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街で彼の用事を済ませて、帰りのバスに乗ったら、間もなく日が暮れた。長距離のバスの中、話したり寝たりを繰り返すうちに、すっかり夜になっていた。
終点まであと数十分というところで、暮らし始めてから一週間足らずの街の、夜の姿が見えてきた。私たちの住む場所は、すり鉢のような形をした中の、お椀の途中くらいの位置にある。今いる場所を縁とすると、かなり急な坂を、長いことかけて下っていくのだ。勘のいい人なら昼間の街を見て想像できたのだろうけど、なにも考えていなかった私は、あまりに規模の大きな夜景に圧倒されてしまう。高くて見晴らしのいいところにいるので、見渡す限りの範囲に、ものすごい量の明かり灯っているのが見える。文字通り、ばーんと広がっている。写真で見てわかるようなのものではない。バスが進むにつれて、見える角度が変わりながら、どんどんその中に入っていく。こういった景色は、通りがかりで見るものではなくて、新婚旅行などでわざわざ見に来るようなものではないか。そんなものまで見せてくれる車窓に、何と言ったらいいのかわからなくなる。
「今日は晴れててよかったですね」
彼は、あまりにさらっと言う。
「なんか、普通ですよね。見慣れると、驚かなくなっちゃうんですか?」
「見慣れていても、きれいなものはきれいですけど」
うっすらと汚れたガラス越しに夜景を見ながら、「あの明かりのもとに住む人は、誰も私のことなど知らないのだ」と思う。ありえないような景色を見ながら、できることといったら頭の中で独り言を言うくらいだ。ノートを出して書き留めることもできないまま、浮かんでは消えていく言葉が、ただ通りすぎていく。自分の考えにこれほど没頭できる場所は、他にあまりないかもしれない。自分の車と違って、借り物なのがいいのだろうか。決して自分のものにはならない空間、もう二度と見ることはない景色は、所有しようとやっきになる必要はない。
通り過ぎた景色を再び見ることはなくて、一瞬でも目を離したくないと思ってしまう。なんでこんなに好きなのか、ただバスに乗っているだけなのに。
車はぐんぐん坂を下っていく。私たちは、少し前までただ見ていただけの景色の一部になりつつある。