014. 式神
推理小説の探偵のように、式坂は俺の名前を告げた。
推理小説とは違って、そこにはトリックも、推測も、推理さえも含まれない純然たる事実なのだろう。
潤む式坂の綺麗な瞳がそれを裏付けた。
「俺、か」
「ええ。あなたです。
あれはあなたであり、鬼でした。
大きな赤い体躯に長く伸びた白い髪、前髪の間から除く禍々しい瞳、そして極め付けはつむじのあたりから雄々しく伸びる赤黒い一本の角。
大きさこそ人間――美影さんと同じぐらいの大きさでしたが、あの姿を鬼と言わずしてなんといいましょうか」
式坂が前に聞いたことがあるようなセリフを言った。
今回は前回のおどけた調子とは違い、式坂自身を責めているように聞こえた。
「それで、どうなったんだ?」
「美影さんが突進していった後、白城先輩はそれを迎え撃ちました。
私はその戦いを目で追うだけしかできませんでした。あれはもはや、両者とも人の域を超えているとしか思えない戦いに感じられました」
俺は式坂の言葉に、一部ひっかかりを覚える。
「両者? 鬼になった俺だけなら分かるが、なぜ白城まで人を超えた力が使える?」
「白城巡。旧姓、畑坂巡。あの方は天才です。
あの方とは幼いころより私のおじい様の下で一緒に修行をしてきましたが、あの人の才能は努力云々でどうにかなる次元を超えていると私は思います。
先ほどの戦いの間に、あの方は隠遁術が得意だとおっしゃっていました。しかし、それは違います。あの方は全ての術に秀でているのです。
白城先輩がこの学園に入学してから、三年間を通してA組の首席の座を守り通していることからもそれをお分かりいただけるかと思います」
三年間を通してA組主席だと……?
俺は末繰や式坂を想像する。あんな、それこそ俺のような落ちこぼれから見れば天才で、化け物にしか見えないような奴らに対する試合や演習を全て勝利してきたということか。
俺はその言葉を聞いて身震いした。
「しかし、さしもの白城先輩でも油断していたところに鬼の腕が直撃したものですからそれだけでもかなりのダメージを負ったようです。
私が見ていただけでも腕が折れ、呼吸しづらそうに胸を押さえていました。きっと胸骨も折れていたのでしょう。
その上、追い打ちをかけるように意識を失った美影さんが猛攻してきたものですから、先輩はさらに深い傷を負いました。
それで分が悪いと判断したのでしょうか。
『絶対に式坂家を許さない』と言い捨てて、片腕を失った鬼とともに去っていきました。
先輩達が姿を消した後、美影さんはまたもや倒れました。
そして私が美影さんを介抱して今に至る、というわけです」
ふむ。そういうことか。
俺は今の状況にやっと得心がいった。
だから、今まであえて聞いてこなかった、俺が最も気になっている質問を式坂にぶつけることにする。
「なあ、式坂。
どうして俺は鬼になったんだ?
それに、なんで白城はあそこまでお前を、いや、式坂家を憎んでいるんだ?」
先ほど式坂は、白城の言葉の意味を理解したと会話の中で言っていた。
前者の質問はまだしも、後者の質問の答えは知っているだろう。
式坂は俺の予想とは裏腹に答えた。
「はい。どちらの質問にも答えられます。
……しかし、前者の質問に答えるためにはまずは後者――式坂家の歴史について話さなければならないでしょう」
式坂は悲しげな様子で目を伏せながら言った。
座っている彼女の膝の上に置かれた両の手は、まるでなにかをこらえるように固くお互いを握り合っている。
「私は以前言いましたね。式坂家は古来より式神術を得意としてきた、と。
あの場では、普通の式神型を依代にして神々の力を現すということを示してあの言葉を使いました」
式坂は制服のポケットから式坂のおかげで見慣れてしまった四肢を持ち、頭が菱形の白い紙を取り出してこちらに見せた。
俺がそれを見たのを確認すると話を続ける。
「正確に言うと、式坂家の本来の式神術はこのような普通の式神術とは全く違います」
式坂は式神型を自分の胸に当てる。
「式坂家の式神術は、自分自身を神の力を現す依代として用いることなのです。
――それも、とりわけ鬼の力を」
鬼の力を自分自身の身体を用いて現す。
それは、つまり……。
「それは、つまり白城と戦った時の俺のようになるということか?」
白城と戦った時の俺。意識を失い、ただ、目的のものを破壊するという衝動だけで動く禍々しい生物。
「はい。端的に言うとそういうことです。
ですが、美影さんほどの鬼の力を自分の身体に現すことはありません。
自分の意識を残すよう、ある程度コントロールして鬼となるそうです。
第一鬼の力を完璧に自身に移せば、まずは自分の身体自体がもたないでしょう」
なるほど。
式坂の言っている言葉の意味は理解できる。
だが、納得ができない。
「自分の身体を媒介にして鬼の力を扱う?
なんだ、その術は!
そんな術聞いたことがないっ!
陰陽道理論ですら説明をつけられないような術じゃないかっ!」
俺は一気にまくしたてた。
自分が今まで習ってきた知識が全て覆されたような感覚に襲われたからだ。
「そんなのばかげてるっ!
鬼、つまりは一種の神の力が自分に降りるなんてそれは一種の天災のようなもので、自分の力で制御するなんてできるわけがないっ!」
天災。そう、天災なんだ。
自分の、感覚がない四肢を見る。
俺は巻き込まれたんだ。でなければこんな状態になるわけがない。
今更ながら怒りが噴き出しそうになった。
「陰陽理論ではありえない。……確かにそうですね」
式坂が静かに言う。
「だって、理論じゃないんですから。
この術はいわば数百年にもわたる血の犠牲の上に成り立っています。
術を使って、美影さんのような状態となることを我々式坂家の人間は何度も何度も繰り返していく内に、鬼の力に対してある種の耐性のようなものを身体の内側を巡る血として身に着けました。
理屈や理論ではないのです。
――犠牲。ただその事実の上にこの悲しい術は完成したのです」
式坂は悲しげに目をふせた。
その涙があふれんばかりの悲しそうな表情は俺の熱しかかった頭を否が応でも冷ましていく。
「なるほど。式坂家が鬼の力を自分の身体を媒介にすることで使用してきたことは一先ず分かった。
ということは、式坂……お前自身も鬼の身体になったことがあるのか?」
俺は式坂に尋ねる。
「……いえ。私はこの術を使ったことがありません。
私の祖父よりも何代か前のとある人物が式坂家の当主であったときに、この術を禁術としてよほどの有事の場合を除いて使うことを禁じたからです」
「どうしてなんだ?」
俺は自分の身体を引きずりながらジェットコースターのような速度で白城に突っ込んでいった赤黒い右腕を思い出した。あれほどの力とは言わないまでも、それに近い力を自分の意思で操れるのならばかなり強力な術と言えるだろう。
禁止する意味を疑問に思った。
「……危険が、あったからです」
「危険?」
式坂の答えに俺は眉をひそめた。
「ええ。危険です。
地下の訓練場に降りる階段があった部屋に仏像のようなものがたくさんあるのを見ませんでしたか?」
「ああ、見た。頭から角のようなものが生えているあれだろう?」
俺は階段に至るまでの道のりで見た、俺の背丈より少し高いぐらいのものと、それらに比べて一際大きな一体を頭に思い浮かべた。
初めは仏像に見えたが、仏には本来ないであろう、つむじの辺りから生える一本の隆起した物体がそれを何とも言えない様子の物体へと変貌させていた。
俺はここまでを考えて一つのことが気にかかった。
「……角?」と、口から自然と言葉がこぼれた。
「ええ。美影さんのご想像している通りだと思います。
あれは仏像などではありません。
あれは鬼です。鬼を祀っているのです。
しかもあれはただの鬼の作り物ではないのです。
――あの角は本物です」
式坂家。
鬼の力。
術の危険性。
鬼の置物。
本物の角。
そこまでヒントを出されれば、いくらなんでも気が付いた。
「まさか、危険性って言うのは……」
「そうです。鬼の力の暴走――。
鬼の力なんて本来はまともに扱えないものなんです。
いくら犠牲の上に耐性を得たとはいっても、それはある程度鬼の力を制御できるというだけの気休めであって、完全な制御など夢のまた夢だったのです」
式坂は何を思っているのだろうか。赤黒い俺の腕を撫でた。感触は分からないが、目で見て認識できる。
「力が暴走した者。彼らは意識を失い、一時に渡り強大な力を得ます。
しかし、その強大な力は周りのあらゆるものを破壊していくと同時に、自分自身の身体すら蝕んでいくのです。彼らの末路はみな、死です。
彼らの肉体は強大すぎる力に耐えられず、裂け、砕け、最後には消滅します。
頭に着いた、人間ではなくなった証拠を残す、たった一本の角を除いて」
「じゃあ、あの角は……」
「そう。彼らの角です。
鬼の暴走によって肉体を失った彼らはお墓に入ることさえできません。
だって入れるための骨すらないんですから。
だから、彼らの死を悼むために式坂家の先祖は墓の変わりに鬼の置物を作り、角とともに安置しました。誰かが鬼になって、死んでしまうたびに一体ずつそれは増えていきます。
いつからその習慣が始まったのかは知りませんが、少なくともあそこにある置物の数以上の人間が鬼となって死んでいったこと。ただそれだけは事実なのです」
悲しい、話だ。
俺があの部屋に入った時に感じた、誰かに見られているような不気味な感覚。
それはもしかしたら彼らの角から発せられていたのかもしれない。
科学や陰陽術の進んだ現在においても人間の魂というものは解明されていない。ならば、彼らの魂が角の中に封じ込められてしまっている可能性もないとは言い切れないのだ。
俺は話を聞いて、そんな妄想めいたことを考えた。
妄想ついでに俺はある一つの推理をする。
「じゃあ白城の母親がお前の祖父に殺されたっていうのは……」
「おそらく美影さんの考えで間違いないでしょう。
私の祖父が何らかの事情で鬼の力を使い、それが暴走した末に鬼となった祖父が白城先輩の母親を殺した。
白城先輩が言っていた通りです」
式坂は眉間にしわを寄せ、今にも血が出そうなほどに唇を噛みしめて答えた。なんとも苦々しそうな表情だった。
俺は今の式坂の回答で気にかかった部分を繰り返す。
「おそらく、とは?」
式坂が俺の訝しむ視線を受けながら答えた。
「私は実際には祖父がなぜ亡くなったのか知らないのです。
五年年ほど前、小学生だった私は祖父の死を事故死としか聞かされていませんでしたから」
そう話す式坂の顔は俺が初めて式坂に会ったときの、家族のことを話す式坂の表情によく似ていた。
俺は頭に浮かんだその疑問を、聞くべきか聞かざるべきか悩んだが、悲痛ささえ感じる少女のその顔を見ていると守ってやりたいような、不思議な気持ちに駆られて気づけば声に出していた。
「白城が言っていた、お前の育ての親が祖父だっていうのはどういう意味か聞いてもいいか?」
式坂が「ふっ」と消え入りそうな笑みをした。
「なんてことない話ですよ。
出産と共に死亡した前妻の子を、権力を手に入れた後妻がひどく扱った。
前妻の子はそれが嫌になり、祖父とともに暮らすようになる。
ただそれだけの話です。ね?
どこにでもありそうな話でしょう」
式坂はわざと感情を抑えたように、抑揚をつけずに平坦にそう答えた。
上げられた口角と、下げられた目じりは、本来ならば見る者を魅了する微笑みであるはずだろうが、今の俺からは泣きじゃくる寸前の幼子のようにしか見えなかった。
ここで式坂を抱きしめて、頭の一つでも撫でてやりながら「泣いてもいいんだよ」とでも言えば、安心して涙を流せるのだろうが、生まれてこのかた異性と付き合ったことすらない俺には到底そんなことをできるはずなどなかった。
俺は話を変えることに終始する。
「白城の件は他にも聞きたいことはいくつかあるが、一先ず分かった。
それで、どうして俺は鬼になんかなってしまったんだ?
俺は式坂家とは何の接点もないし、鬼に対する耐性も、自分の身体で鬼の力を得るその術とやらの存在すら知らなかったんだぞ?」
俺は悲しみから少しでも目をそらさせようと話を変えたつもりだったが、予想に反して式坂の顔には一段と陰が指した。
「本当に申し訳ありません。全て私が悪いんです」
式坂は椅子から立ち上がると、横になっている俺に向かって深々と頭を下げた。
首の骨がおれるんじゃないかというぐらいに何度も何度も深く頭を下げるものだから見ているこっちが心配になった。
「式坂が悪い、というのは?」
俺は謝罪を止めるよう式坂に言いながら質問を投げる。
「美影さんは、私があなたの家の前に倒れていたときのことを覚えていますか?」
「あ、ああ。式坂が血塗れで倒れていたときだろ? あれは驚いた」
「そう、そのときです。あのときおそらく美影さんの身体に傷などがあったのでしょう。
そこから私の血液――つまりは式坂家の血が美影さんの体内に混入しました」
俺は「あっ」と声を上げた。
そうだ。
俺は昨日の夕方、少女の風船を取ってあげたときに指先に傷ができていたことを思い出した。
気にするほどではない深さの傷だと思っていたが、式坂と出会うまでの数時間ほどの間では傷口は完全に塞ぎきれていなかったのだろう。
式坂は俺の心当たりがあった様子を確認すると、また話し出した。
「続いて、鬼が現れたとき美影さんの頬に鬼の爪が少しかすったことを覚えていますか?」
俺は昨日の晩のことを回想する。
そう、あれは式坂に庇われたとき。
完全に避けたと思ったが、何かが俺の頬を掠めて血を首筋へと滴らせた。
あのときは俺の頬を掠めた物体の正体は分からなかったが、あれは鬼の爪だったのか。
「やはり心当たりがおありでしたか」
式坂は得心が言ったというふうに呟いた。
「おそらく鬼の攻撃を受けたときに鬼を構成するエネルギーが美影さんの体内に入りこんだのでしょう。
そのエネルギーは、美影さんの身体の中の式坂の血と交じり、反応を起こし、疑似的に鬼の力を美影さんの身体を通して現すことになったのでしょう。
……しかし、解せません。
机上の空論としては思いつきましたが、そんな少濃度の式坂家の血液と鬼の力では万が一、いや、億が一ほどの可能性でしか術は発動しないはずです」
式坂は「ふーむ」と考え込んでいる。
悲しそうな表情が治って喜ばしいことだったが、俺は式坂の疑問に一つの答えを推測していた。
おそらく、末繰と戦ったことが術発動の可能性を大きく上げた原因だろう、と俺は考える。
末繰に四肢を折られ、俺は大量に出血した。そのせいで俺本来の血液が大量に身体の外に出、結果的に式坂の血と鬼の力が俺の身体の中で占める割合が増えたのだろう。
俺の血液が出ていくならばその二つも同じ割合で出ていくはずだという反論もすぐに思いついたが、事実起こってしまったのだからその推測は正解に近いものではないだろうかと結論付けた。
俺は難しそうな顔をする式坂に首から上だけを動かし、声をかけた。
「それで、俺の身体を治すにはどうすればいい?」
式坂はまた悲しそうな顔をすると、一回深呼吸をし、覚悟を決めたように俺に向き直った。
「単刀直入に訊きます。
――私を、殺しますか? それとも私の、式神になりますか?」