第九十一話 二つの答え
「あ、そうでした。最後に二つ教えておきましょう。モルス様がカメス様の依頼を断わった理由です。」
「理由、理由だとおおお!?」
獣のように荒ぶるチャミルだが、シャマトの言葉でどうにか怒りを抑え込む。
シャマトの言った内容は気になっていたものでもあった。
モルスは【旧市街】ではそれなりの力を持つ人物であり、金さえ積めばどんな依頼もこなすと聞いていた。そんな男が大金を用意したのに自分の依頼を断わった事に疑問があったのだ。
考えられる理由など…
「………」
「ご安心ください。カメス様が私の格好をしてモルス様に会った事は原因ではありません。」
「!?」
それはチャミルとカメス以外、知らない事実のはずだった。
シャマトへの疑いをより濃くするためにカメスはシャマトの格好をしてから【旧市街】に向かった。モルスとの席でも金色のアクセサリーをこれ見よがしに見せる事で旧市街にいたのはシャマトだと印象づけさせていた。
その事実を何故シャマトが知っているのか?
「…まさか、貴様。」
「ええ、実はカメス様がモルス様にお会いした時、私もあの場にいたのです。」
「っ!?」
「カメス様が【旧市街】に来られる前にモルス様とお話をさせていただきました。どちらの依頼を受けるか、どちらの依頼も受けるかは任せますと。結局、モルス様はカメス様の依頼を断り、私の依頼をとりました。」
ガシャン!とチャミルが再び牢獄の鉄格子に掴みかかった。シャマトはすでに手の届く距離にいないが、それでもチャミルはそうせざるを得なかった。
「っ、あああああ!貴様のせいか!!貴様が余計な事を!!」
憤怒の形相で鉄格子を揺らし続けるチャミルだが、シャマトは相変わらず冷静…いや、完全に冷め切っていた。
「…お言葉ですが、カメス様が話された依頼内容はあまりにも無茶なものでした。冒険者ギルドと商業ギルド、二大ギルドの支部長が入れ込むような方を襲撃し、街の誇りとも呼べる【アームズ工房】も狙う…こんな依頼、受けるのは破滅願望の持ち主か、救いようのない馬鹿だけですよ。」
モルスは金さえ積めば基本的に依頼は断わらない。
しかし、それはその依頼によって発生するリスクを考慮した上でだ。モルスはあの時、支払われる金額と成否にかかわらず発生するであろう問題、今後の利害関係を考えた結果、その場で依頼を断わった。
結果として、モルス達は一部の者から陰口をたたかれる事になったがそれも数日で終わった。一方、代わりに依頼を受けた【獣爪団】は幹部と構成員の大半を失い、解散にまで追い込まれた。
「…最後にハイキ様についてです。ハイキ様は今もユーランで穏やかに過ごされていますよ。」
「は、はああ!?」
その言葉はすでに激昂していたチャミルを混乱させるものだった。
チャミルから逃げる為にハイキはユーランを捨てオウレンへ向かった。だからこそ、チャミルはカメス達を使いその後を追いかけさせた。
「正確に言えば、ハイキ様はチャミル様が逮捕された時点でユーランに戻っていました。【オウレン】には一歩も入っていません。」
「貴様らはあああああ!!貴族である私を騙したのかああ!!」
もはや貴族ですらないが、チャミルは人生で最大の怒りのまま叫び出した。鉄格子を握る手は力が入りすぎ、血がにじみ出ているが、そんな痛みなど感じる余地はない。
一方、シャマトはその怒りの言葉を視線を一身に受けながらも尚も平然としていた。
鉄格子と言う物理的な障害があるからと言う安心感ではなく、まるでこんな事は大した物ではないと言わんばかりの…余裕さえ感じ取られた。
「『騙した』?何か勘違いされていますね。私もギルゼ支部長もハイキ様が『ユーランを出た』もしくは『去って行った』としか言っていません。それを勝手に『ユーランから逃げ出した』と思い込んだのはチャミル様とカメス様でしょう。」
「な、ああ!?」
シャマトの言葉は間違っていない。
ギルゼも『出て行った』『去って行った』とは言ったが、確かに誰一人『逃げ出した』とは言葉にしていない。
『二度と帰って来ない』とは一言も発していない。
そもそもそう思ったのは商業ギルドの職員からの密告にそう書かれていただけで…
「か、金は!?カメスが言っていたぞ!契約不履行の違約金や慰謝料をまとめてギルゼに渡して、ギルドカードも返却したと!!」
これはカメスが実際に商業ギルドの支部長室で見たものだ。
違約金を総まとめにした額の金とギルドカードをハイキは置いていったと。
ギルゼも全てハイキのものだと認めていた。
「ああ、それはハイキ様の忘れ物ですね。」
「……わすれもの?」
沸騰していた頭に対し、体中の血が凍っていくような感覚をチャミルは感じた。
「ギルゼ支部長も困っていました。『ギルドカードならともかく、あれだけの額の忘れ物は支部長室から動かす事も出来ない』と。幸いにもあの金貨の山とハイキ様がいた場面を視たのは職員一人だけでしたので、ギルゼ支部長直々に口止めをして収まりました。」
「………あ、ああ、ああああ。」
貴族であるチャミルにウソをつけば処罰の対象となる。
だが、誰一人ウソを言わず、それをチャミル達が勝手に勘違いしたとなれば…
例えば、内通者である職員がハイキの姿とその金貨の山を目にし、『ユーランを出る』と言う言葉だけを聞けば…
密告を聞き商業ギルドを訪れたカメスが、ハイキが【音駆け】と言う最速の馬を渡され、『前もって出て行く準備をしていた』と聞かされたら…
『南に向かった』と言う情報を手に入れ、その先にユーランと同等の『街』があると知っていたら…
「あ、ああああああああああああああああああああ!!」
足下が崩れていくような喪失感にチャミルは呑み込まれた。
全て繋がっていた。
あの借金返済の騒動もチャミル達から冷静な判断を奪う為の仕込みの一つにすぎなかった。
誰一人ウソを言わず、誰一人真実を断片的にしか話さなかったからこそ出来た心理の罠。
『チャミルを全員で騙す』のではなく『チャミルに自分から勘違い』させる事が狙いだった。
「許さん、許さんぞおおおお!!私をここまでコケにしおって!!必ず貴様を---」
「…チャミル様。ご自身の心配をされたほうがいいのでは?」
シャマトはそう言うと、懐から一枚の紙を取り出した。
その紙を視たチャミルの顔が張り詰める。
「そ、それは…」
「これはチャミル様が自身の身を守るために用意していた告発文です。【再開発計画】に関わっていたユーランの有力者達の名前が並んでいますがもう意味を成しません。」
シャマトはビリッとその紙を破くと、くしゃくしゃに丸めてまた懐にしまった。
「何故ならこちらに書かれていた方々のほとんどが、チャミル様に無理矢理巻き込まれたと判明したからです。『自分に何かあればこれが街に出回る』と脅していたそうですが、この告発文には何の力もありません。そしてチャミル様と本当に関わりのあった方々に至ってはすでに逮捕されています。」
「な、ななああああああ…!」
それだけ言うとシャマトは今度こそ地上への階段へ歩き出した。
「ま、待て、待ってくれ!!ならば、ならば私はどうなる!?」
告発文はチャミルが自分に危害が加えられないように用意していた命綱だ。これがあるからこそチャミルは牢獄の中でも安心して過ごすことが出来ていた。
だが、その効力が失われた今…
チャミルを守るものはなくなり、むしろ巻き込まれた有力者達が刺客を送り込む事も有り得る。
「早く護衛をつけろ!守りを固めろ!このままだと私は、私は!!」
しかし、取り乱すチャミルの声など何も聞こえないようにシャマトは歩を進めていく。
「いやだ、いやだいやだ!!殺される!助けてくれ金なら払う!!おい、頼む!シャマト!おいいいいい!!」
そんな情けない泣き声が響き続ける牢獄を後にし、シャマトは地上への階段を一人上っていく。
「【再開発計画】に巻き込まれた方々は常に監視され、狙われるのではないかと言う恐怖に支配されていました。」
階段を上りきり、何も聞こえなくなった場所で…今も叫び続けているであろうチャミルに向けて、シャマトは静かにつぶやく。
「…常に狙われ続ける恐怖。今度はその身で味わってください。」
…わずかに怒りを込めて。