第九十話 彼の目的
チャミル・シュラートの評価は大きく以下のように分かれる。
『典型的な貴族至上主義者』
『自己顕示欲の塊』
『馬鹿貴族』
それは間違いではない。
だが、ある一点…それに関してだけ言えば、彼以上の存在はいないとされる。
それが『自己保身』。
チャミル・シュラートは『自分を守る』事だけは天才だった。
貴族としての地位を失い、牢獄に閉じ込められた今でもチャミルに焦りはなかった。
コツ、コツ、コツ…
「やっとか。」
看守がいなくなり、地下牢獄に降りてくる誰かの足音が響く。
チャミルはそれを自分の迎えだと疑わなかった。
【再開発計画】でチャミルと癒着していたのは警備隊の上層部だけではない。
街の有力者達…それも様々な分野の人物達が関わっていた。
正確に言えば関わらせていた。
警備隊はその事実にまだ気づいていないが、もしもチャミルが自らの罪を少しでも減らす為に彼らの名前を出してしまえば…
彼らにもそれ相応の罰が下されるだろう。
少なくとも今までと同じ生活を送る事は出来なくなる。
それを防ぐにはチャミルを逃がすか、二度と口を開けないようにするの二択だが…
チャミルの仕込みにより彼らは前者しかとる方法がなかった。
コツ、コツ、コツ…
チャミルは牢獄に入れられた初日こそ騒いではいたが、迎えを待つ間はひたすら自分を追い込んだ人間達への復讐を思い描いていた。
牢獄の壁と向かい合う間、それを支えに今まで大人しくしていたのだ。
それももう終わる。
コツ、コツ…
足音が止むのと自分の牢獄の前に人が来た気配でチャミルは笑みを浮かべた。
「ようやくか、まったくずいぶんと待たされたものだ。」
そう言って、牢獄の鉄格子へ目を向けると、
「な、なああ!?」
チャミルは愕然としていた。
「お久しぶりです、チャミル・シュラート様。」
訪問者の顔を視た瞬間、チャミルの中の炎が一気に燃え上がった。
「き、貴様ああああ!」
ガシャンッ、と鉄格子を掴みながら、チャミルは声を荒げた。
「シャマト・キュール!!貴様が何故ここに!?」
格子を挟んだ二人は対照的だった。
チャミルは鉄格子を握り潰さんとするほどの怒りをたぎらせ、シャマトはまるで商談の場であるかのように平然とした表情だった。
「お元気そうで何よりです、チャミル様。」
故に今のチャミルにはシャマトのあらゆる言動にいらつきが止まらない。
「シャマト!貴様、貴様が全て仕組んだのだろう!【再開発計画】の中止も!【獣爪団】の解散も!私を陥れる為に!あのハイキもグルだったのか!?」
「…驚きました。【獣爪団】の解散はチャミル様が牢獄に入った後に判明したものです。すでにご存じとは恐れ入ります。」
「白々しい事を!!」
貴族でもなくなり、部下も失ったチャミルには外の情報を得る手段はない。
だが、例外はある。
初日に騒ぎ続けたチャミルにうんざりした看守がチャミルを大人しくさせる為、今のチャミルの置かれている情報をぶちまけたのだ。
その中には【獣爪団】の解散話も含まれていた。
「ですが、チャミル様。一つだけ訂正させていただきます。」
シャマトはそう前置きすると冷静な口調のまま、
「ハイキ様とは関係なく、貴方がこうなる事は決まっていました。」
断言した。
「…ど、どういう事だ!?」
一拍遅れて反応したチャミルにシャマトは咳払いをした。
「【再開発計画】を押し通す為にチャミル様が行った事はあらゆる所から相当な反感を買っていました。それでも貴方が好き放題に出来たのは警備隊が動かなかったから。まさか上層部だけでなく、現場の隊員まで買収していたとは思いませんでした。」
「っ!」
警備隊の上層部を買収する事で現場からの報告を握りつぶす事は出来る。しかし、それは一時的なものでしかない。ユーラのように責任感のある者なら上層部を不審に思い、いずれ何らかの対策をとるだろう。
だから、チャミルは上層部だけでなく現場の隊員も買収する事にした。上層部に声をかけ、商店街区域の担当者達は金に靡く扱いやすい者を選別し、ユーラなどの操りにくい者達はその区域から外していった。
こうしてチャミルにとって都合の良い警備隊が出来上がった。
現場の警備隊は商店街側が不利な状況の時だけ事件化し、チャミル側に不利な時は見て見ぬ振りを決め込む。万が一、別ルートから報告が上がっても買収された上層部が握りつぶし、何もなかった事にする。
「ですが、思わぬ事件が起きた。ハイキ様とある女性が商店街に向かった日です。商店街の方々に娘のように可愛がられていた女性が見ず知らずの男といる…その小さな怒りと戸惑いがカメス様の【強化】と悪い方に結びつき、騒ぎが起きてしまった。あれで私は商店街に何が起きていたか知ったのです。」
「な、なんだそれは…」
脂汗を流しながら聞き続けるチャミルはつい口にした。
商店街で日々トラブルが起きている事を知っていたチャミルだが、その被害者の中にハイキがいた事までは把握していなかった。そして、ハイキの護衛の依頼をこなしていたシャマトは偶然にもあの殺気立った現場を視て、商店街に起きていた異変に気づいたのだ。
「その日の内に【魔道具】は【解除】させていただきましたし、イール様にも警告を出しました。チャミル様のお望み通り、私が怪しまれるように。」
「!?」
心臓を掴まれたようにギョッとするチャミルだが、シャマトの表情は変わらず穏やかなままだった。
「万が一に備えて誰かを身代わりにする事は想像できました。私に目を着けていた事も。」
「な、なにを言っている…」
「これはたまたまですが…私はある事情からハイキ様に急接近し、常に行動を共にしようとし、当のハイキ様からは不審に思われていました。これ以上の適任はいないでしょう。その後も、わざとハイキ様に意味深な事を言ったり、不自然な行動をとらせていただきました。」
「あ、ありえん…貴様は…」
チャミルにあった怒りは急速に冷えて…いや、強制的に冷まされていた。これまではちょっとしたアクシデントが重なり続け、その結果運悪く牢獄に送られたと思っていたが…シャマトの言い方はまるで違った事実のように聞こえる。
「とは言え、私もそれなりに動かせてもらいました。【旧市街】で情報を集めたり、【獣爪団】の状況を逐一確認したり、ある悪徳金融業の事務所に忍び込んだり…」
「……なんだと。」
ゾワッとチャミルの中の熱がまた燻りだした。あの日、有り得ない出来事が続く中で一つだけ分からない事があった。
何故、借金の借用書が商店街の者達に渡っていたのか?
警備をされている事務所の中…その金庫の中から誰が借用書を盗んだのか?
「まさか…」
チャミルの絞り出すような声に対し、シャマトは口元を緩めた。
「こう視えて、意外と得意なんですよ。裏工作や情報収集。」
「なら、なら警備隊も貴様のせいで!!」
「ええ、せっかくなので膿をまとめて出し切ろうと。さすがに不正の証拠を集めるのは苦労しました。」
あっけらかんに言うシャマトにチャミルは食い入るような目で睨みつける。
「有り得ん、有り得ん!ただの商会の幹部が何故そこまで出来る!?そもそも貴様にとっては【再開発計画】を阻止する事は何の得にもならないはずだ!!目的などあるわけがない!」
吠えるように叫ぶチャミルを視て、シャマトは首を横に振った。
「ありますよ、目的。」
まっすぐな目でシャマトは己の目的をチャミルに告げる。
「『金儲け』ですよ。」
「……………は?」
それはチャミルが全く予想もしていない返答だった。
「私は『金儲け』が大好きなんです。チャミル様の【再開発計画】はユーランの経済に悪影響しか与えないものです。一方で、ハイキ様のハイキ商店は経済を大きく活性化させるでしょう。私にとってはそれで充分だったのです。」
それは適当なごまかしでもその場しのぎの方便でも、ましてやチャミルを煽るだけのウソでもなかった。
紛う事なき、シャマトの本心だった。
「そ、そうか。金が好きなのか…」
チャミルは戸惑いながらもすぐに名案に辿り着いた。
「なら、なら私の隠し財産をくれてやる!ここから出すだけでいい!大金貨千枚はあるぞ!」
チャミルにとってシャマトが『金が好き』なのは予想外ではあるものの、値千金の情報だった。『金が好き』と言う事は買収した警備隊隊員のように『金を出せば靡く』と思ったのだ。
「…ほう。」
案の定、シャマトは興味を示す反応をした。
それに活路を見いだしたチャミルはたたみかけるように言葉を続ける。
「隠し財産はまだある!すぐに渡せる分だけでも大金貨百枚はあるぞ!だから私をここから出すように進言を---」
「…興味ないですね。」
笑顔でそう言いきったシャマトにチャミルは固まってしまった。
「…え?」
シャマトは鉄格子から一歩引くと、真顔に戻った。
「言ったでしょう。私は『金儲け』が大好きだと。『金』には興味ないんですよ。」
「な、なにを言って…」
「さて、隠し財産があると分かりましたし、私はもう行きます。警備隊に伝えないといけませんし。」
「っ、貴様ああああ!それが狙いだったのか!?」
「当然です。チャミル様の事ですから、必ず財産を隠していると思っていました。それを使ってハイキ様に復讐しようとする事も。」
「ぐ、ぐあああああああああ!出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ出せ!」
もはやなりふり構っていられず、チャミルは初日と同じように、いや初日以上に声を荒げ、鉄格子を叩きまくりながら、シャマトへ呪詛をはき出す。
その対象であるシャマトは話は終わったと言わんばかりにそそくさと踵を返す。
「では、チャミル・シュラート様。これにて失礼します。」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
歩き出そうとするシャマトだが、思い出したように足を止めるともう一度だけチャミルの牢獄へ振り返った。
「あ、そうでした。最後に二つ教えておきましょう。モルス様がカメス様の依頼を断わった理由です。」