手荒い歓迎、天才は御礼(2)
奇妙な出会いを経て数分後、莉乃と剛介は国立神経科学研究センターを目の前にしていた。二人の距離感は誰がどう見ても仲睦ましさを微塵も感じさせない。道中に会話をするわけもなく、莉乃はしきりに溜め息をつき、そのたびに剛介がビクリとして様子を伺う。コミュニケーションと言っていいのか怪しいやり取りのみで、道中を共にしていたのだ。
「……あの、着いたぞ織原」
目的地の敷地内に入ると、探るように剛介が小声で呟くように言った。
高い建物の続く道中を抜け、塀の無い広く芝生が続いていく庭の建造物が目に入る。芝生に埋もれるように置いてある大理石の看板にはしっかりと「国立神経科学研究センター」の文字があり、目的地であることは言われるまでも無く一目瞭然であった。
玄関ロビーまで遠いような庭ではなく、奥行きがないような敷地面積の異常さは入るまでもなく感じさせられた。外観としては学校の講義棟とも思えるようなものだが、それも目に見える範囲での印象に過ぎない。
「案内ご苦労さま、もう帰って良いわよ」
「ほんと悪かったって……いつまでもヘソ曲げてねぇでよ……」
織原莉乃は下衆な野郎にも優しい博愛主義者である。ゆえに莉乃はどれだけ剛介を見下していようとも、最低限の労いの言葉は欠かさないのである。無論、その眼はスラム街でドブネズミを見る貴婦人のような冷淡さであったが。
他方、剛介は諦めてはいるようであるものの、自分が蒔いた種をどうにかしようと必死だった。それゆえに、剛介は常人の自尊心を持ってして決して成し得ないような土下座の連打をいとも容易く行ったのだから。だが、結果は今まさにこの場が物語っている。
「なぁんだ阿古くん! 随分仲良くなれてるじゃない!」
施設の正面玄関から2人の方へ歩きながら、男性はとんちんかんな感想を浴びせて来た。
「先生、やっぱ俺野比のこと嫌いです。あいつと話すと調子狂います」
「野比くんは阿古くんが大好きだからねぇ、女心を汲みとって上げるのも男性の役目だよ?」
先生と呼ばれた長身長髪で白衣の青年は剛介を茶化すように答え、スッと莉乃の方へ向き直ると手を差し出した。
「初めましてだね、織原くん。私が彩音京也だ。このラボのオーナーであり、ご縁があればこれから君の能力開発をお世話することになる者だよ」
彩音は懇切丁寧に自己紹介をし、にこやかにほほ笑む。彼の黒い髪は結ばれることなく白衣の第二ボタンまで届きそうなほど伸びきっている。しかし、不思議と清潔感もあり、爽やかな青年であった。
少し戸惑いながらも、莉乃は彩音の握手に応える。
「えぇ、よろしく。……失礼ですが、先生って何歳なの?」
「西暦2082年の10月12日生まれ、今年で39になるね」
彩音の答えに莉乃は思わず声をあげて驚く。無理もない、彩音は非常に若く見える。黒い長髪から覗く顔の作りは凛々しく、決して幼いわけでは無いのだが、年齢特有の肌の経年劣化を微塵も感じさせない。化粧も嗜む年齢に差し掛かっている莉乃には、彼がファンデーションの類を乗せているわけではないことが嫌でもわかってしまう。
「先生が年不相応に若いからビビってんですよ。野比も能力に全然触れた事無いって言ってたでしょ」
「あぁそうだった、これは失礼したね。私は色々と、ここにいる阿古くんや君の友人でもある野比くんのおかげで快適に過ごしてるんだ」
剛介のツッコミに彩音はお腹を抱えて笑いながら莉乃への謝罪を挟む。それでもなお、莉乃は釈然としない表情を浮かべているので、彩音は付け加えて説明をした。
「失礼失礼、言葉足らずだったかな。私の容姿については主に阿古くんの『超再生』によるものだ。彼は凄いタフガイでね、例えば腹部を包丁で刺してもすぐさま再生して、磁力が反発するように刃が身体の外へ跳ね返されちゃうほどなんだ! 織原くんも遊ばせてもらうと良いよ!」
「先生、話が反れてます。それだと先生の若さの秘密が伝わりませんし、俺がおもちゃなんですが……」
「だってあんなのおかしくて笑っちゃうでしょ~! 世に公表できないことが非常に悔やまれるね~!」
彩音は終始笑っている。愉快な人だということはわかるが、発言が少々サイコパスじみており莉乃は若干引き気味で愛想笑いを浮かべるのみであった。途中チラリと剛介の方を見ると、ゆっくりとうなずいて彼への同情の意を示す。
「あぁすまんすまん、また一人で盛り上がってしまったね。それで、ちょっかい出した阿古くんから見て織原くんはどんな能力と見た?」
「そうですね……って、何を言ってるんですか? 新人に手荒な真似を――」
「黒いパーカーが砂まみれさ。君の能力が服も綺麗さっぱり出来るんだったら、私もわからなかったなぁ」
剛介を上から下まで舐めるように見まわしてくる彩音に対し、その剛介は顔面蒼白という言葉がこれ以上なく相応しい顔色と化している。
「君のその残念な所も魅力だと思うよ。で、どう見た?」
「絶対思ってないでしょ……そうっすね、反応速度も脚力も異常でした。あの蹴り、前に先生の実験で電車に顔面から相対速度何百キロかで突っ込んだ時を思い出しましたよ」
「それ人間じゃないじゃん! そっか君達ぶっ飛んでんだったね、あっはははは!」
何を言っても笑い続ける彩音に、剛介も呆れ果てた表情になる。少し笑いが落ち着くと、彩音はグッとかがんで莉乃の脚をまじまじと見つめる。
「な、なんですか――」
「ふむ、流石に阿古くん冗談が過ぎたね。でもこれは確かに、彼女のハードウェアに対する負荷が極端に高く見える。右脚のこれは蹴りの接触点であろうとして、その他に両脚の各所で内出血が起きているね。織原くん、痛くはないかい?」
女子高生の足をまじまじと見る中年男性に対する適切な反応を莉乃が見せるものの、彩音は彼女の綺麗な脚に対する男性らしい興味を微塵も感じさせなかった。だが、彩音が指摘した通り、莉乃の脚にはうっすらと痣のようなものが広がっており、不健康さを思わせる。
「あぁ、押すと痛いですね。こんなぶつけ……阿古さんにぶつけたか」
「俺を蹴ったのなんて右脚だけだし、人を物みたいに言うなや」
莉乃は剛介をジロッと見るが、剛介はすかさず反論する。剛介の顔面をクリティカルヒットさせた部位はより青々しく若干腫れていた。
「後でより詳しい調査はするけど、織原くんは単純な肉体強化って感じじゃなさそうだ。人間、というより今の君という肉体の許容値を超えたパフォーマンスを叶えているみたいだね」
「見終わったなら治します?」
「そうだね、女性をこの脚のままにさせるのは罪深い事だ」
彩音のキザなセリフに剛介は「へいへい」と生返事をすると、莉乃の脚に対して手をかざす。まるで瑠奈が橘を伏せ、莉乃の髪を無意味に伸ばした時と同じように。
莉乃の脚に広がる青痣は目に見えて薄くなり、遂には健康的な肌色一辺倒の若々しい魅力的な脚へと戻った。
「ありがとう阿古さん、元よりだいぶ色味が良くなったあたりはアンタの趣味かしら」
「お前が健康体だからだ、一言多い女だな」
莉乃と剛介は憎まれ口を叩き合うも、それは妙に親しさを感じさせるものになっていた。莉乃としては無意識的であろうが、彼女の中で超能力者であるということの証明はそれだけで好印象へ傾く事実なのだろう。
「うん! 無事仲直りは済んだようだし、私の研究室で続きを話そうか」
パンッと彩音が手を叩き、2人を施設内へと招き入れる動作をする。
「ようこそ、ここが世界の真実だ。織原莉乃、君を歓迎するよ」
彩音は不吉なセリフに似つかわしくない満面の笑みで、莉乃を誘う。また一歩、引けぬ道を進んでいく彼女の顔にはまだ希望ばかり溢れていた。