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音色少女と白い代奏者  作者: 山奥一登


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16/30

もう一度聴きたい音色②

『相談があるんだけど、少し話せない?』

 部活終わりにスマホを見ると奏からメッセージが来ていた。そんなこと滅多にないから何だろうと少し不安に思うけど、すぐに『家に帰るから少し待って』と返した。既読はすぐについた。家に帰ってすぐ電話をかける。奏は待っていてくれたのか、すぐに出た。

「もしもし、どうしたの?」

「うん、実はね」

 奏の声色はいつもより暗かった。そして今抱えている悩みについてぽつぽつと話し始めた。公民館で知り合ったお婆さんと、一度も聞いたことのないその旦那さんの音の再現。どうしたらいいか、という相談だった。

「うーん、難しいと思うな」

 私が正直に言うと、だよねと一際暗い声が返って来た。ただ、難しいというだけで不可能ではないという気もした。自身の音の特徴をすべて把握し、それを楽譜に落とし込むことのできる奏なら、不可能なことではないと思う。

「奏はそれが不可能だと思うの?」

「いや、そうは思わないけど……」

 奏自身、不可能だと思っているわけではないようだ。

「奏がそう思うならできるよ。そのお婆さんに話を聞いて、旦那さんの情報をかき集めれば。その旦那さんがどんな演奏者だったか、どんな音色だったか、考えて再現すればいいだけだよ」

「うん……」

 奏の声はまだ暗い。不安なのだろう。

「大丈夫だよ。奏の言う音色はその人の特徴で、人生そのものなんだから。それを把握できればきっと再現できるよ。奏もそう思うんでしょ?」

「……うん。そうだね。とりあえず色々聞いてみて、もしダメだったら別の方法を考えるよ」

 奏はようやく、いつもの明るい調子を取り戻した。力になれたみたいでよかった。

「頑張ってね。相談ならいくらでも乗るから」

「うん、ありがとう。あかり」

「どういたしまして。それじゃ、おやすみ」

「うん、おやすみ」

 電話を切ると、部屋は静寂を取り戻した。スマホを置き、ベッドに倒れ込む。



吉原さんの家を訪れた後も、僕と水谷さんは午前中に時間を合わせて練習を続けた。音無さんからは『吉原さんの家に行くことにする。使ってたピアノとか楽譜とか見ればいろいろ掴める気がするの』と連絡があった。それから既に一週間。僕たちは音無さん抜きでも欠かさず練習を続けていた。

「奏ちゃん、大丈夫かな」

「どうだろう」

 野球部の応援歌作りの時もそうだったが、僕たちは楽譜作りであまり力になることはできない。もどかしい気持ちをどうにか抑えつつピアノに向き合い続けていたが、限界が近づいていた時だった。水谷さんのスマホが震えた。

『明日一回音楽室に行くね。ひとまず楽譜ができたから弾いてみてほしい』

 音無さんからの連絡があり僕らはとりあえず安心した。翌日、音無さんの持ってきた楽譜を再現する練習が始まった。が、これはこれまでのようにはいかなかった。

「そこ、もっとこう……」

「いや、さっきの方がよかったかな……」

 音無さんは度々このように言葉に詰まった。イメージと違う、というのは分かっていてもそれを上手く言葉に、いつものような擬音にできないようだった。音無さんもまだ確信が持てていないのだろう。僕が演奏を再現した後も、音無さんは修正のために吉原さんの家に赴いた。そして修正部分を再現するとまたイメージのためにと吉原さんの家に向かった。

 そして更に1週間ほどが経過した。

「よし、これで私のイメージ通り」

 音無さんはようやく自身の作った楽譜に確信を持てたようだった。その部分の修正を終えて、僕と水谷さんは2週間ぶりに、音無さんは一日ぶりに吉原さんの家を訪れた。旦那さんの使っていたピアノを使わせてもらうことになっていた。

「楽しみだわ」

 吉原さんは努めて明るく言った。ピアノの前には3つの座布団。音無さん、水谷さん、そして吉原さんが座っている。僕は3人だけの聴衆の前で、練習通りに楽譜を弾き始めた。

 弾き始めるとすぐに、懐かしい雰囲気が僕を包んだ。何回も聴いたことのあるクラシック曲。クラシックなんてどれも僕らが生まれるよりはるか昔のものであり、その背景を聞いても僕らには懐かしいという気持ちよりはまるで異世界のことのように聞こえる。この曲も当然、そんなはるか昔に作られた曲だ。だけど今弾いている「音色」には、等身大的ななつかしさがあった。身近に感じられる「古さ」とでも言うのか、初めて吉原さんの家に来た時のような感覚、たまに祖父母の家に遊びに行った時のような感覚。そういう親近感のあるなつかしさがこの曲に、音色に込められていた。そして弾きながら、違和感に気が付いた。

 弾きやすい。

 理由はすぐに分かった。ピアノの癖だ。多く叩かれた鍵盤が音楽室のものよりも沈みやすくなっている。きっとこの曲を沢山弾いていたのだろう。そのことを明確に理解できた。そしてこの部屋で、吉原さんの旦那さんがこれを弾いている姿を想像する。遺影に映る柔らかい表情には人の好さが滲み出ている。

きっとあの人は、こんな風に弾いていた。

 指が勝手に動いているような、奇妙な感覚に陥っていた。初めての体験だったと思う。けれど驚きはなかった。大丈夫、きっと吉原さんの心に届く演奏ができているという、安心感と幸福感が僕を包んでいた。

 演奏が終わるとすぐに吉原さんを見た。下を向いて目を瞑っている。横の二人も、じっと吉原さんを見つめていた。

「どうでしたか」

 音無さんが聞くと、吉原さんはうんうんと頷いた。

「あの人の音だった。あの人の……。あきひとさんの」

 吉原さんはそれ以上何も言葉を継げなかった。代わりに泣き声が涙とともに溢れる。音無さんと水谷さんがその曲がった背中を摩り、優しく声をかける。そして一緒に涙を流し始めた。

「ありがとう。本当に、ありがとう」

 吉原さんは隣で泣いている二人を抱き寄せ、そして僕を見て笑顔でそう言った。


 音無さんと水谷さんはひとしきり泣いた後子供のように眠ってしまった。吉原さんは二人に厚手のタオルケットをかけると、僕にお茶を用意してくれた。

「ありがとうございます」

「いいよ。気にしないで」

 外は暗くなっていた。時計は19時を表示している。

「君たちはすごいわね。本当にあの人の音だったわ」

「それなら良かったです。彼女が頑張りましたから」

 眠っている音無さんを見た。

「毎日のように来てくれたからね。家のこともいろいろ手伝ってくれて、孫ができたような気分だったわ」

 しみじみと遠い昔の思い出を語るように言った。音無さんの音への真摯さ、そして執念には頭が上がらない。

「すごい才能よね。それで、自分でそれを理解している」

 吉原さんはジッと音無さんを見つめていた。

「だからあんなに自分を追い込むのかしら。使命感?きっとそのせいなのね……」

 その言葉が、きっと音無さんのことを言っているのだということは理解できた。けれどその意味までは理解できなかった。

「それにしても、途中からすごく調子が良くなっていたわよね。あれもあの子が指示したの?」

「ああ、いえ。何か身体が勝手に」

 楽譜には特に指示の追加などはなかった。あの不思議な感覚を思い出す。

「きっと、旦那さんがこう弾くんだよって教えてくれたんだと思います」

 僕が言うと、吉原さんはくしゃりと笑った。

「そうだとしたら、素敵な話ね」

 二人で、窓の外に広がる夜を眺めた。きっと以前は僕のいる場所に旦那さんがいたのだろう。今日の演奏が、吉原さんにとってどういう意味を持つのかは分からない。だけど、外を眺める横顔はとても柔らかく明るかった。この前の、去り際の悲しい微笑の影はもうどこにも感じられなかった。


「今日は本当にありがとう。またいつでも来てね」

 吉原さんは僕たちの手を、一つ一つ確かめるように優しく強く握った。二人はまた泣き出しそうに目を細めた。

「また来ます」

 そう言うと吉原さんは大きく頷いた。僕たちが十字路を曲がるまで、吉原さんは僕らを見守り続けていた。吉原さんが見えなくなると、音無さんはぎゅっとこぶしを握った。

「私、これからも色んな人の助けになりたい。きっと私にしか、ピアノでしか救えない人もいる。そういう人たちの力になりたい」

「うん、そうだね」

 音無さんの言葉に、水谷さんが賛同する。僕も頷いた。けれど、音無さんの言葉を聞いて僕は先ほどの吉原さんの言葉を思い出していた。

 使命感。

確かに音無さんのそれは、他の人よりも、他の感情よりも大きい気がする。

 


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