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04. 式坂


 

 ――足の裏に食い込む痛みで気が付いた。

 舗装された道路を抜けて凹凸の激しい地面の上に俺達は立っていた。

 俺は素足。

 式坂はちゃっかりと自前のローファーを履いていた。

 お互い荒い呼吸で、式坂の長い黒髪は汗で額にぺっとりとくっついている。

 

「すまん、式坂。逃げるのに夢中だった。大丈夫か? 靴をくれ」

 俺はずっと繋いでいたままだったようである式坂の手を放す。

 式坂の空いていた方の手には俺の革靴が握られていた。

 

「あ、はい。こちらこそ夢中でした。どうぞ。」

 式坂は俺に靴を渡すと、繋いでいた方の指を軽く折り曲げたり伸ばしたりした後自分の腕で額を拭った。

 容姿と違ってあまりお嬢様らしくない活発な所作にやや面食らう。

 

「ここは。……第三木ノ島公園、でしょうか?」

 式坂が周りを見渡しつつ、問う。

 鬼に警戒しているのだろう。

 その声は少し緊張しているようで震えていた。

 式坂に問われて、俺もあたりの様子を伺ってみる。

 中央には噴水があり、その噴水を囲い込むように土の地面とレンガで覆われた地面が楕円形に並んでいた。


 俺達は土の地面に立って、その上の木々が残されたエリアと反対側に位置する、遊具が細々と置かれた区画にいた。  

 木々が保存されている区画を一瞥すると、ひときわ大きな木が一本見て取れる。夕方に風船が引っかかていた木だろう、と俺は見当をつけた。

 確かにここは、第三木ノ島公園で間違いないようだった。


 と、ここまでを確認していく内に俺は一つの重大なことに気が付いた。

 俺はすぐさま携帯電話を取り出して、番号を打ち込んだ。

 

「…………卯花? 卯花か?」

 何回かの発信音の後、目的の少女に電話が繋がった

 卯花――今年で中学二年生になる俺の妹だ。


 「なに? にーちゃーん? 今部活終わって友達とアイス食べに来てんだけど?」

 よかった。

 卯花はまだ家には帰っていないようだった。


 「すまん、卯花。今日は友達の家に泊めてもらって、家には帰らないようにしてくれ」

 俺は要件を手早く伝えると、事情を聞かれないように素早く電話を切った。

 卯花の性格上、怪我をすることはなくてもあの部屋の惨状を見れば真っ先に首を突っ込んでくることが俺には予想できた。

 卯花は、苦労は買ってでもするどころではない。彼女は苦労も、面倒事も強引に分捕ったあとで何倍にもしてこちらに返してくる。

 そういう奴だということが長年一緒に暮らしている俺には分かっていた。

 

「妹さんがいらっしゃったんですね。たびたびご迷惑をおかけして申し訳ありません。ご自宅の件に関しては後で必ず責任を取ります」

 周囲の警戒を一通り終え、安全だと確信したのだろう。

 式坂がこちらの肩を叩き、遠慮がちに話を切り出した。

 式坂は申し訳なさそうな瞳で俺を見ると、もう一度口を開く。

 

「……あの、ところでお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 そういえば、名前を名乗っていなかったな。

 俺は名前を名乗る暇すら与えてくれなかった先ほどの急激としかいいようのない展開を思い出した。


 「俺の名前は美影春馬だ」

 俺が短くそう答えると、式坂は少し驚いたようにまばたきを何度か繰り返した。

 

「美影春馬さん、ですか。直接お会いしたことはありませんでしたがお噂は時々聞いておりました」

「お噂、ねぇ」

 俺は式坂に苦笑いを返す。

 それに対して式坂は何かをごまかすようにややばつの悪そうな笑みで応えた。

 大方できの悪い生徒がいるということで噂になっていたのだろう。

 

まあ、事実だ。

 陰で馬鹿にするやつらに呆れこそすれ、式坂に対して怒りを覚えるのはお門違いだろう、と俺は自分を納得させる。


 静かになりそうな場の空気を変えるために、別の話を切り出した。

 

「そういえば、制服の血はどうして消えているんだ?」

「え? ああ、これですか。陰陽術で直したんです。自分の身体を治せるんだから制服の汚れを直すぐらいはできてもおかしくはないでしょう?」

 制服の襟元につく校章のあたりをいじり、顔を伏せがちにしながら式坂は言う。

 その表情はよく、見えない。

 上を見上げると公園内部に設置された電灯が光ったり暗くなったりと、点滅を繰り返していた。

 

「さて質問はまだまだあるんだが、いいか?」

「ええ、かまいませんよ、と言いたいところですが一先ず隠れることにしませんか? いくら鬼の気配がないとは言っても油断は大敵ですから」

 式坂がこちらに笑いかけた。

 改めて眺めてみると、やはり式坂はとんでもない美人に見える。

 長いまつ毛に長い黒髪、長すぎず短すぎない位置で留められたスカート。

 どこからどうみても清楚なお嬢様という風貌をしていた。

 こんな少女と夜の公園に二人きりという状況に今さらながら少し緊張する。


 「隠れるといってもどこに隠れるんだ? そこら辺の遊具にでも隠れるのか? ちょっと狭すぎやしないか?」

「いえ、もっといい場所があります。そこに行きましょう」

 式坂は「ふふっ」といたずらっ子のように笑った。


******

 「どういうことか説明してくれるんだろうな? 式坂」

 俺達の目の前には扉があった。

 俺にとっては毎日のように見ている扉で、つい数時間前には式坂が倒れていた扉だった。

 当の式坂本人は何食わぬ顔で床や扉についている血痕の具合を確認している。

 俺の問いかけに気づくと、いたずらが成功した子供のような笑みを浮かべて「もちろん」と式坂は応えた。


 「人を隠すなら人の中。木を隠すなら森の中という諺はもちろんご存知ですよね。

 それと同じです。

 私の血の香りが充満するこの家では、私自身の香りは目立たないのです。

 それに加えて鬼は先ほど私の香りが充満するここ、美影さんの家の中でさんざん私を探し回りました。

 ここには私はいないと結論付けたはずです。

 この惨状を見れば、理解していただけますよね?」

 俺から受け取った鍵で玄関扉を開き、式坂は家の中を示した。

 指でささず掌で示すあたりに品の良さが感じられるが、その顔には苦笑が浮かび、所作とは不釣り合いに見える。


 確かにこの惨状を見れば苦笑せざるを得ないだろう。本棚やテーブルなどの大型家具は次々となぎ倒され、中には原型を留めていないものさえあった。

 俺達が逃げ出すときに鬼が入って行った脱衣場を覗いてみると、洗濯機は横向きに倒されてその口からは様々な衣類が散乱している。

 別にして洗おうと畳んで置いていた、式坂の血液がついた俺の制服に至っては細かく引き裂かれ、袖のあたりについていたボタンぐらいしか無事な部分は残っていなかった。

 もし自分がこれを着ているときに鬼に襲われていたらと思うとぞっとせざるをえない。

 

「泣いてもいいか? 胸を貸してくれ、式坂」

 これからの後処理。

 大家への言い訳などを考えだすと頭がパンクしそうになる。

 結果、俺は頭のネジが一本飛んだとしか思えないような発言をした。

 

「貸しませんっ!」

 式坂はやや控えめな自分の胸を両手でかばいながら言った。

 かばったことによりやや押し上げられたそれは卯花のものよりは大きそうに見える。

 胸から顔へと視線を移すと、頬を赤く染めて涙目で式坂がこちらを見つめていた。

 本気で俺が言っているとでも思っているのだろう


 「冗談だよ。冗談」

 俺が言うと、そばから見ていて分かるほどほっとして、腕の覆いを解放した。

 短い時間だがここまで式坂と接してきて分かったことがある。このお嬢様はかなり表情豊かなようだ。

 嘘はつけないタイプだろう。

 

「胸をお貸しすることはできませんがお家は可能な限り直します。悪いのは完全に私ですしね」

 そう言って式坂は自分の胸ポケットから人を象ったような、四肢を持つ白い紙を三枚ほど取り出した。

 その形は教科書なんかで見覚えがあった。

 神の力を借りるために用いる依代。

 式神型だ。


 式坂は自分の右手の親指を軽く噛み、血を使ってそれぞれの式神型に一本ずつ横向き線を引いていく。

 それが終わると、それらを床にまいた。


 「発っ!」

 式坂が胸の前で手を打つと、見る見るうちに式神型は大きくなっていく。

 百二十㎝ほどの大きさになるとその成長を止めた。

 大きさこそ増したものの、表情もなにもなく体は真っ白なままなので少し不気味だ。


「お願いしますね」

 式坂が順番に式神達の背を叩いていく。

 いや、ただ叩いているだけではない。

 式神達の背中に文字のようなものが書かれたお札を貼っているようだった。

 お札が貼られた式神から順に活動を開始する。


 一体は倒れた本棚を起き上がらせて散乱した書籍を詰め直している。

 別の一体は壁に空いた穴などを直していた。その際には損害の大小に合わせて術を使って修復しているように見えた。

 下手をすればこの式神の方が俺よりも陰陽術を使えるんじゃないのか。

 嫌な想像に俺は思わずため息をついた。


「すごいな。こんなに複数の式神を一度に操るなんて並大抵のことじゃないだろう?」

「いえ、どうってことはありませんよ。呪符を使って命令式を書き込んでいるだけですから。呪符さえ貼ってしまえば後は自動操縦のようなものです」

 ははあ。

 俺は式坂の説明を聞いて感嘆の息をもらす。


 式神といえばその動作動作を自分の感覚と共有することで動かすものだと思っていた。

 命令式なんてやり方があるのか。


 そのやり方が二年生になった今でも、学校で教えられていないことを考えるとかなり高度な術なのだろう。

 ちょっとやそっとの練習で身につくわけではないのだと思った。

 それを身に着けているということはさすがは名家のお嬢様。

 俺とはできが違うのだろう。

 

「式坂は、式神術が得意なのか?」

「ええ。ご存知ではありませんか? 

式坂家は古来より式神術を得意としてその地位を高めるのに利用してきました。そのため式坂家の人間は幼少より式神術を叩き込まれて育つのです。もちろん私も例外ではありません」

 俺の問いかけに式坂は滑らかに答えた。

 その言葉を聞くに式坂の式神術を才能として片づけるのはいささか失礼に思える。

 俺はさきほどの下卑た考えを頭の中で式坂に謝った


 「家の修理の問題はひとまず解決できそうだということは分かった」

 俺はあくせくと働く式神を横目に会話を続ける。

 

「問題はさっき俺達を襲ったあれ。あれは何だったんだ?

 俺には本棚や扉が急にひしゃげたようにしか見えなかったが、お前はその正体が鬼だという。

 説明してくれるよな?」

「ええ、もちろん。と言いたいところですが、私にもそこが分からないのです。何故美影さんには鬼が見えないのでしょうか? 

確かに私はあれを鬼だと確信して証明できるわけではありません。しかし、大きな赤い体躯に長く伸びた白い髪、前髪の間から除く禍々しい瞳、そして極め付けはつむじのあたりから雄々しく伸びる赤黒い一本の角。あの姿を鬼と言わずしてなんといいましょうか」


 ふむ。

 俺は少し考える。

 確かに式坂の言う姿を見れば俺も鬼だという他ないだろう。

 教科書の挿絵などに載っている鬼の姿とほぼ相違ないように思える。


 だが式島には見えて俺には見えない。

 何故だ?

 

「俺以外にその鬼とやらに遭遇してしまった人間はいないのか? 例えば家族とか、友達とか?」

 俺は式坂に問う。

 この答えいかんによっては俺だけが見えないのか式坂だけに見えるのかがはっきりするだろう。

 

「いいえ、いません」

「どうしてだ?」

 俺は素直な疑問をそのまま言葉にする。

 通常ならば今日俺が襲われたときのように、身近に人がいる状況で鬼が現れることもあるはずだ。

 家族なり、友達なり、一緒に行動する時間が長い人物ほど遭遇する確率も上がるはずである。

 だが後の式坂の言葉を聞いて少し後悔した。


 「家族にはここ数年ほど会ってはいません。私は中学の頃から一人暮らしをしています。そもそもあれは……」

 そもそも、なんなのだろうか?

 俺は言葉の続きが気になったが、式坂の張りつめたような表情が問いかけることを躊躇させた。

 俺がなにか言葉をかけるべきか逡巡しているうちに式坂が再び口を開く。

 

「友達、でしたね。それも大丈夫です。会っていませんから」

 俺はまたしても何を言うべきか分からなくなる。

 代わりに可哀想なものを見る目を投げかけた。


 「あっ! かっ、勘違いしないでくださいねっ! もちろん友達はいますよ!? 最近会った友達がいないという意味です!」

 俺の視線に気づいたのだろう。式坂が顔を上げて口早に述べた。

 その顔には朱がさしている。

 式坂は調子を戻すように「こほん」と一つ咳払いをして続けた。

 

「実を言うとですね、鬼が現れ出したのは一ヶ月ほど前なんです」

 式坂の口調が重々しいものに変わった。


 「それ以来、いつ襲われるか分からず、学校にも迷惑をかけるわけにもいかないのでほとんど登校していません。もちろん今日も」

 あんな化け物じみた力を持った怪物から一ヶ月間も逃げ続けているのか、と俺は同情する。

 それほどまでの長い期間を鬼から逃れるために使っているというのに、学校に迷惑をかけるわけにはいかないと考えている式坂の思考に心底理解しがたいものを感じた。

 自分の命が狙われているというのにそんなことを考えるとは、生真面目というのか、真面目バカというのか、


 「学校に迷惑をかけたくないという考えは分かったが、なぜ陰陽署に行かない? 陰陽署ならその手の陰陽関係の事件はお手の物だろう?」

 陰陽署は通常なら人対人の事件を専門として治安維持の役目をしているが、陰陽関係の事態に対してもそれなりに対処してくれるはずだ。

 いやそれどころか命が脅かされるほどの事件ならば陰陽事件を専門にする陰陽官あたりですら協力してくれそうなものだ。


 まさか陰陽署に迷惑をかけたくないとは言わないだろう。

 俺は問いかける。


 「陰陽署、いえ国家機関関係や自警団にさえ知られてしまうのは困るんです。

 名家というものには本当に様々な縛りや利権関係があります。

 自分がどんなに弱っていようが弱みを見せてはいけないのです。

 名家が弱みを見せた他の名家に対して行うことはさらに追い込むこと以外ないのです」

 ふうむ。

 納得できたような、できていないような。

 なにか煙に巻かれた感覚さえする。

 

「国家機関の協力を仰げないというのは分かったが、式坂の家族はどうなんだ?

 名家で起きた問題は家を同じくする者に解決してもらうというのはどうだろう?」

 俺は言いきってからさきほどの式坂の反応を思い出し、自分の過ちに気づいた。

 案の定式坂は俯きがちに首を横に振る。


 「家族は……難しいです。

 私はとある事情から本家であまり良い立ち位置にいるとは言えません。そんな私が助けを求めれば、厄介事を持ってきたとして協力はおろか、より険しい道に立たされることになるでしょう」

 家庭の事情、か。

 どこにでもあるものなんだな。

 式坂の物憂げな表情を見つめながら俺は思う。

 と、式坂は、何かに気づいたように表情を元に戻し、俺に対して向き直った。

 

「ご家族といえば、美影さんのご両親はいつごろお戻りになられるのですか?

 美影さんを巻き込んでしまったのですから多少の説明はしようと思うのですが」

 多少の説明、か。

 やはり俺の両親から警察などに伝わらないよう、事情を濁して説明する気なのだろう。

 式坂の取り繕ったような表情からはそんな考えが見て取れた。だがその考えは杞憂だ。

 俺は式坂に言ってやる。


 「心配するな。この家に両親はいない、俺は妹と二人暮らしをしているんだ」

 ――嘘は、ついていない。

 式坂がやろうとしていたように事情を濁しただけだ。

 人には人の家庭の事情がある。

 俺の両親が遥か以前に失踪したことをいちいち式坂に言う必要はないだろう。

 正直に答えれば式坂はそんな質問をした自分を責めるに違いない。

 

「そうだったんですか。安心しました。

 ご両親がいらっしゃれば警察に話が伝わってしまうのではないかと心配していたんですよ」

 式坂は心底気を楽にした様子だ。

 嘘をついているわけではないのだがその純粋そうな笑顔を見ていると何故か心が痛んだ。


 「それはそれとして」

 罪悪感をごまかすために俺は強引に話を変える。


「俺達は一体これからなにをすればいいんだ?」

 式坂に問いかける。

 優秀な式坂のことだ、先程のように考えの一つや二つは持っているだろう。


 「え、ええとですね……」

 式坂は「うーむ」という声が聞こえてきそうなほど考え込む。


 「ど、どうしましょうか?」

 「本当にとりあえず、家に戻ってきただけなんだな」

 式坂になにも考えがなかったことに呆れた。


 「まあ、無理もないか。一ヶ月前に突然巻き込まれただけなんだもんな」

 式坂に同情しつつ呟くと、俺は唇に手を当て、熟考を始める。


 さて、これからどうするべきか。

 俺がああでもない、こうでもないと思案していると式坂がなにか言いたげに口を開いたり閉じたりさせているのが目についた。


 なにか妙案でも思いついたのだろうか? 問いかける。


 「なにか良い考えを思いついたのか? 式坂?」

 「いえ、あの、そ、そうではないんですけど……」

  式坂は長い黒髪を指で梳きながら、言うべきか言うまいか躊躇している。

 告白間際の乙女のように見えてなんだか緊張してしまう。

 

「なんなんだ? 言いたいことがあるならはっきり言ってくれ。コミュニケーション能力が低いわけでもないだろう?」

 むしろ初対面の男の家でオムライスをごちそうしてもらえるほどの能力があるだろうが。

 俺がやや強く促すと、覚悟を決めたように式坂は言った。


 「お、怒らないんですね?」

 怒る? 俺が? 何にだ?

 俺の訝しむ視線を察したのだろう式坂は続ける。


 「いえ、あの。普通の人なら怒ると思うんですよ。

私のせいで自分の命が危ない状況になっているのに、私はその対策案すら持たないばかりか通報することさえ私の都合で拒否しているのですから」

 式坂は視線を泳がせながら一息に言った。

 ああ、そういうことか、と俺は思う。


 「そんなの怒るわけないだろう? まだ実際に大きな怪我をしたわけでもあるまいし。第一お前だって巻き込まれただけじゃないか」

 俺は式坂に言ってやる。

 それらしい理由もつけて。

 だが内心は自分がどうして怒らないのか分からなかった。


 普通の人ならまず間違いなく怒るだろうし、俺ではなく妹が危機に晒されたとしたら俺は式坂に対して怒りの感情を発していただろう。


 何故俺は怒っていないのだ?


 「逆に聞きたい、式坂。どうしてお前は怒っていないんだ? お前は巻き込まれただけなんだろう?」

 式坂に問いかける。

 俺が怒っていないばかりか、自分が何故怒っていないのかを逆に問われる。

 式坂はその状況を予想だにしていなかったのだろう。一気に身体を硬直させた。


 「なぜ怒っていないか、ですか? ……なぜなんでしょう?

 確かに私がこんなことに突然巻き込まれるのは理不尽なことだとは思います。

 しかし、そこに怒りの感情はおそらくありません。

 なぜなんでしょうね?

 私には普通の人にはあるなにかが足りないのでしょうか?」

 式坂は悲しげに微笑んだ。俺はその微笑みにどうしてか痛々しさを覚えた。

 だがなぜだろう。

 ……式坂の瞳に映る俺も同じ表情をしている気がした。

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