第八十二話 辛さを知れ
「続けええ!」
カメスはそう叫ぶと、自らの馬に鞭を入れ、橋の入り口へ一気に駆け抜けていく。
狙うはハイキの首。
当然、同行していたフードの人物も始末をするつもりだ。
もはやシュラート家にとって、ハイキは『害』にしかならないが、この場で消してしまえばシュラート家にも生き延びる道は残る。
もし、ハイキを殺した疑いがかかっても、カメスには『秘策』もある。
「続けええええええ!」
雄叫びと共に、カメスの乗った馬達が橋に近づいていく。
ハイキは未だに動く様子はない。
(とった!)
そうカメスが確信した、まさにその瞬間だった。
パンッ!
「なあああっ!?」
火薬がはじけるような音が周囲に響き渡った。
同時に、
「ヒヒーン!?」
カメスの操る馬がその音に驚き、暴れ出した。
「く、落ち着け!」
カメスが何とかなだめようと馬の手綱を握るが、
パーンッ!
パーンッ!
パパンンパンッ!
破裂音が何発も鳴り響く。
「ぬおおおお!?」
カメスの乗っていた馬はさらに強く暴れ出し、もはや乗り手ですら邪魔な荷物にしか思えないのだろう。馬はカメスを振り落とそうとまでしていた。
「うわああああ!」
「ぎゃああああああ!」
そして、それはカメスだけではない。
後続に続いていた騎兵も暴れ出す馬に必死にしがみついている。
パーンッ!
パーンッ!
パンパンパンパンパンッ!
それでも、音は鳴り止まない。
むしろ、音が鳴る間隔は段々短くなっている。
…馬が暴れれば暴れるほど。
「まさかっ!?」
カメスは地面に目をやると、橋の手前の地面には小石とは違う、小さな銀色の粒があちこちにばらまかれていた。
それを馬が踏む度に火花と火薬がはじける音が響く。
「っ、ハイキいいいいいい!!」
カメスはそこでようやく自分達が罠にはめられたと気づく。
案の定川向こうのハイキ達は立ち上がると、たき火の始末をしていた。
「ぎゃあああああああ!」
「ま、まてえええええ!」
「うわうわうわ!」
一方、カメス達は混乱の極みだった。
破裂音と人の叫び声、馬の声が幾重にも重なり、もくもくと白い煙まで漂いだしていた。
すでに半数以上の騎手が馬から振り落とされ、後続の歩兵部隊は尚も続く破裂音と暴れる馬たちのせいで近づく事さえ出来ない。
騎手がいなくなり、どこかに走り去ってしまった馬もいれば、音と煙で興奮が止まらずに他の馬にぶつかったり、振り落とした騎手を蹴り飛ばしたりなど…
収拾は不可能だった。
「くそ!」
カメスは自ら馬から飛び降りた。
このまま無理に乗り続けても馬が落ち着く保障はないどころか、振り落とされて身動きがとれなくなる怪我をする可能性もある。
全てを天秤にかけ、カメスは馬を失う覚悟を決めた。
「ここだ!」
火薬をうまく避けて地面に立ったカメスはすぐさま足下にある銀色の粒を手に取った。
小指の爪ほどの丸い銀色の粒は薄く、遠目から視れば小石にも視えなくはない形だったが、実際に触ってみると感触がとてもなめらかで、カメスの知る火薬とは造りが明らかに違った。
「ヒヒーン!?」
乗り手を失ったカメスの馬は橋を渡る事なく、そのままカメス達とは反対の方向へ進んでいく。その先にも火薬が撒かれているが…
「…!」
馬が火薬を踏んでも音は鳴らなかった。
「…まさか。」
カメスは持っていた火薬を地面に置き、思いっきり強く踏みつけた。
ダンッ、と固い地面を踏む音と衝撃が足に伝わるが、火薬の音は鳴らなかった。
(人が踏んでも何も起きない…馬だけが踏んでも…)
カメスはその特性に気づくと、今も止まらない騒ぎの中、腹の底から全員に聞こえるように指示を出す。
「馬は捨てろ!足下の火薬は音だけのみせかけだ!」
声が届いた男達がすぐさま馬から降りていくと、馬もあっという間にその場から逃げ出していくが、火薬の音は鳴らない。
それを視た歩兵部隊も意を決し、火薬の上を進んでいく。
「全員続け!この火薬は人と馬が合わさった重さでないと鳴らない!」
カメスはそのまま橋の反対側…カメスから視て、橋の出口に立っているハイキを指さした。
「奴はすぐそこだ!負傷した者は後で救う!進めええええええええ!」
腰の剣を抜くと、カメスは先陣を切って、橋を駆け抜ける。
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」
その後を追うように集団が続いていく。
ドタバタと木製の橋を駆ける音が木霊する。
橋が揺れるが、この程度の重さで壊れる造りではない。
今も出口にいるハイキまで二十秒もしないで辿り着く。
(…なぜだ?)
橋の半分を渡りきったところで、カメスに疑問が浮かび上がった。
…何故、ハイキはわざわざ火の始末をしていたのか。
(川沿いのたき火だ。放っておいても問題ない…いや、そんな事を考える余裕はないはずだ。)
…何故、ハイキは橋の周辺にあれだけの火薬を仕掛けていたのか。
(橋を通る人間は多い…私達が来ると確信がなければあんな事は出来ない。)
…何故、ハイキは橋の出口に今もいるのか。
(あの火薬の罠で足止めしている内に【音駆け】に乗る時間は充分あったはずだ。)
なのに、ハイキは【音駆け】に近寄るどころか橋の出口でこちらを視ている…待ち構えている。
見た事のない物を持って…
(なんだ、あれは…?)
この緊迫した状況には似つかわしくないほど、派手な明るい色で作られた大型のそれは初めて見る形のものだった。
いや、初めてではない。
似たような物をどこかで…それも何度か目にしている。
あんな派手な色ではなく、もっと簡素な…
「っ!?」
その何かをハイキが構えた瞬間、カメスはその正体に気づいた。
確信がないが、その構えは知っている。
先端を狙う物に向けて、後は持ち手にある引き金を引く。
その動作だけで標的を安全圏から攻撃出来る武器。
(銃だと!?)
カメス達も銃の用意はしていたが、ハイキの持っている銃とは大きさも色合いもまるで違う。
カメスの用意した回転式拳銃が片手で持てるサイズに対し、ハイキの持っている銃は弾を放つ銃身だけでも左手で支えるほど長く、全体の大きさは自分達の銃とは比べものにならないほどだった。
異色なのは銃の色だった。
鉄を加工する過程で銃に模様を着けたり、多少の色を合わせる技術は知っているが…ハイキの銃は遠くからでも警戒をせざるを得ないほど、暗くなりかけた今の時間でも目立つほど派手で禍々しい色だった。
(さっきの火薬は音に慣れさせ、銃に気づかせない為の二段構えの…!)
気づいたところで、もう後戻りは出来ない。
ハイキまでの距離はもう五メートルもない。
下がろうにもすでに隊列を組んだ部隊がすぐ後ろにいる為、足を止める事も出来ない。
…ハイキの持つ銃口は自分の頭を狙っている。
「くそっ!」
カメスは自分の近くにいた歩兵の首根っこを掴むと盾のように立たせ、その背に隠れた。
「え?」
突然の事に混乱する歩兵は、目の前のハイキの構えと持ち物を視て、すぐにカメスと同じ考えに辿り着くが、
パンッ!
乾いた音が周囲に響いた。
「……」
ビチャリ
橋に赤い液体が広まっていく。
鮮やかな赤色はカメスが身代わりにした男の頭から流れ、カメスの足下にまで伝わっていく。
「………」
橋にいた誰も予想外過ぎる出来事に動きを止めていた。
数なら圧倒的に有利だが、この逃げ場のない狭い橋の上で銃で狙われているとなると話は別だ。
玉砕覚悟で突っ込めば集団としては勝てるだろうが…
確実に何人かは死ぬ。
今、目の前で倒れた歩兵がその証拠だった。
「………」
「………」
ハイキを含めた全員が沈黙を続ける。
どちらかが動いた時点で全ては決まる。
そう、誰もが思っていた。
カメスを除いて…
(…おかしい。)
違和感があった。
銃の威力は知っている。
当たり所によっては即死、外してもそれなりの怪我を負わせる武器。
前方にいるハイキが何故か持っている兵器。
なのにどうして、火薬の音が「ハイキ」からではなく「カメスの背後」から聞こえたのだろう。
「…か…」
どうして、身代わりにしたこの男は血まみれの赤く染まった顔で、
「か、か…」
今も言葉を発しているのだろう…
「か、か、か…」
その意味は…
「辛えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
先ほどまでの火薬の破裂音がちょっとした雑音と思えるほどの大絶叫が響き渡る。
「辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え辛え!なんだ、これはああああ!?」
血まみれの男は絶叫しながらのたうち回ると、
「水ううううううううううううううううううううう!」
バシャーーン!!
自ら川に飛び込んだ。
「な、なんだ…!?」
その数秒…
川に飛び込んだ男に全員が目を奪われたこのわずかな時間でそれは決まった。
ピュッ!
「うっ!」
カメスの顔に衝撃が加わった。
と言っても、銃弾や石が当たった訳ではない。
それは液体だった。
目を開け視てみるとその赤い液体は先ほど、川に飛び込んだ男と同じで…
「っ、あああ、があああああああああああっ!?」
辛かった。
これまで口にした物とは比べる事すら出来ないくらい…
ただ、ひたすらに辛かった。
「うわあああああああああああああああ!」
バシャーーン!!
耐えきれず、カメスも川に落ちていく。
大勢を率いるメンツやシュラート家に使える執事の教示などはなく、川の水を飲み込み、ゆすぎ、それでも治まらない辛みに、苦悶の叫びをあげるしかない。
「あああああああああああああああああああああああ!!」
指揮官でもあるカメスの行動は、橋に残っていた男達の腰を引かすには充分であった。
「逃げよう」と考えた者もいたが…
ピュッ!
ピュッ!
ピュッ!
ピュッ!
ピュッ!
ピュッ!
ピュッ!
ピュッ!
ピュッ!
ピュッ!
ピュッ!
手遅れだった。
******
そこから先はまさに地獄絵図だった。
橋の上には武装した男達は一人もいないくなった。
その代わり、
「辛えええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
「な、なんだ、これ!?」
「飲んでも、飲んでも…辛い!?」
橋の真下…川の中では、必死に液体を落とそうと川の水で顔を洗い、口をゆすぎ、喉を潤す男達の姿があった。
ただ、どれだけ水を飲んでも口に広がる辛さが消える事はなく、むしろ、飲めば飲むほど辛みが増していく。
際限なく水を飲むからお腹が水で膨れていき、流れが速くはないこの川でも足をとられる者も出始めた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
終わらない苦しみで感情を抑えきれなくなったのか、涙を流して叫んでは、意味がないと分かっていても、男達は水を飲み続ける。
飲み続けるしかない。
そんな川で繰り広げられる地獄絵図を見ながら、
「…作戦成功って事でいいよな?」
彼らを地獄に叩き落とした当の本人…ハイキは持っていたレジャー用大型水鉄砲を下ろしてそうつぶやいた。
と言う訳で今回のタイトルは「辛さを知れ」でした。
内容が長いので、分割しようとも思ったのですが…ショッキングなところで切るのも違うかなと思い、あえてそのまま載せています。
次回は五月中旬までに更新予定です。