9 友情
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少し遡り、リアナがセンディノ家を抜け出した翌日。
侍女がリアナがいないことに気がつくより先に、エリアスがファビオに連絡をつけていた。
いち早く父に連絡し、滞在先がはっきりしており、しかもロメリ家であればしばらく様子を見てもいいのではないかと提言した。
ロメリ家からも連絡を受けていた侯爵は、ファビオにこの件を一任し、優先して対応することを命じた。
今回の件では父が面白がっているところがあり、今のところリアナを拘束する気はないように思えた。父が本気を出して人を意のままにしようとすれば、リアナはすぐにでも捕らえられ、部屋に閉じ込めて、一月もしないうちにどこかの貴族家に引き渡されるだろう。たとえ礼儀作法が適っていない娘だとしても、センディノ家の申し入れを断れる家の方が少ない。
それをしないと言うことは、父にも何らかの考えがあるのだろう。
自分に任されるのであれば、友人としてリアナが少しでも本来の自分を殺すことなく生きていける道を選べるようにしてやりたい、とファビオは思った。
エリアスとは頻繁に連絡を交わし、時々様子を見に行ったが、店先を掃いたり、品出しをしたり、時に荷物を運ぶ者を助けたり、ごく普通の街の住人として生きる姿は前の領主の家での暮らしに近く、自然体だった。少なくともウルバノの領主の家の暮らしはリアナには合っていないのだろう。
しかし、リアナは王家の血を引く人間だ。
自ら得た給金で髪を結ぶ紐を買う姿を見て、いつかはそういう生活ができなくなることを早く自覚しなければ、どこに嫁がされるにしても不満を感じ、逃げ出してしまうだろう。そして逃げるほどに、次は逃げられないようより厳しい監視がつく。
ファビオにはリアナを自由にしてやれるほどの力はない。しかし、いつかは戻らなければいけないのなら、できれば本人の意思で、覚悟をもって戻ることを願った。
話をしようと店に入ったが、どう切り出せばいいかわからず、客の振りをしてそのまま帰った。
エリアスから店番をしている時間を聞き、自分の非番の日に合わせて何度か客として足を向け、もう見つかっていることを暗に伝えているつもりだった。
エリアスからは
「あのさー。じれったいんだけど。お嬢をこのままにしとけないだろ? 侯爵がしびれを切らしたら、お嬢の自由はなくなるんだから、早いとこお嬢と話をつけてよ」
と、呆れた様子でせっつかれたが、それでもファビオは待った方がいいと判断し、自ら声をかけなかった。
ファビオが店に来るのを気にするようになり、落ち着かなくなったリアナがようやく話しかけてくるのに一月ほどかかった。
街の噴水の下で話を聞き、まさか「真実の愛」を引き合いに出して自由を求めるとは。
無茶な話だったが、承知の上で父に掛け合うと
「それなら『真実の愛』の相手を連れてくれば、逃げられないという訳だな」
そう言って父はいつもの調子でにやりと笑った。
「人とは限らないかも知れません」
と答えると、
「なら、心当たりの灰色を全て連れてくるように。手配がついたら、その日を面会日として設定してくれ」
と指示を受けた。
ファビオはすぐに二つの心当たりに声をかけ、センディノ家に招いた。
人はすぐに了承し、都合のつく日を調整し、迎えを出した。
もう一つの心当たりは馬だった。飼い主はすぐに見つかった。旧領主の家から無料で譲られた馬は、別の農耕馬と交換を申し出ると喜んで受けてもらえた。
それもそのはずだ。マイペースで人を見るところがあり、一緒に行った騎士団のセリオが乗ろうとしてもさらりと身をかわし、座り込み、全く言うことを聞かない。
「リアナを知ってるだろう。リアナがおまえに会いたがってるようなんだ」
その名に、馬は耳をピクリと動かした。
「会わせてやるから、俺を乗せるか、でなければちゃんと着いて来い」
いかにも不承不承と言った動きで立ち上がると、その馬はファビオがまたがっても文句を言わなくなった。
きちんとしつけている自分の馬を着いて来させ、灰色の毛の馬に鞍を着けて家まで戻ったが、小柄ながらも足取りはしっかりしていて、乗り心地も悪くなかった。時々他の馬を馬鹿にするようにペースを上げてみたり、休憩時間になると次の出発を渋ったり、大した距離ではなかったがなかなか癖のある馬を屋敷へ連れ帰る仕事はストレスの溜まるものだった。
結局、ファビオの読み通り、灰色の髪の人も、灰色の馬も、どちらも「真実の愛」だった。真実がつこうがつくまいが、人にはいろいろな愛があるものだ。
侯爵家ではある程度の中傷に動じないことも学びだとして、噂話ごとき黙認していたが、客人の部屋に嫌がらせをした物証が残されたことを受け、使用人達の再教育に利用した。
リアナに陰口をたたいていた者は三ヶ月間の減給となり、みっちりと夫人と執事から再教育を受けた。中でも反省の見られなかった二人は紹介状もなしで追いやられた。
厳しく接していても、夫人がリアナを気に入っていることを知った使用人達は、間もなく戻るであろうリアナへの対応を変えざるを得なかった。