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図書室司書山田英子のリファレンス 〜粘菌と蟻と幼なじみの意外な関係〜

作者: 池田瑛

 図書室で調べ物をする、というのは古き良き時代の光景なのかもしれない。私が高校生のころから普及していたスマートフォン。知りたいことがあれば、ググったら、あっという間にその答えを教えてくれる。

 図書室にわざわざ行って、調べ物をしなくても良い時代なのかも知れない。


 高校図書室の司書としては、図書室の利用者が減ることは寂しい限りだ。


 それでも、やっぱり図書室に来て調べ物をしてくれる学生がいるのは嬉しいことであるし、私のやりがいというものだ。

 

 図書室の扉が勢いよく開いた。そして、同じく行きよい良く飛び込んで来たのは、日向彩ちゃんだ。彼女は今年入学してきたばかりの新入生なのだけれど、図書室のヘビーユーザーでもある。


 最初、彼女からリファレンスを受けた時は衝撃的だった。


「あの、山田先生。【ムラサキホコリ】についてのリファレンスをお願いしていいですか? 私、どうしてもアイツより詳しくなりたくって!」


「むらさ……き……ほこり?」


 なんのことだろうか? リファレンスを依頼する人は、自分が何を調べたいのかを的確に把握していないことも多い。そして、残念なことに、何を調べたいのかが明確に分かっていたらリファレンスを頼むよりも、スマフォで調べれば解決してしまうことも多い。


「えっと……紫は……紫式部だと、う〜ん。【ほこり】って、プライドの【誇り】かな? 【誇り】は平安時代から使われている言葉だから……。あっ、源氏物語第15巻の『蓬生(よもぎう)』に、【誇りかなり】の形で使われているわね。古語における「ほこり」の使用例を調べたいってことかな?」


「いえ、違います。【ムラサキホコリ】は、粘菌です!」


「ね、粘菌?」


「はい、粘着するの「粘」に、細菌の「菌」で、粘菌です!」


 あの気持ち悪いアメーバーのようなアレであろうか。


「粘菌ね。えっと、それじゃあ……『日本・粘菌図鑑』が図書室の蔵書に……」


「その図鑑じゃダメなんです! その図鑑をアイツは持っていて、最近、ずっと【ムラサキホコリ】のページを見ながらニヤニヤしているんです! 絶対、【ムラサキホコリ】のことを授業中も、お風呂に入っているときも、夢でだって【ムラサキホコリ】のことを見ていると思います。私は、アイツより【ムラサキホコリ】について詳しくなりたいんです」


 良く分からないけど、熱心であるようだ。


「粘菌が好きなのね……ちょっと待っててね」


「粘菌が好きだなんてとんでもない! 粘菌なんて気持ち悪いだけです! 私は大っ嫌いです。『アイツ』は幼なじみだから仕方なく私が面倒見ているだけです」


 アイツって……誰? と私は疑問に思うが、司書は、『図書館の自由に関する宣言』を守る義務がある。図書館の自由に関する宣言、第3章1項、『読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない』


 詮索は無用だ。それよりも、私の仕事は、利用者の求める資料を提供すること!


「その図鑑以外にも、関連書籍はあるから安心してね」と私はひとまず利用者を落ち着かせて、本棚へと案内をした。


 ・


 ・


 ・


 それからというもの、『エリホコリ属に属する粘菌の数を知りたいです!』とか、日向彩ちゃんに対しては、色々と司書としてやりがいのあるリファレンスをしてきてくれた。


 ・


 ある時などは、


「先生、キイロタマホコリカビが単細胞生物から移動体を形成し多細胞生物となる環境要因について知りたいです! シャーレで飼育していたキイロタマホコリカビが、子実体を形成してしまいました! 今にも胞子をばらまいて爆発してしまいそうです」と泣きそうになりながら図書室に駆け込んできたこともあった。


 どうやら、『アイツ』なる人物に生物部のマネージャーに誘われて、そのまま生物部に入部したらしい……。


「そ、それで、その『彼』は何て言っているの?」


「ぜひ、胞子嚢胞子が破裂する世紀の瞬間を目の当たりにしようではないかって言っています」


 ふ〜ん。『彼』と聞いて、否定しないってことは、『アイツ』って、男の子なのかな。いやいや、推理小説が好きなだけに、ちょっとそれとなく探りを入れてしまった。いけない、いけない。私は探偵じゃない。司書なのだ。


「それじゃあ、彩ちゃんは、その瞬間を生物部なんだし観察すればいいのじゃないかな? 胞子が蒔かれるってことは、またキイロタマホコリカビが増殖するってことじゃない」


「そ、そうなんですけど、一緒に観察しようとすると、シャーレを一緒に覗き込まなきゃいけなくて……その顔が近いっていうか……唇が近いっていうか……」


「それだったら、顕微鏡で観察するときに使うスライドガラスに粘菌を移したら?」と私は、実験の知識を振り絞る。


「だ、だめです。そんなことをしたら胞子は移す衝撃で破裂してしまうかもしれないですし……それにあいつとキス……するチャンスを……いえ、ぜったいアイツは反対すると思います。粘菌が踏まれただけなのに事件だって言うんですから、粘菌をスライドガラスに移したりなんかしたら『強制移住だ! 粘菌の人権を無視している!』って騒ぐと思います」


 そっかぁ……彩ちゃんは、その彼とキスがしたいのかぁ……。


 ・


 ・


 ・


 またある日、図書室の扉が勢いよく開いた。また、あの子だろう。日向彩ちゃんだ。


「先生、シロアリの飼い方を教えてください!」


 ど、どうしたのだろうか。日向彩ちゃんの目が真っ赤だ。というか、泣いている。


 本来であればリファレンスが優先であろう。


 だが、日向彩ちゃんが粘菌ではなく、昆虫に属する蟻についてリファレンスを頼むなんて、どうも様子がおかしい。


 利用者のプライバシーには踏み込むことは、司書としてやってはいけないが、泣いている女の子を放っておくこともできない。


「彩ちゃん、ど、どうしたの?」と私はティッシュを差し出す。

 


「『アイツ』が、シロアリを生物部で飼いたいって言い出したんです……だから、私は、粘菌はどうするのよ!って、言ってやったんです。そしたら『アイツ』が……」


「酷いこと言われたの?」


「『アイツ』が、「俺の幼なじみのくせに何も分かっちゃいないな」って言ったんです。それで私、分かっていないのが口惜しくって……。ずっとアイツと一緒に過ごしてきたのに……」


 日向彩ちゃんは、図書室で粘菌のことを本当に感心するくらい調べていた。リファレンスをする内容も専門的になり、私が困ってしまうくらいだ。


 相談に乗ったりしてあげたいけど、司書はそれはできない。私が出来るのは、頼まれた資料を図書室から集めてくることだけだ。


「落ち着いて、ここで座っていてね」と私を言って、図書室の本棚から参考になりそうな資料を集めて回る。その間も、彩ちゃんの啜り泣く声が聞こえていた。


 ・


「お待たせ。これが資料よ。参考になりそうなところには付箋を貼って置いたから」


 彩ちゃんは、鼻を啜りながら、私の用意した資料を読み始める。私は、読書をする彩ちゃんを邪魔しないように、新しく入った本に透明なビニールのカバーシートをかける作業をした。


 しばらくして、彩ちゃんは本をカウンターへと返しに来た。どうやら資料を読み終えたらしい。そして、顔は晴れやかだった。


「ありがとうございました。アイツが、「俺の幼なじみのくせに何も分かっちゃいないな」って言った意味が分かりました。私、『アイツ』に言ってやります! お前が粘菌なら、私はシロアリだって! そして……ずっと一緒だって……」


 そう言うと、彩ちゃんは図書室から出て行った。最後の言葉あたりは恥ずかしそうに小声であった。


 私は、カウンターに残された本に目をやった。


 そのリファレンスした資料によると、シロアリは、家などの木材を食べることようであるが、実は、そのまま木を食べるというわけではないようだ。褐色腐朽菌キチリメンタケなどの粘菌が、シロアリが消化できるように木材を分解するのだ。また、シロアリに付着して、キチリメンタケは生息領域を拡大していく。


 粘菌とシロアリは、つまり、共生関係なのだ。


 ずっと一緒に過ごしていく。助け合いながら生きていく。人間で喩えれば、それは幼なじみと呼べるかもしれない。片方が欠けても、立ちゆかないのだ。片方がもし存在しなかったら、今とは違った生態であったかもしれない。まったく違った高校生へとなっていたのかも知れない。


 仕事を終え、家路へと向かう私。職員用玄関がある校舎の裏を、虫眼鏡片手になにかを一生懸命探している二人組の姿を見かけた。一人は、日向彩ちゃんだ。もう一人の男の子が、きっと『アイツ』なのだろう。


 私の言えることは、今日もリファレンスが出来て良かったということだ。


 二人の姿をみて、懐かしく思う。私が務めているこの高校の図書室は、私の母校でもある。その頃、私は三鶴英子で、夫のことを「あなた」ではなく、ショータ君と呼んでいた。


 二人が一生懸命、虫眼鏡で探しているのは、粘菌だろうか、シロアリだろうか。それとも、二人の未来であろうか。


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