第九十六話 デザイナーも雇いました
店に戻ると、今度はカウンターから地下へ降りる。
地下は灯りの魔道具を設置しているから、充分明るい。
サイラさんに依頼した特注の魔道具だけあって、現代日本のLEDライトぐらい明るさがある。
廊下を歩き、俺の私室や風呂場を通り過ぎた奥にある倉庫が目的地だ。
倉庫に入ると鉛筆で何かを描くような音がかすかに聞こえる。ジャマにならないように足音を殺しながら歩くと、作業机で筆を走らせる小さな背が目に入った。
彼はヤルシ。
俺が雇っているもう一人の従業員で年齢はなんと十歳。
『義務教育の小学校にも通わせないで働かせているのか!?』と現代日本なら問題になるだろうけど、ここは異世界だ。
事情もちゃんとある。
ユーランの街にも学校はあるけど、現代日本のような義務教育じゃないし、幼い子供でもそれなりの学費を払わないといけないから、学校には通っているのは余裕のある裕福な家庭だけだ。
ほとんどの子供は親の仕事を手伝うか、実際に働いている。
ヤルシもその一人だ。
学校に通う事は許されず、両親の仕事の手伝いの合間に絵を描く事を趣味としていた。
俺がヤルシと出会ったのは【アームズ工房】と顔合わせをする何日か前だった。
噴水広話で食事をしようとしていたら、ボロボロの汚れた紙と指先ほどの小さな鉛筆で絵を描くヤルシを見掛けた。
まだ露店通りでお店をしていた俺は宣伝にもなるかと思って、軽い気持ちで『コピー用紙(角の潰れ)百枚』と『削り済み鉛筆(全体にヒビあり)』を渡した。
「ありがとう!」
ヤルシは喜んでそれらを受け取ると、すぐに絵を描き出し…
「………」
俺はその動きに目を奪われた。
ヤルシは思いつくまま、通りかかる人やたまたま近くにいたネコ、それにこの場所から視える建物を一枚一枚とんでもない速さで描いていく。
一枚あたり五分もかかっていないのに絵の質はあまりにも高く、中には陰影までしっかり描き込んだものもあった。
そして、ヤルシはとても楽しそうに…これまでの描けなかった思いを全て詰め込むように描き続けいった。
気づけば俺は昼飯を食べるのを忘れてその姿に魅入られてしまった。
十枚目を描き終わったタイミングを見計らって、俺は決意して声をかけた。
「君、うちで働いてくれないか?」
その後、俺はヤルシに自分の事を説明し、ヤルシの両親を説得した後、報酬の支払いや労働条件を商業ギルドを通して正式に契約した。
ちなみに【アームズ工房】の顔合わせで、ランドさんが破り捨てたあの絵は俺のイメージ図をヤルシが描いてくれた力作だった。
ランドさんはあの後、すぐにヤルシに謝罪しに行く勢いだったけど、
「本当に一生物のトラウマになるから、絶対にやめろ!」
と親方のグレットさんにどストレートに言われて、謝罪の手紙と俺がヤルシに払った金額と同じ額のお金を出す事で解決している。
「あ、ハイキさん。お疲れ様です。」
回想していた俺に気づいたヤルシが挨拶をした。
「お疲れ。そろそろお昼なんだが、何か食うか?」
ヤルシは少し悩むと首を横に振った。
「もう少しだけやってみます。いまいち納得がいかなくて…」
ヤルシの仕事は絵を描く事…言ってみればデザイナーだ。
商品の使い方や、言葉で説明が難しい部分を絵にして分かりやすくしてもらっている。
現代日本ではパソコンを使って絵を描く事も珍しくないけど、この異世界ではそれは出来ないので、基本は鉛筆や絵の具を使っている。ユーランで用意出来る画材は可能な限り使って、それでも難しい場合は俺が【廃棄工場】から使えそうな物を渡している。
ギルゼさんから『貴族の方に向けたカタログを作ってほしい』とも言われたので、その挿絵も頼んでいる。
当然、趣味ではない仕事だと、一枚の絵を仕上げる事にかなりの時間がかかる事は分かっている。
十歳の子供と言う事もあって労働条件はクーナ以上に細かくした。
いくつかを挙げると、まず労働時間はお店の開店から閉店時間までだが、休憩は自由で外出も可。
閉店後も作業するなら残業代を出すし、労働時間が長すぎると判断した場合は無理矢理休ませる。
納期も前もって相談した上で間に合わない場合はすぐに報告し、再度決め直す。
基本給とは別に絵を仕上げる事に追加報酬を出すが、身体に無理をしてまで描く事は禁止。
絵の権利はヤルシが持つが、カタログ使用や第三者が使用する場合はその権利を買い取る、もしくは使用代金を定期的に支払う。
…本当に一部だけど、こういう風な感じだ。
「…でも、腹減っているだろう?」
ぐ~~~…
俺の言葉で空腹を自覚したのか、ヤルシの腹の音が倉庫に響いた。
俺は顔を赤くしたヤルシの作業机に銀貨を五枚置いた。
「店長命令だ。今からこのお金で昼飯に行け。ついでに必要な画材や道具があるなら買っておく事。お金が足りなかった時は後で報告を。」
「っ、ありがとうございます!」
ヤルシが何度も頭を下げてきたので、俺は軽く手を振って倉庫を出た。
そのまま自分の私室を開けると、鍵を閉め、ベッドに横になった。
…別に格好着けたい訳じゃない。
ヤルシはああでもしないと食事もしないで一日中、机に座っているし、実際にそれが何度かあった。
今は大人しくなったけど、最初は徹夜で仕事の絵を描いてきた事もあった。
だから、定期的にああやって買い出しをさせて、外に出している。
余計なお世話かもしれないけど雇っている以上、従業員の管理も俺の仕事だ。
子供だからって手を抜いてはいけない。
「だあああ、難しい。」
俺はため息をつきながら改めて自分のお店の経営状態を考える。
ハイキ商店…俺が始めたこのお店はオープンから一ヶ月が過ぎてもたくさんのお客さんが来てくれる人気店になった。
売り上げは上々、悪質なお客さんも今のところは来ていない。
大きなミスもなく順調だった。
とは言え、この一ヶ月の間は週一回しか休んでいないし、そろそろまとまった休みをとりたい。
「…近いうちに休みにするかな。」
クーナとヤルシにも最初に「不定期に休むけど、その分の給料は支払う」と話している。
冒険者ギルドへの【窓盾】の納品状況も問題ないし、手続きなんかの不備の報告もまだ届いていない。
「まあ、まだ先の話か。」
俺はそう言ってしばらくベッドでゴロゴロする事にした。
さすがに明日から休むなんて訳にはいかない。
お店は不定期って話はあちこちに話しているけど、クーナにとってこの店は一種の安全地帯だ。
いきなり休むってなると別の問題が起きるだろうな。
「ああああ、休みたい~~~~。」
ベッドでじたばたしながらついそう言ってしまう。
…この時の俺はまだ分かっていなかった。
この後、俺に起きるとんでもない話を。
そして、また面倒事に巻き込まれてしまう事を。
分かっていなかったんだ。
…なんて意味深な事を言ってみるけど、そんな予定はないし、そんなつもりはありません。
…本当に疲れているな、俺。
次回更新…近日予定。