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今はまだ届かない、小さな声


 その後も、使用人たちとの距離(物理)を縮めるべく日々励んでいた私ですが。


「奥様、ちょっとご無理をなさっておいででは? 顔色が少し優れませんよ」


 ラナの声に顔を上げると、そこには心配そうにこちらをのぞきこむラナの顔がありました。


「そうかしら? すこぶる体調はいいんだけど……」

「でもここのところお客様も続けざまにおいででしたし、それに加えて恐怖症を克服したいと色々しておいでですし……」


 ええ、まぁ。それはそうなんですけど。


 こんなことに付き合わせて申し訳ないと思いつつも、恐怖症が発動しそうな年頃の男性の使用人に協力してもらい、克服チャレンジを試みているのです。


 でも決して無理をしているつもりも、疲れている感じもないのですが。


「今日はゆっくりなさってはいかがですか? 何事も無理は禁物ですよ?」


 こうも心配そうな顔をされては、致し方ありません。いつも良くしてくれているラナを、はらはらさせたくはありませんし。


「……そうね。ラナの言う通り、今日は動物たちのお世話が終わったら、あとはのんびり読書でもしようかな」

「ぜひそうなさってくださいまし! じゃあ午後のお茶の時間に、とっておきのスイーツを用意するようコックに伝えておきますね!」


 ラナの顔が嬉しそうに輝きます。


 本当にラナったらどうしてこんなにかわいくて優しいんでしょうね。ラナのような人に側についていてもらえて、幸せです。ええ。


 なんだか嬉しくなって微笑みながら、先程渡されたばかりのジルベルト様からの業務連絡書、もとい手紙を開きます。


 するとそこには、ジルベルト様からも私の訓練を心配する言葉が書かれていて。


『恐怖症を克服しようと訓練されていると聞きました。ですが、あなたがご無理をなさっているのではないかと心配しています。ですからその代わりに、もしひとつだけ私のお願いを聞いてくださるのなら――』


 それに続く文面に、私は固まりました。


「奥様。どうかなさいました?」


 ラナの声にはっと顔を上げた私は、どうにも困惑を隠せず。


「ええと……ラナ? 今日から毎朝、ジルベルト様が私と挨拶をなさりたいそうよ。あとお帰りが早い時にもお迎えをしてほしいのですって」


 一体どういう風の吹き回しでしょう?


「……は? それならもうとっくにされてるじゃありませんか。毎朝窓から奥様のことをじーっと熱い視線で見つめていらっしゃるの、あれ旦那様ですよね? まぁあれを挨拶というのかのぞき見というのかは置いておくとして」

「……」


 やっぱりラナも気がついていたのね。あえて今まで口には出していなかったのだけれど、あれだけじーっと見つめられればさすがに視線に気づきます。ええ。


「挨拶って……距離を置いてですよね? ということは、離れた場所から手を振ったり、とか?」

「……さぁ。そんなところ、かしら?」


 ラナが眉をひそめて、小首を傾げます。

 

「でもどうして急にそんなことを?」


 ラナが不思議そうに首を傾げていますが、私も同感です。


 手紙には、私が今しているような訓練は心配だから、その代わりに夫婦としての親交を深める練習に付き合ってほしいと書かれていました。その方がいずれ役に立つかもしれないから、と。


 もちろん見送りとはいっても、甘い雰囲気のものなんかじゃなくて。 

 お屋敷の門から出ていかれるジルベルト様を離れたところから私が見送り、お帰りの早い時も同じように出迎えるだけでいいらしいのですが。


 朝の挨拶と、お見送り。

 確かにそれを日課にしてしまえば、少しは男性への精神的なハードルも下がるかもしれませんし、もう少し夫婦らしさを演出できるかもしれません。


 遠くから挨拶ができればそのうち声をかけ合うことだってできるようになるかもしれないし、向かい合っておしゃべりだって……。

 そうできたらどんなにか――。


 ふとそんな思いが胸をよぎります。


「ジルベルト様の負担にならないかしら?」

「うーん……。まぁでも、旦那様も奥様ばかり頑張られているようで気になるのかもしれませんよ? いいんじゃないですか?」


 確かに他の男性に慣れる訓練をするよりは、結婚したジルベルト様に慣れる方が近道かもしれません。もともと契約夫婦と疑われないように社交ができたらいいな、と思って始めたことですし。


 でも、どうしてでしょうか。

 胸が落ち着かないのは。

 そわそわ、ドキドキしてしまいます。ただの挨拶なのに、どうして。


 

 こうして私は。

 

 ジルベルト様からの思いもよらない提案に戸惑いつつ、私は初めてのお見送りへと向かったのでした。






 ◇◇◇◇



 門の前には、すでに馬車が止まっていました。


 そしてそこに現れたのはこの屋敷の主人であるジルベルト様、その人で。

 こうして朝の出立をお見送りするのは、正真正銘はじめてです。


 ぱりっと仕立ての良い服を身にまとい朝日に輝く銀髪を後ろでひとつにリボンで束ねたジルベルト様は、まるで絵画から飛び出してきたような美しさで。


 思わずその姿にほう、と息をついた私は。


「……っ」


 ちらり、とジルベルト様がこちらを向いたのに気がついた瞬間、息をのみました。


 いえ、私がここにいることは当然ジルベルト様はご存知ですから、こちらに視線を向けるのは当然なのですが。


 遠目でも、ジルベルト様の頬と耳がほんのりと赤く染まっているのが分かります。そして、ほんの一瞬右手がこちらに向けて上げられ、そして馬車へと乗り込んでいかれたのでした。

 

 その様子が、なんともくすぐったいというか、気恥ずかしいというのか。

 でもどこか胸がぽわぽわとあたたかくなるようで。


 その姿を見ていたら自然に。

 ぽろり、と口からこぼれ出ました。


「いってらっしゃいませ、ジルベルト様」と――。


 こんな小さな声では、きっとジルベルト様のいる場所には届かないでしょう。

 

 でもいつかこの声が届くくらいの距離で、いってらっしゃいと見送ることができたら、などと思うのでした。




 じりじりと、でも私たちにとっては大きな一歩と言えるそんなじりじりとした挨拶を積み重ねているうちに。

 私たちの心の距離が、ほんのわずかだけ近づいたそんな気がしていた頃。




 思いもよらぬ嵐は、近づいていたのです。


 小さくも、大きな威力を持つ王女様という名の嵐が――。




週末は複数話更新できる……かもしれません。

そろそろ二人が近づきはじめる(not 物理)はず。


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