第六十三話 またお会い出来ました
「…あれ?」
気づいたら辺り一面が真っ白な場所にいた。
周りには何もないし、壁も空も何もかもが白い。
すぐ近くが行き止まりのようにも視えるし、どこまでも先がないようにも視える。
お店にこんな隠し部屋はない。
…思い当たるのは一つだけ。
たった一度、ほんのわずかな時間を過ごしたあの場所。
「…まさか。」
俺がそう呟いた時だった。
「そのまさかよ。」
目の前からあの声が聞こえた。
数秒前まで誰もいなかったのに、何の気配もなかったのに、俺の目の前には確かにその方がいた。
「…女神様。」
俺に【スキル】を造って、異世界へ送ってくれた…女神様は最初からそこにいたみたいに違和感もなく、立っていた。
以前会った時と変わらず、すごく綺麗だ…
「お、お久しぶりです。」
「うん、久しぶり。」
突然の再会に緊張している俺を見て、女神様は小さく笑った。
…でも、どうしていきなり。
俺は確かハイキ商店にいて、ギスに何かされて………
「心配しなくても貴方は死んでないわ。」
俺の考えを読んだように女神様はそう答えてくれた。
「ここに来てもらったのは私が呼んだから。せっかくだから最後のチュートリアルをしようと思ってね。」
「…チュートリアル?」
ゲームでよく聞く言葉が女神様から出てきた事にも驚いたけど…
チュートリアルって、ゲーム序盤の模擬戦とか練習、説明みたいな意味だったはず。
…なんで今更?
俺が首を傾げていると、女神様の顔から笑顔が消えた。
「…気づいていないのね。ならさっそく始めましょうか。」
「え…」
空気が張り詰め、戸惑う俺に女神様はビシッと人差し指を向けた。
「実際に体験して分かったと思うけど、貴方が命の危機に遭ったとしても私は助ける事は出来ないから!」
女神様からの言葉の勢いに気圧され、その意味に少し遅れて気づく。
「は、はい…!」
女神様はさっきまでと違って、厳しい顔だった。
なんか怒っているようにも視えるけど…
いや、これ怒られている?
「今の貴方の身体には【状態異常】や【呪い】にもそれなりの耐性はある。いい?耐性よ?『効きにくい』ってだけ。そして、その耐性も休む間もなく使い続ければ効果は少なくなっていく。」
「…あの、女神様?」
「とにかく!貴方は一時的な『盾』にはなれるけど、未来永劫無敵な『壁』じゃない!それは絶対に忘れない!いい!?返事は!?」
「は、はいっ!」
質問する暇もない。
何より、あんなに優しかった神様にこれだけ怒られるって結構堪える。
泣きそう…
…これ、チュートリアルって言うよりお説教じゃ?
「…と、お説教はここまでにしておいて。」
「お説教って言いましたね?」
つい、そう言ってしまったけど、女神様は気にする様子はなく、また優しい顔に戻った。
「チュートリアルは本当よ。あと、貴方が異世界に行ってからずっと気にしている事の答えを伝えたかったの。」
「え?」
俺が気にしている事?
…なんだ?
「う~ん、そうね。気にしていると言っても、無意識?と言うか、なんとなく不安に感じている事だから、そんなに自覚はないでしょうけど…」
「…?」
無意識なら余計分からない。
危険に対しては敏感だけど、それ以外にはかなり鈍いと言うのは自覚しているし。
本当に何だろう?
悩んでいる俺に女神様はゆっくりと手を挙げて、
「え?」
ポン、と俺の頭の上にその綺麗な手を置いた。
「『この異世界に現代日本の物が使われる事で世界のバランスが壊れるかもしれない』…貴方はずっとそれを感じていた。」
「!」
「『危険な物は売らないつもりだけど、自分にとっては大した事のないはずの物が誰かを傷つける危険な物、もしかしたら世界を滅ぼすラストピースになるかもしれない』…そんな不安がなかったわけじゃないでしょう?」
「……そうですね。」
女神様に言われて、いつの間にか無理矢理押し込めていた考えを思い出す。
最初こそ、色々自重していたけど、いつからか『考えすぎだ』と思うようになっていた。
現代日本で廃棄された物が、魔法が主流のこの世界を危険に晒すほどの物になる訳がないと。
自分の呼び出した物がこの異世界に影響を与えるなんて妄想もいいところだと。
でも、俺は実際にそれを眼にしてしまった。
フライパンの蓋が【窓盾】と呼ばれる武器に変わってしまった事を。
「俺は…」
それを視ても俺は『やめよう』とは考えなかった。
説明もきちんとしてそれでも本来の用途じゃない使い方をする以上は買った人の自己責任だ。
だから、そのせいで何か起きても俺は関係ないと信じ込んでいた。
実際、それは正しいと今でも思う。
思うけど…
「…っ。」
暗い気持ちが足下から這い上がってくる。
自分がとんでもない事をしてしまったのではないかと、後悔と冷や汗が止まらない。
息が苦しくなって、身体も震え出す…
手足がしびれて、視界も暗く…
「大丈夫。」
女神様の柔らかい手が俺の頭をなでてくれた。
「あ。」
暖かい何かが頭から足下に流れていくのを感じる。
身体の震えが止まって、汗も引いていく。
「貴方がこの世界に持ち込む物は確かにこの世界を変えるでしょう。良い意味でも悪い意味でも。その事実は変わりません。」
言い聞かせるような声が、足下から這い上がっていた暗い感情を消してくれる。
身体の異常がなくなり、視界もはっきりとなる。
「…だけど、改めてここで宣言します。例え、それが原因で世界がどう変わっても貴方に罪はありません。だから、なんでもかんでも一人で背負いすぎないで。」
顔を上げて、女神様の顔を正面から視ると、女神様の眼は潤んでいた。
その理由を考える事も、聞く事もしてはいけないと直感した。
「…はい。」
俺はただ、女神様の言葉に対する返事だけをした。
「…忘れないでね。」
そうして女神様は手を戻すと、潤んだ目をぬぐって、にっこりと笑ってくれた。
「安心して!本当に世界を滅ぼすような事が起きれば、私が動くから!」
元気な声で女神様はVサインをした。
「世界を滅ぼす手段と滅ぼす明確な意志があれば、世界を守る為に神が動いてもいいの…そんな事、起きないほうがいいんだけど。」
「そう、です…ね…?」
グラリ、と視界が歪んだ。
「あ…れ…?」
段々と立っていられなくなって、足下がふらついてくる。
また、何か不調が?
「時間ね。伝えたい事は伝えたから、しばらくは電話で話しましょうね。」
「…ま…って…」
女神様に別れの言葉を言う前に俺の視界が今度は真っ白になっていく。
「またね。」
そんな言葉だけが耳に残って…
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「…なんとか伝えられたわね。」
ようやく一息つく。
すでに彼の姿はここにはなく、しばらくは来る事も呼ぶ事も出来ないだろう。
我ながらとんでもない無茶をしたと思う。
意識を失ったタイミングを狙って『最後のチュートリアル』なんて名目でこの場所に呼んだなんて、横暴にも程がある。
「けど、それぐらいしないと。」
それが彼に出来る精一杯の助けだ。
『チュートリアル』、『お説教』…彼なら、その意味に気づいてくれたと思う。
気づかなかったとしても、心のどこかに残っていればそれでいい。
それにしても…
「変わってなかったな。」
ここで送り出した時から彼は何一つ変わっていなかった。
性格が少し明るくなっていたけど、魂の色は綺麗なままだった。
抱えていた小さな不安も取り除けたと思う。
「…大丈夫だよ。」
もう届かないと分かっていても、その言葉を紡ぐ。
『貴方に罪はない』と私は本心を伝えた。
彼も一応、受け入れてはくれた。
あとは彼次第だ。
選ぶ道を信じよう。
願うなら…彼を滅ぼす未来にだけはならない事を。