2 公爵領
一週間ほど経ってから、ファビオは先日の礼に再度あの村を訪れた。村の宿で食事を済ませ、約束の時間に訪問すると、出迎えたのはあの時、足湯用の桶を運んだ男だった。あの時とは違い、執事を思わせる暗い色のスーツに身を包んでいるが、年代物のようだった。
案内されるまま応接室へ行くと、以前は町娘の格好をしていたリアナが、古びてはいたがドレスを着て迎えてくれた。
「遠いところ、お疲れでしょう」
前回パンを持ってきた娘がお茶を運んで来る。こちらはお仕着せを着ていたが一回り大きく、ずいぶん慣れない様子だった。
「先日は本当にありがとうございました。これは、ウルバノ領主より預かりました感謝の品です」
ファビオが持参した品を渡すと、若い執事が受け取り、リアナはずいぶん気になるようで運ばれていく荷物を目で追っていたが、執事に咳払いされて正面を向いた。
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
ニコッと笑うその笑みが少し大げさすぎて、どうも令嬢っぽくない。そのくせ
「ファビオさんは、センディノ侯爵のご子息ですか?」
と、家名でファビオのことをちゃんと把握できている。
「ええ。ウルバノ領主ロレンゾ・センディノの次男です。領の騎士隊の小隊長を務めています。…失礼ですが、リアナ嬢」
「はい」
「あなたは…、リアナ・モンテマジェル、モンテマジェル公爵のご息女で、間違いない、ですか?」
先日、世話になった時は町娘と同じ格好で宿の前を一人で歩き、足を洗うための湯を運び、馬の世話もしてくれたらしいこの娘が公爵令嬢だと、誰が思うだろう。
礼に向かうにあたり、この屋敷が領主の館であり、隣の小さな領が公爵領だったことを知ってどれだけ驚いたことか。
「あはははは。…驚いたでしょ?」
さっきまで気取っていたリアナ嬢が、一気に素に戻った。近くにいた執事が頭を抱え、お茶を出していたメイドが緊張感を解いて、抱えていたトレイを危うく落とすところだった。
「だから、元々ばれてるんだから、こんな格式張ったのはやめようって言ったのに」
「駄目です。仮にも侯爵家から先触れを受けながら、当家が応じないなんて事はあり得ません」
執事は令嬢を厳しくしつけようとしているようだったが、どう見ても無駄だった。
「この服だって、クローゼットにあったいつぞやの誰かのを急に直したものなんです。似合ってないでしょ? うちは社交なんてやってる場合じゃないので、こんなのしかなくて」
ピン、と伸びていた背筋が緊張感をなくし、居間にでもいるかのように少し背筋が丸まっていく。
「お嬢!」
執事に言われ、慌てて背筋を伸ばしたが、ファビオは気の毒に思い、
「いつも通りで…」
と言うと、
「じゃ、ファビオさんもリラックスして」
と、今にもあぐらをかきそうな姿勢になり、執事に後頭部を殴られていた。
「痛っ!」
これが、公爵令嬢に対する執事の態度か?
「レジェスさんがこの姿を見たら、どれだけ嘆かれるか…」
「無理無理、そもそも先触れが来るような来客なんて、レジェスがいなくなってから初めてなんだし」
「だよねー。全部レジェスさんがやってくれてたもんねー」
メイドとの会話も、完全に友達だ。
「と言うわけですみません。うちはこういう家なもので、今回はお礼を受け取らせていただきましたが、今後はこのようなお気遣いは無用と言うことで。うちと交流を持ったところで、何の得もありませんし、うちと付き合いがあると知れると、あまりいい評判は立ちませんから…」
出されていた紅茶をぐるぐるとかき混ぜながら、リアナは反応のよくないファビオに自分たちの粗を隠そうともせず、
「ご存じないですか? 『真実の愛』事件。とは言っても、私が生まれる前のことですけど…」
もう二十年近く前になるのに、未だに語られる伝説の事件を語りだした。