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車窓より  作者: 高田 朔実
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 今回行きや帰りの乗り物の中から見た景色の中にも、人っ子一人いない景色や、外灯もない集落がたくさんあったけど、そういうところは星がきれいに見えたって夜はひたすら真っ暗なのだ。一週間くらいは楽しく暮らせるにしても、夜ろくに本も読めない状況に「もうけっこうです」と言いたくなってしまうことだろう。まったく誰もいない景色の中ではさぞかし心穏やかになるだろうと思ってみたところで、実際そんな場面に遭遇してみたら、危険な野生動物が現れないか、おかしな人が現れないか気が気ではない。そんなことを考えると、世界の中に完全に満足できる理想の場所なんてないのだろうと思うようになってくる。あの歌と知り合ったときには、ここではない、どこかほかのところに行けば、もっときらきらしたなにかよいものが待っているような、そんな心境でいた記憶がないではないのだが。けっきょく何度も遠くへ行きながらも、生活の拠点として選んでいるのは、中途半端に町があって自然がある場所だ。極端に美しくて極端に不便な場所は私には不向きなのだった。

 だからこそ、ひとたび日常から離れたら、こうして普段見られない景色をどん欲に欲するのだろうか。自分がこの中に存在する人にならないことを知っているからこそ、憧れるのだろうか。私の一生が何年くらいあるのか知らないが、そのうちでこうして車窓から景色を眺めていられるのはほんのわずかな時間だけだ。乗り物に乗るのだってお金がかかる。運賃だけの問題ではなくて、仕事をしていれば得られるはずの、一日分の一定の収入が、バスに乗っている間は得らない。余命いくばくもないことがわかれば死ぬまでずっと乗り物に乗っていたいと思うこともあるかもしれないが、これからも長いこと生きていくと仮定すると、やはり車窓から景色を見ているだけでは生きていけない。そんな興ざめなことを思いながらも、それも含めての生きていくためにある時間だと思うしかない。日々見慣れた景色が平凡だからこそ、車窓から見える景色は、実際以上に輝いて見えているのかもしれない。  

 それまで知らなかった場所へ行くたびに、世界の中に、知ってはいるけれど親しんではいないところが増えていく。そういった場所が増えていくのは、うれしいのかどうかはわからないが。

 そうこうしているうちに、バスはひとまず目的地についた。もう一度乗り換えないと帰れないけれど、とりあえず背骨を伸ばせるのがうれしい。楽ちんだったバスの中と違って、降りたら、重い荷物をよっこらせと背負ったり、タクシーを拾って狭い車内に乗り込んだり、運転手さんの言葉がいちいちわからなかったり、どの屋台で食事をしたら食あたりに遭いにくいか見極めたり、いろいろなことを判断しなければいけないので骨が折れる。幸い彼はそういうことが得意なので、私はただついていくだけでなんとかなる。楽ではあるけれど、誰かを信用してただついていくのもそれなりに気を使う。この人がもし悪いことを企んでいたとしたら、自分では安全だと思いながらも、実は最も危険な選択をしていることになり、本当のことがわかる瞬間まで、だまされ続けるのだ。彼とは知り合ったばかりだが、日本に共通の知り合いがいて、なにかあったら日本の仲間たちからとやかく言われることになり、そういうことを気にしない人には見えないので、まあ安心できるのだが。しかし、仲良くしながらも、どういうときに機嫌が悪くなるのかまだよくわかっていないので、常に様子を伺っていないといけない。知らないうちに怒らせてしまって「もういいです、勝手にしてください」と言われたらそこで私の旅は終わってしまう。

 日本で生涯未婚の人が増えているのは、危険が少ないからなのだろうということを、ここに来て思った。こういう治安の悪い国では、いくら一人がいいといったところで、なかなかそれで生きていけるものではないのだ。

 彼だって人間なので、当然ながらどのバスが事故を起こすか、どの街角で事件が起きるかすべて予測することはできない。そんな中で、こうして九割がた相手に判断を委ねるということは、相手が失敗してもとやかく言わないということで、大げさに言えばここにいる間は彼に人生を預けているも同然だ。この人が判断を誤って一緒に危険な目に遭っても、それは私が判断を誤ったのと等しいと思うしかない。大して知りもしない人のことをこうして心から信用するのも、日本ではあまりないことだと思うと新鮮に感じられる。

「どっか行きたいとこありますか? もしくは見たいものとか」

「うーん、……眠いです」

「それは、バスに乗るまで無理ですね」

 とりあえず言ってみただけ、と心の中でつぶやく。

「まあ、歩いて目を覚ましましょう」

 乗り物は好きだけど、自分で歩くのは嫌だなんて、典型的な怠け者だ。

 歩くと窓の向こうからではわからなかったここの人たちの暮らしぶりがわかる。なんてそれらしいことは言えないが、物理的な距離が近くなった分だけ、情報が増えるのは確かだ。しかし私は、道端に座って物を売っている婦人たちの民族衣装がどこの地方のものか知らないし、屋台に並ぶ楽器がどんな音を出すのかも知らないし、道行く人が何語を話しているのかも正確には知らない。「ここは危険だからだらだら歩かないでください」と言われても、どう危険なのかよくわからないまま、従っているだけだ。私がこの町の中を歩くよりも、知識のある人がテレビを通してここを見るほうが、ここについてわかったと言えるのだろうか。目隠しされたままここに連れてこられて、ここはポコアタですと言われても、タイピチニャヤですといわれても、私には区別がつかない。そんな程度にしか「来た」といえなくて、十年もして「あの街にはなにがあったの?」と聞かれても、ただ目の前にぼんやりとピントがぼやけた、朧げな輪郭と散り散りの色だけがぽつりぽつりと見えるような、その程度にしか思い出せなくなっているかもしれない。そんなぼやけた記憶について説明することもできずに、なにも覚えていないわけではないのになにも説明できなくて、笑ってごまかすだけになっているかもしれないことを想像すると、なんだか悲しくなってくる。

 今の私たちにとってこの街は、目的地というよりも通過点に分類されるのだろう。思いがけず通過点にとどまることができ、もっと面白いことはないのかとつい欲張ってしまう。欲張りなじいさんは、石の入ったつづらを押しつけられるのだから、とりあえず出会えたものだけに感謝するだけのほうがいいのかもしれないが。もっともっと、と思うのは災いのもとか。好奇心猫を殺す。車窓から見える景色だけをみて楽しく思っているだけなのが、一番いいのだろうか。まあ、今はけっこう楽しく歩いているので、ひとまずよしとしよう。


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