五話・使役
「グルルルルルルルル───」
リオネに抱きついて無防備なクユリの背後で、魔物の唸り声がした。リオネが視界に捉えたのは、少し前に撃退したものと同じ、グローラだ。その異常に長い爪を振りかざしている。
リオネは、腕にぐっと力を入れてクユリを抱き寄せる。
「ひゃっ!?」
「守護!!!」
うまいことクユリを包むように防御結界を張り巡らせる。グローラはそれに気付いているのかいないのか、そのまま爪を振り下ろす。
バチン、と音がして結界はグローラの爪を弾き返した。
「っ………」
「うそ………幸運があるはずなのに、こんな事態になるなんて………」
「クユリ、落ち着いて。急で驚いたけど、これは………確かに、幸運よ」
魚を釣りに来たというのに、竿も無く魔法も効かず───そんな状況を覆す、幸運。それがこのグローラ───いや、『人形』だ。
リオネがグローラを人形化し、グローラを操って魚を確保すれば良いのだ。グローラは、洞窟内に侵入してきた外敵の肉も食すが、基本はその長い爪で魚を掬い上げたり、突き刺したりして食料にしている。
(私は───)
リオネは、わからなくなっていた。
(この少女───クユリを、信用していいの?)
信用していい。クユリを信用して人形化を使えば、魚もとれるし、幸運で代償も打ち消せるのだ。
しかし、多くの要因がリオネの足枷となる。クユリを人形にすることを躊躇したこと。クユリが何故リオネに付いてきたかわからないこと。その理由がはっきりしないと、クユリがいつ逃げ出してもおかしくないと感じてしまうのがリオネだった。
しかし───戸惑っているリオネの耳元で、クユリは囁いた。
「リオネちゃん」
「………何?」
「あたしを、信じて」
この状況───リオネが人形化を使うか迷っている状況で、あまりに適切な言葉に、リオネは違和感を覚える。
『ひぃっ!ちょっと待って!まだある、まだ………そ、そうだ!あなたの固有能力………』
『………!貴女、私の能力を知ってるの?』
『あっ…いや、その、知らないけど。でも、何かに使えるんじゃないかなー、と』
再生される記憶。そのクユリの慌てっぷりを思い出し、その場で気付けなかった自分を少しおかしく思う。
「貴女………薄々気付いてたけど、私の能力のこと、知ってるわね?」
「し、知らない………」
「何故そこでシラを切ろうとするの………」
特に、やましい雰囲気は感じなかった。はぐらかし方も冗談めいていた。
リオネは用心深い。この会話だけでは、クユリを信用して能力を使いはしないだろう。
しかしリオネは、抱き寄せたクユリの温度で、ほんの少しだけおかしくなっていたのだ。
「もう、知らないわ───人形化!!!」
するり───しゅるり───ひとつ、しあわせがきえた。
するり─────きゅっ─────やたらとつめのながい、にんぎょうができた。
「……………リオネちゃん」
「何?」
「ごめんね」
「何故謝るの。まさか………幸運は嘘だった、なんて言わないわよね?」
「違うよ。こんな、残酷な能力を使わせちゃったこと」
静かに言葉を交わす二人。目の前のグローラは、それはもう大人しくなっていた。
「残酷、かしら。魔物なんて私達にとって、見かけ次第殺すだけの存在なのに」
リオネには、慈悲や倫理が欠けていた。彼女の言うことは決して間違ってはいない。かといって、決して正しくはないのだ。
そんな言葉を聞いたクユリは、ただ黙ってリオネを抱きしめる腕をきつくする。
「あたしは、絶対にリオネちゃんを護るよ」
「まだ完全に信頼してはいないけど………その、よろしく」
「やったー!リオネちゃんがデレた!」
「何を言ってるの………」
少し濁した言葉。明るい会話。その裏で、クユリは決意をした。
(絶対に、リオネちゃんを護る。不運からっていうのもそうだけど。人形化を持って生まれちゃった境遇から、リオネちゃんの───心を)
冷酷な能力は心をも冷酷にしてしまう───何の根拠があるわけでもないのに、クユリはそう思っていた。
「クユリ、そろそろ放して………苦しいわ」
「わぁっ!?ご、ごめん!」
クユリは慌ててリオネから飛び退く。すると、リオネはグローラの人形に手をかざした。
「───グローラ、その池の魚を全てとってここに置きなさい」
リオネがそういうと、グローラはのそのそと動き始める。池を覗き込んだかと思うと、浅いところを泳ぐ少し大きめの魚に目をつける。右腕を振り上げ、水面に爪が浸かる程度の距離で勢いよく振り抜く。
飛んできた魚は、リオネが指示したところにちょうどピシャリと落ちた。
「思ってたよりも性能良いわね。池に魚が見えたらすぐにさっきの位置に運びなさい」
「……………」
唸り声も上げずにただビシャビシャと魚を掬っては放り、掬っては放り。床に七匹目の魚が落ちたところで、グローラは動きを止めた。
「全部で七匹………私はそんなに食べれないから一日一匹だとして、私一人なら一週間………クユリ?貴女、一食につきどのくらい食べる?」
「………自慢じゃないけど多分、ここにある七匹明日までもたないよ。その上お腹いっぱいにもならない」
「…………………………本気?」
「………うん。あたし、それこそファルクスみたいに肉が食べれる魔物ばっかり狩ってるから………」
「そういえば、あの時のファルクスの肉は?」
「その………洞窟に出発する前に数時間くらい待ってもらったでしょ?その間に、食べれる部分は全部………」
「は………?私ならあれ一匹で一ヶ月は暮らせそうな量だったような───」
「あ、で、でも!実は有毒な部分が多くて、実際は見た目で食べられそうな部分の半分くらいしか食べられないんだよっ!」
半分尋問のような話の流れに抗うように、どんどん声が大きくなっていくクユリ。クユリの尋常じゃない程の大喰らいっぷりに、リオネはもう完全に引いていた。ドン引きだった。
「クユリ、この洞窟を出たら今後は別行動にするわよ」
「わぁぁぁー待って!ふ、フらないで!!!」
「いや、どうすればいいのよ。冗談抜きで私何も食べれないじゃない」
「節制!ちょっとは節制するから!!!」
全く冗談に聞こえない別れ話に、クユリは慌てふためく。いや、リオネにとって全く冗談のつもりではないのだが。
「………なら、とりあえずこの魚は一日一匹に抑えなさい。余る一匹はあげるから」
「………はいぃ」
クユリは肩を落として、間の抜けた返事をする。「全く足りない」と顔に書いてあった。
「とりあえずこの魚で三日間食べれるとして、その間にすることは………そうよ、家がないわね」
「家かぁ………あたしは今までずーっと野宿だったから、そういうのも憧れるなぁ」
「なんとなく、貴女がどういう人間か理解できた気がするわ………」
「おっ!どういう人間かなぁー?」
「野蛮人」
「ひっど!?」
遅れてすみません!夏休み→学校始業→工業レポートの地獄に潰されてました!
次回、二人は家を探します。