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9月3日一迅社アイリスNEO様から書籍化することを記念して、その後のふたりを描きました。

お楽しみいただければ幸いです。



 ある晴れた日のヒューイッド家の温室。温室の中には色とりどりの花の香りがかぐわしく立ち込め、窓の外では小鳥たちがにぎやかに飛び回ります。

 それを見渡せる絶好の位置にすえられたガーデンチェアに座り、ジルベルト様と過ごす時間。なんとも素敵で穏やかなひと時です。


「……」

「……」


 時折本から視線を上げ、はにかみながら微笑み合います。けれどそこは特別な事情を抱えた私たち。ふたつの椅子の間には、少々不自然な距離が開いていました。


 互いに異性に近づけない恐怖症を抱いた私たちが結婚して、一年と半年が過ぎました。 例の誘拐騒動やら何やらを経て、ようやく心と心が結び合い本当の夫婦となった私たちではありますが、残念ながら恐怖症が治ったわけではありません。よって、いまだに普通の夫婦としては少々不自然な距離があるままです。

 けれどこうして同じ空間で心安らかにともに過ごせるようになっただけでも、大きな進歩と言えるでしょう。


「あっ! そうでしたっ。すっかりお伝えするのを忘れるところでした」

 

 本から顔を上げ、声を上げました。


「実は昨日、アリシア様からお手紙をいただいたんです。なんでも王都の一角に、一線を退いた馬たちがのんびりと余生を暮らせる牧場を建設することになったそうなんです。その指揮一切をアリシア様が取っていらっしゃるとかで、随分張り切っているそうです! ふふっ」

「そうか。あのお転婆も色々と精力的に励んでいるんだな」


 ジルベルト様の声に、驚きと感心の色がにじみます。


「あちらの国では、馬は民と同様に大切な存在ですものね。もう第一線を退いた年老いた馬やけがや病気で働けなくなった馬たちも、のんびり暮らせるような場所を作りたいのだ、と。……あ、あとこれをいただいたんですよ! アリシア様自ら私に似合うようにデザインを考えてくださったらしいのです。ふふっ。素敵でしょう?」


 そう言ってくるりと振り向き、さっそく身につけていた髪飾りをジルベルトに見せます。するとジルベルト様の顔がわかりやすく曇りました。


「むぅ……。今度は髪飾りときたか! まったくアリシアめ。ミュリルに気に入られようとまたそんな貢ぎ物を……。先月は確か意匠を凝らした絹の手袋だったし、その前は耳飾り……。くっ……!」


 ジルベルト様の口からこぼれ落ちた悔しそうな声に、思わず苦笑します。


「もう、ジルベルト様ったら……!」


 その顔ににじんだ自分への愛ゆえの独占欲が、なんだか嬉しいやらむずがゆいやら。


 なぜだかジルベルト様は、隣国の末姫であり今や私の親友でもあるアリシア様に対して強い対抗心を抱いていらっしゃるのです。私を喜ばせるのは伴侶である自分でありたいのに、アリシア様が間に割って入るのが嫌だといって――。

 よってこんなふうにアリシア様が私宛てに贈り物を送ってくださったりすると、おもしろくなさそうなお顔をするのです。しかも、アリシア様に対抗してすぐさま贈り物を用意しだすのですから困ったものです。


 そもそもアリシアはお友だちなのです。今や揺るぎない愛情で強く結ばれたれっきとした夫であるジルベルト様がやきもちを焼く必要など皆無なのですが。


「お願いですから、アリシア様に対抗してまたドレスや装飾品を注文なさったりしないでくださいね……? もうたっぷりいただいてますし、お気持ちだけで十分ですから……」


 慌ててそう釘をさせば、ジルベルト様の顔が残念そうに曇りました。


「しかし……、むぅ……。そうか……、まぁ君がそういうのなら仕方ない。今回は目をつむることにする。……それに」

「それに?」


 一瞬言葉を切ったジルベルト様に、小さく首を傾げれば。


「……!」


 ジルベルト様の手がそっとこちらに伸び、髪飾りに触れました。その触れるか触れないかといったなんとも優しい、けれどいまだどこか遠慮がちな行動に思わず頬がぽっと染まります。


「それにまぁ……くやしいが好みはいい。君によく似あっている……。とても、きれいだ」


 そう言って優しく微笑むジルベルト様の顔はあまりにも甘くて、胸が大きく音を立てます。

 こうしてふたりで一緒に過ごす時間を積極的に持つ機会が増えたとは言え、今も東と西にわかれて暮らしているのです。いまだ手をつなぐのがやっとの愛する人にそんなに甘やかに微笑まれ、その上きれいだなんて言われてしまっては赤面するのも当然でした。 けれどそこににじむ愛情が嬉しく、うつむきながらお礼の言葉を口にします。


「あ、ありがとうございます……。ジルベルト様……」


 少し照れていらっしゃるのでしょう。ジルベルト様もお顔もほんのりと赤く染まっています。


「にしても、あのお転婆も頑張っているんだな……。最初は馬にも近づけなかったのに、今では年老いた気性の穏やかな馬や仔馬になら触れられるようになったのだろう? いくらセリアンで多少は恐怖がやわらいだとはいっても、大変だったろうに……」


 ジルベルトのしみじみとした驚きをにじませた声に、こくりとうなずきます。


「はい。頑張り屋のアリシア様のことですもの。恐怖と必死に戦って、何度も何度も繰り返し頑張られたのだと思います。やっぱりアリシア様は立派な王女様だわ。たとえ馬に乗れるようにはなれなくてもきっと自分にもできる関わり方があるはずだって、必死に自分を鼓舞されたに違いないもの」


 異性への恐怖症を抱える私たちと馬への恐怖症を抱えるアリシア様とは、いわば同じ苦しみを知る同士でもあるのです。

 そんなアリシア様がこうして日々国で恐怖と戦い努力を重ね進歩していらっしゃる姿は、私にとって大きな励みとなっていました。 それはジルベルト様も同じようで、アリシア様を恋敵として煙たがってはいてもその頑張りについては心から認めているようです。


「最近では、国中でアリシア様の人気が高まっているそうですよ。民はもちろん馬も心から愛し慈しんでくださる素晴らしい王女様だって。次代の王位にと望む声も日に日に大きくなっているとか……」


 アリシア様の上には、五人の兄姉様がいらっしゃると聞いています。けれど、アリシア様の自国と民を思う心は他のどの兄姉様よりも深く、それはアリシア様のご家族皆が認めるところなのだそうです。そんなアリシア様をそう遠くない未来の為政者として望む声が国民からあがるのも、そう不思議なことではないのかもしれません。


「もちろん上の兄姉様たちも皆素晴らしい方たちだと聞いてますけど、アリシア様がもし王位についたらきっと素敵な女王様になると思うわ! もしそうなったら私、とっておきの木彫り作品を作って贈ろうと思っているんです!」


 ついそんな未来を思い描き、目を輝かせます。するとジルベルト様もまんざらでもなさそうにうなずいたのですが――。


「くくっ。しかしあのお転婆が、果たして大人しく玉座に座っているかどうか……。しょっちゅう王宮を抜け出してあちらこちら飛び回っては、周囲をやきもきさせそうだ」


 その言葉につい噴き出しました。


「まぁ、ジルベルト様ったら! ふふっ。でも確かにアリシア様ならやりかねないかも……」


 かつての誘拐騒動のきっかけとなったアリシア様の脱走の顛末を思い出し、私たちは顔を見合わせ明るい声で笑い合うのでした。



 ◆◆◆


 そんなふたりの姿を、にこにこと嬉しそうに見つめる影がふたつ。


「おふたりとも、楽しそうですね! ふふっ。あんなに見つめ合っちゃって……。あぁ、もう! いっそのこと、もっとくっついちゃえばいいのに。ほらっ、今がチャンスですよ。ジルベルト様っ! ……あぁっ、もう。ジルベルト様の意気地なし!」


 ラナがじれったそうにお仕着せをぎゅっと握りしめ残念そうにつぶやけば、その隣で息をひそめていたバルツがやれやれといった顔でラナを見やった。


「ラナ、一応はジルベルト様はこの屋敷の主で雇い主なのだからもう少し言い方を……」


 そう言いながらも、内心バルツも主であるジルベルトの今ひとつ勇気の出ない態度には焦れったさを覚えていた。けれどそれもミュリルを怖がらせたくない、大切にしたいという思いからだと知っているからこそぐっと言葉を飲み込んでいるのだ。


「はぁい……。それにしてもやっぱり、このままというわけにはいかないんじゃないですか?」

「う……うむ」


 ラナの不安げな声に、バルツも小さく嘆息した。


「お二方とも、恋愛という意味ではまったくのポンコツ同士ですもんねぇ……。予想はしてましたけど、このまんまじゃせっかくの記念日がただのお食事で終わっちゃいますよ?」

「贈り物を交換し合っていつもより少し豪華な食事をするだけで終わってしまうのは、さすがにもったいない……。となれば……」


 バルツはそうつぶやき、ラナと顔を見合わせうなずいた。


 なぜ使用人であるバルツとラナが身をひそめるように主夫婦をこっそりと観察しているのかと言えば、間近に控えた主夫婦の二回目の結婚記念日の動向を探るためだった。


 さまざまな障害を乗り越えゆっくり愛を育むふたりを、使用人たちはあたたかく見守り続けていた。けれど恋愛と無縁の人生を送ってきたふたりの歩みは、なんともじれったくも映る。だから考えたのだ。心と心が結び合ってから迎えるはじめての結婚記念日を、自分たちの手でとびきり甘く素晴らしい一日にできないか、と――。

 その方法を探るべく、ラナとバルツはこうしてジルベルトとミュリルの様子を観察していたのだった。


「奥様はジルベルト様への贈り物をせっせとお作りになってらっしゃいますけど、あとはいつも通りでいいとお考えみたいです。お仕事で疲れていらっしゃるだろうからと。でもそれじゃあ、普段と変わり映えしない一日で終わっちゃいます!」


 ラナの不満そうな声に、バルツも眉をひそめた。


「旦那様も贈り物はすでに用意されている。あの方にしてみれば、これ以上ないほどの贈り物だとも思うが……、それ以外は何も考えてはおられないだろう。さすがにお仕事を休まれるのは難しいだろうが、せめてなんとかできないものか……」

「せっかく心が通い合ってから迎える結婚記念日ですものっ! 絶対にとっておきの一日にしなくちゃもったいないですっ! 休みを取られるのが難しくても、せめて特別な時間を過ごしていただくなくちゃ……!」


 拳を握りしめたラナに、バルツも大きくうなずいた。


「うむっ! なら私は当日せめて数時間でも早く帰宅できないか、旦那様にかけ合ってみるとしよう! ラナ、お前は奥様をとびきりドレスアップするための用意を! あとは、料理やスペシャルなケーキも考えねばな……」

「そうですねっ! なら使用人たちがそれぞれ出し物を考えるのはどうでしょう? おふたりだけじゃ会話もそう長くは保たないかもしれませんし、皆でにぎやかに盛り上げれば……!」

「出し物か……。いいかもしれないな……」


 バルツとラナはああでもないこうでもないと考えを巡らしながら、にんまりと笑みを浮かべ合った。


 大切な主夫婦の二度目の結婚記念日。それは、ふたりが心を通わせあってはじめて迎える本当の意味での結婚記念日でもある。そんな大切な日をどうにか素晴らしい思い出に残るものにしたい。そしてできることならば、それがふたりの愛を一層深めるきっかけとなってくれたら嬉しい。


「記念日まであと三ヶ月……! 頑張ってとびっきり最高の一日にしましょうねっ。バルツさんっ」

「あぁ! 皆と力を合わせて、最高の一日にしてみせるぞっ」


 ふたりは決意をみなぎらせ、がっちりと握手を交わしあった。

 そんなことなど露知らず、ミュリルとジルベルトは楽しげに笑い声を上げながら昼下がりの甘いひと時を楽しむのだった。



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