至りました。
美影さんもご存知かもしれませんが、“業”とは私達が陰陽術を使うときに用いる、生命エネルギーのようなものです。
それは性格や外見と同じように、個々人によって資質や出力が異なります。
昨日鬼が攻めてきたとき、鬼は玄関に逃げた私達を追わず洗面所の方へ行きました。
あれは私の血がついた美影さんの制服を狙ったのではなかったのです。
私が防御術式で耐久性を上げた窓ガラスが洗面所の方に多く飛び散ったからなのです。
少々話が長くなりましたが結論を言います。
美影さん、あなたはもう鬼に狙われることはありません。
あなたの家に散らばっていた私の残存する“業”は全て消しておきました。
陰陽術さえ使わなければ私自身が“業”を発生することもありません。
もう鬼に怯えなくてもいいのです。
私は学校の用意のために一旦家に帰ります。
本当にご迷惑をおかけしました。
今日も一日学校頑張ってください!
式坂より』
俺は手紙を読んで心から安堵の息をもらす。
「よかった。……本当に、よかった」
これで俺や式坂の命が危険にさらされることはない
式坂は鬼のほとぼりがさめるまで陰陽術を使わない気でいるのだろう。
陰陽術の学校でどうやってそれを誤魔化すのかは気にかかるが、頭の良い式坂のことだ、上手くやる算段は付けているのだろう。
乗りかかった船だ。
学校で出会ったときは俺もできる限りはサポートしてやろう。
俺はふうっ、とため息を一つついていつものように携帯機器を起動した。
「やばいっ! 遅刻じゃねーかっ!」
買ってからそのままにしてある起動画面には無機質な数字で、八時四十五分と表示されていた。
「もう、休んじまおうかな」
怠惰という名の悪魔が一瞬頭の中にささやきかけ
「いやいや、だめだだめだ。さあ、準備しよう」
式坂の手紙の一文、『今日も一日学校頑張ってください!』俺はそれを思い出して自分を奮い立たせた。
洗面所へ行き、身だしなみを整え、綺麗に折りたたまれた制服を手に取る。
細かく引きちぎられていたはずのそれは、式神が直してくれたのだろう。血も、破損の痕跡すらも全く見られなかった。
「まったく、便利なもんだ」
自分の部屋に戻り通学用の鞄に教科書や運動着を乱雑に突っ込んで肩にかける。
「行ってきます」
革靴を履いて、玄関のドアをばたり、と閉めた。
――――
のんびりと準備をしたためだろう。時刻は九時三十分。
遅刻確定だった。
しかしながら、晴れ晴れとした気持ちで通学路を歩く。
鼻歌さえこぼれそうなほどだ。
自分で考えているほどよりも案外俺という人間は小心者だったのだろう。
命が脅かされるという圧倒的ストレスは想像よりも自分を苦しめていたようだ。
なんだか気持ちが軽い。
と、第三木ノ島公園の辺りで見慣れた後姿を発見する。
茶色に染めた髪を整髪料で尖らせて、いかにも不良ですといった風貌でやる気なさげに歩くその姿。
「おーい。 間宮ー」
波坂間宮。俺の数少ない友人の一人だ。
「おう。春馬じゃねーか。お前も遅刻か? その成績の上に遅刻ばっかりしてると終いには退学させられるぜ?」
相変わらず口が悪い。
軽く横に流した前髪の下には、人をも殺しかねないような鋭い眼光を放つ眼が位置している。
初めて間宮を見た者はこの目つきと風貌から不良だと勘違いするそうだ。
しかし、その印象とは裏腹に成績はかなり良い。そう、成績は。
「うっせーよ。お前こそいくら成績がよくても、こう遅刻が多ければ退学させられるぜ? 俺の二倍以上は遅刻してるじゃねーか」
「お前こそうっせーよ。低血圧なんだよ、こちとら。なんで普通の奴は朝起きられるんだよ。俺が間違ってるんじゃない。間違ってるのは他の奴らだ」
「傍若無人かっ!」
優秀な成績とは裏腹に素行態度は目に余るほどである。
おまけにこの口の悪さだ。
先生からの評判もあまりよろしくないらしい。
「いや、けどお前の毒舌は安心するよ」
「は? ドMか?」
「ちげーよっ!」
実際、間宮の毒舌を聞いて俺は安心している。
こいつの言葉を聞いていると昨日のような非日常から抜け出すことができた実感がわいてくる。
「そういえば」
間宮が話を転換する。
「そういえばお前の家の近くで昨日不良かなんかが争ってたらしいな。
騒音が大分ひどかったらしくて、俺の家の方から人員を出すか話になってたぜ。
まあしばらくしたら収まったらしくて出番はなかったようだがな」
俺の家――波坂の実家は八名家の一つの波坂家なのだそうだ。
間宮から聞いた話によると、ここら辺の地区では特に力を持っているらしく自警団のようなものを整え、警察などに時々力を貸しているそうだ。
だが、こと教育に関してはあまり力を入れておらず放任主義のような態度をとっているようだ。
そのおかげで間宮は遅刻を気にすることもなく飄々と自由に生きることができるのだろう。
「不良の争い? ……いや、知らないな。」
「そうなのか。面白そうな話だからお前がなんか知らないかと思ってな」
俺はしばらく考えた後、思い当たった。
おそらく、騒音は不良の喧嘩なんかではない。
鬼が俺の家で暴れていた音だろう。
式坂が言っていたように、俺は他の人間には鬼の件は言わないでおこう。
あまり友達に嘘はつきたくないが、式坂のためだ、やむをえない。
「不良と言えば、一時間目の授業はなんだったけか? さすがに座学の授業中に堂々と教室に入っていきたくはないな」
俺は強引に話を変える。
しかし間宮はあまり不思議にも思わず、応えた。
「一時間目は数学だったかな? まあ、どのみちこの時間なら一時間目には間に合わないだろう。二時間目が始まる前の休み時間に教室に紛れ込もうぜ」
国立石神大学付属高等学園は陰陽官と呼ばれる一種の軍隊を育成する軍事学校だ。
しかし、高等学校という側面も持つため、一般教養科目もある程度は課されている。
実際、陰陽術の才能がないと悟った者達が普通の大学に進学するために使うからである。
俺も将来は本格的に一般教養科目を勉強する必要があるかもしれない。
だが今はそんなことは俺にはどうでもよかった。
「そうだな。今日は数学の気分じゃないしな。そうしよう」