5話-5
「……うん? ここは?」
「真央さん、気づかれましたか?」
「真央ちゃん! 心配したよ〜!」
時刻は夜七時。起きる気配があったので鈴森さんと二人、真央さんの顔を覗きこんでいたら、真央さんはゆっくりと瞳をひらいた。
「鈴森さん、あまり大きな声を立てては」
「あっ、ごめん……」
嬉しくてつい声が大きくなってしまったのだろう。鈴森さんが少し申し訳なさそうな顔になる。
目を覚ました真央さんはベッドに寝た体勢のまま目線だけ動かして現状を把握した。「私、倒れちゃったんだね。ごめん、迷惑かけた」
「いいんですよ。船に乗っていた時から具合が悪そうでしたもんね」
少し照れ臭そうにしている真央さんに声をかける。倒れるのは入学式以来だが、真央さんの性格上他人に迷惑をかけたくないのだろう、こちらもそれほど気にしていないと笑ってみせる。すると真央さんも軽く笑い返してくれた。
真央さんが倒れてから、私たちは急いで真央さんをベッドに寝かせた。管理人の奥様は水桶を取りに一階まで降りていった。鈴森さんは始めは動揺していたが、次第に落ち着きを取り戻し、一緒に真央さんの看病をした。途中、「私に考えがあります」と、何処かに電話をかけていた。奥様が何度も顔を見せてくれて、その度に私たちにも何か持ってきてくれた。私たちは感謝してそれらを受け取り、隣の部屋で軽食を取りながら、時々真央さんの様子を見に行った。部屋割りは必然的に私と鈴森さんが同室になった。
それから真央さんが起きるまで、いっときそれぞれの所属先に連絡する為順番に席を外しはしたが、後は隣の部屋を片付けたり、そこでお喋りをしたり、時折真央さんの顔を二人で見に行ってそのまま看病をしたりとあまり遠くへは行かず、私も鈴森さんも真央さんの側にいた。
「それで今真央さんが目を覚まされたんです」私がそれまでの事を説明すると、真央さんは少し熱っぽい顔で頷いた。
「真央ちゃんは少し熱があるから、しっかり休んでね。料理研の舞咲さんお手製のお粥がありますので、もし食べられたら食べてください。
私は少し席をはずします。チョコさん、後はお願いします」
私たちは鈴森さんにお礼を云い、鈴森さんは手を振って外に出ていった。
真央さんにお水を渡し、私も机にあったオレンジジュースを飲む。真央さんはコップから口を離すと途端にため息を吐いた。
「はぁ、『下克上』どうしよ……」
「真央さんまだそんな事……。今回は無理ですって。大人しく安静にしておきましょう」
すると真央さんは少し考え込む素振りを見せた。「……でもそれじゃ駄目なんだ、間に合わない。う〜ん」
何故そこまで毎月の「下克上」に固執するのだろう。まさか三月に倉多さんに勝負で勝ってお付き合いを申し込むとか阿呆な事を考えているのではないだろうか。
私が黙って真央さんの方を見てると、真央さんも私の顔をじっと見る。お互い見つめあっていると、真央さんが急に何か閃いた顔をした。
「そうだ! チョコが代わりに出ればいいんだ!!」
「ぶっ〜!! 何いってるんれすか!?」
思わず私は口に少し残っていたオレンジジュースを吹いてしまう。体力の落ちている真央さんは避けようとして避けきれず、顔からシャツからジュースまみれになる。そして、無理に身体を動かした反動で疲れて顔色が悪くなる。
「あ……私死ぬかも……」
「わ〜! ごめんなさい! だって真央さんが変な事云うから」
私は洗面器の中から真央さんの汗を拭いていたタオルを掴み、固く絞って顔やシャツを拭く。ジュースの下から出てきた顔は真っ青で、私は申し訳ない気持ちになった。
その後なんとかシャツを着替えさせたりして、疲れていた真央さんはすんなりと寝てくれた。寝息が落ち着いているので、このまま安静にすれば明日の朝には多少良くなるだろう。
上機嫌でスマホを片手に戻ってきた鈴森さんと交代して、お風呂に入る。ゆっくりしてきていいよと云われたので、少し遅い夕食──夜食をいただいた。
戻ってみると真央さんの部屋に鈴森さんの姿はなく、自分の部屋に戻っていた。
「さっき管理人さんと奥さんがきてくださって、あの様子なら明日にはよくなるって云ってました」
「そうですか。鈴森さんもお疲れ様でした」
「いえ、春日野さんこそ」
互いを労って、私たちもベッドに入る。
島に来て一日目──。真央さんが倒れるアクシデントがあって、私は天井を見上げながら明日の「下克上」も陸上部の合宿もどうなってしまうのかと不安を抱いた。
すると、隣のベッドで鈴森さんがクスクス笑っているのが聞こえた。
「鈴森さん、どうかされましたか?」
「あ、いえ〜。今日は色々あったけど、夜にいただいた料理研のご飯が美味しすぎてですね。これは朝が期待できるぞと思ってたら、お腹が鳴っちゃって」
眠りを妨げたのならすみませんと謝る鈴森さんを見てたら、私も楽しもうとする気力が湧いてきた。
「いえ、お陰で私も明日が待ち遠しくなりました。真央さんには悪いですけど、二人で食堂に向かいましょう」
「是非!」
安心した私は明日のアラームをセットして、羊を数え始めた。羊が百匹を超えた頃から記憶が怪しげになり、私はいつの間にか眠ってしまっていた。