01. プロローグ
――陰陽術はけしてオカルトや詐欺などではない。
科学技術が大成を極めた当時、日本史上最高の科学者と謳われた七桜桜花は言った。
――陰陽術とは科学に比肩する、理論に裏付けられた代物である。
七桜桜花によって提唱された陰陽理論。
……それから数百年。
今日の日本で、陰陽技術の結晶を見ない日はない。
******
「爆。爆爆。爆爆爆爆爆――!」
「つっ!」
数十メートル先から叫ぶ少女の声に呼応して俺の周囲が爆散する。
爆発に巻き込まれれば一たまりもないであろうことは誰の眼から見ても明らかだった。
「甘いんだよっ!」
俺は爆発により生じたコンクリートの破片を少女に向かって蹴り飛ばす。
「ちっ!」
真っ直ぐ向かって行くそれを避けるために少女は叫びを止め、身を翻した。
その隙を逃さずに、少女の懐へ全速力で駆け込む。
「もらったっ!!」
少女のがら空きの横腹目がけて蹴りこんだ。
――はず、だった。
「甘いのはどっちよ」
俺はいつの間にかコンクリート造りの地面に転がっている。
蹴りこんだはずの右脚には光り輝く枷。
足首から先の感覚は全くなかった。
「縛。縛。縛。縛!」
少女の声に呼応して俺の左足首、両手首、そして首へと同様に輝く枷が現れた。
少女は舌を出して意地悪そうに微笑む。
ばいばい。そう言っているように、見えた。
「爆」
少女の声以外に聞こえるものは、ない。
******
鋭く吐き出した息とともに、ソイツが俺の顔面めがけて拳を放った。
沈み込んだ畳から強烈な一撃であろうことが伺える。
これで勝負を決める気なのだろう。
俺は膝を柔らかく曲げると、ソイツの腕の下に体を潜り込ませた。向かってくるソイツの拳にそっと手を添える。
力で押すのではない。ただ力の方向をそらしてやるだけだ。
「全然だめ、だな」
目標から遥か上の空間を打ち抜く拳に目をやり、そう呟いた。
あとは何千、何万と繰り返してきたその動作を行うだけ。
――膝をかかげ、軸足を回す。ただそれだけの動作だ。
瞬間。空気のつまった風船に針を刺すように、俺の脚はソイツの顔面をはじけさせた。
――――
「体術訓練は終了しました。お疲れ様です。お気をつけてお帰りください」
訓練の終了を告げる機械音声とともに、薄水色だった視界が現実の色を取り戻した。
もちろん今まで戦っていたソイツ――訓練用AI搭載ソリッド――ももう、消えた。
SMS――ソリッド・ムービー・システム。風景も相手も、この装置で作り出されたものだ。
陰陽術と科学技術が発展を遂げた現代においては、少々値は張るがこの程度の機械などほとんどの高校には置かれているものだった。
「……帰るか」
SMSの電源を切ると、ため息とも吐息ともつかない息を一つ吐き、つぶやいた。
鍛錬場の天窓から見える空は曇天。重々しい空が、梅雨も過ぎ去った七月だというのに俺の気分を暗くさせた。
ついこの間買った革靴も天気のせいか、なんだか古ぼけて見える。
俺は鍛錬場の扉をくぐり、校門へと続く中庭を歩き出した。
緑がまばらに広がる中庭では今日の分の訓練を終えたのだろうか、ところどころに生徒達の輪が出来ている。
そんな生徒達を尻目に俺は一人、半年前の出来事を思い出して嘆息した。
――才能ってあるんだなあ、と。
国立石神大学付属高等学園に俺が入学してからもう一年が過ぎていた。
入学当初こそは俺も張り切っていたものだ“陰陽師”を目指して。
だが、一年の間訓練を続けていくうちに俺は厳しい現実に直面した。
自分には、陰陽の才能がない。
そのことに気づかされたのは入学して約半年。俺よりも三十㎝余りも小さな女の子と対峙したときだった。
考え事をしながらぼうっと下校路を歩いていると、いつのまにか目の前には第三木ノ島公園が開けていた。学校と自宅のちょうど中間あたりに位置する公園だ。
「少し休んでいくか」
誰が聞いているわけでもないが、そう呟いた。
疲れているのだろうか、最近独り言が増えてきた気がする。
自動販売機で炭酸飲料を買う。喉の奥を突くようなあの刺激は、今の曇った気持ちを晴らしてくれるだろうか。
ベンチに座り、赤と白で彩られた缶を傾けた。
しばらくそうしていると幼い女の子が楽しそうに俺の目の前を駆けていくのが目についた。その手には赤い風船。どこかの百貨店でもらったのだろう。
「こうしていると解雇された会社員みたいだな」
甘ったるくなった口元を拭うと、自嘲気味にそんな言葉を吐き出した。
缶の中の水音が大分小さくなったことを確認し、ゴミ箱を探して周りを見渡し始める。
辺りを伺うと、すぐに目的の物を発見した。ベンチから数メートル先。公園の出入口から真反対の所に、楕円形の口をぽっかりと広げるゴミ箱がある。
「めんどうくさいな」
そんな言葉とともにゴミ箱に狙いをつけ、空き缶を放る。それは、見ている方が腹立たしいような遅い速度で放物線を描いていく。
鉄で縁取られたゴミ箱の口に当たって乾いた音を立てると、レンガで舗装された地面を転がっていった。
力なく横たわる空き缶は、今の自分を見ているようでひどく惨めな気持ちになる。
哀れなそれを拾おうと、ベンチから腰を上げようとした。
しかし、その必要はないと言わんばかりにゴミ箱を中心としてその周辺の地面が輝き出し、図形を描き出した。
生まれてから、いやというほど見ている五芒星。
もっとも、これがいやになったのはここ一年ほどの間のことだが。
五芒星は地面を回転しながら広がると、寂し気と横たわる空き缶を空中へとはじき飛ばした。
俺の投擲とは違い、正確無比な放物線を描きながら空き缶はゴミ箱に吸いこまれていく。
それを確認すると、先ほどの回転とは反対向きに周り出し五芒星はゴミ箱の下に収束していった。
……ゴミを捨てるという目的は果たしたというのに、俺の心に爽快感は全くない。
「自動術式、か」
陰陽術が軍事だけではなく、一般の生活にまで影響を及ぼすほどの成長を遂げたのはここ数百年ほどの出来事らしい。
数百年の間で陰と陽、五要素といったような陰陽術に欠かせない要素の理論が飛躍的に大成したそうだ。
現代において陰陽術を違う言葉で言い表すならば、科学はたまた物理とでも言い表せばよいだろうか。何にせよ、理論によって裏打ちがなされた疑うことができない代物であることは確かだ。
理論の発達により、以前の日本ではオカルトやいわゆる眉唾物と評されて馬鹿にされてきたものが歴史の表舞台に繰り出してきたのだった。
と、学校で習った陰陽術の歴史を反芻していると穏やかな風のざわめきに紛れて甲高い音が
聞こえた。
それは徐々に大きさを増して嗚咽のような、しゃっくりのような声にならない声を形づくっていく。
声のする方を見やると、公園の出口辺りで先ほどの少女が泣いていた。
俺と少女以外に公園に人はいない。
悲し気に涙をためた少女の表情は、まるで自分の心を代弁してくれているようで何だか見ていられなかった。
「君、どうかしたの?」
少女に近づき、声をかける。不審者だと思われないか少し気にかかった。
「あのね、ふうせんがね。木にね。ひっかかっちゃったの」
「そうか。ひっかかっちゃったのか」
少女は俺をちらと見ると、予想に反して警戒心をほとんど見せず、舌足らずな言葉遣いで涙ながらに理由を話し始めた。
そうか。俺は自分の服装を思い出す。
炭で染めたかのような真っ黒なズボン。黒を基調とした生地に白の線が所々に入った上着。
上着の襟元には、生徒であることを象徴するかのように金色の五芒星が刺繍されている。
国立石神大学付属高等学園の生徒であることを証明する制服を俺は着ていた。
少女は近所の子供だったのだろう。この制服を知っていたようだ。
俺は疑われなかった理由をそう結論づけると、少女の話を頭の中でもう一度確認した。
少女が言うには、先ほど彼女が持っていた風船が木にひっかかってしまったらしい。確かに頭上を見上げると、俺の背丈の四倍ほどの高さはあろうかという木の上方に、赤色の丸いものが薄く見えた。
長寿の木、とでも呼ぶのだろうか。俺の身長が百七十五㎝ほどだから中々に大きな木だ。
まあ、この程度ならば問題ではない。
「大丈夫。取ってあげるよ」
俺は少女の頭を一撫ですると、つま先で地面を打ち、軽く跳んだ。体に風を受けつつ上空を見上げる。
赤いものが風船であると視認できる位置までくると、木の枝にひっかかっている部分を確認する。どうやら頭の部分が枝につかえてしまっているようだ。
俺は風船を弾くと、伸びた白い尾を軽くつかみ、あとは体を重力に任せた。
心地よい風を背に受けながら、背後の地面を仰ぎ見る。
大丈夫。どうやら少女はその場から動いていないらしかった。驚いたような表情でこちらを見上げている。
俺はそのまま少女の隣、元の位置に羽のように膝のクッションを使いながら着地する。地面が土でよかった。
革靴は土に着地したにもかかわらず、汚れはほとんどなく、いつもよりも綺麗に見えた。
少女に風船を手渡す。風船の色のように、少女の顔にもすぐに赤みが戻った。
「ありがとうお兄さん! でもすごいねっ! あんなに高くとべるなんて!」
「たいしたことないよ。ただの陰陽術の一つさ」
そう、たいしたことはない。
陰陽術とはいっても初歩の初歩。一ヶ月もあれば習得できるただの身体能力強化術だ。学園の生徒ならば誰でも使える。
ただ、俺にとっては習得に三カ月以上を要した術だ。俺が学園での一年の間に習得した、たった一つの陰陽術でもある。
「本当にありがとう、お兄さん」
風船を取るときに指を切ってしまったのか、少し血が出ていたが少女の笑顔を見ていると気にならなかった。
「いえいえ、どういたしまして。暗くならないうちに家にお帰り」
はしゃぎながら手を振る少女に手を振り返して、俺は公園から出た。
夕飯の材料を買って帰らなければならない。時刻はそろそろ夕方に迫ろうとしていた。