偏執狂の博覧会(4)
剛介はひとり、ほんのりと滲む夕陽と照明の入り混じる廊下を進む。手元の資料を流し読みながら、目的地へと行くのには随分慣れているように角を曲がり階段をのぼり、彼はひとつの部屋を目指す。
剛介の研究室から同施設内を数分歩き、彼は「第一情報管理室」と称される資料室に辿り着く。一見するだけでは何の部屋かもわからぬ白く重い扉の向こうには、途方もない量の情報が散らかっている。主に紙媒体、一部は何故か石板として記録されているものもある。他方、ここまで高度な時代、その中でも叡智が集っているとも言える場所なのだが、電子媒体での情報はこの部屋に少ない。
おかげで、剛介を含めた諸研究員はデジタルで取ったデータを手書きでアナログ変換するという、時代錯誤で非効率的なことを強いられていた。多くの者は不満を漏らしていたが、剛介はその話が挙がる度に「情報漏洩を考えるとだな」だったり「長い目で見た時の保存強度がだな」等とそれらしい理由をつけて周りをなだめていた。
「――真田はもうちっと字が綺麗だと助かるんだけどな」
もっとも、内心剛介としてもこのやり方には幾らかの不満は募らせているのだが。
剛介は所属研究員の調査レポートがまとまった棚に行き、愛羅のファイルを手に取る。彼女は特殊運動学という分野を専攻しており、超能力における運動性の干渉についてまとめていることが多かった。加えて、国立神経科学研究センターでは同学科長に配属されていることもあり、研究論文を幾つか発表している。
剛介としては、愛羅の研究から莉乃の運動性という観点で見た時の超能力を切り開く、何か合致するテーマが無いかヒントを求めていたのだろう。彼は分厚いファイルのページを捲りながら、それぞれの主題に目を通して行く。
「お弟子さんの論文添削だなんて、随分指導熱心ね」
冊子を眺める剛介の後ろから、少ししゃがれた女性の声が問いかける。彼が振り向くと、後ろには場違いなパーティードレス姿の女性が悠然と見つめていた。
黒くも見えるボリュームのある青い髪は差ほど整えられていないようで、着ているものとの不一致さが一層際立つ。ただそれでも、決して化粧を怠っていないあたり、この荒れ狂った髪型も彼女なりの拘りなのかもしれない。
「……矢野先生が情報管理室にいらっしゃるなんて珍しいですね」
矢野と呼ばれた女性は幾つか引き笑いを飛ばすと、剛介の隣まで来て同じように棚を眺め始める。
「参考文献の確認よ、いちいち昔の論題と年なんて――っと、覚えてないでしょ?」
女性はそう言いながら「矢野芽衣子」と背表紙に入ったファイルを幾つか抜き取る。芽衣子は自身のまとめてきた多くの論文や発表スクリプトを眺めつつ、幾つかの題名と発表年を手元のメモに書き取っていた。
剛介はそれを横目で見ていると、手を止めてメモを取っている際に開いているテーマにひとつの共通項を見出した。
「神経系――と、超能力ですか」
「んん? えぇ、京也さんがお熱な新しい子――」
「織原莉乃、ですね」
「そう、その織原さんって子が面白いことしてたでしょう?」
芽衣子は剛介の言葉に手を止め、彼を見つめながら自分のこめかみを二つ叩いて見せる。場違いな身だしなみではあるものの、調査レポートの棚に彼女の名前でファイルが複数置いてあることは芽衣子が研究員であることを示している。剛介をもってして「先生」と、彩音と同じ敬称をつけられる芽衣子も学者であることは自明であり、その優秀さは彼も身に染みて知っていた。
剛介は少しばかり芽衣子に距離を保っていたものの、莉乃の話題に切り替わることで目線のみでなく顔を向けて声をかけなおした。
「――実は、ちょうど自分も彼女のことでまとめてまして」
「あらまぁ、奇遇じゃない。そうは言えども、捕虜の子の一件以来どの課も織原さんの話題で持ちきりだけどもね。何の偶然性も感じないわ」
「……まぁ、はい。なので、もしお時間頂戴できるのであれば先生のお話を聞きたいなと」
剛介は必死に癖であるため息を呑み込みながら、芽衣子に対してディスカッションの提案をしてはみた。
だが、御覧の通り剛介は矢野芽衣子という人間がいまいち得意ではないのである。芽衣子が学者として優秀ではあり、彩音にも見劣りのしない成果もあげているのは剛介もよく知っている。だが、この女性はどうにも他人への関心が薄く、それでいながら意識しているのかしていないのか、やたらと円滑なコミュニケーションを好まない癖がある。
国立神経科学研究センターには多くの変わり者が集っている。研究者はどこでもネジの一本や二本外れているのが常であり、超能力者も同様であるものだ。数多く、どちらの人間とも接する機会を人一倍得てきた剛介は、その長所とも短所とも取れる個性と対峙し、それなりに受け入れてきていた。彼の若さと不相応な地位や知恵に嫌味を言う者もいたが、理由が自明であったり表面的な問題は無かったため気にもかけることが無かった。
そんな剛介でも、芽衣子は「なんだか苦手だ」という印象から動かずにいる数少ない対象なのである。
「うん? 阿古くん、私さっき何しに来たって言ったかな?」
「ろ、論文の参考文献を確認に――」
「じゃあ、私の部屋では絶賛執筆中だって考えには至らないかな、うん?」
「……そうですよね、不躾なお願いを失礼し――」
「ここ、腰かける場所ないわよね。ラボまで来てちょうだい」
芽衣子は上機嫌そうに鼻を鳴らしながらファイルを閉じ、情報管理室を後にしようとする。剛介の頭の中は上手く整理できていないが、どうやら芽衣子の返事は「YES」だったらしい。これもまた、剛介としては確信に至れないから困るものである。
ヒールで音を立てながら出て行く芽衣子の後を、剛介は釈然としないように手で顔を覆いながらついていくこととする。背に腹は代えられないとまで思わせるヒントを、矢野芽衣子という変人から得られるのなら気苦労のひとつやふたつは安い対価であろう。
阿古剛介の心労は、今日も順調に積み重なっていく。




