鬼退治編 1
序
............
夕焼けが心地よい秋の夕暮れだった。
目眩く様変わりする季節。猛暑が傷跡を残したかと思えば、紅葉が小道を彩る。
曇っていてもまだ生温い空気。しかしそこには、確かに冬を匂わす凍てついた風が吹き抜ける。
哀愁漂う境内。紅楼寺の境内で目を覚ます。海鳴りが耳に障る。
悠然とした佇まいの彼女は、寝惚けながら立ち上がり、手を大きく広げて伸びをする。
名は『田神 翠』。
容姿端麗、眉目秀麗、質実剛健。黒髪でおしとやかな清楚な少女。というのが第一印象だろう。
現に彼女は穂村高校の生徒会長を務めており、紅楼寺の巫女の後継ともあり、まさに"絵に描いた"ような人物だった。
「危ない危ない。風邪を引いちゃう所だったぁ。」
まだぼんやりとした視界で辺りを見回す。
「ちょっといいかね。」
と、突然後ろから声を掛けられる。するりと後ろを振り返れば、30代くらいの麦わら帽子を被った大柄な男性が立っていた。
「お嬢さん、この辺の人かい?実は最近引っ越してきたんだが、道に迷っちまってねえ。」
「そうでしたか、でしたら私が案内します。では奥までどうぞ。」
「おお、すまないねぇ。」
彼が視線を外したのを見ると、腰に携えている短刀を素早く手に取り思い切り心臓を穿つ。
全身が膨張し始め、皮膚は赤く変色しだした。
「な......なぜ分かった?」
「そんなの簡単よ。この村に普通の人間はたどり着けないもの。」
忽ちに異形の体は蒸発し始めた。最期の抵抗だったのだろうか、腕だけになった体をジタバタと動かせ、なんとか起死回生を図ろうとしている。
だがその甲斐虚しく、呆気なく湯気と共に消滅していった。
「まあ、運が良かったってのもあるけどね。」
ポツリと呟く。
「さてと、明日は早いし、早く帰らないと。」
コンビニに買い出しに行くような足取りで歩く彼女を、たった今異形を殺めたと思う者は、誰一人としていないだろう。少なくとも、この村の人間以外は。
......
1.邂逅
1972年。戦火も風と共に化けていなくなり、人々の心には安寧が芽生え始めていた。
しかし鬼が跋扈する村『赤米』では、未だに緊張状態が続いていた。
鬼の類も戦の終わりを感じ、活動が活発になり始める為だ。
日本からは言わば隔絶されたこの地は、地図にすら載っていない。というより載せられない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この村には江戸の頃から頻繁に鬼が出るようになった。初めは畑を少し荒らされる程度だったので村人たちは気にしなかったのだが、徐々にその影響は激化していった。
神隠しや村人が変死体で見つかる、といった事が頻繁に起こるようになったのだ。
これには流石に、という事で策を講じていた村人だが、味を占めた鬼達には到底太刀打ち出来ず、
被害は加速するばかりであった。
そしてそんな時にとある旅人が不運な事にもこの地へ訪れてしまったのだ。
当然ながらこの土地の事など微塵も知らない旅人は鬼と出会してしまう。
しかしその旅人は男装した巫女で、鬼を祈りで沈めて見せた。
村人達の懇願によりそれ以来その巫女はこの地へ定住し、「鬼比丘尼」として崇められ続けられてきている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そんな過去を持つ村を日本政府がそう安安と公開する訳もなく、存在自体が機密事項になっている。
もちろん外からの来客は無に等しいが、稀に村からは文明を求め外に出る者がいる。
そういった者達のお陰でこの村は自給自足だとしてもなんとか存続できているのだ。
何故村人達はこの村から離れないのかって?答えは単純。
ここにいる鬼達を沈める為にはここに古くから住む者の血筋でなければ太刀打ちできないからだ。言わば抑止力なのである。
「......ふう。こんなもんかな。」
穂村祭りの日。『鬼比丘尼』を祀る日。この日は村人総出で祭りに当たる。
僕は妙に緊張してしまい、4時過ぎに目が覚めてしまったので小説を書いていた。この村をモチーフにした小説だ。
実際は鬼なんて見た事無いが、伝説や田神さんは実在する。人が来ない訳では無いがほとんど人の出入りは無い。ちょっとずるい小説だ。
祭りの日といえど、村は未だ静寂に包まれている。寝間着から質素な制服に着替え、窓から顔を出す。
残暑から逃げ出した冷たい風が頰を撫でる。穂村祭りと穂村高校の文化祭は提携しており、村一丸となって祭りに取り組む。
家族を起こさぬようにサンダルに足を通し、勝手口から出る。
家の前の誰もいない小道を横行闊歩する。すると垣根越しで隣の屋敷に住んでいる翠の父親と視線が重なる。玄関先の飾り付けをしているようだ。
「おお、お早う。」
「あ、おはようございます。」
どこか余所余所しさを感じさせる挨拶を交わす。
「潤君、今日は早いねぇ。やる気があって結構!」
田神さんとは幼馴染で、今までずっと同じ学校だ。おまけにクラスメイトと来たものだから(そんなに人はいないのだが)仲は相当良かったのだが、高校に入ってからはなんだか小っ恥ずかしくなってしまい、疎遠が続いている。
人は父子家庭である翠の父親の卓郎さんだ。子供の頃から俺を息子のように可愛がってくれた、明朗快活で心優しい人物だ。
「はい、お陰様で。」
負けじと少し大きい声で返答をする。この村では女性の方が権力が大きい。
それも鬼比丘尼のお陰だ。とりわけ田神家はその子孫だ。代々、家に女が生まれると巫女としての修行を強制させられる。そして男を婿入りさせて、その繁栄を続ける。そうして今までこの地は保たれてきたのだ。当然男供は順位が下になる。
しかし翠の母親で、先代の鬼比丘尼でもある『田神 凛』はまだ僕たちがまだ5歳の頃にに亡くなってしまったらしい。
詳しい事は聞いていないが、心臓発作と聞いている。それからというもの幼かった翠に代わり、祖母である『田神 飛鳥』が務めている。
「そういえばなんだが、翠を見なかったか?多分散歩にでも行ってるんだろうが。」
妙な胸騒ぎがする。心臓を蜈蚣が這いずり回るような不快感に似た騒めき。
こういった場合、大抵ろくな事が起きない。彼女は意外にも千載一遇のチャンスでよく失敗する。
そもそも目立つのはあまり得手な性格でもない。生徒会長も周りの人間から半強制的に推薦されたのだ。本人も適任では無いと語っていた。
「いえ、特に見ていません。昨日は家に?」
「それが俺は昨日からずっと指揮をしていたもんでな.....家に帰ってきたのはついさっきなんだ。」
そうだった。鬼比丘尼の家系が代々穂村祭りを取り仕切るのだ。となると昨日から家に帰っていない事になる。
「悪いが、見かけたら連れ戻してきてくれないか。ちょっと打ち合わせがあってな。」
「わかりました。」
ぼそりと一言だけ口にして僕はそこから立ち去った。
気づけば僕は早足になっていた。
......「玩具は逃げられない。」
......
雀の声が、心を杳とする。
北風が心地よい秋の明朝の事。