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百合の短編小説

高校生活でやり残したことをリスト化して消化してたら当然『恋人』的なアレも混ざってて大変なことになる話

作者: 綾加奈




「私らの青春はコンビニで一〇〇円で買えるんだな」

「リストにラムネって書いたのはノコじゃん。私まで巻きこまないで」

「いやいや、私らは運命共同体なんだから、言い逃れは許されないぞ」


 公園のベンチに私とミサは並んで座る。

 木陰で冷やされたベンチがなんとも心地好い。


 周りにはしばらく放置されていたらしい中途半端な長さの芝生が広がっている。太陽に焦がされたアスファルトの上で延々と自転車を漕いでいたので、その青々とした冷たい空気が身に染みた。私たちはどちらともなくプシュッ……と瓶ラムネを開ける。少しばかり炭酸が抜けていたのか、記憶に残っている音よりも、わずかに湿っているように聞こえた。そのままソーダ水を口に流しこむと、どこかぬるい。たぶん氷水ではなく、冷蔵庫で冷やされていたからだろう。もしかしたら、私の幼少期の記憶が鮮烈に美化されているだけなのかもしれないが。


「あっつー……」

「今週中はずっとこんな調子だって」


 ミサの追討ちに私は「うへぇー……」と応える。

 そのまましばらく、私たちは無言で瓶ラムネを傾けていた。


「もういいんじゃない? さっさと次の青春を潰しちゃおう」


 ラムネでベタついた手をコンビニで貰ってきたウェットティッシュで律儀に拭いながら、ミサが呟く。私の分も貰っといてくれたらしいので一応私も手を拭いておくことにした。


「青春を潰すって言い方、なんかメチャクチャエモくない?」

「いや、むしろエモさとは正反対だと思うんだけど。潰すもんじゃないでしょうよ、青春は」


 クシャリとティッシュを梱包していたビニールを握り潰しながらミサは言う。


「じゃあ、なにをするもんなの? 青春って」

「なんだろ。青春を満喫するとか言うし、楽しむものなんじゃないの、普通はさ」

「えっ、その言い方だと、まるでミサが楽しくないみたいに聞こえるんだけど?」

「んなこたぁないっての。楽しい楽しい、ちょー楽しい。いいから早く袋をだせ」


 雑だなぁと思いつつ「はいはーい」と私も生ぬるい返事をして、リュックから紺色のデパートの紙袋を取りだす。ちょっと良質で固い紙袋には赤い油性ペンで『青春リスト』と書かれている。書いたのは私で、ミサには『青春なんだから青なんじゃないの?』とツッコまれた。


 いや、紺色なんだから青で書いたら見づらいだろ。

 それに赤色の油性ペンしかお前の部屋になかっただろうが。


「次どっちの番だっけ? 私? ミサ?」

「いや、順番忘れるから、今やった青春を書いたほうじゃないほうが引くって言っただろ」


 書いたほうじゃないほうって……つまりどっちだ? 混乱する私。


「だから次は私の番」


 そんな私をよそに、ミサはさっさと紙袋に手を突っこんで、悩む素振りも見せないで折り畳まれた紙を引きあげた。個人的にはもう少し悩んでくれたほうが盛りあがるんだけど。


 まあ、もはや『盛りあがる』とかそういう段階ではないのも理解できた。


「えーっと……うわぁ……」


 そして紙を広げていったミサの表情が引き攣る。

 こめかみのあたりから頬に向かって伝い落ちる汗がいい味をだしていた。


「却下」


 そして私が確認してすらいないのに、ミサはそんな宣言をしてみせた。


「却下ってあなた。ちょっと見せてみんしゃい」


 ミサがクシャクシャに丸めてしまう前に、その手からメモ紙を引ったくる。

 そこに小汚い字――つまり私の字で書かれてたのは、


「……自転車で小樽まで行く」

「いや、これはしんどいって」

「いやー……まあ、そうね……」


 ベンチから振り返り、公園のそばの道路を見やる。

 木陰の外――陽の下の芝生は青々と茂っていて、その先のアスファルトはぎらぎらと輝いてる。陽炎すら立ちのぼらせそうで、卵を落としたらそのまま目玉焼きを作れてしまいそうだ。


 しかしここで折れるわけにもいかない。


「でもさ、『しんどい』で却下してたらキリないし、そういう『ちょっと最初は面倒臭いと思ってたけど、やってみたら意外な達成感』って青春に付き物な要素だと思わない? 困難に立ち向かってこその青春みたいなところあるじゃん。『諦めるまでは試合終了』みたいな」

「安西先生がそんな覚え立てみたいな日本語使うかよ」


 ツッコみたいところだけツッコんで、ミサは黙りこむ。その横顔は私の言葉を吟味しているのか、それとも札幌から小樽までの道程を考えているのか、それともなにも考えてないのか。

 その口からため息がこぼれたのを見届けて、私は両手を挙げる。


「はーい! というわけで次の青春は『自転車で小樽まで行く』に決定!」

「……さすがに今からは無理だかんな」

「それはわかってる。出発は明日の六時。で、ついたら小樽で海鮮丼たべようぜ」

「はやっ! 小学生じゃないんだから九時出発でいいよ。で、昼に向こうでなんか食べよ」


 早くつきすぎても小樽なんて回るところないし、と投げやりな口調でミサは言う。


「えー? でも朝早くに自転車をこいでるのって青春っぽくない?」


 ちょっとふて腐れた顔を意識しながらミサのことを見つめてみる。


「………………」


 五秒ほどの間があって、ミサから二度目のため息をいただけて私は喜ぶ。

 つまりミサのため息とは『仕方ねぇから私が折れてやるよ』の合図なのだった。

 こうして次の青春は『自転車で小樽まで行く(六時出発)』に決定した。



       ○



 事態の発端はゴールデンウィークの中ごろにミサが呟いた『なんか私ら、青春って言葉からもっとも遠い高校生活を送ってた気がする』という、自虐のこもった独り言だった。場所はミサの部屋で、テーブルの上には参考書とプレステ4のコントローラー、クッキーが置いてあった。その光景もまた青春という言葉からはほど遠い気がしたから、私はけらけらと笑った。


「まあ、確かにそうな」


 一頻り笑ってから私は同意を示す。


「青春と言えばさ。高校の三年間できちんと青春を済ませておかないと、そいつはそのあとの人生で、ありもしない青春を追い求めるだけの青春ゾンビになるって、先輩が言ってたな」


 私は一年上の先輩が言っていた言葉を流用した。

 その先輩もまた奇人で、嘘と虚言と戯言しか言わないような女だったが、それらの言葉には妙な重みと説得力があった。ようは詐欺師の類で、人間としてはクズの部類に入る女だった。


「私らの親みたいに?」とミサ。

「あれはまた別口だろ」と私。


 あれは単に家族を引き連れて歩くのが大好きなだけ。キャンプとか、バーベキューとか、旅行とか。親の道楽に付き合わされる子どもからしてみれば迷惑な話だけど、昔はそこそこ楽しかった。それからしばらくコントローラーをぽちぽちやって、思いだしたようにミサが言う。


「青春ゾンビにはなりたくないなー」

「じゃあ、今のうちに青春やっとく?」

「そんなゲームのディスク入れ替えるみたいなノリで青春って出来るもんか?」

「知らんけど。でも、あれじゃん。青春って曖昧な概念だからさ。なんかこう、これが青春じゃね? って思うものを一個ずつ達成していけば、最終的に青春強者になれる気がする」


 ゲームの操作をやめないままミサが「それなー」とテキトーな相づちを打ってくる。他人の話を聞いてんのかコイツは、と毎回思うけど、なんだかんだ内容は拾ってるのだ、この女は。


 その証拠に――

「あっ」

 ――と、ミサは私の言葉からひらめきを生んだらしかった。


「そう言えばさ、中学卒業したときか、高校に入ったばっかりのときか忘れたけど、なんか、高校の三年間で達成したい目標みたいなやつ、一緒に書かなかったっけ? メモ紙かなんかにさ。あれ、使えるんじゃない? 高校の目標って、なんか、青春の種みたいな感じがするし」

「やった気がする。でも、それまだ残ってるの?」


 たぶん。あの辺に。

 と細切れのヒントを告げられる。

 あごでしゃくられた先は学習机だった。


「なに? 私に探せってこと?」


 うん。とやる気のない返事。もう少し申し訳なさそうにしろよと思いつつ、ミサの机を調べてみることにした。本を立てるスペースには教科書とノートしかないから、まあ、収納棚のほうだろう。まだ頭の中に脳が入ってなかった小学生時代、一生懸命貼ったシールだらけの収納棚を探索していると、二段目に、どこか見覚えのある手のひらサイズの缶を見つける。中学の卒業旅行でディズニーに行ったときに買ったやつで、ちょっとだけ記憶が蘇ってきた。


「ミサー、こん中じゃない?」


 缶を取りだして振ってみると、中でシャカシャカと紙が擦れる音がした。


「あー、そうだ、そうだ。結局、高校生やってるあいだに一回も開けなかったな」


 ウケる、とまったく面白くなさそうに呟いてるミサを横目に、私は缶を開ける。

 二年以上も放置してたせいか蓋が軽く錆びてて、どこか私らの高校生活を彷彿とさせた。


 ――ミサの青春の種はこんな所に閉じこめられてたわけか。


 どうりでミサは青春とは無縁の高校生活を送っていたわけだ。

 こんな缶の中で、青春が芽吹くわけがないのだから。


「え、ちょっ、おい、なに勝手に開けようとしてんの」

「勝手にって私が見つけたんだから私のものでしょうよ」

「ひとの部屋で山賊みたいな謎理論展開すんのやめろよ」


 そこで初めてミサはゲームを中断して、私の元にやってくる。

 さすがに『高校生の目標』を一方的に覗かれるのはイヤだったらしい。

 ミサは「ご苦労だった」なんて言いながら私の手から缶を受け取り、その中に入ってた紙――五センチ四方ほどの正方形で、付箋として使えるカラフルなやつ――を何枚か取りだした。

 ほどなくして文字を追っていたミサが渋面を浮かべた。


「えっ、なになに? もしかして小っ恥ずかしい目標でも書いてあった?」


 それは愉快だとミサの目標を覗きこもうとする。

 絶対に抵抗されると思ってたのに、ミサは呆気なく紙面を見せてくれた。


『通学路にあるご飯のお店を制覇する』


 そこには小汚い字と頭の悪い文章で、そんなことが書かれていた。


「なんだこれ、あったま悪いな」


 ご飯のお店って。バカ丸だしじゃないか。

 十五歳のミサはこんなに頭悪かったんだなと感慨に耽っているとミサが笑った。


「いや、これ、ノコのだから」

「はあ? なんで私の目標がミサの缶の中に入ってるのさ」


 言いつつ、缶の中から紙を二、三枚取りだしてみると、明らかに筆跡の違いが見て取れた。比較的ていねいで読みやすいほうがミサで、汚くて読みづらいほうが私だ。わかりやすい。

 つまり先ほどの『頭悪かったやつ』は私だった。


 ――ちょっと読み直してみよう。


 きちんと読み返してみると将来有望というか、地頭のよさが滲みでてる気がしてくる。


 ……んなわけねーわな。


 悲しくなってきたのでやめた。

 察するに私とミサはこの部屋で『高校生の目標』を一緒に書いたんだと思う。それで、十五歳の私は自分の部屋に紙を持って帰るのが面倒だったのか、自分で保管してるとなくしそうで不安だったのかは知らないけど、ミサの目標と一緒に、この缶の中にぶちこんでいたらしい。


 十五歳の私には、恥ずかしいとかそういう気持ちはなかったのだろうか。

 まあ、ミサ相手に今さら『恥ずかしい』なんて気持ちが湧く気はしなかったけど。


「図らずもふたり分の目標が手に入ってしまいましたな」と私。

「全部で三〇枚くらいあるね」とミサ。


「たぶん半分くらいは『勉強がんばる』とかだろうし、そこに新しいのたそうぜ。こんな感じの小さい紙にさ。で、なんか紙袋の中とかに入れて、シャッフルして、一枚取るの」

「そこに書かれてることを実行する、と?」

「うん。どう?」

「いいじゃん。面白そう」


 というわけで、ミサは珍しく中断したゲームのことを忘れて、付箋の用意を始めた。そこに私たちは思い思いの『青春っぽいこと』を書き散らかして、デパートの紙袋にぶちこんだ。


 そして表面に赤い油性ペンで『青春リスト』と描き殴る。

 こうして生まれたのが私たちの青春リストだった。

 さっそく私が一枚目を引いた。


 一枚目の内容は『学校のテストで六〇位以内に入る』だった。汚い字だったから、これを書いたのはたぶん私だ。目標の絶妙な低さに目眩がしたけど、今のところ達成はできてない。


 二枚目は『部活動で活躍する』だった。


 私とミサは一緒に陸上部に入ったけど『しんどい』という理由で、一週間で辞めた。私もミサも基本的に根性なしだから。まあ、どう足掻いても達成不可能な目標だったので諦めた。


 三枚目に『通学路にあるご飯のお店を制覇する』がでてきた。

 とりあえず下校途中に寄れるだけ寄っておこうという話になって、今は三分の一ほど制覇している。『あっ、これってラーメン屋だったんだ』みたいな発見があって、けっこう楽しい。


 四枚目に出てきたのが『ガードレールに座って肉まんを食べる』だった。

 これをやるなら冬だろという話になって、今は保留中になっている。


 そして五枚目は――『友だち百人つくる』だった。

 これを手に取って開いたミサが物申してきた。


「ノコ率高くない?」

「私も思ってた」

「しかも友だち百人って小学生じゃねぇんだからさ」

「友だちは小中高問わず、いつだって青春だろ」

「だからさ、高校生になったら、こう、なに? 量より質だって気づく感じじゃないの? 普通さ。友だち百人! じゃなくて、一生付き合える友だちを作る、みたいなのじゃん、普通」

「普通普通って、中三の私に普通を求めるなよ」

「そりゃそうだ」とミサに納得される。

「そんなにすんなり納得されると納得いかないんだけど」

「納得納得うるせぇよ」


 うるせぇってまだ二回しか言ってねぇよ。

 しかしミサの言いたいこともわかる。結局、友だちなんて百人もいたところで持て余すだけだ。百人と平等に仲良くしようとしていたら薄めすぎたカルピスみたいな友情しか築けない。


 薄すぎてマズくて吐き気すら催しそうになる感じ。


「でも一生もんの友だちなんて作らなくてもミサがいるからなー、じゃあ目標達成だ」

「私、ノコと大人になってもこんなくだらないことやってんの?」

「くだらないってきみ。けっこうノリノリだったやん。はいはい! お次の六枚目!」


 と私が引き上げたのは『学校の屋上で一緒にサボる』だった。


「おっ、なにこれ、めっちゃ青春じゃん」


 私の素直な感想にミサが「だろ?」とドヤ顔を見せてくる。

 ビンタしたくなる顔だったけど、確かにこれは青春のお手本みたいな内容だと思う。


「でも、うちの学校ってカギかかってんじゃん、屋上」


 この二年間で私たちが屋上に行ったのは、なんかの記念撮影のときぐらいだ。


「それをどうにかすんのが青春でしょうよ、ノコさんよ」


 自分で書いた青春だというのもあってか、ミサは『屋上をどうにかする』のは面倒だと感じなかったらしい。そうして私たちの一学期の残りはすべて、屋上サボり計画に費やされた。

 これを語り始めるとキリがないので、ここでは割愛するけど。



       ○



 七枚目は『夕陽の河川敷あたりで楽器をかき鳴らす』だった。あいにく私もミサも音楽の授業でしか楽器を使ったことがないから、ふたりでリコーダーを鳴らしてきた。だれがどう見てもバツゲームみたいな光景だったし、犬の散歩中のオバサンに話しかけられた。イヤだった。


 八枚目は『雨の日に公園の東屋でなんとなくサボる』だった。これは二学期になったらやる予定なんだけど、どうやらミサは『学校をサボること』に青春を見出しがちのようだった。


 対する私はと言えば『コンビニ』に青春を見出しがちなわけだけど。

 で、九枚目が『炎天下の中で瓶ラムネを飲む』で、十枚目が『自転車で小樽に行く』だ。


 こうして振り返ってみると、やっぱり私の比率が高いような気がした。



       ○



 ミサを隣の家まで迎えに行くと、これから草むしりに行くオバサンみたいな完全防備の姿で現れた。ツバが広い帽子に、肘まで覆う長い手袋、マスクにサングラス。あと首に巻くやつ。

 サンバイザーがないだけマシに見える程度に最悪の格好だった。


「なにその格好」


 小馬鹿にしつつ言ってみるけど、ミサの反応はわからない。

 だってUVをカットしすぎて、私の視線までカットしてくるのだ。なにを言いたいのかわからなくなったけど、マスクとサングラスのせいで表情がまったく見えないのだ。こえーよ。


「いや、ノコこそ舐めすぎでしょ。なにそれ、短パン小僧じゃねぇんだから」


 言われて自分の格好を見おろす。

 Tシャツに短パン、あとサンダル。


「むしろなんで虫取り網持ってないの? みたいな格好じゃん」

「うるせぇな。ミサこそなんで、そこまでやっといてサンバイザーじゃねーんだよ」

「サングラスにサンバイザーはもう前見えなくなるだろ。私、今のノコと並走したくねー」

「私だってイヤだよ。なんでそんな『ザ・オバン』みたいな格好してんのさ」


 まあ、互いのことを軽く貶し合うのはいつものことなので、私たちはそのまま出発した。

 私は安いロードバイクで、ミサは中学のときから使ってる錆びついたママチャリ。私とミサが並んで自転車をこいでる姿は、たぶん仲睦まじい親子かなにかに思われていたことだろう。

 今の私たちの姿が青春なのかと聞かれると、私は首を傾げざるを得ない。


「ルール、決めようか」


 赤信号に引っかかったタイミングで、隣のオバサンがそんなことを言ってきた。

 マジで一瞬知らないオバサンに話しかけられたのかと思ってビックリした。


「ルールって?」

「青春リストの」

「ああ」

「私、小樽に行くのめちゃくちゃ面倒臭いんだけど、ノコは無理やり決行したわけじゃん」

「うん」


 その結果が小樽に趣く母と子のアンビバレントなわけだし。


「次もそういうことあるかもしれないから、ケンカにならないように前もって決めとこうよ」

「引き際とか線引き的な話?」

「うん」


 ルールねぇ……と呟きながら、いろいろと考えてみる。

 私としては細かい線引きを決めておくよりかは、その都度、柔軟に対応するのがいいんだけど、確かにミサはどちらかと言えばルールに当て嵌めてサクサク前に進みたいタイプだ。


 ……基本的にいつもミサが折れてくれてるしねぇ。


 そういう部分で多少の負い目を感じないでもなかったので、割とマジメに考えてみた。そんなタイミングで信号が青になったので、走行が落ち着いてから、私は想いを口にし始める。


「私は……今の私たちにできることなら基本的にやりたいって思ってるよ。多少は面倒なことでも。たとえば世界一周とかはどう考えてもムリだけど、小樽に行くくらいなら、やろうと思えばできるわけだしさ。だって、なんてゆーの? 『面倒だからナシ』とかいちいち言ってたら、結局、この二年間と同じで『できる範囲のこと』しかやらないじゃん、私たちはさ。だから、こういう無理やり私たちを前に進めるためのきっかけが必要なんだなと私は思ってる」


 柄にもなくマジメに考え、整理して話してたのに、ミサの返事は「ふーん」だった。

 こいつ、引っぱたいてやろうかな――と思ってると、あらためてミサが口を開いた。


「じゃあ、今の私たちにできることなら決行するってことでオッケー?」

「ん? いや、私が言いだしたことだから、そりゃあオッケーなんだけど、ミサはいいの?」


 てっきり、ここからミサの主張が始まって、議論がヒートアップするんだと思ってた。だから、ミサがすんなりと納得してくれたことに対して、私は結果的に肩透かしをくらっていた。


「そうやって前もってルールで決められてるなら、私はそれに従うよ」

「うーん。そっか……ありがと」


 なぜか自然と礼がこぼれてしまった。


「その代わり、ノコが『ちょっとやりたくないなー』って思っても同じだからね」

「………………」


 ミサの言葉を噛み砕くために私の口が停止する。

 やけにあっさりと折れたと思ったら、なんか悪巧みでもしてんのか、こいつ。


「えっ、もしかしてミサ、私がイヤがるようなこと書いたんじゃないよね!?」

「すでに忘れてるのがノコらしいけど、次のテスト、絶対六十位以内に入れよ」

「あっ」


 思わず気の抜けた返事をしてしまった私を笑いながら、ミサがシャーッ! と前に出る。ただ、年季の入ったママチャリで私のロードバイクに勝てるわけもなく、すぐに追い抜かしてやった。抜かしてやったけど、私は先ほどの自分の発言を撤回すべきかどうかを悩んでいた。



       ○



 予定通り、小樽の三角市場で新鮮な海鮮丼をいただき、オルゴールやらガラス細工やらをテキトーに眺めて過ごした。で、ふたりで一緒にお揃いのなにかを買おうという話になった。


 可愛かったからという理由で、とっくりとおちょこのセットを割り勘で買った。

 酒は飲めないけど、可愛かったし。


 可愛いは法律に勝る正義だよなと笑い合った。

 いや、酒は飲まないけどな。


 二〇歳になったとき、高校生のときに買ったとっくりとおちょこで酒を飲むというのも、なんかチグハグな感じがして面白かったし。青春なのか? と聞かれると微妙な気がしたけど。


 そんな感じで私たちは小樽を満喫してきたのだった。


 日が沈んだころに戻ってきた私たちは、小樽で養ってきた英気が消えないうちに次の青春を決めておこうと、ミサの部屋で土産のチーズケーキを食べながら青春の開封式を行っていた。


 十一枚目の『メチャクチャ大きい雪だるまを作る』は冬に持ち越し。


 十二枚目――を開いた瞬間、ミサはクシャリとメモ用紙を丸めた。


「おいおいおい、約束が違うだろ」


 とツッコミを入れながら、ミサの手に握りしめられたリストを開封する。出不精のミサが本気でイヤがるとは、今度はどこに行かされるのかと期待していたら、別方向から殴られた。


「んーっと……うわっ! 『第二ボタンを貰う』ってお前……」


 なるほど。これは握り潰したくなる気持ちもわかる。

 この三年間、青春とは無縁の生活を送ってきた私たちは、当然のことながら恋愛事とも無縁の生活を送ってきていた。たぶんだけど、このリスト――否、『高校生の目標』を書いたのは二年前のミサなのだろう。このあまりに無謀な目標設計を推理してみるに、コイツはたぶん、高校生になれば自分にも自動的に彼氏ができると思ってたタイプの人間なんだと思う。


 バカだな。


 そして三年生になって現実を知ったミサは、二年前に立てた浅はかな目標を思わず握り潰してしまったと。その夢見がちな感じは理解できないでもないが、あえて言わせて貰いたい。


 バカだな、と。


 さすがに憐れだったから口にはださないでおいてやったけど。


「いいよ。私の第二ボタンやるから元気だせよ」

「いらんいらん。お前の第二ボタンなんか貰っても、呪術くらいしか使い道ないわ」

「呪術て。なんでよ。不穏すぎるだろ」


 第二ボタンから呪術に発展する経緯がわからず素でツッコんでしまう。


「ノコ知らないの? 第二ボタンを貰うのって、心臓に一番近いからなんだって」


 知らなかったので「へぇー」と感心してしまうと同時に、新しいツッコミが生まれる。


「それだけ聞くと確かに呪いっぽいけど、うちはブレザーだから、第二ボタンはヘソだろ」

「ヘソか……だったら母親ともども貴様のことを呪い殺してやる」

「発想が病んでるし、私と母さんになんの恨みがあるんだよ、お前は」

「私に彼氏ができなかったのは、ノコのせいだと思ってるからね」

「逆恨みが過ぎる」


 百歩ゆずってそれで私が呪われるのはわかるとして、巻きこまれる母さんが可哀想すぎる。とりあえず卒業式の日に第二ボタンを渡してやることを心で勝手に決めて、十三枚目を開く。


「……………………」


 内容を見た私は思わず言葉を失ってしまった。


 ミサへの申し訳なさ的な意味で。


 だからミサへの謝罪の意を込めて、申し訳なさそうな顔をしておく。


「えっ、なにその顔」


 私は心配そうなミサに、十三枚目の青春を手渡す。

 それを見たミサは表情を引き攣らせた。


「『海で朝焼けを見て、そのまま海で遊ぶ』……って、小樽でいいじゃん、小樽で」

「だからごめんて」


 私の謝罪にミサは「だからってなによ」と言う。


「いや、だって、申し訳なさそうな顔してただろ」

「してねーよ」


 私は『お気持ちお察しします』という気持ちを表情で伝えてるつもりだったのに。

 ミサのやつはにべもなくそう言い捨てた。


「申し訳なさそうな顔もなにも、お前ずっと面白い顔してただけだからな」

「えっ、マジで?」

「意外そうな顔してる意味がわからない程度にマジ」

「マジか……」


 私、この顔、先生に怒られてるときとか、友だちがケンカしてるときとか『なんかシリアスだな』って感じた場面で乱用してたのに。そんな私の顔を見て、周りはバツの悪そうな表情を浮かべて引きさがることが多かったんだけど、それは『ノコが珍しくこんなに申し訳なさそうな顔をしてるんだからこれ以上はやめとこう』と思われてたわけじゃなくて、『なんでこいつこんな場面なのに変顔してるんだ、おかしくなっちまったのか?』と思われてただけなのか。


 その事実は人生のもっと早い段階で教えといて貰いたかった。


「えっ、なんでノコが傷ついたような顔してるわけ?」

「放っといてくれ。私は今、自分の人生を振り返ってるんだ」

「ひとりで変顔して勝手にバッドに入るなよ。情緒不安定かよ」


 頭に手刀を入れられたのち『海で朝焼けを見て、そのまま海で遊ぶ』を突きつけられる。このままバッドに耽り続けるのもバカらしいので、笑い話になるからいいか! と開き直った。


「しかもこれ書いたのもノコだよね? アンタどんだけ沿岸好きなの」

「小樽とか石狩はそこまで好きじゃないけど、海と青春は切っても切り離せないなーって」

「まあ、うん……それはわからなくもないけど」


 と、ミサは納得はできるけど、面倒臭ぇなって顔をしてた。


「まあ、引いちゃったものは仕方ないよね」

「しかもアンタ、この時期の朝焼けが何時か知ってんの?」

「知らないけど……あっ、でも今日は起きたらすでにのぼってたね、太陽」

「五時だよ、五時。だからそれまでに沿岸まで行かなくちゃいけないってどんだけ早起きよ」

「で、でも、四時前に起きて自転車を走らせるって青春っぽくない?」

「青春って言っとけばなんでも許されると思ってない?」

「いや、そもそもそう言う趣旨だからね、これは」


 ミサの返事はすべてを諦めたようなため息だった。

 こうして私たちは二日連続早起きをして、海を目指して自転車を走らせたのだった。



       ○



 順調に青春のリストを消化してるなという話をしながら、ミサが十四枚目を手に取る。

 広げられたメモ紙には『学生のうちに徹夜でゲームをする』と書かれていた。たぶん、ミサの『高校の目標』なんだけど、第二ボタンを貰うとか書いてた女の目標とは思えなかった。


「徹夜でゲーム……は月に二、三回やってんな。珍しく目標達成してんぞ、私」


 呟くミサ。


「と言うか現在進行形だしな」


 私たちは『スーパードンキーコング2』をふたりでプレイしてる最中だった。


「こんなことしてるから、どんどん青春が遠退いていくんだぞ、ミサさんから」


 あと男の影も――とは手刀が恐いから言わないでおいた。


「いや、徹夜でゲームもなんだかんだで青春っぽいでしょ」

「それはあれ、普段ゲームとかしない陽の者が小学生のころ遊んだ古いゲーム機とか引っ張りだしてきて、スマブラとかマリオパーティとかで遊ぶから青春っぽいのであって、私たちみたいな陰の者がバーチャルコンソールを上から順に完クリしてくことをひとは青春と呼ばない」


 くにおくんとか、ゴエモンとか、徹夜でプレイするのメチャクチャ楽しいんだけどな。

 なんか青春ってのとは違うなーという感じがする。


 くにおくんとゴエモンに青春を捧げた人間には申し訳ないけど。

 まあ、そこには一緒に遊んでくれる友だちがいるという前提があったりするわけで。


 それはそれで、ギリギリ青春の香りがしないでもない。

 一緒に徹夜でレトロゲーをプレイしてくれる友人を見つけるのと、彼氏を見つけるの、果たしてどちらが難しいんだろうなと考えてみるけど、彼氏のいない私にはわからなかった。


「はい次!」


 タイミングよく私のディディーがやられたので十五枚目を掴み取った。


「花火大会の裏で線香花火をしみじみやる……って、辛気くせぇな」

「は? 青春と言えば線香花火に決まってるじゃん」

「なんだ、その線香花火への並々ならぬ情熱」

「いいから、この辺でやる花火大会しらべてみてよ」


 豊平川とかモエレ沼がいいな。

 とコントローラーを離さないままミサが言う。


「いや、豊平川は先月終わってるからな。どんだけ打ち上げ花火には興味ないんだよ」


 ちなみにモエレ沼は九月なと教えると、ミサは意外そうな顔をしていた。


「案外ないんだよな、八月に花火大会って。札幌だけかもしれんけど。まあ、これも九月に入ってからでいいんじゃないの。あっ、そうだ。花火だし、浴衣とか用意しておくか?」


 と私が問いかけると、ミサは『はあ?』という顔で私を見つめた。

 なんだその顔。

 と言うかテレビから視線離してるせいでディクシーがやられてるし。


「ちがくて。そういう『張りきって花火に行きます!』って感じじゃなくてさ、線香花火残ってるから、近くでやっとくか、みたいなのを求めてるわけなんですよ、私は。パチパチ燃えるのを眺めて、昔は線香花火とかぜんぜん楽しくなかったのにねー、みたいなこと言いたいの」

「なんのマンガで見たシーンだよ」

「忘れた。ドラマかもしれん」

「まあ、いいや。そしたら部屋着にサンダルな感じでいいのな」


 んー、とミサさんから気のない返事――たぶん肯定をいただける。

 青春を書いた本人がそれでいいなら、私から言うことはない。


「だけどずいぶんと積み青春が溜まってきたね」と私。

「積み青春って、きみ」とミサ。


 雪だるまに肉まん、花火にテスト、あとは第二ボタンも一応そうか。

 こうして並べてみると、意外と青春っぽい並びになっているような気もする。


「本来なら入学した段階で、地道に目標を達成してくもんなんだろうね、こういうのって」

「私もノコも夏休みの最終日にならないと宿題に手をだせないタイプだし」

「宿題、半分ずつ分担して終わらせたの懐かしいな」

「なにを美化してるのか知らんけど、半分くらい終わってねぇからな、宿題」

「そうだっけ」

「そうだよ。でも、なんか知らないけど夏休みの宿題、ださなくてもそんな怒られなかったんだよな。来週には持ってきますみたいなこと延々と言ってたら、なあなあになったじゃん」

「ああ、そう言えばそんなんだった気がしてきた」


 小学生のころはもう少しマジメに生きてた気がしてたけど、そうか、昔から私たちはこんな感じだったわけだ。徹夜明けにラジオ体操とか行ってた記憶があるくらいだし。その末路が今の私たちなのだとしたら、それはとても順当で必然的という感じがする。よくできている。


「まあ、楽しいからいっか」

「過去を振り返ってても仕方ないから、さっさと次の青春引いちゃってよ、ノコ」


「へいへいほー」と十六枚目。


『制服で遊園地』


 そこにはパリッとした文字でそう書かれていた。


「でずにーとか、ゆーえすじぇいとか書かないあたり日和見というか、道民を感じる」

「なんとなく遊園地って書いたんだけど、そもそも北海道に遊園地ってあるの?」

「いや、あるだろ。グリーンランドとか、ルスツとか」


 何回も行ってんじゃんと告げると、ミサは目を丸くしていた。


「あ、ルスツって遊園地なの? ずっと偉そうなスキー場だと思ってた」

「それを言ったらグリーンランドだってスキーできるからな、あそこ」


 北海道はなぜか遊園地とスキー場を一体化させたがる節があると思う。

 たぶん道民はスキーのことをアトラクションかなにかだと思っているのだろう。私は重たいスキー靴が大嫌いだし、ミサも幼稚園のころスキーで骨をやってるから苦手意識が強い。


 そういうことがあったから、アウトドア好きな親たちも私たちのことをスキーに連れてくことはなくなった。ミサの骨一本でスキーに行かなくて済むなら安い買い物だったと思う。


 そんな感じで私たちは盆が始まる前にルスツに行くことにした。


 休日なのにわざわざ制服を着るのは妙な心地だったけど、そのそわそわした感じが初めて制服に身を包んだときの産毛が逆立つ感じを彷彿とさせて、なんだか懐かしい心地がした。


 当然だけど遊園地には家族連れが多くて、私たちみたいにわざとらしく制服を着てる女子はいない。普段は集団に埋没させる制服が自分たちを悪目立ちさせている事実がむず痒い。


「さて、なにに乗るか」


 気恥ずかしさをごまかすように、どちらともなく呟く。

 入口脇に置いてあったパンフのマップをみながら、アトラクションを物色する。


「やっぱり遊園地のジャブと言えばコーヒーカップかメリーゴーランドだろ」と私。

「そのふたつが許されるのは小学三年生までだと思ってた」とミサ。

「んなこたぁねぇよ。見てみろ。仲睦まじいカップルがコーヒーカップ乗ってんだろ」

「……回転率がたりない。あんなんじゃ場外に吹き飛ばせないじゃん」

「相手のカップを吹き飛ばすゲームじゃねぇよ。ベイブレードじゃねぇんだから」


 まあ、視線の先にいる『ちんたらカップを回転させるカップル』を見てたら、私も似たような感想を抱いたけど。うしろから抉るようにカップを追突させて吹き飛ばしてやりたい。


 こんなことで迷ってても仕方ないと私たちはそのままコーヒーカップに並び始める。

 回転率を競うゲームでもないと言ったのに、ミサはやたらめったらにカップを回転させていた。ゲームごとになると、やけにムキになる女なのだ。だからゲームじゃないんだけどさ。三半規管が貧弱なクセに必死になるから、入園一〇分でミサはグロッキーになっていたけど。



       ○



 私とミサは基本的に絶叫系が苦手だ。

 あんなものに好きこのんで乗りこむ人間は気が狂ってるのだと本気で思っている。よく友だちに『絶叫マシンを楽しめないなんて遊園地に行く意味がない』と言われたりするくらいだ。


 私もそう思う。


 だって遊園地なんて、どこもだいたい絶叫マシンに力を入れてるものだから。


 だけど私は絶叫マシンの楽しみ方を知っている。


 自分が乗るの楽しくないけど、他人が絶叫マシンで苦しんでる姿を見るのはそれなりに愉快だ。それを口にするとだいたい顔を顰められるけど、バラエティでアイドルや笑い芸人が絶叫マシンに乗ってるだけで絵になるのと同じで、他人のビビる様子はそれなりに面白いのだ。


 それが普段、澄まし顔をしている幼なじみであればなおさらだろう。

 できればヘルメットにカメラのついた例の器具が欲しいくらい。


 結局のところ絶叫系は、人目を憚らずに大絶叫をしてるやつが一番楽しそうに見えるのだ。だから少なくとも私は『こいつメチャクチャ楽しそうだな』って目でミサのことを見てる。


 たぶんミサも似たような目で私を見てる。


 だから私たちは幼なじみが楽しんでくれるように、合計八つのジェットコースターをハシゴしまくった。決してどちらが先に音をあげるかのチキンレースをしてたわけじゃない。


 その結果については――女子高生の口からは説明することはできない。

 あとミサの名誉のためにも。

 まあ、口から説明ではなく別の物がこぼれたとだけ言っておこう。



       ○



 楽しみ方を間違えているという自覚はありつつ、なんだかんだ遊園地を満喫した私たち。

 遊園地のシメは観覧車という固定観念から逃れることのできなかった私たちは、狭苦しいゴンドラの中に対面して座っていた。金属が軋みをあげる音がおなかに響いて心臓に悪い。


 ゆらゆら。

 だらだら。

 きしきし。


 と進んでいるせいで、絶叫マシンとは別種の恐怖があった。


「制服の女ふたりで観覧車」


 心臓と一緒に迫り上がってきた恐怖心をごますために軽口を呟く。


「状況を口で説明すんな。我に返るだろ」


 思惑通り、ミサは『女ふたり』というワードに噛みついてきた。


「まあ、そこまで珍しくもないでしょ。女ふたりで観覧車なんて」


 制服デート(笑)みたいなノリで、インスタとかにあがってるイメージがあるし。

 残念ながら私とミサはインスタをやってない。持ってるのはツイッターの匿名アカウントぐらいで、普段の呟きがアレな感じだから、顔とか制服がバレる写真を載せるのは憚られた。


「しかし間が持てないな」


 ミサとは十八年の付き合いになるけど、こうして狭苦しい密室に閉じこめられて、無理やり対面させられるのは初めてだった。だいたい私たちのあいだにはテレビとか、ゲームとかがあったし。同じ部屋にいるときは、話すことがないなら無言でもいいという空気があったから。


 だけどゴンドラの軋みや、窓から見える景色が、会話の必要性を訴えてくる。

 世のカップルはどうやってこの居心地の悪さを乗り越えているのだろう。


「綺麗だねー! とか言っとくか?」と私。


 それに「んー……」としゃがれた声で反応があって「あっ、あー」と声を作る間があった。


「見てみて! ほら! 街があんなに小さく見える! ひとがゴミみたいだね!」


 キャピキャピした彼女――と言うより一昔前のアニメの女キャラみたいな声でミサが言う。


「ネタが古い。それに街なんかほとんど見えないだろ。森ばっかりだよ、森」


 視界に広がるのは木ばかりで、そのあいだを縫うように遊園地の施設が顔を覗かせていた。

 こういうところにまで『北海道』を感じるとは思わなかった。

 探せば牛とかキツネとかクマとかがいそうだ。


 現実逃避もかねて窓の外を見ていると、ミサがそうだ、と呟いた。

 どうしたのかと視線を向けると、私の膝の上のリュックサックを指さしていた。


「ここで次の引いちゃわない? もしかしたら帰り道とかでやれるかもしれないし」

「それもそうか。と言うか、なんで今までの私たちは律儀に家に帰ってたら引いてたんだ」

「バカだから」

「違いねぇ」


 軽口と同じくらい軽い気持ちで、私はリュックに手を突っこんで、紙を引きあげる。

 引く順番なんてすでにどうでもよくなっていたから、ミサも文句は言わない。

 だけど引いたメモ紙を広げて、中身を確認した私は――なにかの冗談かと思った。


「なにその顔。これからふたりには殺し合いをして貰いますとでも書いてあった?」

「どんな顔だよ。いや、いっそ殺し合いのほうがマシだったって顔だよ、これは」


 どんな顔だよ、と言いだしっぺが呟きつつ、私の手からメモ紙を奪い取った。


「げぇっ」


 そして首を締められた真鴨みたいな声をだした。

 げぇってお前、一昔前のアニメじゃねぇんだから。


「それ書いたのお前だろ」


 それもたぶん中学三年生の。


「まあ、たぶん、そうですよね」


 逃げるように窓の外へと視線を移しつつミサが呟く。

 そんな反応をしたくなるのもわかるんだけど。


「いくらなんでも、これはパスだよな」


 さすがにこれを実践に移す理由が見つからなかったから当然の帰結として私は言った。

 しかし、それを告げられたミサは、私の言葉に納得がいっていないようだった。


「えっ、なにその顔。なんでそんな意外そうな顔してんの」

「だって今の私たちにできることなら決行するんだよね?」


 それがルールじゃんという口調でミサは言う。


「確かにあのときはそう言ったけど、これはできることに含まないだろ、だってお前――」


 ――『ファーストキス』だぞ。


 私が十七枚目の青春に書かれていたワードを口に出すと、ゴンドラを静寂が支配した。ゴンドラはちょうどてっぺんに差しかかったところで、少しだけ外の風が強くなっている。


 ……なんだよ、この沈黙。


 なんか言えよという思いをこめてミサを睨んでると、やっと口を開いた。


「こないだ……小樽に行ったときに決めたルールだと、『ちょっとやりたくないなー』って程度なら決行するって話だった気がするんだけど、ノコはそこまで私とキスするのイヤなの?」


 だからなんでそういう話になるんだって。

 いいとかよくないとか、そういう話じゃないだろ。


「いや、そうは言ってねぇけど……でも、キスだぞ、キス!」


 第二ボタンはくれてやってもかまわないけど、キスは別だ、キスは。

 だってそういうことって、普通、恋人とすることじゃないのかよ! って思う。


「それにミサはいいのかよ。ファーストキスだぞ? 初めてなんだぞ?」


 彼氏作って、そいつにファーストキスを捧げるんじゃなかったのか? と問を重ねる。だけど私の必死さとは裏腹に、ミサの反応は冷静で、どこか冷めているようにすら見えた。


「どうせこのまま生きてても使わない唇だろうし、べつにいいかなって」


 ノコがイヤなら話は別だけどさ。

 と、ミサはあくまで選択を私に委ねようとしてくる。

 その態度が私には気にくわない。


「だ、だからイヤじゃねぇけど、こういうのは、好きなひととやるもんだろ」

「なにそれ。そういうのって、ノコが一番バカにしそうなのに」

「うっ……まあ、確かに、そういうのに固執する女ってバカだなーとは思ってたけど」


 初めては好きなひとに捧げたいとか、そういう気持ちは理解できない。


 ……いや、理解できないのか? だったら私は、なにに拘ってんだよ。


 そんなものなんて、どうだっていいと思ってるなら、さっさとキスなんて済ませて、テキトーにミサとふざけて笑って、十八枚目の青春を引いてしまえば、それでいいはずなのに。


 着々と地上に近づいてゆくゴンドラの中で私は必死に考えた。

 そして私はやっと、その答えに辿り着く。


「やっぱり……やだ」


 挑発を売りつけられたタイミングで、こう告げるのもイライラしたけど。


 それでもイヤなものはイヤだったから。

 私はなかば無理やりミサにそう告げた。


 告げられたミサはと言うと、なぜか傷ついたような顔をしてた。ミサがそんな表情を浮かべてる理由も私にはわからない。ただ、その表情が『テキトーなこと』を言ってた女の顔には見えず、わずかに混乱してしまう。だけど私は用意していた言葉を告げることを優先させた。


「私はなー、お前がべつにいいかなー? みたいなノリなのがやなんだってば!」


 ゴンドラが揺れるような勢いで私は告げる。


 驚きのせいか先ほどの表情は霧散して、ミサの目が丸く見開かれていた。


「はあ……?」

「だからさ、なに、そのノリ。べつに余裕ですけど? みたいな態度でさ、ファーストキスを済ませようとしてるのが気にくわない。中学三年生のミサの気持ちになれよ。彼氏作ってさ、大好きなそいつと、初めてのキスをするはずだったんだろ? そういう目標だろ、これは」

「なんかノコが気持ち悪いけど……まあ、そうだろうね」


 自分が気持ち悪いという自覚があるだけに、そう言われても不思議と腹が立たなかった。なんで自分がこんなに気持ちになってるのかいまいち理解できなかったというのも大きいかもしれない。だけど話はここで終わったわけではなく、私の言いたいことには続きがあった。


「だったら妥協とかじゃなくて……もっとちゃんと私のこと求めろよ!」

「……はっ、はあ?」


 は? えっ? はあっ? と呟くミサ。

 次第にその『は?』の割合が増えて、それが『ハ』になって、最終的に爆笑になった。狭苦しいゴンドラの中にミサの爆笑が響き渡って、ぐらぐらと揺れているような気がした。


「わっ、笑うなよ」

「『笑うなよ』はムリがあるでしょ。だって、私のこと求めろって……おかしいだろ」


 合間に多量の笑いを交えながら、ミサはそんなことを言う。

 おかしいだろ? おかしいよな? とひとりで呟きながら、再び笑いに集中してやる。

 そんなミサを見てると、やっぱり私は腹が立ってくる。


 いや、腹が立つと言うか、おなかの奥がジリジリと炙られている感覚と言うか。たとえば鼻の上にビスケットを乗せられて、おあずけを食らっている犬は、こんな気持ちなんじゃないかって思う。もうビスケットなんてどうでもいいから、鼻の上に乗せるのをやめろ、みたいな。自分で考えててよくわからなくなってきたけど、とにかく私はイライラしていたのだ。


 しばらく笑い通して、ミサの口から笑い声が聞こえなくなってくる。

 そして笑いに終止符を打つように、口からため息がこぼれた。

 それはいつもの『私が折れてやる』のため息だった。


「わかったよ。私はノコとキスしてみたい」

「……ホントか?」

「ホントだってば」

「……わかったよ」


 ミサの表情を確かめてから、私はぬっと立ちあがる。

 それがふざけてる表情なのか、緊張を堪えてる表情なのか、判然としなかったけど。これ以上言葉を重ねても悪ノリと軽口が続くだけだろうと思い、私もツッコミは控えることにした。


「キス……するからな? お前がしたいって言うから、するんだからな」

「さっさと……いや、いいよ。私がしたいって言ったもんな。いつでもどうぞ」


 ほら。とミサは私を導くように軽く目をつむる。


 そんな彼女に唇を近づけながら、私の中で『どうしてこうなった?』という自問自答が繰り返される。なんでもっと軽いノリでできなかった? なんでこんな本気のキスみたいになっちゃってんの? それに、なんでミサはそんなに余裕そうなの? そしてなにより――


 ――なんで私はこんなに緊張してんだ?


 しかしどれだけ問を重ねても、答えを考えられるだけの余裕はなかった。


 もしかしたら私はファーストキスってやつに、並々ならぬこだわりを持つ恥ずかしい女だったのかもしれない。それを幼馴染みに使うことに、ちょっとした懸念があるのかも。


 そうに違いない。

 そうと自分を納得させられたら、あとは意外とすんなり行えた。


 ミサに顔を近づけて、唇と唇をくっつけた。


 言葉にするとたったそれだけ。


 たったそれだけだった。


 唇を離すと、なぜかミサは怪訝そうに眉をひそめていた。

 その顔を見てると、失敗でもしたんじゃないかって心配になってくる。


「な、なんだよ。その顔、なんかヘンだったか?」

「いや……ゲロくせーなって思って」

「はあ? ちゃんと洗ったからゲロの匂いなんてしねーよ!」

「ウソだよ。ウソ。ノコが緊張しすぎだからほぐしてやっただけだっての。ほれ――」


 ミサがトンと私の肩を押して、ゴンドラのイスに座らせる。

 私は自分が中腰の状態であることすら忘れてしまう程度に緊張していたらしい。ありがと、と礼を言おうとした直前、私に代わってミサがなぜか立ちあがっていることに気づく。


 そしてそのまま――

「されっぱなしってのもなんだし」

 ――ミサは私の唇を奪った。


 なにそれ。


 だから、そうゆうゲームじゃねぇだろって文句を言ってやりたかったけど、唇がうまく動いてくれず、パクパクと開閉を繰り返す口からは、言葉の代わりに熱っぽい吐息が漏れるだけ。


 そんな熱が冷め切らぬうちに、ゴンドラは地上に辿り着く。

 タイミング的に、もしかしたら係の男に、私たちのキスが見られてたんじゃないかと思ってしまい、男の顔がまともに見れず、それどころか、顔もあげられなかった。ミサはそんな私の手を引いて無理やり立ちあがらせて、そのまま遊園地の出入り口に向かって歩き始める。


「……ノコ、なんでそんな緊張してるわけ? もしかしてホントに私に恋してんの?」

「ち、違うっつーの! お前こそ、なんでそんな冷静でいられんだよ。もしかしてあれか? 初めてじゃないんじゃないか? 私の知らないあいだに済ませてたんじゃないだろうな!」

「バレた?」

「えっ――」

「ウソだよ、ウソ」

「お、お前、この野郎……」


 完全におちょくられていた。

 腹が立って仕方がないけど、今の私には、まともな切り返しもできやしない。


「そもそもノコとキスなんて、犬に顔を舐められたくらいの感覚だし」

「お前……それは傷つくぞ」


 冗談なのか本気なのか自分でもわからない言葉を口にする。

 当然、ミサも私の本心を図りかねたようでバツの悪そうな顔をしていた。


「あー……そう? まあ、犬は冗談だけど。家族みたいなもんだから。認識の差異ってやつじゃないの。私だってクラスの女子とか別の友だちとキスしてみろって言われたら、それなりに緊張するだろうし。私は相手がノコだったから、平然としてられただけだよ。で、ノコはたぶん家族相手でも、なんかそういうことに緊張しちゃうタイプなんじゃないの。たぶんだけど」

「ふーん……?」


 なんだか、それはそれで面白くないような気はしたけど。

 これ以上この件について考えると頭が悲鳴をあげそうだったので私は考えるのをやめた。

 その代わり、なんだかひさしぶりに叩くような気がする軽口に移ることにした。


「しっかし、十八年間生きてきて、互いに恋人ひとりできたことないんだもんな」

「で、青春リストなんて始めて、幼馴染み相手にキスするハメになってるからね」

「このままいったら、将来的に結婚でもするんじゃねぇの」


 と、あえて極端なことを言ってミサの反応を覗ってみる。

 だけど彼女は先ほどのキスもそうだったように、あくまで余裕綽々といった態度だった。


「いや、私は普通に結婚相手見つけるから」

「その自信はどこから湧いてくんだよ」


 こいつはまだ『大人になったら自然と結婚ができる』とでも思ってるのだろうか。高校生になっても彼氏ができなかった女が、それ以上に難易度の高い結婚なんてできるわけないのに。そんな自信満々のミサの横顔を見ていたら、今までは、この顔がずっと横にあったことを思いだす。なんとなくこの横顔が、これから先もずっと、私の横にあるような気がしてしまった。


「大学卒業間際になったら、またふたりでリスト作るか」

「私たち二十二になってもこんなことやってんの? と言うかそこは、今回の反省を活かしてさ、大学を入学したタイミングでリスト作って、地道に達成してくべきなんじゃないの」

「無理だろ」

「無理だけどさ」


 私たちは宿題を最終日まで手を付けられない人間だ。


 しかもふたりで力を合わせても、中途半端にしか片づけられない人間なんだから。


 今回の青春リストだって、結局は中途半端な形で終わるんだろうなっていう予感がある。だけどそれでいいんだろうなっていう気もする。だって私たちなんて、そんなもんなんだから。


 そのたびに、できなかったことを、後回しにすればいいのだから。

 だってたぶんだけど私のそばにはずっと、こいつの姿があるんだろうから。


 そして、それをふたりで笑えれば、それでいい。


「大学卒業するときとかさ、三十歳とか、四十歳とか、そういう節目ごとにやろうぜ」

「私が結婚してなかったらな」

「じゃあ絶対にやるじゃんか」

「いや、私、絶対に結婚するから」

「だからその自信はどこから沸いてくるんだよ」


 私が投げやりにツッコむと、ミサはニヤニヤした下品な笑みを私に向けた。


「だって私が結婚してなかったらノコが結婚してくれるんだろ?」

「はっ? い、いや、お前、さっきのは冗談で――」

「私のも冗談に決まってんだろ、ばーか」


 小学生みたいな悪口を言って、ミサは私の手を離して、ひとりで走りだす。


「バーカってお前……なんでそんなに元気なんだよ」


 なんかもう疲れすぎて、怒る気力も湧かなかった。

 たぶん私の元気は観覧車の中でミサに吸われてしまったのだ。


 とりあえず私の大学での目標は『あの女を絶対に恥ずかしがらせてやること』に決めた。人生がどう転んだとしても、あの女の姿が私の横にあるのは、間違いないようだったから。






いつも評価やブックマークありがとうございます。

作者の綾加奈です。


この短編はpixivで開催されていた『百合文芸』の再録になります。

他の高校生百合についてはKindleで配信されている『マキアート 高校生百合短編集』という書籍で読むことができますので、今作が気に入った方はそちらも覗いてくださると嬉しいです。

下にある表紙画像をクリックすると詳細ページに飛べます。


それから『私は君を描きたい』という高校生百合の長編小説をなろうで連載しています。

こちらもラブコメ百合です。

今、物語が佳境に入ったところなので、導入だけでも覗いていってくださると嬉しいです。


綾加奈でした。


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― 新着の感想 ―
[一言] こういうアホっぽいノリって可愛いくて面白くて好きですね。 やっぱり辞めとこうってならないのがいいよね^ ^
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