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8 「真実の愛」の相手

 一週間後、ファビオから連絡が来て、次の日の昼にセンディノ侯爵と会うことになった。

 連絡と一緒に持ってきた箱がロメリ家のメイドに渡され、お土産かと思っていたら、翌日そこからドレスが出てきて、手慣れた様子であっという間に身支度を整えられた。

 侯爵に会う、ということはそういうことだ。最初にセンディノ家を訪れたときの方があり得なかったのだ。

 迎えに来たファビオと共に馬車に乗り、久々に訪れた侯爵家は、ほんの前までそこで過ごしていたにもかかわらず見知らぬどこかのように思えた。

 出迎えた執事も、そばに控えている侍女も緊張している。

 断罪の夜会会場はこんな緊張感を持っていたのかもしれない、とふと思った。


 招かれたのは、初めてこの館に通された時と同じ応接室だった。

 センディノ侯爵と侯爵夫人が並んでいて、その目が少し怖く映ったが、ひるむことなく

「ご多忙な中、お時間をいただき、ありがとうございます」

と言って、深々と礼をした。

「かけたまえ」

 言われたまま席に着くと、なぜか隣にファビオが座った。付添人になってくれるのだろうか。

「体調がよくなったようで、何よりだ」

 建前上の病気設定には反論せず、軽い会釈で答えた。

「で、今日は何の話だったかな」

「…、私…」

 ふと、相手がこの国でも有力な侯爵だと、改めて思い出してしまった。心が震えてくる。しかし、このままロメリ家に逃げていても迷惑がかかるだけだ。

「私は、やはり愚かな父と母の娘のようです。とある方がどうしても、忘れられないのです。この思いを胸に、…し、…真実の愛に生きる覚悟を決めました。ですから、私のことは…」

「ほう、…真実の愛、ね」

 薄ら笑いを浮かべた侯爵は、

「ロメリ家で男に会っていた様子はなさそうだったが」

と、リアナが隠れていた場所も、そこでの様子も全て知っていることをほのめかした。

 隣にいるファビオが訪れて来るくらいだ。侯爵が知らないとは思えない。エリアスがロメリ家で雇われている時点で、侯爵とロメリ家が縁が深いことは考えに入れておくべきだった。

 むしろ、だからこそ自分のこともそっとしておいてくれたのだろう。

 リアナは慌てることなく、

「したたかに育ちましたので」

と返して、口を閉ざした。

 しばらく待ってみたが、リアナがそれっきり黙り込んでしまったのを見て、侯爵は

「その相手が誰か、私とファビオの間で意見が違ってね」

 室内にいた執事が部屋を出て、しばらくするとノックの音がして、再び入ってきた。

 執事の他にも誰かがいる。振り返っていいのかわからなかった。

「私の答えはこれだよ」

「お嬢様…」

 そう呼びかける懐かしい声に、リアナは立ち上がって振り返り、傍に駆け寄ってその相手にしがみついた。

「お嬢様、いけません。侯爵様の前でそのような品のない…」

「レジェス、…レジェス!」

 必死で泣き声をこらえていたが、震える後ろ姿を見ただけでリアナが泣いていることがわかった。


 父である公爵が亡くなり、領主の館を片付け、このセンディノ家の客分になってから、ずっと諦め、意にそぐわないことにも素直に応じ、屋敷を出て行くことでしか感情を示せなかった。そのリアナがかつての執事、幼い頃からずっと傍にいて、語りかけ、叱り、励まし、教えてきたその人を前にして、ようやく自分のつらさを表に出した。

 しかし、それはほんの一、二分。

 まだしゃくり上げ、言葉を震わせながらも、侯爵の手前、学んだ礼儀の通り公爵令嬢として応対した。

「遠くから、よく来て、くれました。体は…、少しは楽に、なりましたか?」

と、あえて丁寧な言葉を選び、ゆっくりと話しかけた。

「はい、お嬢様。おかげさまで、毎日ゆったりと過ごしております」

「そう。無理をしてない? …」

 言葉が続かなくなったのを見て、

「では、しばらく二人で」

 侯爵と侯爵夫人、ファビオは、そのまま部屋から出て行った。


 二人だけが部屋に残され、扉が閉まると同時に号泣が響き渡った。生まれたときからリアナを知っているレジェスでさえ聞いたことのない激しい声だった。親に置き去りにされた時でさえ、ズグズグと泣いてはいても、一時間も泣いたら乳母がいるからいい、と言って、以後泣くことはなかったと聞いていた。

 あの時はまだ周りに何人かいた。一人、二人、といなくなり、ここではエリアスさえも滅多に会えない、近くて遠い存在だった。


 愚かな両親の話を聞くたびに、自分がこうなっているのは仕方がないのだと、ずっと諦めていた。祖父である王にも無視され、祖母である王妃は一人息子だけを溺愛し、新たに王となった伯父は王家の血が悪用されることだけを恐れている。

 いつもなら礼儀を乱すのは五分だけ。レジェスはそう決めて甘やかしていた。しかし今日だけは、リアナが気が済むまで泣かせることにした。この一時の再会が決して長くないことを、リアナ自身がよくわかっているだろうから。

 しかし、かつて決めた約束の通り、リアナは五分を超えることなく泣き止み、

「こんな遠くまで来てくれて、ありがとう」

と目を腫らしながらも、子供っぽい笑顔で礼を言った。

「もう大丈夫よ。…あなたを口実にここを出て行こうと思ったけど、失敗しちゃった。でも、会えたからいい。センディノ侯爵様にお礼言って、ちゃんとおっしゃるとおりにする」

 あまりに模範的な回答だった。そうするように育ててきたのはレジェス自身だった。公爵令嬢として育てるにはそうしなければいけなかったのだが、今はそれを悔やまずにはいられなかった。

 レジェスは片膝をつき、リアナより視線を下げると、あえて諭すようにリアナに言った。

「お嬢様。辛いときは、辛いと言える人を周りに見つけるのです。お一人で生きようとしてはいけません。私以外にも、お嬢様のことを気にかけてくれている人はいます。あなたが頑張る姿を、きっと誰かが見てくれています。…私は、お嬢様と共に過ごせた事を誇りに思っていますよ」

 言葉なく、こくり、こくりと何度も頷きながら、アッシュグレイから白く変わっていく髪を見て、年を取ってしまったなあ、とリアナは思った。怒るとあんなに恐くて、礼儀作法には厳しく、でも困ったときにはいつも助けてくれて、父以上に父のような人だった。


 リアナのことを王に任された時、センディノ侯爵は引退していたレジェスの元に使いをやり、リアナがどういう子供だったかを尋ねた。レジェスはリアナの境遇も、どういったことを学んできたかも全て話し、リアナの処遇が少しでも良くなるよう侯爵に願い出た。後日、侯爵自らができる限りのことをすると手紙を送ってきた。そして今回も、体調が良ければという条件でレジェスをここまで連れて来てくれた。もし体調が悪くても、レジェスなら無理をしてでも来ただろう。

 センディノ侯爵がいろいろと気配りをしてくれていた事を知り、リアナは怒りのあまり黙って家を抜け出してしまったことを反省した。

 どれだけいろんな人に迷惑をかけてしまったか…。


「ねえ、レジェス。…真実の愛がなくても、贅沢言わなければそこそこ幸せになれる、よね」

 その言葉は、センディノ侯爵の持ってくる縁談を受け、王の命のままに暮らすことを受け入れるものだ。

「お嬢様。もっと欲張りになってはいかがです? どんな人が選ばれるかはわかりませんが、真実の愛などと気取らず、私のことを幸せにしてごらんなさい、と言えるほどの悪女を演じてもいいのではありませんか?」

 そう言ってレジェスは、リアナを励ますときに良く見せるように、片方の眉をひょいっと上げてウインクした。



「レジェスに会わせていただき、ありがとうございました」

 レジェスが屋敷を離れた後、リアナは改めて侯爵に礼を言った。

 侯爵は

「やはり、あれが『真実の愛』の相手だったんだな」

と、リアナの考えを見破ったことを満足げに笑っていた。

 すぐ隣にいたファビオが

「もう一つの候補も捨てがたかったんだけどな…」

とつぶやき、リアナが

「もう一つって?」

と聞くと、

「見たいか?」

と、父親とよく似た顔で笑った。


 そのままファビオに連れられ、屋敷の裏手に行くと、そこには大きな馬小屋があった。

 ファビオが行くと、馬番が頷いてすぐに一頭の馬を出してきた。

 他の馬と比べて一回りほど小さく、愛想もなくマイペースな馬…

「リコ!」

 リアナの声に耳でだけ反応し、抱きつかれてもめんどくさそうに口に入れた藁を噛んでいる馬、リコは、リアナが領主の館で飼っていた唯一の馬だった。

 領主の館を片付けたときに近所の農家に譲ったが、別れの時も振り返りもしなかった薄情な馬。執事によく似たアッシュグレイの毛並みを持ち、小さくとも農耕も、荷物運びも、リアナの乗馬にだってつきあう万能な馬だった。

「どうやってここまで連れてきたの?」

「乗ってきたんだよ。大変だったけど、リアナに会わせてやるって言ったら、渋々乗せてくれた」

「渋々でもすごい!」

 リアナはリコを撫でながら、生き生きとした笑顔を見せた。

「だってこの子、荷馬車ならいいけど、男の人は絶対またがらせないんだから」

 領主の館にいたときのように目を輝かせて馬を撫でる姿を見て、ファビオは苦労して連れて来た甲斐があったと思った。そう思うほどに、実に面倒な馬だった。


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