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その日、私は朝から落ち着かない気分で部屋の中をせわしなく歩き回っていました。 ぴたりと足を止め、ちらとテーブルの上に置かれた小さな箱を見やります。
箱の中に入っているのは、二度目の結婚記念日の贈り物にと用意した手製のタイピンでした。小さな木片を削り作ったそのピンは、どうかこの幸せで穏やかな毎日がこの先もずっと続きますようにと願いを込めて作ったものなのです。ですが――。
「やっぱり今から別の贈り物を用意した方が……? でもそんな時間はないわよね。なんたってあと数時間後にはジルベルト様がお帰りになってしまうんだし。でも……」
あの誘拐事件を機に心を交わし合った私たちは、互いへの恋心を自覚し本当の愛で結ばれた夫婦となりました。それ以来、ジルベルト様への思いは日に日に募るばかりです。もっと一緒にいたい、できることならばほんのわずかでもその体に触れていたい――。そんな思いがどんどんわき上がって欲張りになっていくばかり。 そんな思いを込めて、月を象った木製タイピンを制作したのですが――。
ジルベルト様の目の色である青緑色と自分の目の色の薄茶色の石をはめ込んだそれは、ありありとジルベルト様への愛情がにじみ出ていました。いざ出来上がってみるとそれがなんとも気恥ずかしくもあるのです。
「でも……せっかく作ったんだもの。ちゃんと勇気お出してお渡ししましょう! 恥ずかしくても、これが私の素直な気持ちなんだもの……」
そう思い直し覚悟を決めたその時でした。勢いよく部屋のドアが開き、ラナが姿を現したのです。
「奥様っ! ミュリル様っ! そろそろお支度をいたしましょうっ」
その威勢のいい声に、思わず目をぱちくりと瞬きました。
「支度……? 一体何の支度? ジルベルト様がお帰りになるのはまだまだ先よね?」
そんな戸惑いの声を気にもとめずラナはふふーん、と笑みを浮かべると、私を強引に化粧台の椅子に座らせました。そして問答無用とばかりに肌のお手入れをはじめたのでした。
「今日は奥様と旦那様の大切な日じゃありませんかっ! となれば、ぴっかぴかのお肌とととびっきり素敵な姿で旦那様のお帰りをお迎えしなきゃいけませんっ」
「で、でもただいつも通り夕食を一緒に食べるだけよ……? そりゃあ大切な日であることに違いないけれど、ジルベルト様だってお仕事でお疲れなんだし普段通りでいいと思うんだけど……」
するとラナは眉尻をくっと上げ、語気強く声を上げました。
「何言ってるんですかっ! ミュリル奥様がおめかしした姿を見たらお疲れなんて吹き飛ぶに決まってますし、その上あんな素敵な贈り物まであるんですもの。普段通りになんてなりっこありませんよ!」
確信めいたラナの言葉に、思わず頬が染まりました。
「何なら歓喜のあまり鼻血を噴いたって、私は驚きませんよ。ですから、ジルベルト様にもっともっと喜んでいただくためにも、念入りにとびっきりきれいにしてさしあげますからねっ。さ、皆! 奥様をとびっきり素敵に磨くわよっ!」
そういうとラナは他のメイドたちと総出で私を全身磨き上げ、とびっきりのおめかしを施してくれたのでした。
おかげですっかり見違えた私の姿に、皆の満足げなため息がこぼれます。
「あぁ……眼福……。今度はぜひ大人っぽい装いにもチャレンジしていただきたいわっ! きっとお似合いになるはず」
「本当に飾り立て甲斐があるわねぇ! こうなったら私、もっとお化粧の腕を磨くことにするわっ」
「あぁ、もう……! かわい過ぎて鼻血が出そうっ!」
どうやら皆女主人となった私を飾り立てるのが楽しみでならないようです。正直に言えば私は自分の見た目にそうこだわる質ではないので皆の熱量に圧倒されてしまうのですが、けれどそれが皆のやりがいにつながっているのならばよしとします。
「皆、私のためにこんなにしてくれて本当にありがとう。でもジルベルト様がお帰りになるまで、まだ時間があるわよね。こんなに早くからこんな素敵な服を着てしまって、皺になったりしないかしら……?」
まだ日が暮れるまでには二時間はあります。こんな格好をしていては当然セリアンたちのもとへと行くわけにもいきません。オーレリーに飛びつかれでもしたらせっかく整えてくれた姿がボロボロになってしまうのは、目に見えていますからね。
するとラナははっとしたように目を大きく見開くと、手をぽんと打ちました。
「そうでしたわっ! 肝心なことをお伝えするのを忘れてましたっ」
「肝心なこと??」
「実は旦那様は今日、陛下の勧めもあって早くお帰りだそうですっ。そうですね……。あと少ししたらお戻りになられるかと」
「ええっ!? そ、そうなの……?」
まさかの報告に、思わず声が上擦りました。 ということは、タイピンを贈るのはもう間もなくということになります。
そしてにわかに落ち着きをなくしそわそわとしているうちに、ジルベルト様がお帰りになったのでした。
「さ、奥様! 旦那様が温室でお待ちです。夕食まで温室でお過ごしになってくださいな。お茶のご用意が整っておりますよ!」
満面の笑みを浮かべたラナに連れられ温室へと向かえば、そこにはバルツをはじめとした屋敷で働く使用人たちがずらりと待ち構えていました。そして朝出かけた時とは違う、洒落た服を着込んだジルベルト様も――。
「ジルベルト様……。ええっと、おかえりなさいませ」
「あぁ、ただいま。ミュリル」
「ええと……、これは一体……?」
温室の中をぐるりと見渡し、思わず驚きの声が上げました。
驚いたことに温室中が美しいリボンや布が飾り立てられ、テーブルの上にはいくつもの豪華なケーキや目にも美しい菓子が並んでいました。まるでこれからここで、盛大なパーティでもはじまるかのように。
「ふふっ。驚いただろう? 実は私もさっきはじめて見て同じ反応をしたところだ」
見れば、ジルベルト様も困惑げに苦笑しています。
「どうも皆が私たちの結婚記念日を特別なものにしようと、色々と用意してくれたようなんだ。せっかく心が通じ合った二度目の記念日なのだから、といって……」
「まぁ……! だからラナたちがあんなに張り切っていたんですね! じゃあ、この温室も皆が?」
驚きの声を上げ皆をぐるりと見渡せば、してやったりといった顔で使用人の皆がはにかみながらこくりとうなずきました。
思わぬ贈り物に思わず顔がほころびます。
「ふふっ! そうだったの。ありがとう……! まさかこんなことを皆が計画してくれていたなんて、全然気がつかなかったわ!」
するとバルツがにっこりと微笑み、恭しく頭を下げると。
「本日はおふたりの大切な日でございますからな。私どもにとってもおふたりがお幸せそうにしていてくださることは、何よりの幸せにございます。このあとも色々と用意を整えてございますので、どうぞごゆっくりお楽しみいただければ幸いです」
「まぁ……! ありがとう……。ありがとう、バルツ。ラナも、皆も……。とっても嬉しいわ……!」
少し気取ったバルツの様子にくすりと笑い、ジルベルト様と顔を見合わせました。その顔ににじんだ甘い愛情に、思わず胸が大きく高鳴ります。
「そういうことだから、せっかくだし今日という特別な日を楽しもう! 何と言っても今日は、私と君にとって本当の意味での記念日なんだし……」
「はい……。はい……! 嬉しいですっ。ジルベルト様」
そう言って甘く笑みを浮かべたジルベルト様に、私もこくりとうなずきました。
少し日の傾きはじめた温室に、あたたかな時間が流れます。おいしい香り高いお茶と、この日のために料理長がとびきり腕を振るって作ってくれた特別なケーキ。いつも以上に張り切って私たちにお給仕してくれる使用人たちも、皆ごきげんです。
その後の夕食ももちろん素晴らしく、皆の思い思いの出し物で時間を忘れるほどに笑い合い二度目の結婚記念日を心ゆくまで楽しんだのでした。
そして夜もとっぷりと更けたテラスに出た私たちは――。
「ふふっ! なんだかあっという間に時間がたってしまいましたね。皆が歌に踊りに、あんなに芸達者だなんて思いもしませんでした! とってもおかしくって……!」
「まったくだ……。まさか皆にあんな特技があったとは……。人は見かけによらないとはよく言ったものだな……」
使用人たちの思い思いの出し物は、それは見事なものでした。中にはセリアンの鳴きまねをする者もいて、きっとセリアンが聞いたらへそを曲げるに違いないと思ったら笑いが止まりませんでした。そうかと思えばラナは庭師の甥だという青年と一緒に小芝居をはじめるし、バルツはパントマイムを見せてくれたりと、あっという間のひと時でした。
「でもまさか結婚記念日にこんなにお腹を抱えて笑う日が来るだなんて、思ってもみませんでした。ふふっ!」
世で言うところの結婚記念日とは、もっとロマンチックなものなのだろうと想像していました。けれど蓋を開けてみれば、なんともにぎやかで楽しくて。けれどそれがいかにもヒューイッド家らしくて、心から幸せだと思えたのです。
「祭り騒ぎの好きなあの者たちにうまく乗せられたという気もしなくもないが……。まぁ、皆が楽しいなら何よりだ」
「ええ! 本当にとっても楽しかったです。とびきり素敵な一日になりましたもの」
心からの笑みを浮かべジルベルト様を見やれば、ふとジルベルト様が黙り込みポケットから小さな箱を取り出しました。
「これを受け取ってくれるだろうか、ミュリル……。にぎやか過ぎてすっかり渡すのが遅くなってしまったんだが」
そう言って手渡された箱を開けてみれば、中には指輪が入っていました。真ん中に大きな薄茶色の石が、それを取り囲むように小さな青緑色の石たちがぐるりと並ぶその指輪は、まるで――。
「これは……!」
そのデザインは、まるで私が作ったタイピンと同じでした。互いが互いを支え合い守るかのように、そっと寄り添っているかのようなデザインのそれに、思わず驚きの声がもれました。
「実は半年ほど前から君に特別なものを贈りたくて、職人に製作を依頼していたんだ。どうせならちゃんと私の……その、思いというものが君に伝わるようなものがいいと思って……。それでこのデザインを……」
「ジルベルト様の……思い……」
「あぁ。私たちにとって寄り添い合うというのは決して当たり前のことではないから、こうして隣り合っていられる時間がどんなに大切で嬉しいか君に伝えられたらと思ったんだ」
その瞬間、辺り一帯がやわらかなぬくもりと甘い芳香に包まれたような気がしました。夜の空気に冷えはじめていたはずの体温がぐっと上がったようで、顔が赤く染まります。
「嬉しい……。とても嬉しいです……。本当に……。実は私もジルベルト様に贈り物があるのです……! 受け取って……いただけますか?」
勇気を出してずっといつ手渡そうかと思いあぐねていた箱を、そっとジルベルト様に手渡します。しゅるしゅると解かれていくリボンを見つめながら、胸をぎゅっと抑えます。
「こ……これはまるで……」
ジルベルト様が目を大きく見開き、紅潮した顔でこちらを見つめました。
「まるで……私が君に用意したものとおそろい、だな。ふふっ! 隣に寄り添うように互いの色の石が並んでいて……。これを君が作ってくれたのか……? 私のために……」
ジルベルト様の言葉にこくりとうなずき、おずおずと言葉を紡ぎます。
「私も……ジルベルト様と同じこと気持ちでこれを作ったんです。いついかなる時もジルベルト様のおそばに……隣に並んでいられますようにって。まさかジルベルト様も同じ気持ちでこの指輪を用意していてくださったなんて……。嬉しいです」
頬を染めジルベルト様を見やれば、視線がカチリと合いました。
「ミュリル……。私は世界で一番幸せだ……。君と出会えてこうしてともにいることができて、本当に……。これからもずっと……最後の時がくるまでそばにいる。ふたり一緒にゆっくりとあたたかな時間を重ねていこう」
ひとつひとつ言葉を選ぶようにそう告げたジルベルト様の目をしっかりと見つめ返し、微笑みます。
「はい……! ジルベルト様……。ずっと……この先もずっとあなたと一緒に……!」
夜の冷えた空気が、熱を帯びた私たちの頬を優しくなでていきます。
互いの愛がとびきりこもった、世界でたったひとつの贈り物。互いの手の中にあるよく似た贈り物は、きっとこの先何が起こっても私たちを優しく見守ってくれる――、心からそう思えたのでした。
こうして私たちはとてもとても幸せな二度目の結婚記念日を、とびきり甘く穏やかに過ごすことができたのでした。
そしてその後も、毎年記念日になると皆でにぎやかに楽しく、少し甘さを添えて過ごすのがお決まりになりました。
次の年も、そのまた次の年もその先もずっと――。
お読みいただき誠にありがとうございました!
Web版と書籍で本筋は変わりませんが、新エピソードなどを大幅加筆してあります。
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