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はじめて尽くしの私たち

 



「初めて会った時、ジルベルト様は私をお守りのような存在だといってくれましたよね」

「ああ……、そうだったな」


 ジルベルト様が、小さくうなずきます。


「……でも、私はあの酒蔵に閉じ込められていた時に月をみて、分かったんです。私のお守りは、あなたなんだって」

「お守り……。私が……君の……?」


 こくりとうなずくと、ジルベルト様の頬にさっと朱が走ったのが見えました。


「私……あの酒蔵に閉じ込められている間、恐怖にとらわれて弱気になっていたんです。もうだめかもしれないって……。でも窓から見える月を見た時、ジルベルト様のことを思い出して勇気が出たんです」

「月を……?」


 ふと馬車の窓からのぞけば、そこにはまだ月がぽっかりと浮かんでいました。


 その光に励まされるように、思いを伝えます。

 どうかこの思いがちゃんと伝わりますように、と願いながら。


「恐怖に負けそうになっていた私の弱い心を、ジルベルト様がすくい上げてくれたんです。あなたを思い出して、絶対にここから出てやるって、そしてあなたに会いたいって思えたんです。だからあなたは、私のお守りです」


 その言葉に、なぜかジルベルト様ははっとしたように口元を手で覆っています。

 その行動にどんな意味があるのかはわかりません。


 戸惑いなのか、それとも喜びなのか。まったく別のものか。


 けれど、今思いを伝えなきゃだめだと思ったのです。

 今でなくては、と。


 だから、私は勇気を振り絞り――。


「ですから今度は私が……、私があなたのお守りになりたいのです。できることなら、これから先もずっと。あなたが安心して頼ってくださるくらいに、強く支え守れるような存在になりたいのです」


 気がつけばぎゅっと握り込んでいた手に、爪のあとがついていました。

 

 ジルベルト様が私の言葉をどう思われるかは、わかりません。

 でもやっと、伝えることができました。心の中にずっとあったこの思いを。


 もしかしたら、一方通行な思いかもしれません。でも、伝えずにはいられませんでした。

 だって、ジルベルト様に出会えたからこんな思いがあることを知ることができたのです。ジルベルト様のおかげで、はじめて恋というものを知ったのです。


 後悔は、ありません。


 やっと伝えられた安堵と、もう言葉にしてしまったという不安とを感じながら。

 それでもきちんと思いを伝えられたことに、私は小さく息をついたのでした。




 そして、ゆっくりと視線をあげた私にジルベルト様は。

 口元を覆っていた手を下ろし、私を真っ直ぐに見つめ。

 

「私は……私も同じ気持ちなんだ。君は私の大切なお守りで、私は君を守れる存在でいたい。そして……できることならば、君ともっと……」

「……もっと?」


 今やジルベルト様の顔は、耳の先まで真っ赤に染まっていました。


「……私は、君に触れたい」

「えっ……?」

「あ……」

「……」


 長い長い沈黙が、私たちの間に落ちました。


 触れたいというのは、たとえば手を握りたいとか、肩を抱きたいとかそういう意味でしょうか。

 ですが、いくら夫婦とはいえ恐怖症同志の私たち。いくらなんでもいきなりは、無理があると思うのですが。


 どう返すのが正解なのか分からず、困惑していると。


「い、いや! すまない。違う。いや、違わないんだが。……違うんだ。どうか怖がらないでほしい」

「……怖がったりは、しないです。けど……」


 まるで叱られた子犬のようにしょんぼりとうなだれたジルベルト様が、なんだかかわいらしくも見え。わき上がるのは愛しさで。


 そして、ふと気がついたのです。

 恐怖心など、ジルベルト様相手にははじめからなかったことを。


 それがなぜかとても嬉しくてふわりと微笑めば、ジルベルト様と目が合いました。その顔は、優しくはにかんでいて、胸がきゅっとなり。


「ミュリル……私は、君のことをもっと知りたいと願っている。もっと近づきたい……いや、その物理的には無理でも、せめて心の距離だけでももう少し近くにありたいと。君は……どうだろうか?」


 おずおずと、ジルベルト様がうかがうように私の目を見つめ。

 そして私は、全身に喜びがかけ巡るのを感じていました。


「私も……私もです。ジルベルト様のことをもっと知りたい。もっと近づきたい……。普通の夫婦のようにとはいかなくても、せめて心の距離だけでももっと近くありたいと願っています」


 私とジルベルト様の思いが、重なった気がしました。


「ミュリル……。たとえ君に物理的には触れられなくても、心だけでも近くにいたい。だからどうか、私とともにいてほしい。ずっとそばに」

「ジルベルト様……」


 私も同じ気持ちです。だからこれからもずっと一緒にいてください。


 そう言いかけた、その時。


 フワンッ……バウゥ……。


 寝ぼけたオーレリーの声に、はっと私たちははじかれたように足元に目を向けました。


 オーレリーは夢でも見ていたのか、ワフンッ! とひと鳴きすると、またすやすやと寝息を立てはじめたのでした。


 その様子に、私たちは。


「ふふっ……」

「ふっ……ははっ」


 気がつけば、張り詰めたぎこちない空気はどこかへと消えていました。

 馬車の中にはあたたかなやわらかな空気が満ちていて、それはどこまでも平穏で。



 恐怖症という人には言えない秘密を抱えた弱くて不器用な私たちは、何もかもがはじめて尽くしで。


 こうして同じ馬車に乗るのも、小さな空間にふたりきりで向き合うのもはじめてなら。

 こんなふうにくだらないことで笑い合うのも、はじめてで。


 はじめて尽くしの私たちには、まだ互いに触れ合うなんて難しくて。


 ようやく、お互いへの確かな信頼と新芽のように小さな愛情が育ちはじめたばかりなのです。




 けれど、この日はじめて私たちは。

 

 お互いの体温にふと触れたような、そんなあたたかい感覚を共有することができたのでした。

 




 そして、屋敷へと戻った私は。


 顔を涙でぐっしょり濡らしたラナに痛いほどぎゅうぎゅうと抱きつかれ、バルツは肩を震わせて男泣きしながら出迎えてくれ。

 念の為と医者の診察を受け、もちろん何の問題もなく。



 大活躍だったセリアンとオーレリーは、皆からこれでもかというほどのご褒美を与えられご満悦な様子で。ひとしきり感謝を伝えた後、気持ちよさそうに眠りにつき。


 モンタンはというと、まぁいつも通りです。いいんです。モンタンはこれで。いつものように、かわいさで癒やしてくれました。



 こうして私は、あんな恐ろしい目に遭ったのが嘘のように、あたたかく私を迎え入れてくれてくれたお屋敷にほっと安堵しながら日常へと戻ったのでした。






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