第八十三話 後は任せました
「…うわあ。」
自分でやっといてなんだけど、橋と川は何も知らない人が見たら、絶対に逃げ出すだろうって光景だった。
木造の橋に残っている液体は赤いから血の色に視えるし、何十人もの男達が川の水を必死に飲んでは叫ぶ姿は…
なんかもう視ていられない。
いくらなんでも…やりすぎたのかな。
「気にするな、ハイキ。」
肩をポンと叩かれて、俺は我に返った。
「あいつらがやろうとしていた事を考えれば、お前のやった事は何の問題もない…あとは任せておけ。」
そう声をかけてくれたのはアシトさんだ。
「残っていた連中も縛っておいた。『同じ目に遭いたくないなら大人しくしてろ』って言ったら、思った以上に従順になったぞ。」
アシトさんが目配せすると、手足を縛られ、気を失っている人達…馬から振り落とされて動けなくなっていた全員が、転がっていた。
「しかし…まあ。俺もすぐ出られるように準備はしていたが…役に立たなかったな。」
少しバツの悪そうな顔で言葉を濁らせるアシトさんだけど、そんな事はない。
「アシトさんがいたから、俺は安心して攻撃出来たんです!そうじゃなかったら…」
あんなに落ち着いて攻撃は出来なかった。
間違いなく。
対岸にアシトさんが隠れていると分かっているだけで安心度は桁違いだった。
「そうですよ~。私だけじゃさすがに厳しかったと思いますよ~。」
場違いなのんびりとした声の方を向くと、いつの間にか起きていた【音駆け】が準備万端の顔で俺を見ていた。
「じゃあ、行きましょうか~。ハイキさん。」
声は【音駆け】の背…ここまで【音駆け】を乗りこなしていたその人はフードを外し、その顔を久しぶりに出した。
「…ええ、お願いします。」
俺は馬の背に何とか乗って、
「……失礼します。」
行きと同じようにその人のお腹に手を回した。
「はい~。では、行きますね。」
バシッと軽く【音駆け】に鞭を入れると、馴れた様子でこの人は…
サイラさんは【音駆け】を走らせる。
「気をつけろよ、ハイキ!」
どんどん遠くなるアシトさんの声を受けながら、俺達は目的地へ駆けていく。
こちらの作戦は成功した。
あとは他が無事に終わっている事を願うだけだ。
*****
「さて…」
あっという間に視えなくなったハイキ達の方角から目を離したアシトは次の作業に移る事にした。
ハイキから作戦決行前に渡された薬瓶を取り出し、改めてその色を確認する。
紫色に輝く怪しげな液体は口にする事もはばかれる気配に満ちているが、その効能は身を持って知っている。
「じゃあ、やるか。」
アシトは川岸に降りると、大きく息を吸った。
普段ならこの予備動作も必要ないのだが、今回はハイキの頼みもある為、念には念を入れ、威力も調整する。
自らの魔力を喉元に集中させ、狙いを定める。
標的は川に入って今も苦しみ続ける男達。
持続する辛さにより、自分達が何をしているのかすら判断出来なくなりつつある彼らに向け、アシトは口を開け、それを放つ。
「『止まれえええええええええええええ!!!』」
ゴウッ!と川の流れすら一瞬止める程の音の弾丸がアシトの口から発射された。
「っ!!」
その音をまともに受けた男達の動きが完全に止まる。
突然の大声で驚いただけではなく、その声を、音を聞いてしまった瞬間、身体が硬直したのだ。
呼吸する事がなんとか出来る程度で、声を出すことも動く事すら出来ない。
今も喉を焼くような辛さは続き、むしろ何も出来ない分、辛さに意識が向いてしまい先ほどよりも悪化している。
「すうっ!」
アシトはもう一度大きく息を吸い込むと、今度はただの大声を出す。
「辛さを抑える薬はここだ!こっちに来い!」
「!!」
それは今の男達にとって何よりも価値のある言葉であった。
硬直していた時間は十秒もなかったが、動けるようになった男達は、
「うわああああああああ!」
我先にとアシトの元へ集まり出した。
「どけ!」
「じゃまだ!」
さっきまで仲間だった者を押しのけ、川の流れに呑まれても、ひたすら川岸のアシトを目指す。
「ほらこっちだ!」
アシトは薬瓶を見せびらかすように男達を煽り、岸から離れていく。
「よこせえええええええ!」
一分もしない間に男達が全員が川から出たのを確認したアシトはそのまま川岸を動きながら、必死に自分を追いかける男達を簡単に躱していく。
「ああああああああ!」
薬瓶を追い求めるその姿はまるで砂糖に群がるアリのようだった。
しかし、逃げるアシトと追う男達の距離はもう少しと言うところで縮まらない。
縮まるはずがない。
万全の状態にアシトに対し、男達の服は水をたっぷりと吸い、重りと化している。その上、地獄のような辛さによるダメージが思考を短絡的にしている。人数を生かしたチームプレイも作戦も彼らは考える事すら出来ないのだ。
これでは捕らえようがない。
それを悟らせないようにアシトは適度にわざと大きな隙を造っては男達を誘導していく。
「…そろそろか。」
五分ほどして、走っていたアシトは一部の男達の足が鈍り出したのを確認すると、薬瓶の栓を開けた。
「欲しいなら…」
急ブレーキをかけたアシトはその反動を利用して薬瓶を持った腕を大きく振り回し、
「くれてやるよ!」
その中身を男達の真上、宙にぶちまけた。
「!!!?」
男達の驚愕する顔を視ながら、アシトはハイキの説明を思い出す。
『【中和剤】はこの特製の瓶から出るとすぐに気化します。空気よりも重いから真上に投げれば真下にすぐ届くし、しばらくは周囲に漂うので直接触れなくても問題ありません。あとはこれを吸えば…』
「あ、ああ…」
「か、からくない…」
気化した【中和剤】を吸い込んだ男達はすぐにその効果を実感した。
灼熱のように続いた辛さが何もなかったかのように引いていく。
それだけで涙が止まらなくなり、歓喜に震える男達は
バタッ
バタッ
バタッバタッバタッ
安堵の表情で気を失っていく。
「ぐ、貴様…獣王…か?」
唯一カメスだけは意識をギリギリで保っていたが、地面に膝を着き、立ち上がる事は不可能だった。
「…その名前は好きじゃねえんだ。さっさと眠りな。」
コツン、とカメスの頭を軽く殴り、意識を刈り取ったアシトは周囲に起きている者がいないか探していく。
同時に一人一人の武装も取り上げ、両手両足を封じ、自決防止の猿ぐつわも噛ませる。
「『大量の水を飲んだ人だけ気絶します』か…あの婆さん、また恐ろしい物渡しやがって。」
アシトは寒気を感じながらも馴れた様子でせっせと作業を進めていく。
「ふう。」
日が落ちる前に捕縛は完了したが、すでに気温は下がり始めている。
肌寒いくらいの気温だが、今の今までずぶ濡れだった者達には堪える程には…
「…仕方ねえか。」
アシトはたき火をいくつか造るとその近くにずぶ濡れの者を寄せた。
万が一、こんな事で死なれてはハイキに迷惑がかかる。
そう考えての行動だった。
「迎えが来るまでは面倒見ないとな。」
たき火に当たりながらアシトは一人呟いた。