第七十九話 咆哮(裏)
カメス達がハイキを襲撃しようと橋へ向かった時と同時刻。
ユーラン、ハイキ商店にて。
「…ここまでとは。」
ランドは低い声でうなると、店の床を指で軽く滑らせた。
指先には感じる滑らかさは一般的な店で使われている木製の床では有り得ないものだ。
貴族を相手にした高級店に多く使われる石を基調としたタイル製の床。ハイキ商店の床は全てそれになっている。色合いもおとなしめなベージュで店の雰囲気を崩さない無地模様であり、一般客を萎縮させないような造りになっている。
だが、ランドが気になったのはタイル製の床ではなく…
「…こんなにも綺麗になるのか。」
自らの人差し指…ホコリ一つない、この状況だった。
「これが、モップ…なんて素晴らしい。」
ハイキが残していた掃除道具は箒、ちりとり、雑巾だけではなかった。
最初は気づかなかったが、土下座を終えた後、掃除道具の確認をしようとしたところ、箒によく似た見慣れない道具を見つけた。
その掃除道具にはメモ書きが貼られていて、この道具が『モップ』という名前であること、タイルなどの床掃除に便利だという事も書かれていた。
箒と雑巾で綺麗にした店内を最後にモップをかけた結果が今に至る。
「はあ…こんな床を視る事が出来るとは…」
うっとりした表情のランドはそのまま使った掃除道具達に熱い視線を向ける。
「箒もちりとりもとても軽いから、疲れを感じない。それにモップ…あんなに気持ちの良い掃除があるなんて…」
ぶつぶつと言葉にしながらもランドの手はすでに雑巾へと伸び、商品棚を丁寧に拭き上げている。
「箒をうちで再現するのは難しいな。いや、そもそも素材の問題がある。」
どうにか掃除道具を自分の手で造れないか思考するランドだが、掃除はおろそかになる事なく続けていく。
「軽い分、それ相応に脆い。壊してしまえば修復は不可能だ。熱にも弱いそうだから、釜付近では使えない…だが、そうなると…あの素材で代用をすれば…」
現代日本のプラスチックを主成分とした掃除道具に自分なりの解釈をするランドだったが…
ザッザッザッザッザッザッ
突如聞こえた足音に動きが止まった。
「…来たか。」
ぽつりとつぶやいたランドは名残惜しそうに掃除道具をカウンターの片隅に置くと、店の外へ出た。
日もまもなく沈もうとしているこの時間帯。
閑散としているこの場所は普段から通行人の姿は少なく、開店もしていないハイキ商店には人が訪れる事はない。
だと言うのに…
「ずいぶんとまあ…」
ランドの眼前に広がっているのは何十人もの柄の悪そうな男達だった。
どう見ても買い物に来た客には視えないし、客と言うには手に持っている物…武器は物騒すぎる。
斧にハンマー、棍棒に、鎖鉄球…
何かを…例えば、建物を徹底的に壊すには相性の良い武器だ。
「もうすぐ日が沈むってのにずいぶんなもんだな。」
ランドはくるりと回れ右をして、ドアを閉めた。
そのままドアに手を向ける。
「『管理者権限行使』…【封鎖】。」
途端に店全体に青い光が走り出す。
「おおお!?」
男達が驚くが、青い光はすぐに消えてまた何もなかったように戻った。
ランドはもう一度男達に振り向くと、口を開く。
「…申し訳ありませんが、この店の店主は留守にしております。ご用があるなら後日にお願いします。」
当然、それで事が済むとはランド自身も思っていない。
だが、万が一もある。
偶然、解体作業に向かう一団がハイキ商店に立ち寄った可能性もゼロではない。
言うだけは言ってみる。
「ばあああああか!!俺達はその店の物、貰いに来たんだよ!!」
一人の…とりわけ身体の大きなスキンヘッドの男がそう叫んだ。
「知ってるぞ、店主は逃げたんだろ!?だったら俺達がユウコウカツヨウしてやるよ!」
使い慣れていないのか、言葉の言い方に一部違和感があったが、スキンヘッドの男は気にしている様子はない。周りの男達もニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。
「さっさとどきな!怪我するぜ!?っつってももう遅いけどな!?」
スキンヘッドの男が手を挙げた瞬間、五人の男達が前に出た。
その手に持っているのは、何かが入っている網だった。
網の隙間から視えるのは手の平くらいの大きさの黒い球体で、ドロドロした液体が滴っている。
「特性鉄球、ぶん投げろ!」
スキンヘッドの男の合図で、鉄球を持った男達が身体を回転させて、ハンマー投げのように網と一緒に鉄球を投げ込む。
ブンッ!
ブンッ!
重い音と一緒に投げ込まれた鉄球はその勢いのまま、店へ飛んでいく。
たとえ石造りの家でも穴を空けてしまうであろう重量と速度で、鉄球は店の壁に突っ込んでいく。
「行くぞ、野郎共!派手に----。」
ガキン!
だが…
鉄球が店の壁を突き破る事はなかった。
「…は?」
スキンヘッドの男は理解出来なかった。
店の前にいるランドが鉄球を打ち落としたのではない。
ランドは一歩も動いていないどころか、視線すら向けていなかった。
高速で飛ぶ鉄球が店に当たる寸前で何かにぶつかった音と同時に落ちていく。
そんな異常が起きていた。
「な、なんだ!?」
戸惑う男達だが、ランドは落ちた鉄球に近づくと、漂う匂いで鉄球に塗られていた液体の正体に気づく。
「…油か。店を壊して、商品を盗んで、最後は燃やすって事か。」
「っ、お、おい!ありったけぶん投げろ!」
目論見を見破られたスキンヘッドの男は仲間達に声をかける。
今度は何十球もの油まみれの鉄球が大量に投げ込まれるが、それらは全て先ほどと同じように店にぶつかる前に何かに阻まれ、地面に転がっていく。
「なんでだ!?なんで一発も当たらねえ!?」
焦るスキンヘッドの男と対照的にランドは表情を変える事はなかった。
「この店には【結界】が張ってある。そんなもん、何千発投げても届きはしない。」
その言葉にスキンヘッドの男の眼が丸くなった。
「はあ!?ふざけた事言うんじゃねえ!【結界魔法】なんて代物、使える訳がねえ!」
ざわざわと男達に動揺が伝わる中、ランドは無言のまま、服のポケットから自分の武器を取り出す。
「…なんだ?」
手袋のような形をしたそれは、近接格闘専用の武器ナックルグローブ。
現代日本でも護身用の武器として販売されているものだ。
殴る際に拳を傷つけないように保護する為、分厚く、重量もあるものだが…
キュッ
ランドが両手に着けたナックルグローブは違った。
五本の指の動きを遮る事がないよう極限まで薄くしなやかに、何物も砕けるように何物にも砕かれぬように極限まで硬く…
相反する性質を備えたその武器は、ランドの昔からの相棒であり、数年ぶりに身につけた彼の武器。
「…お前らはやってはならねえ事をした。」
地の底から聞こえるような低い声が男達を震え上がらせる。
(な、なんだこの男!?ただの雑用係じゃねえのか!?聞いてた話と違う!!)
スキンヘッドの男がビビり散らす中、ランドは目をつむった。
『このお店は、色んな人との出会いや協力で造る事が出来たんです。俺一人じゃ出来なかったし、誰かがいなくても出来なかった。』
これまでの経験から、人の嘘を見抜く事には自信があった。
嘘をついていなくても『都合の悪い事を隠そう』という行為も分かる…分かってしまう。
『そう思ったら、売れる訳ないじゃないですか。』
人には当然、嘘も隠し事もある。
それはハイキも例外ではない。
だけど、それでも…
あの日、ハイキが語った答えに嘘も隠し事もなかった。
…その想いは本物だった。
「ハイキ商店はな、色んな思いが集まった場所だ。」
ドクン、と。
心臓が高鳴る。
ゆっくりと拳を握り、余計な熱を排出するように息を吐く。
「その場所を壊すと言うなら…」
長い眠りから呼び覚ました相棒の感触を確認する。
……問題なし。
遠慮はいらない。
出し惜しみも必要ない。
静かに小さく燃える火に風を送り込むように…
抑えていた熱を、心を、一気にたぎらせる!
「覚悟は、出来てんだろうなああああああああああ!?」
「うおおおおおおお!?」
目を見開いたランドの怒声で男達が怯む。
魔法を使った訳でも、特殊な魔道具を使った訳でもない。
ただ、業火のように燃え上がる怒りのまま、叫んだだけ。
それだけだ。
「ひ、ひいいいい!」
「ば、ばけものだああ!」
「あ、ああ…!」
それだけなのに、男達の中には、腰が抜けた者もいれば、気を失っている者、武器を落とし戦意を失った者もいる。最初こそ、数だけを視れば圧倒的だったはずなのに、すでに士気は低下の一途を辿り、ほとんどの男達の腰は引けていた。
「っあ、相手は一人だ!ぶっ潰せええええ!」
これ以上はマズイと判断したのか、スキンヘッドの男が慌てて、開戦の声を出す。
「「「うおおおおおおおおおお!!!」」」
それを合図に戦いが始まる。
たった一人の男の戦いが…
誰にも知られない、一夜だけの狂騒が…
「かかってこいやああああああああああ!」
咆哮が轟く。
全てを叩きつぶす、獣の叫びが。
次回更新は三月中を予定しています。