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第七十二話 手遅れ


「待ってください、急には…!」


 職員の声を無視し、執事は商業ギルドの廊下を突き進む。


 狼狽するチャミルをどうにかなだめ、商業ギルドへ単身乗り込んだ執事は受付にも寄らず、建物の中枢…目的の部屋の前まで来ると、


 バーン!


 と、壊れるほどの勢いで支部長室のドアを蹴飛ばした。


「どういう事だ!?」


 立場のない者や、平民に対しては欠片ほどの敬意も持たない男だが、商業ギルドという組織自体には最低限の礼儀を弁えてはいた。


 だが、今の彼にはそんな余裕はない。


 デスクワークをしていたギルゼに詰め寄るや否やその胸ぐらを掴み立ち上がらせると


「言え、何があった!?」


 普段の冷静な様子とはかけ離れた、怒りの形相で恫喝する。


「………」


 それに対し、ギルゼは無言のままだった。


 怯えの声を出す事もなく、執事の視線からも目を背ける様子はない。


 むしろ見定めされているかのようだった。


「っ!」


 その事が執事の神経を逆撫でする。


 いつ、何がきっかけで爆発してもおかしくない緊張感の中、ギルゼはようやく口を開いた。


「…なんの事ですか?」


「!」


 一切の動揺もないその態度に執事の方が面食らう。


「君たちも下がっていい。」


 ギルゼは執事を止める為に入ってきたであろう職員達を手で制した。


「大丈夫だ。少し話をしたいから出て行ってもらえるか?」


 いつもと変わらない何事もないかのようなその声に促され、職員達は心配そうにしながらもゆっくりと部屋を出て行く。


 最後の一人がドアを閉め、ギルゼと執事の二人だけになるとギルゼはそこでようやく息をはいた。


「どうぞ、おかけになってください。カメス様。」


「………」


 執事カメスは多少、落ち着いたのかギルゼの胸ぐらを離し、数歩下がりはしたが、椅子に座ろうとはしなかった。


「例のハイキ商店のハイキがユーランを出て行ったという報告が入った。それは本当か?」


『愚民、ユーランを逃亡』


 途中で奪われる可能性を考慮して、名前こそ書いてなかったが、『愚民』が『誰』を意味しているか分かりきっていた事だった。


 だからこそ、カメスは手紙を読んですぐに商業ギルドにやってきた。


「私は主、チャミル・シュラート様の代理で来ている…その意味が分かるな(・・・・・・・・・)?虚偽は許されない。」


 カメスは貴族ではない。

 

 だが、シュラート家に使える執事であり、『主の代わり』と宣言した上でこの問いに嘘をつけば、『貴族を騙した』という事になる。


 そうなれば商業ギルドの支部長とは言え、厳罰は免れない。


「さあ、言え。黙ってやり過ごす事も許さん。」


 一分一秒を争う状況下ではあるが、今のカメスは多少のタイムロスは気にしていない。


 先ほどまでは焦りのせいでまともな判断が出来なかったが、ギルゼの無表情でカメスの頭は逆に冷えていた。


 改めて状況を考えると、ハイキがユーランを今すぐ出て行くには無理がある。


 ハイキ商店の品物を全て持って行くにはどうやっても時間がかかるし、あれだけの量なら荷馬車も絶対に必要になる。だいたい、置いていくにはあれらの価値は高すぎる。放っておくはずがない。

 

 それにもし、ハイキが品物を持ち出す事を諦めたとしても、ハイキは冒険者ギルドとの『【窓盾】の専売契約』を結んでいる。

 個人との契約ならともかく、冒険者ギルドという組織との契約を一方的に無断で打ち切れば商業ギルドのランクは間違いなく降格…除籍も考えられる。

 破棄をするにしても手続きや違約金の支払いなど、どれだけ急いでも半日以上はかかる。


 そう判断したから『ギルゼが苦悩する姿を見て溜飲を下げよう』というゲスな考えも浮かんだのだ。


(自分の立場を守る為に愚民(ハイキ)を売るか、愚民(ハイキ)を守る為に自分の立場を捨てるか、存分に悩み、選べ!)


 悪趣味な笑みを浮かべ、ギルゼの苦渋の決断を楽しもうとしたカメスに


「ええ、ハイキ様はユーランを出られました。これは事実です。」


 ギルゼはあっさりと答えた。


「…なんだと?」


 悩む素振りどころか、ためらいすらなかった。


(どういう事だ。あの男とはそれなりに関係があったはずだ。)


 特例ランクアップもだが、あの【アームズ工房】への紹介もギルゼ自ら行った情報もある。


 自己保身の為にしてはあまりにもあっけなさ過ぎる。


(……なんだ、この嫌な感じは。)


 得体の知れない悪寒がするカメスだが、続く言葉に衝撃を受ける事になる。


「あちらをご覧ください。」


「あちら?」


 カメスはギルゼの指さした部屋の角を視ると、


「な!?」


 その場所には小さなテーブルが置かれていた。


 ただし、そのテーブルの上にはさらに大金貨、中金貨、小金貨と…


 大量の金貨が山積みされていた。

 

「…なんだこの量は。」


 主人であるチャミルは金に糸目を付けず、高級な美術品を買いあさっている。


『高貴な物は高貴な位の者にこそふさわしい』という考えだけで。


 これまでにかかった総額はシュラート家の資産があるとは言え、決して少ない金額ではない。平民が一生をかけて働き続けてもその総額の十分の一にも満たないだろう。


 そんなこれまでにかかった金額が微々たるものと思えるほどの圧巻の光景だった。


「【窓盾】の専売や契約不履行による違約金、宿泊していた宿や【アームズ工房】等の関係各所へのお詫び代、諸々の手続きを飛ばした事による追加料など…それらの支払い金額と同じ分があります。その意味(・・・・)お分かりですよね(・・・・・・・・)?」


 自分の言った言葉を返されたカメスはじわじわとその意味を理解する。


「まさか…」


 カメスは長年執事として貴族であるチャミルに仕えている。


 大量の金貨を扱う事も珍しい事ではない。


 その経験と直感が置かれている金貨は全て本物だと言っている。


 …『違約金をまとめた金額(・・・・・・・・・・)』がそこにある。


 明らかに異常な程…


 それはつまり、


「店も契約も、何もかもを捨てたのか…?」


『ハイキがユーランを出て行った』という何よりの証拠だった。


 普通、契約が一方的に破棄されれば、違約金を支払う事になる。


 状況次第では違約金だけでなく損害賠償などの支払いも発生し、長い話し合いにもなる。

 それをハイキは違約金だけでなく詫び代や追加料など…相手が納得せざるを得ないほどのとてつもない大金を支払う事で、時間の短縮と後腐れのない大義名分を得たのだ。


(いや、あれはギルゼが自らの私財を出した、もしくは商業ギルドで保管している予算では…)


 カメスはそう考えたが、どう見てもこの量は個人ですぐに用意出来るものではない。


 それに支部長の立場でもギルド内の予算を理由もなく出せる訳がない。


 カメスが連絡鳥から手紙を受け取って、商業ギルドに来るまでのわずかな時間にこれほどの金額を用意する事は不可能だ。


 なら、これは…


「まだ、まだだ…!あの男は持ち馬もないし、馬車を借りたとしても店の品物がある!あれだけの品物を持って行くには準備だけでも時間がかかる。旅支度もだ!着の身着のままでユーランから出るはずがない!奴はまだユーランにいる…!」


 カメスがうわごとのように希望を呟くが、ギルゼはそれを容赦なくたたき折る。


「ハイキ様には餞別として、商業ギルドの最速馬【音駆け】をお渡ししました。さらにあの方は【空間魔法】をお使い出来ます。出られる準備も前もってされていたようです。」


「っ!?」


【空間魔法】を使える事も初耳だが、カメスが何より驚いたのは【音駆け】の名前だった。


 商業ギルドが所有する名馬【音駆け】。


 その名の示す通り、音のように速く駆け抜け、未だにその速度を超える馬は誕生していない。


 足の速さだけでなく、他の馬とは比べものにならないほどのスタミナがある為、商業ギルドが緊急事態のみ使用する切り札とも呼ばれている。


「貴様、なぜあの男に渡したああああ!?」


 再び胸ぐらを掴もうとするカメスだが、ギルゼは華麗に避けると、カメスの背後を取った。


「!?」


「…だったらお伺いしますが、あなた方こそ何故あんな事を(・・・・・)されたんです(・・・・・・)。」


 その声は静かだが低く…確かな怒りが込められていた。


「あなた方の私欲の為に優秀な商人がユーランを出た。それに…」


 カメスがゆっくり振り返ると、ギルゼは一枚のギルドカードを差し出していた。


「…どういう事だ?」


 それはハイキのギルドカードだった。


 Bランクと言う自らの立場を表し、商業ギルドに登録(・・・・・・・・)している限り(・・・・・・)常に持っていなければ(・・・・・・・・・・)ならない物を(・・・・・・)何故かギルゼが持っている。


「ハイキ様のギルドカードが商業ギルド(ここ)にある…その意味(・・・・)分かりますか(・・・・・・)?」


「!」


 もう一度、その言葉を聞かされたカメスに衝撃が走る。


「…今日の夜には領主様にも連絡が届くでしょう。」


「あ、ああ…」


 カメスはギルゼの言おうとしている意味が分かってしまった。


 ハイキは、店や契約だけでなく、商業ギルドも、Bランクという高い地位すらも捨て、ユーランを去ったのだ。


 その話が領主に伝われば、領主はここに至るまでのあらゆる経緯を調査するだろう。


 そうなれば、これまでのように金や暴力でもみ消す事は出来ない。


(シュラート家は取りつぶし…いや、関わった者全員が処分されてもおかしくない!)


「ハイキ様がどこへ向かったか私にも分かりません。私も立場がありますからね。貴方が来ることも予想して、行き先は言わずに去って行きました。」


「ぐううっ!」


 カメスはハイキのギルドカードを振り払うと、ギルゼに目もくれず部屋を飛び出していった。


「…まったく。」


 床を滑っていったギルドカードを拾い上げたギルゼは、丁寧にホコリを払うと自分の机の引き出しに閉まった。


「……」


 ふと、窓に目をやると太陽が一番高い場所から降りようとしていた。


「ご武運を…」


 誰もいなくなった部屋でギルゼは心からそう祈った。



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― 新着の感想 ―
[一言] シュラート家はこれまでの不正とか市民に対するいやがらせなどの事実が発覚すればおとりつぶし確実だから、シュラート家に所属する執事もその部下たちとか貴族も処刑される可能性とか奴隷へ落ちる可能性を…
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