第八十四話 言わなきゃ良かったと思いました
「うまくいって良かったですね~。」
「………」
「ハイキさんの仕掛けた罠もですが、あの水鉄砲?も驚きました~。着いたらお話聞かせてもらってもいいですか~?」
「………」
「…あの、ハイキさん?大丈夫ですか~?」
「ぜ、ぜんぜん、だいじょうぶ、ですっ!」
俺は舌を噛まないようになんとかそれだけ返した。
サイラさんはいつもと同じように話しているけど、今の俺にそんな余裕はない。
何故って?
【音駆け】が全速力で走っているからだよ!!
こっちは現代日本の電車やバスとか、機械の乗り物しか乗ってこなかったんだ。
馬に乗るなんてこれまでの人生で今日が初めてだったし、行きと合わせても二度目。
だから、とにかく怖い。
直に当たる風は冷たいし、ちょっとでも気を抜いたらそのまま地面へ落下するかもしれない緊張感…
【廃棄工場】でヘルメットとゴーグルでも探せば良かったと思ってももう遅い。
地面を駆け抜ける振動でおしりが痛くなるけど、必死に耐える。
「少しスピードを落としましょうか?充分間に合うと思いますし~。」
サイラさんが俺を気遣ってそう提案してくれるけど、俺は首を横に…どうにか振った。
「だ、ダメです。今は少しでも急がないと…」
本当はゆっくり走って欲しい…でも、そうも言っていられない。今のうちに動かないと後が面倒になる。
早く着くに越した事はない。
橋に着くまでと同じように【音駆け】のトップスピードにもなんとか身体はついて行けている。
これならまだ耐えられ---
「よかった~。じゃあ、本気で走らせますね。」
……え?今がトップスピードじゃ…
俺がそう聞く事はなかった。
サイラさんは頭にかけているあのゴツゴツメガネ…どうしてか分からないけど、これだけ揺れているのに落ちなかったそれを目に装着して、
「遠慮はいらないよ、行こう!」
バシッ!
とサイラさんが【音駆け】に激と鞭を入れた瞬間、
「ヒッヒーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!」
ぶわっと、身体にかかる圧が一気に増え、向かい風の勢いはさらに強くなる。
「ウソでしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」
俺は絶叫しながら、【音駆け】の本気の走りを体感する事になった。
******
数時間後
深夜ユーラン【旧市街】
バーンッ!
「…!」
標的の拠点のドアを蹴破ったモルスはすぐに異常に気づいた。
情報によれば拠点の一階は吹き抜けになっていて、見張りが必ず二人以上いるはずなのだが、人影はどこにも見当たらない。
「兄貴、やっぱりさっきのって…」
オズが緊張した声でモルスに問いかけるが、モルスは返事をしないまま、二階へ上がる階段を指さす。
「事前に話していた通り、二手に分かれる。一階に誰もいなければお前達も二階に来い。」
仲間が頷くのを確認したモルスはオズを含めた数人で階段を駆け上がる。
「どういう事だ、これは!」
モルスは舌打ちしながら、数分前に起きた事を思い返す。
*****
モルスがオズに【アームズ工房】の話を語り終えて間もない時だった。
「うわああああああああああ!」
「ぎゃあああああああ!」
「いいい、ああああああ、ああああああ!!」
静かな夜を引き裂くいくつもの叫びが標的の拠点から聞こえてきたのだ。
その声はある程度距離をとっていたモルス達にも、恐怖と苦痛がはっきりと伝わる程で、明らかに想定外の出来事だった。
「っ、行くぞお前ら!」
「「「おお!」」」
モルスの突然の号令にも仲間達は戸惑うことなく続き、標的の拠点へ正面から乗り込んだのだが…
****
「…静か過ぎる。」
モルスは二階に着いてそうつぶやいた。
二階は一定の間隔で部屋がいくつも並んでいるのだが、あれだけの悲鳴が聞こえた割には二階は…いや、建物の中が驚くほど静かだった。
試しに近くの部屋のドアを開けてみたが、人どころか、荒らされた様子もない。
「兄貴、もしかして依頼人が別のところにも…」
自分達とは別に依頼をして、それを受けた誰かがいるのではないか?
オズの言いたい事はモルスも分かっている。
過去にもいくつかの組織に襲撃依頼をし、組織同士を争わせた挙げ句、共倒れを企んだ者もいた。
今回もその可能性があるとオズは考えたが…
「いや、それはないな。」
だが、モルスはそれをきっぱりと否定した。
「依頼人は頭がキレる。そんな事をすれば余計な手間と時間を増やして、面倒事を倍にするだけだ。」
モルスはこれまでの経験から依頼人をそう判断していた。
「…確か、一番奥に執務室があったな。そこへ行くぞ。」
モルスはわざと目立つように足音を立てていくが、やはり誰も来ないし、罠がある訳でもない。
建物の中から人の気配が感じられない。
警戒しつつも執務室の前に着いたタイミングで一階にいた仲間も合流した。
その顔を見る限り、一階にも誰もいなかったようだ。
「行くぞ。」
バーンッ!
モルスが執務室のドアを乱暴に開け、入ると目の前に映ったのは…
「ああ、お客さんかい?悪いけど、少し取り込んでいてね。また明日来てくれるかい?」
申し訳なさそうにモルス達に頭を下げる【獣爪団】の団長ジキル、そして…
「……こ、これって。」
震える声でオズはこの惨状…
苦悶の表情で倒れている【獣爪団】の団員とその副団長の姿を目に焼き付けていた。
血の気を失い青白くなった顔、これ以上ない程の恐怖と苦痛を味わったような様相…そして、一番恐ろしいのは…
この屍の中心に平然と立っているジキルだった。
「ん?どうした?【獣爪団】の拠点にびっくりした?」
自分達の拠点に押し入った上、こんな凄惨な現場を視られたと言うのに…
ジキルの声には敵意も悪意も感じられなかった。
その事実がオズに根源的な恐怖を与える。
「すぐ済む話だ。こちらも仕事なんでな。」
そんなオズを守るようにモルスがジキルの視線を遮るようにオズの前に立つと、毅然な態度で口を開いた。
「仕事?…ああ、そういう事。」
ジキルは何かを察したような顔をして、両手を挙げた。
「だいたい想像着くけど…ちゃんと聞こうか。こっちもやることが残っているし。」
抵抗するようには視えないジキルだが、モルスは一切の油断もなく、わずかな動きも逃がさないほど神経を張巡らせ、言葉を選ぶ。
「俺達が受けた依頼は二つ。『【獣爪団】団員の拘束』と…」
ジキルの目が鋭くなるが、モルスは言葉を続ける。
「『【獣爪団】の副団長の抹殺』だ。」
「…それ、本気で言ってる?」
ピシッと、周囲の物が軋む程の圧がジキルからあふれ出す。
その圧は一般人ならまともに受ければ動く事すら出来ないほどの殺気だったが、
「当然だ。」
モルスがはっきり断言すると、控えていた仲間全員が一歩も引かない顔で武器を構えた。
最年少でほんの数秒前まで震えていたオズも決死の覚悟で剣を持っている。
一触即発、今にも大がかりな戦闘が始まる状況だったが、
「…あ~あ、やっぱりか。」
ジキルは大きなため息をつくと、圧を解いた。
「安心しなよ。今度は本当に何もする気はない。」
そのまま、ジキルは近くのテーブルに腰を乗せると、倒れている団員達に目を向けた。
「アンタらが出てくるって事は、こいつら…特に副団長が相当な事しでかしたんだろ?」
「……」
無言で頷くモルス達にジキルはまた一段と深く息を吐く。
「…なあ、さっき追い返そうとした男が何をと思うだろうが、少し話を…交渉をさせてくれないか?」
疲れ切った声でジキルはもう一度頭を下げた。