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どこへ行ってもバスは似たり寄ったりだけど、窓から見える景色は常に異なるものばかり、同じものなど一つとしてない。
心地よい振動を感じながらぐっすり寝て、少し起きて、また寝てとを繰り返す。少しずつ眠りから覚めて、ぼんやりと窓の外を眺めていると、遠くのほうで、馴染みのない動物が平原を駆け抜けていくのが視界に入る。哺乳類ではなさそうだけど、それにしては大きいようだ。あれはなにか。一瞬「ダチョウ」という単語が頭をよぎる。ダチョウって……。確かそれはアフリカの生き物だったはずだ。鳥の生態には詳しくないが、こうして私が存在するようなところで、窓の外で悠々と動いている生き物ではなかったはずだ。
ここがどこだかちょっと真面目に思い出そうとしてみる。よく見ると、ダチョウだけの問題ではない。生えている植物だって、見覚えのないものばかりだ。いかにも乾燥地帯で生き残れるような、背丈が低くて小ぶりで、したたかそうな様子を見せている。空は怖くなるくらいに深い水色で、土は同情してしまうくらいに乾いた色である。けっこう深く眠っていたのだろうか。眠る前の記憶が遠くすぎて、今自分はどこにいるのか、なかなか思い出せない。
隣を見ると、そこには見知った顔があったので、ほっとする。まだ眠りの世界にいる、このバスの中、というよりもこの国の中でたった一人の知っている人。彼を見て、ようやく思い出す。ここは、ボリビアの平原を走るミニバスの中だった。
しかし、思い出してみたところで、この場所のことを正確に把握できているとは言い難い。スマートフォンのアプリを使用すれば、GPSで地図上に位置が表示される。しかし、位置情報がわかったところで、「ここはこういう場所だ」と説明することは、ただ通過しているだけの私にはできそうにない。出発地や目的地となり得るような、首都や観光地であればまだ情報が得やすいけれど、こうして通過するだけの場所は、そこに住む人たち以外には、さほど興味を惹かれる場所ではないのだ。
今朝はなぜか、三時五十分に起きて朝日を見に行くことになっていた。昨夜急に決まったので、起きれるかどうか心配でろくに眠っていなかった。真っ暗な中バスに乗って、朝日を見て、またバスに乗って。心地よい振動に、寝るように促されているのか、せっかくの景色をじっと見続ける余裕がない。もったいないと思いながらも、気づくとうつらうつらしている。
流れていく景色を見ながら、本当は停留所のないところで途中下車したほうが面白いことがあるのではないかと思う。しかし、長距離を走る乗り物は、目的地まで細々と停車しながら行くことはない。誰からも知られていないような場所で途中下車するのは、トラブルがあったときくらいなのだ。
ひまなので、行きに乗っていた大型バスの中で彼と話したことを思い出してみる。
「この道って、真っすぐすぎて、みんな飛ばしたり居眠り運転したりするから、けっこう危ないんですよ」
その道は、北海道にもこんなのはないだろうなと思えるくらい、真っすぐな道だった。
「南米はなにがあるかわかんないんですよ。バスが横転することもあるし、車が壊れて次の停留所まで歩いて行かないといけなかったり……」
どこかうれしそうに話す彼を、「怖いこと言わないでくださいよ」と軽くにらむ。
「バスが横転したら、どうなるんですか?」
「シートベルトしてない人は、ケガするんじゃないですか」
「シートベルトしてるくらいでどうにかなるんですか? やっぱりバスが倒れたら衝撃が強いだろうし、倒れる瞬間は怖いですよね。どの程度のケガをするんだろう」
学生時代に、研究室の先輩から聞いた話を思い出す。運転していた車がスリップして、気づいたら畑の中でひっくり返っていたらしい。あのとき先輩はどうやって抜け出したと言っていたのか。確かに、シートベルトがあったから大けがはしなかったと言っていた。車が回転する瞬間、時間がコマ送りのようにやけにゆっくり流れていたとも言っていた。動揺していて、落ち着くまで痛みは感じなかったらしいが、小さい車と大きいバスとでは事故に遭ったときの衝撃はかなり違うだろう。
「まあ、それは怖いだろうし、ケガもするでしょうね。でもね、けっこう横転してるらしいけど、知り合いが被害に遭ったって話は不思議と聞かないんですよ」
遊園地の乗り物もほとんど見て見ぬ振りをして通り過ぎてしまう私が、事故のスリルに耐えられるのか。 その前にどれだけ痛いのか、考えたくもない。気にはなったが、もしもの場合に備えてイメージトレーニングしてもあまり意味がないように思われて、考えるのを止めた。そんなのなるようにしかならない。例え運転手つきの車を手配して安全運転してもらったって、居眠り運転の大型車に追突されたらそれでおしまいだ。なにが起こるかわからない状況というのも、それはそれで面白いではないか。やっかいごとに巻き込まれないことが前提ではあるけれど。