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車窓より  作者: 高田 朔実
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 彼がなにか言った気がして横を見るが、まだぐっすり眠っているようだ。寝言でも言っていたのだろうか。

 この人も私同様、ほとんど寝ていないのだろう。同じくらいの睡眠時間でも、この国に来て日が浅い私のほうが、覚醒するのが早いようだ。外の景色に慣れていなくてじっと見てしまうのか。まだこの国のことをよく知らないのと同様、この人のことも実はよく知らないのだが。

 気がついたら、流れる景色を見るのが好きになっていた。それが日本の夜行バスからのものであろうと、カナダのグレイハウンドからのものであろうと、今乗っているワゴン車のように狭くて車高も低いミニバスからのものであろうと、車窓であれば私はうれしい。夜行バスで就寝時にカーテンが閉められても、こっそりとカーテンの裾に頭を入れて、外を見てしまう。せっかく乗り物に乗っているのに外の景色を見ないだなんてもったいなさすぎると思う。車内のテレビで流れている映画を見るよりも、窓の外を見るほうがずっと楽しい。

 自分でハンドルを握ることにこだわるタイプではないので、誰かが運転してくれるほうが気が楽だ。普段いやというほど自分で動いているのだから、こんなときくらいは流れに身を任せていたい。なるようになるさなどと言いながら、流されながら生きたい。頑張って思い描いていた結果にたどり着くより、知りもしなかったものに巡り会って、あっと驚きたい。そのほうがずっといい。運転は誰かに任せて、自分は好きなだけ寝ていたい。お菓子を食べるのも、横を向くのも、後ろを向くのも自由だ。窓の外に面白いものがあったら、通り過ぎるまでの間はじっと見ていられる。自分で車を止めることはできないから、もっと見たいと思ったものがすっと過ぎ去ってしまっても、そのときは、そういう運命だったんだと思ってあきらめる。そのくらい素っ気ないのがちょうどいい。

 自分で運転するのと人に運転してもらうのとでは、どちらがより自由度が高いかと言われると、単純に比較はできないだろう。特に、好きなときに寝られるのは、とても重要だ。うつらうつらしているときは、目の前の景色が、夢の景色なのか、過去に見た景色なのか、自分が見たいと思っている願望の景色なのかわからなくなってきて、どうでもよくなってくる。それらが、半分寝ていないと見られない景色であることは確かだが。

 例えば、ペルーの長距離バスに乗っていたときのこと。窓の外の景色が、十年前のカナダで見たものと突然すり替わった。こんなところに、前にも来た。同じところであるはずはないけれど、私はそこと兄弟のようなあの街を知っていた。写真でじっくり見比べたら全然違うのかもしれないけれど、それまでなにもなかった平原から町に入ったときの、ぱっと景色の変わる瞬間が、その印象が驚くほど似ていた。そんなことに気づいたからといって、なにがも起こるわけでもないし、意味を見出すのも不毛な気がするし、なにかに発展するものではないけれど、そんなときは世界にまたひとつ近づけた気がするのだった。

 日本で、少し前まで日常だった生活の中で、日々せわしなく働いていたときには、決してよみがえってこなかった、いつだかに見た景色を突然思い出す。そういう記憶は、いつも思い出したそばから消えていく。上書き保存するにはメモリーが足りない。

 世界は狭いのか、広いのか。地球の大きさは変わらないけれども、交通機関の発達によって移動時間は格段に短くなっている。インターネットの発達によって、他国の情報はかなり楽に入ってくるようになった。SNSを使えば、ちょっと話しただけの外国人と、かつてクラスがほんのちょっと一緒だっただけの同窓生のように交流できる。グーグルトランスレーターにない言語しか話さない人と意思疎通を図ることは、まだ難しそうだけど。

 人の気配を感じて隣を見ると、彼が起きたようだった。起きたなら言ってくれればよかったのにと思ったが、わざわざ窓の外の景色に心奪われている私を降り向かせて「起きた」と宣言する必要はないことに気づく。それに起きたところで、ほかにも寝ている人が何人もいる中、わざわざ話をする必要はない。目を合わせて会釈くらいはしたものの、もうしばらく一人で考え事をしているほうがよさそうだ。

さっき思い出していた会話の続きを、頭の中で再生する。

「ストライキに巻き込まれて、何日も足止めを食うことだってあるんですよ」

「そういうときは、どうするんですか?」

「終わるまで待ってるしかないでしょうね」

 ストライキなんて日本ではあまりお目にかからないので、どういうものだか実感がわかない。そこに道があって、道路はしっかりしているのに、そこに住む人々の不平不満が通過することを許してくれない。法面が崩れて通れないのとどちらがより悔しいのだろう。

 そういう状況で指をくわえて待っているしかないってどんな気持ちなのだろう。かといって、歩くわけにもいかないのだろう。人通りの少ない道を歩くと、どこからともなく強盗が現れる、そんな場面が浮かんでくる。


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