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織原莉乃は出る杭だから打たれる前に打ち返す  作者: 20時18分
三章 荒んだ倫理、歪んだ矜持
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偏執狂の博覧会(5)


「阿古くんはブラック飲めないわよね?」

「はい――あぁ、俺は水で良いですよ」


 芽衣子は自分の研究室に置いてある小さな冷蔵庫を漁ると、黒い缶を二つ取り出して剛介にも手渡した。


「コーヒーも水と性質上は近似だわ、泥水だと思って飲みなさい」

「……ありがとうございます」


 剛介は缶コーヒーのタブを開けることもなく、研究室の真ん中で対に据えてあるソファーに浅く座る。

 芽衣子の研究室は小ざっぱりとしており、彩音の部屋とは対照的だ。彼女がミニマリストよろしく断捨離を頻繁に行っていることもあるが、専攻である比較特殊神経学の実験は別室で行っていることが大きいのだろう。作業デスクと応接用にでも使うのであろう二人掛けのソファーが二つに机が挟まれている。棚は作業デスク寄りにしか物が置いてなく、あとは小さな冷蔵庫にびっしりと無糖の缶コーヒーが詰まっているまでだ。

 剛介も、芽衣子は缶コーヒーに拘る理由はよくわかっていなったものの、彩音いわく「コーヒーメーカーは掃除が手間」だからだそうだ。おかげで、彼ご用達の角砂糖やガムシロップの類は彼女の研究室には存在するわけもなく、飲めもしないブラックコーヒーをお土産に貰うしかなかった。


「味覚、それも『止まっている』のかしら?」

「どうでしょうね。でもピーマンは食えるようになりましたよ」

「二十歳超えてそんなことで威張れないわよ。苦味は植物の生存戦略なだけ、まだまだ食育が足りてないんじゃないかしら?」


 芽衣子が喉を鳴らしながら笑い、デスクトップのパソコンから離れて剛介の対面に腰をおろす。剛介としてはこれからが様々な意味で本番なのであろう、どこか覚悟を決めたような表情で両手で拳を作って前のめりになった。


「それで、織原のことなんですけど――」

「特殊神経系の破壊? うーん、京也さんのを読んでも脳波に異常はないとか。表情筋の隔離なんてされたら、嫌でもどこかに反作用が出そうなものだけど」

「ブローカ野だけ注視しても仕方ないとも思いますが、どうお考えでしょう?」

「阿古くんは相変わらず全体主義的ねぇ。その観点で言えば、対象の作用前と比較できないんじゃお手上げになってしまわない?」


 芽衣子の返答に剛介は視線を落とす。それは自信の無さではなく、どこかやりきれなさを抱えたように拳を握る指が更に内転する。


「そもそも、一部のスパイクにイレギュラーが発生すればおかしくもなるものよ。あの――また忘れちゃったわ、赤い髪の子ね。あの子の視覚が健全に機能していることすら不可思議よ」

「織原は『別の運動と結び付けた』と話していたりしましたが……」

「阿古くん、鵜呑みにしているの? 何年京也さんといるのよ」


 剛介の言葉に芽衣子はあからさまにがっかりとしてみせ、若干煽るように剛介に向けて手を広げた。そこまでされれば剛介としては幾らか癪に障るものの、言われている事には納得せざるを得ないようで反論までには至らなかった。


 芽衣子が言うには、「そのような神経の組み換えはできない」と断言できるそうだ。剛介が可能性として考慮した「常識を超えた軸索投射」が莉乃の能力の本質は、それに伴うあらゆるものも付随して変化させる必要があり非現実的だとした。

 超能力が非現実的、非科学的である側面を芽衣子は認めつつも、剛介の言うことが成されてしまってはもはや生命体として別の次元に達しているとも話した。


「そんな子が、世界に溶け込んで生活してるなんて無理よ」

「機能を意図的に抑制して――」

「それ、阿古くんはいつ出来たのよ」


 その言葉に剛介は言い淀む。彼自身、幾らか超能力のコントロールが出来るようになったのは十年ほど前だ。もちろん日々の変化はあったが、決して「普通」では無いそれであったことは言うまでもない。

 これは彩音の能力開発によって成果が表れたもので、当たり前に芽衣子も剛介のバックグランドなど知り尽くしていた。


「まぁ、展望はあれどよね」


 言葉に詰まる剛介を前に、芽衣子は鼻を鳴らして申し訳程度のフォローを飛ばしてくる。この先、織原莉乃という超能力者をどう扱うかによって、剛介の語るような形で能力応用が可能であるかもしれない。現状そうであろうがなかろうが、そこを期待している研究員も数多いる。

 だが、現時点ないしは根底、より基礎としての莉乃の超能力解析としては希望的観測も含まれているという。芽衣子は一度立ち上がり冷蔵庫から缶コーヒーをまた二つ取ってくると、罰ゲームかのように剛介にも渡した。彼の目の前には、未開封のブラックコーヒーが二本そびえ立つ。


「それ、同じだと思う?」


 不意を突くような問いに、剛介は戸惑った。芽衣子が「それ」と指す先には同じ銘柄の缶コーヒーが二つ。特に変哲もない、どこででも変える市販のものだ。


「……同じ、じゃないんですか?」

「勝手に阿古くんが同質とみているだけ。中身を知らないじゃない」

「どっかの猫の話みたいですね、矢野先生は哲学も――」

「思考実験じゃなくて、どちらかと言えば形而上学的なもの。その二つは、構成要素が非常に近似であるだけで、それ以上ではない」


 口を開けて疑問符を浮かべる剛介をお構いなしに、芽衣子は二つの缶を両手にとって続ける。


「こっちが昨日の織原さん、こっちが今日の織原さん。――あぁ、これじゃあ品温が変わっちゃったわね」

「比較、先生の十八番ですもんね。そういうことですか」

「それも絶え間なく、微々たる変化を、注意深く。うーん、嫌な時代よね。野に放ったら前提条件が揺らいでしまう」


 芽衣子は「昨日」と指した缶コーヒーをぎゅっと握り、もう片方の「明日」と言った右手のそれは指先で摘まむように持って見せる。

 剛介にも言わんとしていることはわかったのだろう、前のめりだった姿勢を崩して背もたれにどっと体重を預けた。彼としても、このような絶え間ない変化の中で莉乃を追うことにどこか無理を感じていたのかもしれない。より自身の管理下に置き、より好ましい刺激を与えて観測する。さながら、実験動物のように電極を刺して貼って、そこまでしてようやくデジタルな数字として顕現するものなのだから。


「――楽しみにしてるわよ、阿古くん。ブラックコーヒー、飲めるようになること」


 芽衣子は荒れ狂う髪の隙間から引き延ばされるように上がる口角を覗かせて、両手の缶コーヒーを剛介へと放り投げる。彼は胴でそれを受けると、芽衣子に手で払われて退室を命じられる。

 剛介は耐えきれず短くため息を挟んで立ち上がり、一礼して芽衣子の研究室を後にした。その手には少しぬるい缶コーヒーがひとつ、ひんやり冷えたものがもうひとつ。


 剛介はどちらもしっかりと握りしめ、自分の研究室へと踵を返した。

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