第五十話 考えがまとまりました
「本当にごめんなさい!」
「大丈夫ですから、そんなに謝らないでください。」
何度も頭を下げるフーさんを俺はそう言ってなだめていた。
「そうだよ、フーちゃんが謝る理由は何もないさ。」
おばさんもそう言って、店の奥に目線を送った。
「……」
店の奥には五分前までフーさんと『お話』をして、今も正座をしている旦那さんがいた。
「馬鹿な大人が大馬鹿をして、当然の報いを受けた…それだけの話さ。」
フーさんが旦那さんと店の奥で『お話』をしている間におばさんは店に戻っていた。
『お話』が終わるまで待っている間、暇だった俺におばさんはこの商店街とフーさんの関わりを話してくれた。
小鳥の宿は商店街のお店とも色々な付き合いがあって、女将さんとも長い付き合いがあった。
その娘であるフーさんも小さな時からこの商店街に来ていたらしくて、商店街みんなの娘みたいな存在として扱われていた。
そんな大事な娘が見た事のない男と手を繋いでいた(実際は掴まれていただけど)から、全員殺気だったようで…
「ったく、男共はそろいもそろって子離れが出来ないんだから。旦那に至っては商店街のまとめ役って立場なのに。」
そうため息をつくおばさんはあの時、店の裏口から外に出て商店街中のお店に向かっていたらしい。
小鳥の宿の食材問題を俺達から聞いていたおばさんは、旦那さんを止めるよりも他の店に事情を話して、食材の確保やそれを小鳥の宿へ運ぶ準備を進めてくれていた。
自分が入れば旦那さんは止まる可能性はあるけど他の人は分からない。どのみち時間は確実に消費するし、他の店へ行く時間も考えたらあまり良い手とは言えない。
それなら動ける自分が話を通しておこう。
それがあの時、俺を置いていった理由だそうだ。
「フーちゃんがいれば、大事にならないと思っていたんだけど…今日は妙に荒々しかったね。」
おばさんはそう首を傾げていたけど、とにかくおばさんのおかげで俺達が一段落着いた頃には小鳥の宿へ食材を届けていた人達も帰ってきていて、買い出しは終わっていた。
「でも、仕込みが!」
そう慌てたフーさんだったけど、おばさんに抜かりはなかった。
配達してくれていた人達とは別に、料理が出来る仕込みの応援、事情を正確に伝えるメッセンジャー…それをおばさんは送ってくれていたので急いで帰る理由もなくなってしまった。
「騒がせて悪かったねえ。男共にはしっかり灸を据えてやるから、若い二人はゆっくり帰りな。」
そんな訳でおばさんから見送られた俺達は行きと違って、ほどほどの速さで歩いて帰っている。
色々と聞きたい事はあった。
フーさんが大剣を持った旦那さんを簡単に倒した事。
あの時、俺の動きまで止めた声。
でも、
「みんなフーさんが好きなんですね。」
俺が言葉にしたのはそれだった。
久しぶりに危険を感じたけど、帰る時に何人ものおじさんが謝罪と詫びの品を渡してくれた。
危ない人達と思ったけど、これからは大丈夫だろう。
…大丈夫だよね?
闇討ちされないよね?
「…ハイキさん、ありがとうね。」
フーさんの笑った顔を見て、もう一度商店街を振り返った。
優しくて、賑やかで、暖かな場所。
ちょっとクセがあるけど、こういう雰囲気は…なんか良いな。
俺もこんな感じで…
「…あ。」
なんとなくのイメージだけど、何か掴めた気がした。
「フーさん、ありがとうございます。」
俺は心からの礼を言った。
「?」
フーさんは分かっていないようだけど、おかげで大事な事は決まった。
…帰ってからも今日はまだ忙しくなりそうだ。
やる事は増えたけど、嫌じゃない。
とりあえず、明日は商業ギルドへ行かないとな。
******
その日の夜
商店街の肉屋
「なんで、あんな事を…」
店主であるイールは店のカウンターでうなだれていた。
正座から解放されたばかりの足はまだしびれている。
原因は夕方に自分達が起こした騒動だ。
きっかけは些細な事だった。
『愛娘同然である女の子がどこの馬の骨か分からない男と手を握っていた』
年頃の娘でもあるし、そういう事もあるだろうと、今なら思えるのに、何故かあの時だけは違った。
『命よりも大事な娘が理不尽に奪われる』と思い込んでしまっていた。
冒険者時代に使っていた愛用の武器まで持ち出し、無抵抗な青年に突きつけ、さらに振り下ろしまでした。
脅しでも冗談でもなく、本気で…
無抵抗の人間に…
「…今日はもう閉めるか。」
いつもより少し早い時間だが、イールは店を閉める事にした。
元々、この時間帯に来る客は少ない上、営業を続ける程の気力は今日はなかった。
閉店準備を始めようと、店の外に出て、扉を閉じようとした時だった。
「おや、今日は早いですね。」
そうイールに声をかけたのは、金ぴかのアクセサリーをジャラジャラと着けた男性だった。
「あ~、シャマトさん…だったか?」
イールは扉を閉める手を止めて、シャマトと向き合った。
「ええ、シャマトです。覚えていただいて光栄です。」
深々と頭を下げるシャマトだが、イールは軽く頭を下げるだけだった。
商店街のまとめ役として、アニオス不動産の幹部としてのシャマトとは何度か顔を会わせた事があるが、軽い挨拶をした程度の間柄だ。
そんなシャマトに気を遣える程、今のイールに余力はなかった。
「悪いが、今日は店じまいなんだ。用件は明日にしてもらえないか。」
イールは再び手を動かし、閉店の準備に戻る事にした。
「失礼しました。私も今たまたま通りかかったものですので。」
シャマトは気分を悪くするわけでもなく、また頭を下げると、立ち去ろうと背を向けた。
だが、足を動かす前にシャマトは
「それにしても良かったですね。」
そう言った。
「?」
意味が分からず、動きを止めたイールにシャマトの背に眼を向けた。
シャマトはそのまま何でもないように、世間話の続きのようにその言葉を口にする。
「怪我人も死人も出なくて本当に良かった。」
「!?」
絶句するイールだが、シャマトはイールの反応を気にせず、一歩足を踏み出した。
「ですが、幸運は二度も続きません。せいぜい気をつける事です。」
不吉な言葉を言い残し去って行くシャマトをイールは
「待て、待てよ!」
作業を放り投げ、その後を追った。
「なんで夜に通りかかった奴が、夕方の事を知っている!?」
走るイールは叫びながら、歩くシャマトを追いかけるが、何故か距離は縮まらない。
とっくに追い越してもいいはずなのに、いつまで経っても追いつけない。
むしろ距離は離れているようにも感じる。
それ以前に…自分はどれだけ走っているのか?
とっくに商店街を出てもおかしくないくらいは走ったのに、視える景色は何も変わらない…
「まさか…お前か!?俺達に何かしたのは!?」
ついにイールの足が止まってしまうが、その剣幕を感じたのか、シャマトは一度だけ振り返ると、
「また後日に。」
顔も見えない程離れているはずなのに、はっきり聞こえる声がイールに届いた。
「…何を!?」
そのまま視界がぐにゃりと歪む。
前も後ろもどの方向からもねじ曲がり始め、まともに立つ事すら危うい。
「これ…は…!」
世界が壊れていくかのような光景を眼に焼き付けながらも、イールは呼吸を整える。
現役から離れて年単位のブランクはあるが、冒険者時代に積み上げた経験は今も身体が覚えている。
「…はあっ!」
気合いを入れたその声を発した瞬間、いきなり景色が正常に戻った。
眼に写ったのは、見慣れた静かな夜の商店街。
通りかかる人はイールが視た歪んだ世界など、視えなかったように歩いて行く。
気づけばあれだけ走ったはずなのに、イールがいるのは自分の店の前だった。
「…アイツ、何者だ?」
困惑するイールだが、それに答える者はいない。
シャマトの姿は完全に消え、その痕跡すらない。
まるで最初から何もなかったかのように…
「…くそ。」
不穏な空気を感じながら、イールは拳を握りしめた。